Short
5年越しの結婚式、花嫁は私じゃなかった

5年越しの結婚式、花嫁は私じゃなかった

By:  でぶっちょは偏食家Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
10Chapters
25views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

婚約から5年。黒崎怜司(くろさき れいじ)はようやく、私、水野紗也(みずの さや)と結婚式を挙げる約束をしてくれた。 ところが式の前夜、私が自らデザインしたメインホールも、ウェディングドレスも、招待客の席までも、帰国したばかりの初恋相手に譲ると言い出したのだ。 「美玲のお父さんが重病で、娘の花嫁姿を見たいらしい。俺たちは日を改めればいいだろ」 まるで大したことではないと言わんばかりに、私には会場に残って2人の式を取り仕切れという。 泣きもせず言い争うこともなく、私は胸につけていた総合プロデューサーの名札を外し、会場側へ最後のメールを送った。 【明日の式におけるデザインの利用権利をすべて取り消します。黒崎グループのブライダルブランドとの提携も解除します】 怜司は、私がすねているだけだと思っていた。 けれど翌日、300人の招待客を迎えた会場では照明が落とされ、大型スクリーンに利用権利の取り消しを知らせる通知が映し出された。私のチームもすべて撤収し、ようやく彼は思い知ったのだ。 取り消されたのは、結婚式だけではなかった。 10年分の愛情を込めた痕跡をも、私はすべて引き揚げたのだ。

View More

Chapter 1

第1話

結婚式を翌日に控えた夜、私、水野紗也(みずの さや)は宴会場の中央で最後の照明チェックをしていた。

正面の大型スクリーンには、半年かけて描き上げた、天の川の流れる星空が広がっている。ステージに沿って並ぶ12組のフラワーオブジェがゆっくりと花開き、中央に伸びるバージンロードを「10年」と名付けた。

