LOGIN婚約から5年。黒崎怜司(くろさき れいじ)はようやく、私、水野紗也(みずの さや)と結婚式を挙げる約束をしてくれた。 ところが式の前夜、私が自らデザインしたメインホールも、ウェディングドレスも、招待客の席までも、帰国したばかりの初恋相手に譲ると言い出したのだ。 「美玲のお父さんが重病で、娘の花嫁姿を見たいらしい。俺たちは日を改めればいいだろ」 まるで大したことではないと言わんばかりに、私には会場に残って2人の式を取り仕切れという。 泣きもせず言い争うこともなく、私は胸につけていた総合プロデューサーの名札を外し、会場側へ最後のメールを送った。 【明日の式におけるデザインの利用権利をすべて取り消します。黒崎グループのブライダルブランドとの提携も解除します】 怜司は、私がすねているだけだと思っていた。 けれど翌日、300人の招待客を迎えた会場では照明が落とされ、大型スクリーンに利用権利の取り消しを知らせる通知が映し出された。私のチームもすべて撤収し、ようやく彼は思い知ったのだ。 取り消されたのは、結婚式だけではなかった。 10年分の愛情を込めた痕跡をも、私はすべて引き揚げたのだ。
View Moreあの結婚式を取りやめてから、2年が経った。私は40年間連れ添った夫婦のために、結婚記念のセレモニーを手がけていた。お二人が望んだのは、盛大なステージではない。長いテーブルと古いランプ、そして出さずじまいだった40通の手紙だけだった。式の前、ご主人は何度も私に尋ねてきた。「喜んでくれるかな」私は笑って答えた。「私より、奥様に聞いてみてください」夕暮れ時、ランプに明かりがともった。手紙を見た奥様は泣きながら、若い頃はちっとも素直じゃなかったとご主人を責めた。ご主人はその涙を拭い、これからはちゃんと言葉にするからと、何度も繰り返していた。舞台裏に立ちながら、私はふと、挙げることのなかった自分の結婚式を思い出した。もしあのまま式を終えていたら、私は何年もかけて自分に言い聞かせていたのかもしれない。怜司は情に厚いだけ、断るのが苦手なだけ、物分かりのいい私に甘えているだけなのだと。惨めな形でも、あの日、式を取りやめてよかった。私の人生が壊れたのではなく、ただ待ち続ける日々から抜け出せたのだから。式が終わると、アシスタントが知らない番号から届いた写真を見せてくれた。写っていたのは、怜司が買い戻したあの古いマンションだ。窓辺には枯れかけたミントの鉢が置かれている。私が何年も前に残していったのと同じ品種だ。メッセージはひと言だけだった。【今日、本当なら俺たちの結婚2周年記念日だったんだな】私はひと目見ただけで削除し、スマホの電源を切った。外では、一緒に食事に行く約束をしていた母が待っていた。長いテーブルの向こうでは、チームのメンバーが会場に残った花を分け、近くの老人ホームへ贈る準備をしている。「一緒に写真を撮ろう」と呼んでくれる人もいれば、切り分けたケーキのいちばん大きな一切れを、こっそり私のために取っておいてくれた人もいた。私は歩み寄り、みんなの間に腰を下ろした。明かりに照らされたみんなの顔を見ていると、確かな温かさが伝わってきた。アシスタントが尋ねてきた。「紗也さん、いつかご自分の結婚式を挙げるときは、演出もご自分で考えるんですか?」「そうするかもね」私はケーキを切り分け、隣の人へ渡した。「でも、そのときは、埋め合わせのためじゃなく、本当に私と結婚したいと思ってくれる人と挙げたいわ。ほ
あの授賞式で見かけた白いバラは、怜司が初めて思いを告げてくれた日の花と同じだった。年を取っても、毎年贈るよ。10年前、彼はそう言ってくれた。けれど、忙しくなると記念日の花は秘書任せになり、そのうち秘書まで忘れてしまった。あの日、私はしおれた花を片づけてもらった。壇上に立っても、客席に怜司の姿を探すことはなかった。受賞をきっかけに依頼が増え、事務所はまた忙しくなった。チームで広いオフィスへ移り、作品の制作記録を残す仕組みも整えた。取り戻したお金の一部は、若いデザイナーを支援する基金に充てた。半年後、業界のフォーラムで怜司に再会した。彼はもう黒崎グループの代表ではなく、小さなイベント会社の責任者として参加していた。私の講演中は最後列に座り、静かに話を聞いていた。会が終わると、廊下で呼び止められた。「見返りを求めてるわけじゃない。ただ、これを返したくて」差し出された封筒には、私がマンションを売り、彼に起業資金を貸したときの借用書が入っていた。返還を請求できる期間はとうに過ぎていた。それでも彼は当時の約束どおり、利息を含めた全額を弁護士の預り口座へ振り込んでいた。「もともとお前のお金だから」私は封筒を受け取った。「ありがとう」そのひと言に、彼の目がわずかに明るくなった。「友達からやり直すことはできないか?」「無理よ」怜司は力なく笑った。「もう恨む気もないのか」「あなたへの恨みまで抱えて生きていくつもりはないわ。一緒に過ごした10年が消えるわけじゃないもの」私は借用書を封筒に戻した。「返してくれたお金は受け取る。でも、あなたとやり直すかどうかは別の話よ」怜司はしばらく黙っていたが、やがて私を通すように脇へよけた。「今、幸せか?」「ええ、とても」別れる間際、彼は買い戻したマンションを、そのまま持っていてもいいかと尋ねた。「あなたの家でしょう。私に断る必要はないわ」あの部屋を受け取らなかったのは、怜司ともう関わるつもりがなかったからだ。そのことが、ようやく彼にも伝わったのだと思う。恋人はいないし、今すぐ誰かと付き合いたいとも思っていない。それでも、今の暮らしには満足していた。思い立ったら海を見に行き、母の誕生日にはスマホの電源を切って一緒に過ごす。作り手を大切にしな
