Mag-log in出逢い
深夜午前0時、バイト先の居酒屋の店先から出た瞬間、盛大なため息をついて、夜空を見上げた。まん丸い月が、目に眩しく映る。
「今夜も疲れたなぁ……」
バイト中は大きな声でオーダーをとっているため、独り言は覇気のない掠れた声になる。
居酒屋から自宅アパートまで、徒歩15分の道のり。信号のない交差点を、肩を落として歩く。若干ふらついた足取りだったせいで、向かい側から来た人とすれ違いざまに、肩がぶつかってしまった。
「すみません」
疲れていたこともあり、小さく頭を下げてやり過ごそうとしたら、いきなり腕を掴まれる。
「えっ?」
見知らぬ男にそのまま腕を引っ張られ、なにかの店舗とビルの狭い隙間に体を押し込まれた。
「な……」
狭い空間に差し込む街明かりが、目の前にいる男の姿を照らす。
街灯の僅かな光を受けて輝くシルバーの髪。その長い前髪の下に位置する血を思わせる赤い瞳は、ゾクッとするほど、異様なものだった。俺に視線を注ぐルビーのように煌めく瞳に見惚れていると、見知らぬ男が低い声で囁く。
「そのまま、じっとしていて」
その声を聴いた瞬間、頭の中がなんだかほわほわして、体の力が見事に抜け落ちた。見知らぬ男は抵抗することなく棒立ちになる俺に抱きつき、首筋に顔を寄せる。
「っ、ぁあっ」
首筋に吐息がかけられたと同時に、べろりと素肌を舐められ、なにかが突き刺さる感触を覚えても、体にまったく力が入らないせいで、されるがまま状態だった。
(――このままじゃヤバい、なんとかしなきゃ!)
「やっ! やめろっ、いやだ!!」
体に力が入らないが、声は出すことができた。目を瞬かせて、斜め下を見たら。
「マズ……っていうか、なんで催眠にかからないんだ?」
見知らぬ男はビルの壁に向かって、俺の体を放り投げた。ふらつきながら後退し、ビルの壁に背中が打ちつけられるのを防ぐ。
「さ、催眠? アンタいったい、なんなんだよ?」
シルバーの髪に赤い瞳、服装は黒っぽいスーツを身に纏い、ぱっと見はハロウィンの仮装をしているように見えるのだが。
(今の季節は初夏だから、ハロウィンはまだまだ先だけどな!)
「ふふっ、なんだと思う?」
ルビー色の瞳が、三日月の形に変化する。どこかバカにしているように感じたせいで、イライラしながら訊ねた。
「わからないから、聞いてるんじゃないか」
視線を逸らし、見知らぬ男に噛みつかれた首筋に、左手で無意識に触れてみる。
「……傷がない?」
ハッとして目の前にいる男に視線を飛ばすと、先ほどとは姿が違っていた。上から下まで漆黒と言えば、わかりやすいかもしれない。
(こうして、なにもなかったように男が姿を変えても、確実に噛みつかれた感触があったし、なにより――)
「俺の血を吸って、マズいって言ったのに」
俺のセリフを聞いた見知らぬ男は、苦虫を噛み潰したような面持ちを浮かべ、忌々しそうに舌打ちする。
「チッ、今まで催眠にかからなかったことがなかったのに、どうなっているんだ」
「それって、今まではうまいこと催眠にかけて、たくさんの人の血を吸ってきたってことですよね?」
「まぁな。そうしなきゃ、生きられない体質だからね」
「吸血鬼……」
ボソッと口先だけで呟いたら、見知らぬ男がいきなり腕を突き立てた。
「ヒッ!」
体の両側に腕を突き立てられているため、残念ながら逃げ道はない。見慣れた日本人の姿なのに、先ほどの姿よりも圧迫感を覚えるのは、見知らぬ男が怒った顔で、俺を見下ろすからだった。
「君、名前は?」
「ひっ人に名前を訊ねる前に、自分から名乗ったらどうですか?」
漂う怒気に思いっきり気圧され、上擦った声で口を開くと、見知らぬ男は眉間に刻んだシワをなくし、仕方なさそうな口調で語る。
「俺は山田太郎、31歳の独身で職業は会社員。さて君の名前を聞こうか?」
「待ってください。山田太郎だっていう証拠を見せてください!」
「チッ、騙されなかったか」
顔を横に背け、ボソリと呟くふてぶてしさに、大きな声で指摘してやる。
「そんな偽名、誰も信じませんよ。吸血鬼なのを隠すために、わざわざ使ったんでしょうけど、捻りがなさすぎます」
「俺のことを知って、どうするつもりなのだろうか?」
「それはこっちのセリフです。俺の名前を知って、なにかしようとしてます?」
逸らしていた顔を戻した見知らぬ男にやり返すべく、質問を質問で返した。するとゲンナリした面持ちでスーツの胸ポケットに手を差し込み、小さなパスケースを取り出して、俺に見えるように目の前に掲げる。
