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適度に体が沈む大きいベッドの上で、全身に残った気だるさが原因で目が覚める。自分よりも逞しい腕枕と俺を抱きしめるように背後で眠る、あたたかな存在を感じて、ぶわっと頬に熱をもつ。
観覧車のゴンドラ内では、キス以上されなかったものの、与えられた吸血鬼の唾液の影響で、いつ破裂してもおかしくないくらいに、体が火照ってしょうがなかった。
そんな体の諸事情で困り果てる俺を、桜小路さんは軽々と横抱きにしながら、SAKURAパークをあとにする。いつの間にかメインストリートにハイヤーを呼びつけていて、一緒に彼の住むマンションに帰った。
『SAKURAパークでたくさん遊んだから、汗もかいているだろう? 先にシャワーを浴びるといい』
そう言って、着替えとタオルを手渡されたので、すぐにお風呂をいただいた。火照った体と熱り勃ったアレを、早くなんとかしたかったのもある。
「はあぁ、吸血鬼の唾液をたくさん飲んじゃったもんな。1回で終わる気がしないよ……」
ボソッと独り言を呟き、シャワーを浴びはじめてすぐに、浴室の扉が大きく開いた。
「わっ!」
『瑞稀が苦しそうにしているのは、俺の責任だ。今、楽にしてあげるよ』
吸血鬼の姿じゃない桜小路さんが、逃げかける俺の体を抱きしめ、口じゃ言えない卑猥なコトを進んでシてくれたおかげで、かなり楽になった。それなのに――。
『瑞稀は、はじめてだからね。ベッドでは気持ちのいいコトだけしようか』
「いえいえ、もう充分に気持ちイイことをしていただいたので、おなかいっぱいです」
(とはいえ、ふたりして下半身にタオルを巻いただけの恰好というのは、このあとの展開にいきやすいような)
桜小路さんは、絶頂した余韻を引きずる俺の肩を強引に抱き寄せ、移動しながらとても静かな口調で語りかける。
『順番が逆になってしまったのだが瑞稀、俺と付き合ってくれないか?』
間接照明が優しく照らすベッドルームの中央に立ち、真摯に俺に向き合った桜小路さんは、吸血鬼の姿に早変わりした。
「吸血鬼の俺を怖がることなく、吸血衝動で苦しむ俺に血をわけてくれた優しい君を、好きになってしまった」
両手を固く握りしめ、真っ赤な顔で告白した桜小路さんの姿から真剣みが伝わり、胸が痛いくらいに高鳴る。
「カッコイイ桜小路さんが、俺みたいな貧乏学生を好きなんて」
『信じられないだろうけど、本当なんだ。出逢いは偶然だったが、君と一緒にいるうちに、はじめて見せてくれた瑞稀の笑顔に、心が奪われてしまってね』
「あのとき――」
観覧車のゴンドラでおこったことを、ぼんやりと思い出す。
『ああ。瑞稀の笑った顔をもっと見たい、君がほしいと思った瞬間に、吸血衝動に襲われたんだ。残念なくらいに、体は正直だな』
照れくさそうにシルバーの髪を掻きあげ、ルビー色の瞳で愛おしげに俺を見つめる。
(――どうしよう。こうして見られているだけで、ドキドキがとまらない)
『頬が赤くなっているね、かわいい』
わざわざ耳元に顔を寄せ、艶っぽい声で告げてから、首筋に唇を押しつける。
「んっ」
また血を吸われるのかと思って強張ったら、キツく体を抱きしめられた。
『瑞稀、早く返事をくれないか。じゃないと浴室でシたみたいに、この場で君をぐずぐずにしてしまう。瑞稀が好きすぎて、容赦なく手を出しそうだ』
「ぐずぐずって、そんなの困ります! 俺、こんなふうに告白されたことも、エッチなアレだってはじめてで、どう対処したらいいのかわからなくて」
強く抱きしめられているのに、吸血鬼の桜小路さんから伝わるぬくもりはなぜだか冷たくて、思わず両腕でぎゅっと抱きついてしまった。少しでもいいから、俺の体温であたためてあげたくなる。
『瑞稀?』
「吸血鬼になった運命を悲劇に捉えないで、楽しもうって考える桜小路さんに憧れてしまいました」
