Home / BL / BL小説短編集 / 煌めくルビーに魅せられて

Share

煌めくルビーに魅せられて

Author: 相沢蒼依
last update publish date: 2025-10-20 23:00:14

出逢い

 深夜午前0時、バイト先の居酒屋の店先から出た瞬間、盛大なため息をついて、夜空を見上げた。まん丸い月が、目に眩しく映る。

「今夜も疲れたなぁ……」

 バイト中は大きな声でオーダーをとっているため、独り言は覇気のない掠れた声になる。

 居酒屋から自宅アパートまで、徒歩15分の道のり。信号のない交差点を、肩を落として歩く。若干ふらついた足取りだったせいで、向かい側から来た人とすれ違いざまに、肩がぶつかってしまった。

「すみません」

 疲れていたこともあり、小さく頭を下げてやり過ごそうとしたら、いきなり腕を掴まれる。

「えっ?」

 見知らぬ男にそのまま腕を引っ張られ、なにかの店舗とビルの狭い隙間に体を押し込まれた。

「な……」

 狭い空間に差し込む街明かりが、目の前にいる男の姿を照らす。

 街灯の僅かな光を受けて輝くシルバーの髪。その長い前髪の下に位置する血を思わせる赤い瞳は、ゾクッとするほど、異様なものだった。俺に視線を注ぐルビーのように煌めく瞳に見惚れていると、見知らぬ男が低い声で囁く。

「そのまま、じっとしていて」

 その声を聴いた瞬間、頭の中がなんだかほわほわして、体の力が見事に抜け落ちた。見知らぬ男は抵抗することなく棒立ちになる俺に抱きつき、首筋に顔を寄せる。

「っ、ぁあっ」

 首筋に吐息がかけられたと同時に、べろりと素肌を舐められ、なにかが突き刺さる感触を覚えても、体にまったく力が入らないせいで、されるがまま状態だった。

(――このままじゃヤバい、なんとかしなきゃ!)

「やっ! やめろっ、いやだ!!」

 体に力が入らないが、声は出すことができた。目を瞬かせて、斜め下を見たら。

「マズ……っていうか、なんで催眠にかからないんだ?」

 見知らぬ男はビルの壁に向かって、俺の体を放り投げた。ふらつきながら後退し、ビルの壁に背中が打ちつけられるのを防ぐ。

「さ、催眠? アンタいったい、なんなんだよ?」

 シルバーの髪に赤い瞳、服装は黒っぽいスーツを身に纏い、ぱっと見はハロウィンの仮装をしているように見えるのだが。

(今の季節は初夏だから、ハロウィンはまだまだ先だけどな!)

「ふふっ、なんだと思う?」

 ルビー色の瞳が、三日月の形に変化する。どこかバカにしているように感じたせいで、イライラしながら訊ねた。

「わからないから、聞いてるんじゃないか」

 視線を逸らし、見知らぬ男に噛みつかれた首筋に、左手で無意識に触れてみる。

「……傷がない?」

 ハッとして目の前にいる男に視線を飛ばすと、先ほどとは姿が違っていた。上から下まで漆黒と言えば、わかりやすいかもしれない。

(こうして、なにもなかったように男が姿を変えても、確実に噛みつかれた感触があったし、なにより――)

「俺の血を吸って、マズいって言ったのに」

 俺のセリフを聞いた見知らぬ男は、苦虫を噛み潰したような面持ちを浮かべ、忌々しそうに舌打ちする。

「チッ、今まで催眠にかからなかったことがなかったのに、どうなっているんだ」

「それって、今まではうまいこと催眠にかけて、たくさんの人の血を吸ってきたってことですよね?」

「まぁな。そうしなきゃ、生きられない体質だからね」

「吸血鬼……」

 ボソッと口先だけで呟いたら、見知らぬ男がいきなり腕を突き立てた。

「ヒッ!」

 体の両側に腕を突き立てられているため、残念ながら逃げ道はない。見慣れた日本人の姿なのに、先ほどの姿よりも圧迫感を覚えるのは、見知らぬ男が怒った顔で、俺を見下ろすからだった。