19歳で黒崎怜司(くろさき れいじ)に出会ってから、29歳で彼と結婚するまで。ひとつひとつの照明に2人の思い出を重ねてある。

アシスタントがインカムを差し出しながら声をかけてきた。

「水野さん、新郎様がいらっしゃいました」

振り向いた私の目に最初に入ったのは、白いワンピース姿の白川美玲(しらかわ みれい)だった。

まだ設営中の会場を、怜司は彼女をかばいながら歩いてくる。運ばれてくる機材がぶつからないよう、ずっと腰の後ろへ手を添えていた。以前は私だけにしてくれた仕草だ。

「紗也。明日の結婚式はいったん中止にしよう」

怜司は目の前まで来ると、仕事の予定でも伝えるような口調でそう言った。

聞き間違いかと思った。

式まであと11時間しかない。300人の招待客はすでにホテルに入り、私の両親も遠方から来てくれている。

「どうして?」

目を赤くした美玲が先に口を開いた。

「水野さん、ごめんなさい。父が末期がんなの。お医者様には今月いっぱいもつかどうかって言われていて……どうしても私の花嫁姿が見たいって」

そう言って、美玲はメインステージに目を向けた。

「怜司が、2人にはこれから先いくらでも機会があるからって」

私は怜司を見据えた。

「それで?」

「明日は美玲に譲ってやってほしい。招待客も進行もそのままでいい。ブランドの特別企画ということにすればいいから、お前には会場を仕切ってもらいたいんだ」

私が半年かけて準備した結婚式が、彼にとっては、気軽に人に貸せるものらしい。

「ドレスは?」

重ねて尋ねると、美玲が声を落とした。

「私と水野さん、サイズがあまり変わらないから。怜司がもうウエストを直すように頼んでくれたの」

胸の中にわずかに残っていた温もりまで、すっと冷えていった。あのドレスについた1万8000粒のビーズは、母と私が1粒ずつ選んだものだ。

黙っている私に、怜司は苛立ったように眉を寄せた。

「ただ形式的にやるだけだろ。お前はいつも物分かりがいいだろ。今回くらい我慢してくれよ」

「わかった」

私は胸の名札を外し、彼の手のひらに置いた。

「明日は彼女に着せればいいわ」

怜司はほっとしたように表情を緩めた。

けれど怜司は、あのドレスもステージも、会場全体の演出も、すべて私のデザイン事務所が権利を持っていることを知らなかった。

私は調整室に入り、法務担当へメールを送った。

【午前0時をもって、すべての使用許諾を取り消してください】

送信した直後、会場の責任者から電話がかかってきた。

「水野さん、たった今、黒崎社長から新婦のお名前を白川美玲様に変更するようにと指示がありました。本当に提携を解消なさるんですか?」

ガラスの向こうでは2人が抱き合っていた。

「ええ。それと、関連する支払いはいったん止めて。私が立て替えた9720万円についても、今夜中に全額の返還請求の手続きを進めてちょうだい」

会場の責任者によると、デザインの使用許可を取り消せば、会場に残せるのはホテル備え付けのテーブルと椅子だけで、メニュー表の星模様のカバーまで外さなければならないという。