「俺は桜小路雅光、31歳の独身。職業は会社員。本人確認してくれ」
まるで、芸能人の名前みたいなそれを確かめるべく、掲げられたパスケースの中身の免許証と、本人の顔をしげしげと眺めた。
「桜小路雅光さんで、お間違いないようですね」
「わかってくれて、なにより。さて君の名は?」
訊ねながらパスケースをもとに戻す桜小路さんに、渋々自分の名を告げる。
「片桐瑞稀22歳、大学生です」
身分証を出せと言われる前に、肩掛けのバッグからそれを取り出そうと手をかけたら、手首を掴まれて動きを止められた。
「君は嘘をつかない、信じるよ」
「なん、で?」
「俺の勘。それなりに、いろんな人を見ているからね。嘘をつく人間はそういう雰囲気を醸しているから、すぐにわかる」
桜小路さんは掴んだ俺の手首をまじまじと見つめ、気難しい顔をする。
「なんですか?」
「痩せてるなと思ってね、ちゃんと食べてるのか?」
「桜小路さんには関係ないでしょ、放してください」
「すごくマズかったんだよ、君の血」
なぜか桜小路さんは、俺の手の甲に唇を押しつけた。また吸血されると咄嗟に思い、体がぎゅっと強ばる。
「安心してくれ。この姿のときは血を吸えない。それに――」
「それに?」
「マズい血だってわかってるのに、わざわざ吸わないさ」
カラカラ大笑いして、掴んだ手首を放してくれた。コッソリそれを背中に隠し、着ているTシャツの裾で拭う。なんとなく桜小路さんの唇の感触が、皮膚に残っている気がした。
「もうなにもしない。表に出ようか」
本物の吸血鬼を前にして、怯える心情を知っているのか、桜小路さんは俺の肩に腕を回して狭い隙間から、もと来た道に導く。仄暗い場所から脱出できたことにより、安堵のため息を吐いた。
「瑞稀、もう一度聞く。ちゃんと食べてるのか?」
「へっ?」
友達のような感じで自然に名前で呼ばれたせいで、目を瞬かせて桜小路さんを見上げた。さっきまで笑っていたのに、真顔を決め込まれてしまい、返事がしにくくて、口を引き結ぶ。
「抱きしめたときも思ったんだ。随分痩せてるなと。血のマズさを考えたら、栄養が偏っている可能性がある。それと物事に対する反応速度も、あまり良くないしね」
「えっと、三食きちんと食べてないです。バイト先の賄いで、なんとか飢えをしのいでる状態で」
「なるほど。大学に通いながら、バイトに精を出しているわけか。この時間帯まで働いているのも、バイトの帰りだったんだな」
「まさか吸血鬼に出逢うなんて、思いもしませんでした。そんなに俺の血は、マズかったんですか?」
顎に手を当てて考え込む桜小路さんに、思わず訊ねてしまった。
「今まで吸血した人間の中で、一番マズかった。それに君が催眠にかからなかったことが、未だに謎だったりする」
「そうですか」
「大学とバイト、どちらか楽しいことはないのかい?」
「えっ?」
意外な問いかけに、頭の中が混乱した。楽しいことを思い出したいのに、時間に追われる忙しい生活ばかりが、脳裏に流れていく。
「血のマズさは栄養の偏りと共に、健康的なメンタルにも影響を受けているんじゃないかと思ってね。疲れきった君の表情が、それを如実に表してる」
そう言って、ふたたび俺の腕を掴んだ桜小路さんは、どこかに向かって歩き出した。
「ちょっ、俺もう家に帰るところなんですけど!」
「俺が大学生のときは、オールで夜遊びしていた。それくらいの体力、まだ残っているだろう?」
「体力はありますけど、夜遊びできるような財力が俺にはありませんし、桜小路さんとは違うんです」
ほかにもぎゃんぎゃん喚きたてたのに、桜小路さんはそれすらもおかしいと言わんばかりに口角をあげて笑いかけ、強引にどこかに向かう。
引きずられるように20分ほど歩いた先は、真っ暗な会員制のテーマパークだった。