「君、名前は?」

「ひっ人に名前を訊ねる前に、自分から名乗ったらどうですか?」

 漂う怒気に思いっきり気圧され、上擦った声で口を開くと、見知らぬ男は眉間に刻んだシワをなくし、仕方なさそうな口調で語る。

「俺は山田太郎、31歳の独身で職業は会社員。さて君の名前を聞こうか?」

「待ってください。山田太郎だっていう証拠を見せてください!」

「チッ、騙されなかったか」

 顔を横に背け、ボソリと呟くふてぶてしさに、大きな声で指摘してやる。

「そんな偽名、誰も信じませんよ。吸血鬼なのを隠すために、わざわざ使ったんでしょうけど、捻りがなさすぎます」

「俺のことを知って、どうするつもりなのだろうか?」

「それはこっちのセリフです。俺の名前を知って、なにかしようとしてます?」

 逸らしていた顔を戻した見知らぬ男にやり返すべく、質問を質問で返した。するとゲンナリした面持ちでスーツの胸ポケットに手を差し込み、小さなパスケースを取り出して、俺に見えるように目の前に掲げる。

「俺は桜小路雅光、31歳の独身。職業は会社員。本人確認してくれ」

 まるで、芸能人の名前みたいなそれを確かめるべく、掲げられたパスケースの中身の免許証と、本人の顔をしげしげと眺めた。

「桜小路雅光さんで、お間違いないようですね」

「わかってくれて、なにより。さて君の名は?」

 訊ねながらパスケースをもとに戻す桜小路さんに、渋々自分の名を告げる。

「片桐瑞稀22歳、大学生です」

 身分証を出せと言われる前に、肩掛けのバッグからそれを取り出そうと手をかけたら、手首を掴まれて動きを止められた。

「君は嘘をつかない、信じるよ」

「なん、で?」

「俺の勘。それなりに、いろんな人を見ているからね。嘘をつく人間はそういう雰囲気を醸しているから、すぐにわかる」

 桜小路さんは掴んだ俺の手首をまじまじと見つめ、気難しい顔をする。

「なんですか?」

「痩せてるなと思ってね、ちゃんと食べてるのか?」

「桜小路さんには関係ないでしょ、放してください」

「すごくマズかったんだよ、君の血」

 なぜか桜小路さんは、俺の手の甲に唇を押しつけた。また吸血されると咄嗟に思い、体がぎゅっと強ばる。

「安心してくれ。この姿のときは血を吸えない。それに――」

「それに?」

「マズい血だってわかってるのに、わざわざ吸わないさ」

 カラカラ大笑いして、掴んだ手首を放してくれた。コッソリそれを背中に隠し、着ているTシャツの裾で拭う。なんとなく桜小路さんの唇の感触が、皮膚に残っている気がした。

「もうなにもしない。表に出ようか」

 本物の吸血鬼を前にして、怯える心情を知っているのか、桜小路さんは俺の肩に腕を回して狭い隙間から、もと来た道に導く。仄暗い場所から脱出できたことにより、安堵のため息を吐いた。

「瑞稀、もう一度聞く。ちゃんと食べてるのか?」

「へっ?」

 友達のような感じで自然に名前で呼ばれたせいで、目を瞬かせて桜小路さんを見上げた。さっきまで笑っていたのに、真顔を決め込まれてしまい、返事がしにくくて、口を引き結ぶ。