「構わないわ。全部撤去して」

私が描いたものを、あの2人の愛の証しに使われるくらいなら、いっそ何も残さないほうがいい。

続けてドレスを仕立てたアトリエにも連絡し、ドレスは証拠として当面ホテルに保管すること、美玲による公開展示や商業目的のライブ配信での使用は認めないことを伝えた。

メールのCCから、初めて怜司の名前を外した。

この半年、何を決めるにも彼の返事を待つのが当たり前になっていた。けれど、もう彼の返事は待たない。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
10 Chapters
第1話
結婚式を翌日に控えた夜、私、水野紗也(みずの さや)は宴会場の中央で最後の照明チェックをしていた。正面の大型スクリーンには、半年かけて描き上げた、天の川の流れる星空が広がっている。ステージに沿って並ぶ12組のフラワーオブジェがゆっくりと花開き、中央に伸びるバージンロードを「10年」と名付けた。19歳で黒崎怜司(くろさき れいじ)に出会ってから、29歳で彼と結婚するまで。ひとつひとつの照明に2人の思い出を重ねてある。アシスタントがインカムを差し出しながら声をかけてきた。「水野さん、新郎様がいらっしゃいました」振り向いた私の目に最初に入ったのは、白いワンピース姿の白川美玲(しらかわ みれい)だった。まだ設営中の会場を、怜司は彼女をかばいながら歩いてくる。運ばれてくる機材がぶつからないよう、ずっと腰の後ろへ手を添えていた。以前は私だけにしてくれた仕草だ。「紗也。明日の結婚式はいったん中止にしよう」怜司は目の前まで来ると、仕事の予定でも伝えるような口調でそう言った。聞き間違いかと思った。式まであと11時間しかない。300人の招待客はすでにホテルに入り、私の両親も遠方から来てくれている。「どうして?」目を赤くした美玲が先に口を開いた。「水野さん、ごめんなさい。父が末期がんなの。お医者様には今月いっぱいもつかどうかって言われていて……どうしても私の花嫁姿が見たいって」そう言って、美玲はメインステージに目を向けた。「怜司が、2人にはこれから先いくらでも機会があるからって」私は怜司を見据えた。「それで?」「明日は美玲に譲ってやってほしい。招待客も進行もそのままでいい。ブランドの特別企画ということにすればいいから、お前には会場を仕切ってもらいたいんだ」私が半年かけて準備した結婚式が、彼にとっては、気軽に人に貸せるものらしい。「ドレスは?」重ねて尋ねると、美玲が声を落とした。「私と水野さん、サイズがあまり変わらないから。怜司がもうウエストを直すように頼んでくれたの」胸の中にわずかに残っていた温もりまで、すっと冷えていった。あのドレスについた1万8000粒のビーズは、母と私が1粒ずつ選んだものだ。黙っている私に、怜司は苛立ったように眉を寄せた。「ただ形式的にやるだけだろ。お前はいつも物分か
Read more
第2話
ホテルを出ると、怜司が追いかけてきた。「どこへ行くんだ?」「家に帰って荷物をまとめるの」そう答えた私の手首を彼がつかんだ。「紗也、つらいのはわかる。でも、美玲のお父さんは危篤なんだ。最期の願いくらい、かなえてやりたいじゃないか」「彼女の婚約者はどうしたの?」怜司は一瞬、黙り込んだ。美玲は3か月前、海外にいる婚約者と別れていた。父親を安心させるには、結婚相手として申し分のない、信頼できる男性に花婿役を頼む必要があった。そこで美玲が選んだのが、怜司だった。「ただの芝居だよ。式が終わったら、俺からみんなに説明するから」私は彼を見上げた。「指輪を交換して、抱き合って、キスまでするの?」「式の流れでそうするだけだ」つかまれた手を、ゆっくりと引き抜いた。10年前、美玲は海外へ行くために怜司を振った。その後、起業した彼に寄り添い、最初の出資を取りつけたのも私だ。資金繰りが行き詰まったときには、母から譲られた小さなマンションを売って支えた。怜司が成功すると、周りは「待った甲斐があったね」と言ってくれた。けれど、10年も待ち続けた私を待ち構えていたのは、別の女性の結婚式の準備だった。そこへ母から電話がかかってきた。母は、明日の朝のメイクは何時からなのかと聞いてきた。父と一緒に、招待客への引き出物も2度確認したという。少し間を置いて、私は告げた。「お母さん、結婚式は中止になったの」電話の向こうが静まり返った。しばらくして、電話を代わった父がひと言だけ尋ねた。「迎えに行こうか?」その声に、涙がこぼれそうになった。「ううん。自分で帰れるから」会話を聞いていた怜司の顔色が変わった。「今ご両親に言うことないだろ」「じゃあいつ言うの?2人が客席で、あなたと別の女性が愛を誓うのを見てから?」「俺が説明するって言っただろ」「もう説明しなくていいから」私は部屋の鍵を彼のスーツのポケットに入れた。「怜司、私たちもう終わりにしましょう」怜司は一瞬呆然としたが、すぐに表情を険しくした。「たった今日のことでか?」「いいえ。10年分よ」私は車に乗り込み、もう振り返らなかった。午前0時になると、仕事用のグループチャットに次々と報告が届いた。映像の使用許可が取り消され、機材の貸し出