桜小路さんを抱きしめることで、彼の胸に顔を埋めているから、照れている顔を隠せた。なので素直な気持ちを口にできる。
『君の憧れの気持ちを好意に変えるには、どうしたらいいだろうか?』
「どうしたらって、桜小路さんが存在するだけでいいというか。とても素敵だし、イヤでも惹かれてしまって」
『瑞稀、顔をあげて。俺の目を見ながら、君の気持ちを聞かせてほしい』
(それって、すごく恥ずかしい。だけどさっき桜小路さんがしてくれたみたいに、俺もちゃんとした姿勢で応えてあげなきゃ)
桜小路さんの胸元から恐るおそる顔をあげて、頭上にある整った彼の顔を眺める。
間接照明の淡い光が彼の顔に陰影を与えるおかげで、同じ日本人とは思えない彫りの深さを感じた。その下にあるルビー色の瞳が綺麗に揺らめき、さらに格好よく俺の目に映る。
「桜小路さんがこうして傍にいるだけで、ドキドキしています。もしかしたら、好きになっているのかもしれませんっ」
思いきって告白した俺を、桜小路さんは意味ありげに双眼を細めて見下ろす。
『吸血鬼の俺と普段の俺、瑞稀はどっちが好みだろうか?』
「そんな難しいことを聞かれても、なんと答えていいのか困ってしまいます」
(比べられないくらいに、両方とも格好よくて好みですなんて、絶対に恥ずかしくて言えない!)
両手で頬を押えて赤みを隠そうとしたら、両手首を引っ張られ、勢いよくベッドの上に放り投げられた。
「うわっ!」
『俺の質問に答えないイジワルな君には、お仕置が決定だな。まずは血を吸って、味を確かめてから――』
「ダメです! 美味しくない血を吸われたら、俺のがまた大きくなっちゃうじゃないですか」
切実な問題だから必死に訴えたというのに、桜小路さんはそんなの関係ないと言いたげに、弾んだ声で返事をする。
『ふふっ、実は味が変化してるんだよ』
「へっ変化?」
『ゴンドラで瑞稀の血を吸ったときに、気づいたんだ。甘みが増して、美味しくなってる』
目の前で舌舐めずりしたあとに顔を寄せて、俺の唇を下から上へと大きく舐めた。ただそれだけなのに、ゾクッと感じてしまい、変な声が出そうになる。
『瑞稀に俺の愛情をたくさん注いだら、美味しくなるのか。はたまた君が俺をもっともっと好きになったら、美味しくなるのか。いろいろ考えるだけでも、夢が広がって楽しいよ。どれだけ君の血が甘露になるのかと』
桜小路さんは俺に股がって体を動けなくしてから、首筋を丁寧に舐めて、ガブッと噛みつく。
「くぅっ!」
やっぱりというか血を吸われるたびに、俺の下半身がどんどん大きくなった。
「やっ、もぉダメ~……イっちゃう」
『では瑞稀の大きくなったブツを、直接吸ってイカせてあげ――』
「もっとダメです! ひとりでイキたくない」
急いで大事な部分を両手で隠して、ここぞとばかりに声高く叫ぶ。
「だって俺ばかりイって、桜小路さんはずっと我慢してるじゃないか!」
『そこは雅光と一緒にイキたいと、うまく強請ってほしいな』
突然告げられた桜小路さんのワガママに、目を白黒させるしかない。
『瑞稀言ってごらん。君が言えば願いが簡単に叶うよ』
「年上の桜小路さんの名前を言うのは、俺にはハードルが高すぎます」
体を縮こませて、ごにょごにょ返事をしたら。
『だったら君が呼びやすい、あだ名をつけてくれ。エロ光や吸血太郎とかでもいいよ』
桜小路さんがえらく真面目な表情で言い放ったせいで、突っ込むタイミングを見事に失った。茫然自失しながら、重たい口を開く。
「最初に偽名を使ったときといい今といい、ネーミングセンスがなさすぎです」
『これでも真剣に考えたのに……』
しょんぼりする吸血鬼の姿は、ここぞとばかりに笑いを誘うものだった。迷うことなく、声をたてて笑いまくる。
『瑞稀、ちょっと笑いすぎだろ』
「だって、本当におもしろいんですって。真剣に考えたものとは、到底思えない」
『なるほど。君がそんなに笑うのなら、もっといいあだ名を考えてみようか』