「抱きしめたときも思ったんだ。随分痩せてるなと。血のマズさを考えたら、栄養が偏っている可能性がある。それと物事に対する反応速度も、あまり良くないしね」

「えっと、三食きちんと食べてないです。バイト先の賄いで、なんとか飢えをしのいでる状態で」

「なるほど。大学に通いながら、バイトに精を出しているわけか。この時間帯まで働いているのも、バイトの帰りだったんだな」

「まさか吸血鬼に出逢うなんて、思いもしませんでした。そんなに俺の血は、マズかったんですか?」

 顎に手を当てて考え込む桜小路さんに、思わず訊ねてしまった。

「今まで吸血した人間の中で、一番マズかった。それに君が催眠にかからなかったことが、未だに謎だったりする」

「そうですか」

「大学とバイト、どちらか楽しいことはないのかい?」

「えっ?」

 意外な問いかけに、頭の中が混乱した。楽しいことを思い出したいのに、時間に追われる忙しい生活ばかりが、脳裏に流れていく。

「血のマズさは栄養の偏りと共に、健康的なメンタルにも影響を受けているんじゃないかと思ってね。疲れきった君の表情が、それを如実に表してる」

 そう言って、ふたたび俺の腕を掴んだ桜小路さんは、どこかに向かって歩き出した。

「ちょっ、俺もう家に帰るところなんですけど!」

「俺が大学生のときは、オールで夜遊びしていた。それくらいの体力、まだ残っているだろう?」

「体力はありますけど、夜遊びできるような財力が俺にはありませんし、桜小路さんとは違うんです」

 ほかにもぎゃんぎゃん喚きたてたのに、桜小路さんはそれすらもおかしいと言わんばかりに口角をあげて笑いかけ、強引にどこかに向かう。

 引きずられるように20分ほど歩いた先は、真っ暗な会員制のテーマパークだった。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • BL小説短編集   第7章:雨と、沈黙と

    氷室とうまく喋れない日が数日続いた。どうしたらこの微妙な距離が縮まるだろうかと、頭を悩ませていた昼休み、突然窓の外で雨音が響いた。 つい先ほどまで秋晴れの陽光が差しこんでいたのに、今は鉛色の雲が空を覆いつくして、大きな雨粒がグラウンドを容赦なく濡らしていく。校庭でサッカーをしていた生徒たちが、騒ぎながら校舎に駆け込んでいくのが見えた。(……予報じゃ晴れだったのに) 当然、傘なんて持ってきていない。午後の授業のあいだに止んでくれ、と心の中で祈ったけれど——その願いは届かなかった。 放課後。灰色の空からは大粒の雨がまだ降り続いていて、俺は渡り廊下の屋根の下で足止めを食らっていた。 冷たい雨の匂いと湿った風が肌にまとわりつく。秋の夕暮れはもう十分に寒くて、薄着の制服では心許ない。(まさか、またこんな形で空を見上げることになるなんて……) ガックリと肩を落とした俺の視界の端で、足音が止まった。「……葉月。やっぱり傘、持ってないんだな」 かけられた声に振り返ると、そこには氷室がいた。片手に紺色の折りたたみ傘、もう片方の手を俺の前に差し出して。「入れ」 「え……?」 呆けた俺に、氷室は眉を潜めてため息をついた。「このままだと風邪ひくぞ。早く」 その一言に背中を押されて、俺は慌てて傘の中へ滑り込む。肩と肩が触れそうで、息が詰まった。 歩幅を合わせてくれているのか、氷室の歩調はいつもよりゆっくりだった。なのに俺の胸の鼓動は速すぎて、雨音に隠れてほしいと願う。「氷室さ……なんで、こんなに優しくしてくれるんだよ」 小さく零した言葉は、雨に飲まれて消えてしまった。氷室に届いたのかもわからない。届かなかったと思うと、胸がちくりと痛んだ。 家の近くの角で、氷室が立ち止まる。「ここでいいか」 「……うん。ありがとう」 差し出された紺色の傘を受け取ると、氷室は自分のバッグからもう一本の黒い傘を取り出し、迷いなく開いた。「じゃあな。また明日」 その声は雨音に溶けて、静かに消えていった。 ひとりになった俺は、手に残された傘の持ち手を見つめる。そこに、小さな付箋が貼られていた。『風邪ひくなよ 氷室』 少し歪んだ字が、どうしようもなく優しく見えた。(……こんなところにまで気遣いを忍ばせるなんて。氷室ってば……いつからこんなものを準備してたんだよ)