Read more
第3話
その1800万円は、黒崎グループのブライダル案件の前払金から出ていた。3か月前、怜司から「ホテルから追加の前払い金を求められたから、事務所のお金で立て替えてほしい」と頼まれた。けれど、ホテルとの契約書にそんな支払いの記載はなかった。経理から送られてきた申請書には、申請者として怜司の秘書の名前があった。承認欄には私の電子決裁印が使われ、用途は「輸入花材の予約」となっていた。私はすぐに元の伝票を保管するよう経理に指示し、銀行にも連絡して取引明細の発行を依頼した。朝7時、母が事務所にやって来た。私を諭すこともなく、引き出物の箱を壁際に置いた。「これはどうしようか」「私たちの名前が入ったものは外して、福祉施設に寄付しようと思う」母はうなずき、一緒にリボンをほどいてくれた。最後の箱に取りかかったところで扉が開いた。入ってきた怜司は一睡もしていないらしく、シャツはしわだらけだった。「今すぐチームを戻せ」「それは無理」「300人も客が来てるんだぞ。今さら引き揚げられたら俺が恥をかくだけじゃ済まない。会社の信用にも関わるんだ」私はデザインの使用許可を取り消す通知書を、怜司の前に差し出した。「私に無断で、別の人の結婚式に変えたんでしょう。それは契約違反よ。ホテルの会場や食事はそのまま使えても、私のデザインまで勝手に使えると思わないで」ざっと目を通した怜司は、書類を机に叩きつけた。「紗也、美玲のお父さんはもう長くないんだぞ!こんなときに騒ぎを起こすなよ!」「そのお父さんの口座に1800万円が入っていたわ」怜司が言葉を失った。私は支払記録を拡大して見せる。「輸入花材の代金が、どうしてあの人の口座に振り込まれているの?」「貸したんだよ」「私の決裁印を使って?」「秘書が間違えたんだ」あまりにも即座に返ってきた言葉に、私はしばらく彼を見つめた。今回が初めてではないのだと、気づいてしまった。2年前にも、留学中の美玲がお金に困っているから、しばらく援助したいと怜司に言われた。私は事務所の支援制度を使って年間400万円を出すことに同意したものの、その契約書は一度も見せてもらっていない。経理に記録を調べ直してもらうと、支援金は専用の口座から出ておらず、3つの案件の経費に分けて計上されていた。どの支払いも私が
Read more
第4話
配信はたちまちSNSで話題になった。私の名前も知らない人たちが、「性悪プランナー」と決めつけて非難していた。事務所の住所を調べ上げ、「ここには仕事を頼むな」と書き込む者まで現れ、顧客2組からはすぐに解約したいと連絡が入った。チームでいちばん若いデザイナーが、不安そうに涙を浮かべて尋ねてきた。「水野さん、こちらの事情も説明したほうがよくないですか?」「まずは配信の映像とコメントを保存して」法務担当には、配信サービスの運営会社へ書面を送ってもらった。その間に私は、会場のデザインや演出の権利が私たちにあることを示す資料と、契約内容の変更履歴をそろえ、撤収した時刻も記録にまとめた。午前10時、ようやく怜司から電話がかかってきた。「スクリーンを元に戻してくれ。式が終わったら、美玲にはみんなの前で謝らせるから」「美玲が配信するって、知ってたの?」怜司は一瞬、言葉に詰まった。「あいつも取り乱してたんだ。まさかあんなことまで言うとは思わなくて」「でも、ベールをかけてあげたのは、あなたでしょう」怜司は声を落とした。「紗也、今はそんな話をしてる場合じゃない。美玲のお父さんはもうホテルに来てるんだ。医者もついてる」「今月いっぱいもつかどうかという末期がんの患者を、300人も集まる会場に連れてきたの?病院は外出を認めたの?」今度こそ電話の向こうが静かになった。私はアシスタントに、ホテルの共用部分を映したカメラの映像を確認してもらった。車椅子に座る美玲の父親は血色もよく、招待客の1人と談笑している。医療機器らしいものも見当たらない。何より、医師として付き添っていた男は、美玲の実家の会社の顧問だった。別の企業イベントでも、その会社の顧問として紹介されている写真が見つかった。危篤という話も最期の願いという話も嘘だったのだ。白川家の狙いは、盛大な式を開いて黒崎グループとのつながりを債権者に見せつけることだった。それで、目前に迫った返済期限を延ばしてもらおうとしていたのだ。怜司は急に人助けを頼まれたのではない。私たちの結婚式が白川家の信用を取り繕うために使われると、最初から知っていたのだ。私は証拠となる場面を切り取って彼に送り、メッセージを添えた。【いつまで私を騙すつもり?】30分後、怜司が事務所にやって