宮本が消えた途端にキツい口調で言われたことは、橋本の胸に突き刺さるように響いた。「雅輝の才能……。アイツの走りについては、本人にまかせていることですので、俺がひとりじめしているつもりはないですけど」 ありきたりの言葉をやっと告げるのが、橋本としては精一杯だった。「橋本さんが雅輝さんに走れと言えば、彼はきっと走ってくれるハズなんです。頼んでみてもらえないでしょうか?」「それは――」 恋人の頼みなら、どんなことでも叶えそうな宮本の性格を見切った佐々木のセリフは、橋本の口を重たいものにした。「だってもったいないでしょ! あれだけ速く走れる才能を持っているのに、隠してしまうんですから。代われるものなら、雅輝さんになりたいくらいです」「……誰だって、アイツにはなれません。雅輝の才能は確かにすごいものですが、恋人の俺が強制してやらせるものじゃない!」 佐々木の言葉の熱意に当てられたせいで、橋本も思わず声を荒らげてしまった。周りが静かすぎるせいで、橋本の声は遠くまで響き渡った。「雅輝は……アイツは自分の車を持っていません。走り屋からすでに足を洗ってるんです。理由は聞いてません。アイツが話してくれるまで、俺はいつまでも待つつもりでいるので」 橋本は自分を落ち着かせようと、徐々に声をいつもどおりに戻しつつ、頭の中で宮本の笑顔を思い出した。どこか照れた表情で橋本を見つめて嬉しそうに微笑む宮本の笑顔は、橋本の精神安定剤になっていた。「話したくないワケがあるということなんですね?」「たぶん。走るキッカケが失恋から立ち直るためだったし、そこから走り屋を辞めるとなると、やっぱり深い事情があると思う」 三笠山で見た、羨望のまなざしで宮本を見つめる大勢のギャラリーを思い出した。自分の車で峠を走っていないのにもかかわらず、走り屋のチームやギャラリーから神格化されている宮本の姿は、橋本の目には奇異に映った。 その理由は普段見ている、のほほんとした宮本が崇め奉られてる存在として扱われていることに、違和感があったせいだと思い至ったのだが。(自分のことをモブキャラレベルと称している宮本にとって、神格化されるのは恥ずかしいことに繋がるから嫌がっている……。なんていうくらいの感情なら、俺に話をしてくれるだろうし) 橋本が顎に手を当てて考え込んでいると、背後からエンジンの音が聞
「さっ佐々木さん、頭を上げてくれませんか。俺はふたりが逢っていても、ヤキモチなんて全然妬きませんよ。雅輝のバカは、走ることしか頭にないんですから! 参ったなぁ、もう!」 所々上擦った声で弁解した時点で、橋本の嘘はバレバレだった。営業スマイルもかなり崩れているような感じなのも、頬の緊張感で伝わってくる。「陽さんあのね……」「ただな、佐々木さんに頼まれたからって、俺に隠し事をしてほしくなかった」 ギリギリ聞きとれる声量で橋本が本音をポロリした途端に、離れていた宮本が駆け寄り、タブレットを小脇に抱えて橋本の利き手を掴んだ。「ごめんね、陽さん。心配して、ここまでわざわざ来てくれたんだよね?」「べ、別に。おまえの心配なんて、してなかったけどな。場所がここだった時点で、走ることに夢中になってんだろうなぁと思っただけだ」「それでも来てくれたんだよね? こんな夜遅くで、明日も仕事があるというのに」 橋本を掴んでいる、宮本の手の力が強められる。痛いくらいに握りしめられたそれに、文句でも言って抗いたいのに、宮本が傍に来てくれたという事実が嬉しくて、されるがままでいてしまった。「雅輝が楽しそうに走ってる姿を、拝んでやろうと思っただけ。それだけだ……」「雅輝さんは僕が頼んでも、走ってくれなかったんです」 ふたりの会話に割って入った佐々木が、意外なことを告げた。「雅輝が走っていないだと?」 信じ難い佐々木のセリフで、穴が開くほど凝視した橋本の視線に、宮本は照れくさそうな顔を見せる。「雅輝、どうして走っていないんだ? 走ることが好きなおまえが走っていないなんて、腹の具合が悪いとか、そんな理由しかないだろ」「橋本さんは本当に、雅輝さんが走らない理由がわからないんですか?」 橋本が宮本に問いかけたというのに、なぜだか佐々木が先に口を開いた。「コイツが走らない理由は……」「どうして、すぐに答えられないんですか?」 橋本に鋭いまなざしを飛ばす佐々木に、反論はおろか、そのほかの返答もできなかった。すると宮本は掴んでいる橋本の手を解放し、ふたりに背中を向ける。素早い行動に宮本の表情がどんな感じなのか、まったくわからなかった。「雅輝?」 答えられないことに嫌気がさして、手を放されたと思った橋本が、距離をとった宮本を掴もうとしたときだった。「すみません。ちょっとト