  • BL小説短編集   第6章:触れられない距離

    文化祭の準備が本格化して、毎日が徐々に慌ただしくなってきた。窓の外では、紅葉の葉がゆっくりと色づき始めていて、秋が深まっていくのを感じさせる。 班で集まる放課後、俺と氷室は自然に作業を分担して、いつの間にか息の合った動きを見せるようになった。少なくとも、俺はそう思っていた。気づけば隣にいる時間が増えていて——それが本当に“距離が縮まった”証拠なのかどうか、自信はなかったけれど、そう信じたかった。 けれど、ある日。教室に向かう扉の前で、氷室が他のクラスの男子と肩を並べ、楽しげに笑っている姿を見かけた。 無防備に笑う氷室。俺の知っている“完璧で近寄りがたい氷室”とはまるで別人みたいで、胸の奥がぎゅっと痛んだ。「氷室って、あんな顔もするんだ……」 思わず漏れた独り言に、近くの生徒が軽い調子で答えた。「前の中学からの友達だろ? 氷室、アイツにはよく喋るんだよ」 氷室は外部受験でこの学園に来た。なので俺の知らない“過去の顔”が、確かに存在している。そう考えると、胸に冷たい風が吹き抜けた気がした。(……じゃあ、俺に見せてくれたほほ笑みは、特別なんかじゃなかったのかもしれない。勝手に舞いあがって、バカみたいじゃないか――) そんな思いが頭を掠めたせいで、放課後の作業中も言葉がうまく出てこなかった。「葉月、それ……見ている資料が上下が逆になってる」 「……あ、ごめん。すぐに直す」 氷室の冷静な指摘に、ただ素直に謝ることしかできない自分が悔しかった。 活動が終わりかけたとき、氷室がふいに俺を見た。「葉月、どうした。今日は……なんだか元気がなかったな」 短い言葉だったけれど、その声音は確かに俺の心を射抜いた。氷室に見抜かれている、うまくごまかせない。そう思った瞬間、心臓が乱れて、答えを探しても二の句を継げることができなかった。「だっ……大丈夫」 やっと絞り出したそのひと言は、自分でも頼りなく聞こえた。笑ってごまかすことしかできなかった。 けれど氷室は目を逸らさずに、じっと俺を見つめた。その視線は強すぎて、心の奥の奥まで届いてしまうみたいで。(——本当は、ちゃんと伝えたいのに) 近づきたいのに、理由すら言えない。指先なら触れられる距離にいるのに、実際は心だけが遠くに置き去りにされている。 それが、一番苦しかった。

  • BL小説短編集   第5章:君の笑顔が欲しくて

    週明けの月曜日。教室の窓際にある自分の席に座って、ぼんやりと空を見上げていた。目に映るのは、季節外れに残った入道雲と、その向こうでじんわり色づきはじめた秋空。まだ夏と秋の境目を行き来しているような空は、まるで膨らんでいく自分の気持ちみたいだった。(あれから氷室とは……) 先週の金曜日、図書室を出るときにかけられた「また明日な」のひと言。それを思い出すたびに、胸の奥が不思議とあたたかくなる。(——でもあの微笑が、誰にでも向けられるものだったら? 俺だけに向けられているって、勘違いだったとしたら……) そんな不安がふと過ると胸の奥がモヤモヤして、勝手に不安定になった。言葉にできない感情を、あの入道雲に預けて、どこか遠くに流してしまえたら、どれだけ楽になれるだろう。「葉月、プリント早く回して」 「……あ、ごめん!」 前の席の女子に呼ばれてやっと我に返り、慌ててプリントを後ろに渡す。ぼーっとしていたのを見た、隣の席の林田が意味深にニヤニヤしていた。「おいおい奏~、なにぼーっとしてんだよ。恋でもしてんのか?」 「は? してねーし!」 「なんだかなぁ。その反応が、逆に怪しいんだよな~」 からかい半分の林田の言葉に、思わずムキになってしまう自分がいた。 放課後。今日は学年行事の準備日で、文化祭の班活動がスタートした。廊下の窓の外には、赤や黄色に変わり始めた桜並木が夕日に照らされていて、校舎全体が少しだけオレンジ色に染まっていた。 班分けは2年生全員のくじ引きで決められる仕組みで、俺の班には氷室もいた。偶然といえば偶然だけど……それでも、胸がじんわり温かくなる。「葉月、ここの寸法測っておいて」 「あ、うん!」 氷室が渡してくれたメジャーを手に、俺は装飾用のパネルのサイズを測りはじめた。氷室は資料を手にして、班員にテキパキ指示を出している。その真っ直ぐな声が、なんだか心地よかった。 班のメンバーがざわざわと雑談しながら作業を進める中、俺たちは淡々と手を動かした。でも、それが不思議と落ち着く。「葉月、それ逆になってる」 「え、あ……!」 パネルの上下を間違えていた俺に、氷室がそっと近づいて正してくれる。指先が触れそうな距離に、思わず息が詰まった。「まったく。本当に、君は注意力がないよな」 「う、うるさい……自覚はあるけどさ」 氷室がふっ