Read more
第5話
「この保証契約、私がサインしたものじゃないわ」追加合意書を怜司の前へ押し出した。署名は私の筆跡そっくりに偽造され、押されている印鑑も本物だった。けれど署名したとされる日、私は海外の展示会にいた。パスポートの記録と来場登録を調べれば、その場にいなかったことはわかる。書類を見つめる怜司の顔が少しずつ青ざめていった。「こんな契約、俺は知らないぞ」「12件の支払いを申請したのも、私の決裁印を預かっていたのもあなたの秘書よ」私はボイスレコーダーの録音ボタンを押した。「どこまであなたが指示したのか、今はっきり説明して」顔を上げた彼の目に、初めて焦りが浮かんだ。「紗也、俺がサインを偽造したって疑ってるのか?」「私は証拠しか信じないわ」法務担当はすでに融資元へ連絡し原本の提示を求めていた。ほどなく届いた回答によれば、追加合意書を持ち込んだのは美玲本人。立会人の欄には怜司の秘書の名前があるという。怜司はすぐに秘書へ電話をかけたが、出なかった。もう一度かけ直すと、今度は電源が切られていた。ホテルでも混乱が広がっていた。私の機材も映像も使えなくなり、会場には急ごしらえの飾りが立てられただけだったらしい。駆けつけた債権者たちは、事前の宣伝とはあまりにも違う会場の様子を見て、白川家に期限を待たずに借金を返すよう迫った。配信をやめた美玲から、音声メッセージが何十件も届いた。父を追い詰めたと私を罵ったかと思えば、今度は会場の演出を元に戻してほしいと頼み込んでくる。最後のメッセージには、こうあった。【怜司は約束してくれたのよ。うちの会社が持ち直したら、あなたの事務所を黒崎グループが買い取るって。借金も全部引き受けてくれるんだから、あなたが損することなんてないでしょう】そのメッセージを聞かせると、怜司は勢いよく立ち上がった。「そんな約束はしてない!」「だったら、どうして美玲は私に無断で、事務所を借金の保証人にしたの?」彼は答えられなかった。そのとき、扉の向こうで言い争う声がした。入ってきたのはあのドレスを着た美玲だった。裾は埃にまみれ、ベールも破れている。怜司の前へ駆け寄るなり、彼女は叫んだ。「このままじゃ、うちの工場が差し押さえられるの!今すぐ借金を肩代わりしてよ!」怜司はすがりつく手を払いのけた。
Read more
第6話
美玲が慌てて再生を止めたときには、もう遅かった。十数秒の録音をそこにいる全員が聞いていた。私は法務担当に警察を呼ぶよう頼み、入り口の防犯カメラの映像と録音を保存した。美玲はその場を立ち去ろうとしたが、駆けつけた警察官に扉の前で呼び止められた。とうとう取り乱し、怜司を指さして叫んだ。「全部あなたのせいよ!紗也さんはあなたから離れられないって言ったじゃない!どんな騒ぎになっても、最後はあなたの後始末をしてくれるって!」怜司の顔から血の気が引いていた。「結婚式を使って資金繰りを助けるとは言った。でも、保証書を偽造しろなんて言ってない」「じゃあ、あの1億3400万円は?」私が尋ねると、彼は目を閉じた。「俺が秘書に送金させた。年末の配当で元に戻すつもりだったんだ」「花材費も顧問料も嘘だとわかっていたのね」「一時的に借りただけだよ」「今日、保証契約のことが発覚しなかったら、いつ私に話すつもりだったの?」「白川家の資金繰りが落ち着いたらだ」「落ち着かなかったら?」怜司はしばらく黙り込んでいた。リスクを負うのは私なのに、感謝されるのは彼だ。うまくいけば彼は情に厚いと褒められ、失敗すれば、苦しいときに支えなかった私が責められる。私はその場で共同口座への自動振替を止めた。結婚式の費用として残っていた2400万円も、それぞれが出した分に応じて、元の口座へ返す手続きを進めた。これで、2人の間のお金のやり取りにも区切りがつく。また「借りただけ」で済ませるつもりなのか。私のお金も結婚式も信用も当てにして、最後には私の人生まで巻き込み、自分の後始末をさせようとしていたのだ。用意してあった弁護士からの通知書を彼に渡した。「1億3400万円は正式に返還を請求します。それから、黒崎グループに与えていた作品の使用許可も、今日限りですべて取り消します」この3年間、黒崎グループの高級ウェディングプランは、私のデザインをもとに作られてきた。その使用を認めなければ、準備が進んでいる12件の結婚式も、いったん作業を止めて内容を見直すことになる。ようやく事の重大さに気づいたらしく、怜司は言った。「紗也、仕事のことなら話し合おう。俺たちのことで腹を立てたからって、そこまでしなくてもいいだろ」「今しているのが仕事の話です」