*** 街中とは対照的に、しんと静まり返るサーキット場周辺。橋本は宮本のデコトラの隣に沿うように、黒塗りのハイヤーを停めた。エンジンを切って運転席から降りたつと、ゴーカートを走らせる音が耳に聞こえる。「数台走ってるんじゃないな、一台のみか……」 その場で目を閉じ、ゴーカートのエンジン音を改めて確かめてみた。アクセルのオンオフのタイミングや、癖などをそこから探してみる。(たぶん、雅輝が走ってる感じじゃない。アクセルをオンにしたときの加減に、荒々しさがある) 橋本は目を開けながらゴーカートが走行しているサーキット場に、颯爽と足を進ませた。煌々と灯りの点る場所に導かれるように近づくと、見慣れた横顔が目に留まる。 タブレットを片手に、真剣なまなざしでそれを見つめる恋人の姿を目の当たりにして、どっと安堵した。宮本が襲われてなくて、本当に良かったと思わずにはいられない。 靴音をたてないように背後から宮本に近づき、右腕を大きく振りかぶって、後頭部を思いっきり叩いてやった。バコンっ!(☆_@;)☆ \(`-´メ)「いった~……」 宮本はタブレットを持っていない手で、橋本に叩かれたところを撫で擦りながら、怖々と振り返った。自分の背後に立ちつくす橋本の存在を認識した途端に、目を見開いて息を飲み、肩を竦めながら強ばる。「雅輝、こんなところで、なにやってんだよ?」「…………よよよよよ陽さんっ!?」「とっとと答えろ。なにしてるのか聞いてんだぞ、このクソガキ!」 わざと怒っ風を装った橋本の演技に、まんまと騙された宮本は震えあがり、タブレットを胸に抱きしめたまま、じりじり後退りした。「あ、あわわわっ!」「狼狽えるようなことを、ここでしていたのかよ?」「してないしてない! いたって真面目に、佐々木くんの走りをここで見てただけ!」 橋本が一歩近づくと宮本が三歩退るので、当然距離は縮まらない。どんどん開いていくばかりだった。「雅輝が言ったとおりに、真面目に走りを見ていただけなら、どうして俺から逃げるんだ? やましいことをしていないっていうのに!」「だって陽さんの顔が怖くて…むぅ」 退いていた宮本の足が、不意に止まった。橋本としては近づきたかったが、宮本の動きに合わせて進んでいた足を止める。この微妙な距離感こそが、不器用なふたりの間柄を示しているように、橋本は
「この間、四人で出かけたゴーカート場です」「ということは、相手は佐々木さんだな」 宮本をじっと見つめた、尊敬を含む佐々木のまなざしを思い出す。サーキット場で自分よりも速く走ることのできる宮本に憧れているうちに、それが恋心に変わることは容易に想像ついた。 あの四人の中で一番おっとりしているように見えたのに、実際は鮮やかなドライビングテクニックで他を圧倒、サーキット場にいる者すべてを魅了した宮本を橋本は思い出す。(俺のインプを鮮やかに運転する雅輝に憧れた結果、そういう関係になった俺だから、気持ちが痛いくらいにわかっちまう)「和臣の職場の近くに、ゴーカート場があるでしょ。先週の火曜日と金曜日にデコトラを駐車場で見かけたって、さっきもメッセージがあって」 本日は火曜日。それでわざわざ榊に、和臣がメッセージを打ち込んだのだろう。一度ならず二度三度、同じ場所でデコトラを見かけたら普通じゃないことくらい、誰にでもわかる。「俺に黙って、アイツはなにをしてるんだろうな……」「真面目な宮本さんは、橋本さんを裏切ることをする人じゃないですって」「そんなの、おまえに言われなくてもわかってる!」 声を荒らげたが、運転にはそれを出さぬように、ぎゅっとハンドルを握りしめた。あと少しで、榊の住むマンションに到着する。「和臣のヤツ、今日は残業したみたいで、さっき帰ってきたそうなんです。自分の会社よりも早く営業が終わってるのに、デコトラが駐車場に停まっていて、ゴーカートのお店はまだ電気がついていたって――」「つっ!」 まだマンション前じゃないのに、思わずブレーキを踏んでしまった。 とっくに営業時間が終わってるサーキット場で、誰もいないことをいいことに、よからぬことをしている可能性がゼロではない。宮本が襲われているかもしれない現実に、橋本の呼吸が勝手に乱れた。 走ること以外は、からっきしダメな宮本の緊急事態に、全身から冷や汗が滲み出る。「橋本さん、大丈夫ですか?」「あっ、すまない。こんなところで停まっちまって」「俺ここで降りますので、宮本さんのもとへ向かってください!」「恭介……」 運転席から振り返ると、榊はドアを開けて外に出るところだった。素早い身のこなしに内心感謝しながら、橋本は微笑みかける。「恭介いろいろサンキューな! いつか埋め合わせするから」「それ