  • BL小説短編集   第4章:小さな嫉妬

    氷室と一緒に掃除をした数日後の昼休み、担任に頼まれたプリントを職員室に届けに行く途中、廊下の角を曲がったそのときだった。「……氷室くん、呼び止めてごめんなさい。でも、どうしても渡したかったの」 女子の声が耳に聞こえてきて、思わず足を止める。柱の陰から覗いた先には、女子生徒が一枚の封筒を差し出し、それを前に立つ氷室がじっとそれを見つめていた。 窓の外には、銀杏の葉がひらりと落ちていく。秋の静けさの中でふたりの姿だけが、映画のワンシーンみたいに切り取られたみたいだった。「君の気持ちはありがたいけど、それは受け取れない。ごめん」 氷室の声はいつもどおり静かで、表情もまったく変わらなかった。けれど、ほんの少しだけ——優しく聞こえた気がした。まるで、自分にだけそう聞こえたかのように。 女子生徒は深く頭を下げ、駆け足で立ち去って行った。氷室は手ぶらのまま、ゆっくりと職員室の方向へ歩き出す。(……断ったんだ) ホッとしたはずなのに、胸の奥がちくりと痛んだ。どうしてそんなふうに感じたのか、自分でもわからないままだった。 教室に戻ると林田が俺を見つけて、大きく手を振った。「よう奏、おせーぞ。どこ行ってた?」 「職員室。担任に頼まれたプリントを届けに」 適当に答えつつ席に着く。さっきの場面が頭から離れない。「なあ、さっきさ氷室のヤツさ、女子に告白されてたっぽくね?」 「林田……あれを見てたのか?」 「たまたまな。しかも断ってたけどさ。まあアイツは、そこら辺の女子と付き合うタイプじゃねーよ。なんつーか、女子のことに興味なさそうっていうか……選り好み激しそうじゃね?」 林田の何気ない言葉に、なぜか心がざわつく。「別にどうでもいいし。俺には関係ない」 「……ほーん?」 林田の意味深な視線に、思わず目を逸らしながらペットボトルのお茶を飲もうとしてタイミングをしくじり、激しく咳き込んだ。ドジは相変わらず健在の俺、虚しすぎる……。 放課後、少しだけ遅れて図書室に向かう。返却期限の本を返そうとしたとき、また氷室の姿を見つけた。窓際の席に座る彼の横顔は、夕日に縁取られてどこか儚げに見えた。「あ、氷室……」 声をかけると、氷室は顔を上げて小さく頷いた。「……葉月、どうした?」 「え?」 「今日は、あんまり喋らないから」 どうやら、気づかれていたらし