事件の捜査は2か月に及んだ。別の街で見つかった怜司の秘書は、美玲に指示され署名と保証書を偽造したことを認めた。12件の架空の支出も怜司の指示だったという。ただ最初はその金が白川家の借金返済に使われるとは知らなかったそうだ。怜司は全額を返済し、契約違反の責任も負った。保証書の偽造については、今も捜査が続いている。事の顛末を必要以上に大げさに伝えてもらうつもりはなかった。私が取り戻したかったのは、自分のお金と、作品に記されるべき自分の名前だけだった。黒崎グループは最終的に声明を撤回して謝罪し、過去の作品すべてに私の名前を戻した。再び訪ねてきた黒崎会長に、以前のような強引さはなかった。「怜司はもう家族とも揉めてしまってね。自分の株を一部売って取引先への補償に充てている。それと、君が昔手放したマンションも買い戻したそうだ」会長は鍵を机に置いた。「君の名義にすると言っていたよ」私は受け取らなかった。母から譲られたあのマンションを買い戻せば、昔に戻れるような気がしていたこともある。けれど住所が同じでも、人生まで巻き戻せるわけではないと今はわかっている。怜司は毎日、事務所のあるビルの前に現れるようになった。中へ入ることも仕事の邪魔をすることもなく、警備室に私が以前よく飲んでいたホットカフェラテを置いていく。私は一度も受け取らなかった。17日目は土砂降りだった。怜司は雨を避けようともせず、夜遅くまで立ち尽くした末、熱を出して入院した。共通の友人から電話がかかってきた。「今度こそ本当に反省してるんだよ。お見舞いくらい行ってあげたら?」「後悔してるからって、私が会いに行く理由にはならないわ」「10年も付き合ったのに、もう少し考え直せないの?」私は窓の外の雨を見た。私が40度の熱を出したとき、彼は海外で美玲の退学手続きを手伝っていた。私はひとりで病院へ行き、点滴を受けながら、彼が約束をすっぽかした事情まで顧客に説明していた。あのとき、10年も付き合っているのに、どうして私のことを少しも考えてくれないのかと、怜司に言ってくれる人は誰もいなかった。電話を切り、怜司の連絡先をすべてブロックした。翌日、警備員が古い紙箱を届けに来た。中には10年分のチケットや写真、指輪、それから分厚い手書きのノートが入っていた
声明が出てから、怜司本人からの連絡はなかった。代わりにやって来たのは彼の父だった。黒崎会長は会議室の椅子に腰を下ろすと、私の前に小切手を差し出した。「1億3400万円はこちらで返そう。その代わり、作品をまた使わせてくれ。それから、和解したという声明も出してほしい」「保証契約の件はどうなりますか?」「あれは白川家と秘書が勝手にやったことだ。君には関係ない」私は小切手を押し返した。「会社の発表では、私に責任を取らせるというお話でしたよね。それが今度は、私には関係ないと?どちらが本当なんですか?」会長の表情が険しくなった。「紗也さん、商売を続けるなら、相手の逃げ道まで塞ぐものじゃない。うちがあったからこそ、君の事務所も今のように仕事を受けられるようになったんだろう」「3年前までそちらのブライダル事業は赤字続きでした。初めて利益が出たのは私の作品を使うようになってからです」私はプロジェクターで、12件の案件のデザインデータや制作日時の記録、顧客からの確認メールを映し出した。どれも私が手がけたことを示す資料だ。それなのに、会社の広告からは私の名前が消され、すべて「黒崎グループのオリジナル」として紹介されていた。今回の結婚式だけの問題ではない。私の作品は3年もの間、名前を伏せられたまま、会社独自のデザインとして使われてきたのだ。ようやく会長の表情が変わった。「前から準備していたのか?」「怜司が私に断りもなく、ドレスを美玲に渡したときからです」裏切られるとは思っていなかった。けれど、それがわかった今、これ以上尽くすつもりはない。その日の午後、事務所として一連の経緯を公表した。つらい気持ちを訴えることも、2人の関係について語ることもせず、契約書や支払記録、著作権の登録資料、ホテルから届いた変更通知を添え、何が起きたのかを順に説明した。最後に、黒崎グループとの提携をすべて打ち切ることを伝えた。今回の件で影響を受ける顧客には、希望があれば私たちの事務所で直接仕事を引き継ぐと案内した。世間の反応はすぐに変わった。解約を求めていた顧客2組が謝りに来てくれたうえ、9人のデザイナーも、企画の核となるデザインは一貫して私が手がけてきたと公に証言してくれた。会社の株価が急落することはなかった。それでも、ブライダル事業では予