Read more
第7話
声明が出てから、怜司本人からの連絡はなかった。代わりにやって来たのは彼の父だった。黒崎会長は会議室の椅子に腰を下ろすと、私の前に小切手を差し出した。「1億3400万円はこちらで返そう。その代わり、作品をまた使わせてくれ。それから、和解したという声明も出してほしい」「保証契約の件はどうなりますか?」「あれは白川家と秘書が勝手にやったことだ。君には関係ない」私は小切手を押し返した。「会社の発表では、私に責任を取らせるというお話でしたよね。それが今度は、私には関係ないと?どちらが本当なんですか?」会長の表情が険しくなった。「紗也さん、商売を続けるなら、相手の逃げ道まで塞ぐものじゃない。うちがあったからこそ、君の事務所も今のように仕事を受けられるようになったんだろう」「3年前までそちらのブライダル事業は赤字続きでした。初めて利益が出たのは私の作品を使うようになってからです」私はプロジェクターで、12件の案件のデザインデータや制作日時の記録、顧客からの確認メールを映し出した。どれも私が手がけたことを示す資料だ。それなのに、会社の広告からは私の名前が消され、すべて「黒崎グループのオリジナル」として紹介されていた。今回の結婚式だけの問題ではない。私の作品は3年もの間、名前を伏せられたまま、会社独自のデザインとして使われてきたのだ。ようやく会長の表情が変わった。「前から準備していたのか?」「怜司が私に断りもなく、ドレスを美玲に渡したときからです」裏切られるとは思っていなかった。けれど、それがわかった今、これ以上尽くすつもりはない。その日の午後、事務所として一連の経緯を公表した。つらい気持ちを訴えることも、2人の関係について語ることもせず、契約書や支払記録、著作権の登録資料、ホテルから届いた変更通知を添え、何が起きたのかを順に説明した。最後に、黒崎グループとの提携をすべて打ち切ることを伝えた。今回の件で影響を受ける顧客には、希望があれば私たちの事務所で直接仕事を引き継ぐと案内した。世間の反応はすぐに変わった。解約を求めていた顧客2組が謝りに来てくれたうえ、9人のデザイナーも、企画の核となるデザインは一貫して私が手がけてきたと公に証言してくれた。会社の株価が急落することはなかった。それでも、ブライダル事業では予
Read more
第8話
事件の捜査は2か月に及んだ。別の街で見つかった怜司の秘書は、美玲に指示され署名と保証書を偽造したことを認めた。12件の架空の支出も怜司の指示だったという。ただ最初はその金が白川家の借金返済に使われるとは知らなかったそうだ。怜司は全額を返済し、契約違反の責任も負った。保証書の偽造については、今も捜査が続いている。事の顛末を必要以上に大げさに伝えてもらうつもりはなかった。私が取り戻したかったのは、自分のお金と、作品に記されるべき自分の名前だけだった。黒崎グループは最終的に声明を撤回して謝罪し、過去の作品すべてに私の名前を戻した。再び訪ねてきた黒崎会長に、以前のような強引さはなかった。「怜司はもう家族とも揉めてしまってね。自分の株を一部売って取引先への補償に充てている。それと、君が昔手放したマンションも買い戻したそうだ」会長は鍵を机に置いた。「君の名義にすると言っていたよ」私は受け取らなかった。母から譲られたあのマンションを買い戻せば、昔に戻れるような気がしていたこともある。けれど住所が同じでも、人生まで巻き戻せるわけではないと今はわかっている。怜司は毎日、事務所のあるビルの前に現れるようになった。中へ入ることも仕事の邪魔をすることもなく、警備室に私が以前よく飲んでいたホットカフェラテを置いていく。私は一度も受け取らなかった。17日目は土砂降りだった。怜司は雨を避けようともせず、夜遅くまで立ち尽くした末、熱を出して入院した。共通の友人から電話がかかってきた。「今度こそ本当に反省してるんだよ。お見舞いくらい行ってあげたら?」「後悔してるからって、私が会いに行く理由にはならないわ」「10年も付き合ったのに、もう少し考え直せないの?」私は窓の外の雨を見た。私が40度の熱を出したとき、彼は海外で美玲の退学手続きを手伝っていた。私はひとりで病院へ行き、点滴を受けながら、彼が約束をすっぽかした事情まで顧客に説明していた。あのとき、10年も付き合っているのに、どうして私のことを少しも考えてくれないのかと、怜司に言ってくれる人は誰もいなかった。電話を切り、怜司の連絡先をすべてブロックした。翌日、警備員が古い紙箱を届けに来た。中には10年分のチケットや写真、指輪、それから分厚い手書きのノートが入っていた