  • BL小説短編集   第3章:すれ違いと掃除当番

    次の日の放課後、廊下に立てかけられた掃除用具を見て、ため息がこぼれた。「あー……今週、掃除当番だったんだっけ」 有朋学園は中高一貫な上に校舎もやたら広いから、共有スペースの掃除は各クラスからひとり出すことになってる。だから当番になると、めちゃくちゃ緊張するんだ。 教室の後ろに貼られている掲示を見直して、名前を確認する。自分と並ぶのは“氷室蓮”。よりによって、生徒会長とふたりきりの当番とかマジか……。(いや、別にいいんだけどさ。前に図書室で、一緒に課題をやったし……) けれど、あれは“たまたま”だったのかもしれない。今は普通に、クールな氷室に戻っているかもしれないし……なんてぐるぐる考えているうちに、氷室が廊下の向こうから、無言で歩いてきた。表情のないその顔を見た瞬間、心臓が一度だけ強く跳ねた。「……行くか」 そう言って、モップを手に廊下を歩き出す氷室。俺は慌ててほうきを掴んで、その後ろを追いかけた。 掃除の場所は3階の渡り廊下。窓が多くて明るいけれど、人の気配が少ない静かな場所だった。外の空はすっかり赤く染まり、窓辺には落ち葉が風に吹かれて舞い込んでくる。まるで、ふたりだけを閉じ込める小さな舞台みたいに思えた。 氷室に話しかけるタイミングを計って、何度もチラ見をしていたら、俺の足が教室から伸びていた電源コードにうっかり足を取られて、バケツを思いっきりひっくり返す。「うわっ、やばっ!」 雑巾や水が床に一気に散らばった。安定過ぎるいつもどおりのドジに、自分で自分にウンザリしそうになった。「……貸せ」 氷室が静かに言って俺の手から雑巾を取り、黙って水を拭き取ってくれた。窓の外から差し込む夕焼けの光が、氷室の横顔をやわらかく照らしている。「あ、ありがとう……ごめん」 「気にするな。慣れてる」 「慣れてるって……え、それってどういう?」 不思議に思って問いかけたが氷室はそれに答えず、黙々と床を拭き続ける。その手つきはとても丁寧だった。一方の俺はというと、ドジをやらかしたことで、かなり気まずさを感じながら、モップを使って水を拭き取る。(――氷室って無表情だけど、やっぱり優しいんだよな) そんなことを考えながら、必死こいて床を拭いていると、氷室のほうが先に作業を終えたらしく、バケツを持ち上げて立ち上がった。「葉月、そこまだ濡れてるから、

  • BL小説短編集   第2章:君の隣、少しだけ近づいた午後

    昼休み、教室の隅っこで弁当を広げていたら、隣の席の林田が唐突に声をあげた。「なあ、隣のクラスの氷室って、マジで女子から人気あるのに、誰とも付き合ったことがないらしいぜ」 「え、そうなの? でもなんかわかるかも。あの人、完璧すぎて近づきづらいもん」 「アイツ、生徒会長さまだしな! 氷室よりも俺のほうが付き合いやすいだろう?」 クラスの女子たちが、そんな噂をしているのが耳に入ってきた。(氷室……誰とも付き合ったことがないんだ) その事実になぜか心の奥に、小さな波紋が広がるような違和感が残った。別に自分に、関係があるわけじゃないのに。「なぁ林田。その噂って本当なのか?」 女子の話にまざろうとしていた林田に声をかけたら、すげぇ嫌そうな目で睨まれた。相変わらず、声をかけるタイミングが悪かったらしい。「アイツの顔見たらわかるだろ。背が高くて足だってムダに長くて顔も整ってて、成績も優秀な生徒会長さまなんだからさ」 「そうそう。見た目がいいのに、なんていうか隙がなさ過ぎて、とっつきづらいよな!」 俺も林田に合わせるように、わざと軽口を返した。「あんないっつも同じ顔つきのヤツよりも、俺みたいにいろんな表情が拝める男のほうが、絶対いいに決まってるって! ねぇねぇ、誰か俺と付き合わない?」 俺とのつまらない会話を勝手に終わらせて、女子の園に首を突っ込んだ勇気のある林田に、心の中でエールを送りながら、弁当を食べ進める。 窓の外では赤や黄色の葉っぱが、ひらひらと舞っていた。風にあおられて落ち葉がひとひら飛んできて、教室の窓に貼りついた。 氷室の横顔を思い出すと、その落ち葉までもが彼に似合っているように見えてしまう。「傘を差し出したときの氷室、絶対に笑ってたんだって……」 俺にだけ見せたその笑みの理由が、どうにもわからない。学校の勉強も理解できない俺なので、氷室の頭の中なんか、さらにわかるハズもなく――。 モヤモヤした気持ちを抱えたまま弁当を食べていたら、不意に今日までに提出しなければならない課題を思い出してしまった。(あーあ、またやっちゃった。なんでこう、大事なものを忘れちまうんだろうな、俺ってば……) 放課後、肩を落として、図書室で課題に必要な資料を探していたときだった。静かなページをめくる音だけが響く中、ふと視界の端に見覚えのある姿が目に映る。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status