*** 四人で過ごした楽しい週末を終え、いつもの日常を送っていた橋本は、一番最後の客になる榊を黒塗りのハイヤーに乗せて、マンションに向かっていた。「恭介、明日の朝もいつもどおりでいいんだな?」「はい。変わりなくお願いします」 どこか生ぬるい返事の声に橋本は違和感を覚え、ルームミラーで背後を確認すると、スマホを見ている榊の顔色が、どこか憂いを帯びていた。「…………なにか心配事でもあるのか?」 橋本がルームミラーから前方に視線を移して声をかけたら、「あ……、ぅ、どうしよう」なんて、榊らしくない歯切れの悪い返答をされた。「俺がかかわることで恭介が混乱するなら、心配事について聞かなかったことにする」 白黒ハッキリさせたい性格の橋本だからこその言葉を聞き、榊は顎に手を当てて、暫し黙り込む。「橋本さんは四人で出かけて以来、宮本さんと逢ってますか?」 妙な沈黙のあとに告げられたセリフに、橋本はチラッと背後を見てからすぐに答える。「平日は余程なにかなきゃ滅多に逢わない。お互い仕事が忙しいことがわかっているし、俺も夜は遅いしな」「宮本さんが、どこかに出かけていることは聞いてますか?」「出張の話は聞いていないが……」「出張じゃなくて、う~ん。どうしよう」 ふたたび繰り返された『どうしよう』の言葉と宮本についての質問に、橋本の頭の中で自動的に整理がなされた。困惑する榊の態度を見ているからこそ、思いつく言葉があった。「雅輝がどこぞで浮気している、決定的な現場の情報でも仕入れたとか?」 つとめて明るく言いながらルームミラーで榊の顔を見つめると、鳶色の瞳を大きく見開き、唇をきゅっと引き結ぶという態度を目の当たりにした。「こういう嫌な予感ってのは、どうしても当てちまうんだよな。それで雅輝のヤツは、どこで浮気してるんだ?」「浮気と決まったわけじゃないですって。きちんと確かめないと!」「だが俺は、アイツがどこかにでかけている話をいっさい聞いていないし、アプリでのやり取りでもやっていない。恋人の俺に内緒で誰かと逢っている時点で、浮気じゃないかと疑うのが普通だろ」 この話を聞くまで、橋本はいつもどおりの日常を送っていた。だから当然、宮本も同じだと思っていた。毎日かわされるアプリのメッセージも、なにげないことを打ち込んだ後に、互いの気持ちを書き込み、おやすみなさ
「恭ちゃんの走りも凄かったと思うんですけど、橋本さんはどう思いましたか? 僕、全然追いつくことができなくて!」 妙な空気を素早く読んだ和臣が、不機嫌になりかけた橋本に話しかけると、宮本はやんわりと佐々木の手を解き、橋本に向き合った。「陽さんってばもっと早く走れるくせに、俺らの走りを特等席から堪能するなんて、本当にズルいです」「あ、まぁな。和臣くんも恭介を追いかける姿、すげぇ感動した。というか、恭介の神経はいったいどうなってるんだ? ペーパードライバーとは思えない走りをしていたぞ」 橋本はふたりに気を遣わせてしまったことがどうにもいたたまれなくて、思わず榊に近寄り、前髪をあげてからいつものようにおでこを叩いた。「いたっ! 八つ当たりするなんて橋本さん酷いです」「八つ当たりじゃねぇよ。褒めてやってるんだ」 ふたりのやり取りを間近で見ていた佐々木は、お腹を抱えて笑いだした。「四人とも、本当に仲がよろしいんですね」 いきなり褒められたことが信じられなかった橋本は、ぽかんとして佐々木の顔を見つめた。橋本にオデコを叩かれた榊が、痛んだところを撫でながら、宮本に視線を飛ばす。「宮本さんは橋本さんに、こういうことをされていないんですか? これはこれで仲がいいと言われちゃうと、俺としては疑問なんですけど」「恭ちゃんと橋本さんのやり取りは、微笑ましいものがあるって。だから佐々木さんは、仲がいいと言ったんだと思うよ」 おっとりした宮本が答える前に、和臣が流暢に答えてしまった。バラバラなやり取りを繰り返しているというのに、皆が笑顔をキープしたままだからこそ、佐々木に仲がいいと言われたんだろうなと、橋本は勝手に納得してしまった。「陽さん、キョウスケさんに手を出しちゃ駄目ですよ。そういうのは俺だけにしてください」「おいおい、みずからドМ発言して、わざわざ自分から笑いを取りに行くなよ……」 榊の質問をスルーして、すごいことを強請った発言で、宮本以外大爆笑に陥ったのは言うまでもない!