Read more
第9話
あの授賞式で見かけた白いバラは、怜司が初めて思いを告げてくれた日の花と同じだった。年を取っても、毎年贈るよ。10年前、彼はそう言ってくれた。けれど、忙しくなると記念日の花は秘書任せになり、そのうち秘書まで忘れてしまった。あの日、私はしおれた花を片づけてもらった。壇上に立っても、客席に怜司の姿を探すことはなかった。受賞をきっかけに依頼が増え、事務所はまた忙しくなった。チームで広いオフィスへ移り、作品の制作記録を残す仕組みも整えた。取り戻したお金の一部は、若いデザイナーを支援する基金に充てた。半年後、業界のフォーラムで怜司に再会した。彼はもう黒崎グループの代表ではなく、小さなイベント会社の責任者として参加していた。私の講演中は最後列に座り、静かに話を聞いていた。会が終わると、廊下で呼び止められた。「見返りを求めてるわけじゃない。ただ、これを返したくて」差し出された封筒には、私がマンションを売り、彼に起業資金を貸したときの借用書が入っていた。返還を請求できる期間はとうに過ぎていた。それでも彼は当時の約束どおり、利息を含めた全額を弁護士の預り口座へ振り込んでいた。「もともとお前のお金だから」私は封筒を受け取った。「ありがとう」そのひと言に、彼の目がわずかに明るくなった。「友達からやり直すことはできないか?」「無理よ」怜司は力なく笑った。「もう恨む気もないのか」「あなたへの恨みまで抱えて生きていくつもりはないわ。一緒に過ごした10年が消えるわけじゃないもの」私は借用書を封筒に戻した。「返してくれたお金は受け取る。でも、あなたとやり直すかどうかは別の話よ」怜司はしばらく黙っていたが、やがて私を通すように脇へよけた。「今、幸せか?」「ええ、とても」別れる間際、彼は買い戻したマンションを、そのまま持っていてもいいかと尋ねた。「あなたの家でしょう。私に断る必要はないわ」あの部屋を受け取らなかったのは、怜司ともう関わるつもりがなかったからだ。そのことが、ようやく彼にも伝わったのだと思う。恋人はいないし、今すぐ誰かと付き合いたいとも思っていない。それでも、今の暮らしには満足していた。思い立ったら海を見に行き、母の誕生日にはスマホの電源を切って一緒に過ごす。作り手を大切にしな
Read more
第10話
あの結婚式を取りやめてから、2年が経った。私は40年間連れ添った夫婦のために、結婚記念のセレモニーを手がけていた。お二人が望んだのは、盛大なステージではない。長いテーブルと古いランプ、そして出さずじまいだった40通の手紙だけだった。式の前、ご主人は何度も私に尋ねてきた。「喜んでくれるかな」私は笑って答えた。「私より、奥様に聞いてみてください」夕暮れ時、ランプに明かりがともった。手紙を見た奥様は泣きながら、若い頃はちっとも素直じゃなかったとご主人を責めた。ご主人はその涙を拭い、これからはちゃんと言葉にするからと、何度も繰り返していた。舞台裏に立ちながら、私はふと、挙げることのなかった自分の結婚式を思い出した。もしあのまま式を終えていたら、私は何年もかけて自分に言い聞かせていたのかもしれない。怜司は情に厚いだけ、断るのが苦手なだけ、物分かりのいい私に甘えているだけなのだと。惨めな形でも、あの日、式を取りやめてよかった。私の人生が壊れたのではなく、ただ待ち続ける日々から抜け出せたのだから。式が終わると、アシスタントが知らない番号から届いた写真を見せてくれた。写っていたのは、怜司が買い戻したあの古いマンションだ。窓辺には枯れかけたミントの鉢が置かれている。私が何年も前に残していったのと同じ品種だ。メッセージはひと言だけだった。【今日、本当なら俺たちの結婚2周年記念日だったんだな】私はひと目見ただけで削除し、スマホの電源を切った。外では、一緒に食事に行く約束をしていた母が待っていた。長いテーブルの向こうでは、チームのメンバーが会場に残った花を分け、近くの老人ホームへ贈る準備をしている。「一緒に写真を撮ろう」と呼んでくれる人もいれば、切り分けたケーキのいちばん大きな一切れを、こっそり私のために取っておいてくれた人もいた。私は歩み寄り、みんなの間に腰を下ろした。明かりに照らされたみんなの顔を見ていると、確かな温かさが伝わってきた。アシスタントが尋ねてきた。「紗也さん、いつかご自分の結婚式を挙げるときは、演出もご自分で考えるんですか?」「そうするかもね」私はケーキを切り分け、隣の人へ渡した。「でも、そのときは、埋め合わせのためじゃなく、本当に私と結婚したいと思ってくれる人と挙げたいわ。ほ
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status