※これは一緒に暮らして、初めて迎えたクリスマスのお話になります。「うへぇ、うんざりするくらいに疲れた。だけど家に帰ったら大好きな陽さんがいるんだって考えるだけで、そんな疲れが吹き飛んじゃうんだから不思議」 デコトラのハンドルを握りしめながら、自然とクリスマスソングを歌ってしまう宮本。その歌が上手なのか下手なのかは、皆様の想像におまかせします。 マンション近くの駐車場にトラックを停めて、助手席に置いてあった荷物を手に、急ぎ足で帰宅する。 甘いものが苦手な橋本を考えて、イチゴのショートケーキ1個とクリスマスプレゼントを持ってる宮本は、まんまサンタの気分だった。「ただいま~! ってあれ?
※ここからお話を現代に戻します(^_-)-☆ 隣から聞こえてくる宮本の寝息を橋本は愛おしく思いながら、閉じていた瞳をゆっくり開き、壁にかかっている時計に視線を飛ばした。「ぐっすり寝たと思ったのに、まだ6時前じゃねぇか。睡眠時間4時間で目覚めたくなかった……」 シルク素材でできたパジャマの袖を意味なくにぎにぎしながら、小さな声で呟いた。 宮本とお揃いのパジャマは色違いで、つい最近購入したばかりのものだった。ちなみに橋本はグレーで、宮本は濃紺。今まで揃いのものを買ったことがなかったのもあり、最初の内は身に着けるたびに、ふたりで照れてしまった。 ちなみにこのパジャマを購入した経緯は、朝
「や…め…っんん、ここじゃだっ、駄目だ。狭ぃ」「きっと大丈夫ですよ。上半身は俺が押さえ込めばいいだけですし、陽さんの片足を背もたれに引っかければ、狭さも上手いことカバーできますって」 笑いながら告げると、それまで大人しかった橋本が腕の中で暴れはじめる。「やらしすぎる。そんな恰好させられる、俺の身にもなってみろ。恥ずかしいに決まってるだろ。絶対に嫌だ!」 視線を鋭くしているのに頬を少しだけ染めるという、表現しがたい可愛い顔で抵抗されるだけで、宮本の闘志に火がついた。力任せに橋本の躰をソファの上に押し倒して、素早く跨る。「ちょっ、いつも動きが緩慢なのに、こういうときに限ってお前は!」
※これは橋本が江藤と宮本弟に逢った日の夜におこなった、出張先にいる雅輝と熱いメッセージを交わした内容です 『雅輝、ただいま。今、大丈夫か?』「陽さんおかえりなさい。あとは寝るだけなんで大丈夫です。今日もお仕事お疲れさまでした」『お疲れ!さっきシャワー浴びて、ノンアルコールビールを飲んでるとこ。お前こそ、長距離の運転疲れていないか?』「そこまで長距離じゃないから平気。俺はオレンジジュースで乾杯」『カンパイ!あのさ今日の午前中、ハイヤーを走らせていたら、江藤ちんと雅輝の弟に偶然会った』「マジで!よく見つけられたね」『スーツ着てるし、平日の午前中なんて絶対に仕事中だろ。それなのにデー