「俺が考えますので、桜小路さんは黙ってください」
なんとか笑いを堪えつつ、呼びやすそうなあだ名を考えた。目の前で今か今かと、期待を込めた眼差しを注ぐプレッシャーを無視して、覚悟を決めたというふうにハッキリ言う。
「これから桜小路さんのことを、マサさんって呼ぶことにします」
『マサさん……なんだか新鮮な響きだな』
ルビー色の瞳を、何度も瞬かせたマサさん。もしかして吸血鬼なのを隠すために、こんなふうに呼び合う仲のいい友人がいなかった可能性があるなと思った。
だからこそ、心を込めて告げてあげる。
「マサさん、ふつつかな俺ですが、これからよろしくお願いします!」
『ナニをよろしくしたらいいのだろうか?』
(わかってるクセに、イジワルなことをワザと言う、そんなマサさんが好き――)
「マサさんと一緒に、気持ちいいコトがしたいです」
言いながら、マサさんの下半身に自分の下半身を押しつけて、擦りつけるように上下させた。するとマサさんの額を俺の額に押し当てて、低い声で告げる。
『わかった。いいあだ名をつけてくれた、君の願いを叶えてあげよう』
こうして俺のお願いをきいてくれたマサさんと仲良く絶頂して、一緒に就寝したのだった。
宮本が消えた途端にキツい口調で言われたことは、橋本の胸に突き刺さるように響いた。「雅輝の才能……。アイツの走りについては、本人にまかせていることですので、俺がひとりじめしているつもりはないですけど」 ありきたりの言葉をやっと告げるのが、橋本としては精一杯だった。「橋本さんが雅輝さんに走れと言えば、彼はきっと走ってくれるハズなんです。頼んでみてもらえないでしょうか?」「それは――」 恋人の頼みなら、どんなことでも叶えそうな宮本の性格を見切った佐々木のセリフは、橋本の口を重たいものにした。「だってもったいないでしょ! あれだけ速く走れる才能を持っているのに、隠してしまうんですから。代われるものなら、雅輝さんになりたいくらいです」「……誰だって、アイツにはなれません。雅輝の才能は確かにすごいものですが、恋人の俺が強制してやらせるものじゃない!」 佐々木の言葉の熱意に当てられたせいで、橋本も思わず声を荒らげてしまった。周りが静かすぎるせいで、橋本の声は遠くまで響き渡った。「雅輝は……アイツは自分の車を持っていません。走り屋からすでに足を洗ってるんです。理由は聞いてません。アイツが話してくれるまで、俺はいつまでも待つつもりでいるので」 橋本は自分を落ち着かせようと、徐々に声をいつもどおりに戻しつつ、頭の中で宮本の笑顔を思い出した。どこか照れた表情で橋本を見つめて嬉しそうに微笑む宮本の笑顔は、橋本の精神安定剤になっていた。「話したくないワケがあるということなんですね?」「たぶん。走るキッカケが失恋から立ち直るためだったし、そこから走り屋を辞めるとなると、やっぱり深い事情があると思う」 三笠山で見た、羨望のまなざしで宮本を見つめる大勢のギャラリーを思い出した。自分の車で峠を走っていないのにもかかわらず、走り屋のチームやギャラリーから神格化されている宮本の姿は、橋本の目には奇異に映った。 その理由は普段見ている、のほほんとした宮本が崇め奉られてる存在として扱われていることに、違和感があったせいだと思い至ったのだが。(自分のことをモブキャラレベルと称している宮本にとって、神格化されるのは恥ずかしいことに繋がるから嫌がっている……。なんていうくらいの感情なら、俺に話をしてくれるだろうし) 橋本が顎に手を当てて考え込んでいると、背後からエンジンの音が聞
「さっ佐々木さん、頭を上げてくれませんか。俺はふたりが逢っていても、ヤキモチなんて全然妬きませんよ。雅輝のバカは、走ることしか頭にないんですから! 参ったなぁ、もう!」 所々上擦った声で弁解した時点で、橋本の嘘はバレバレだった。営業スマイルもかなり崩れているような感じなのも、頬の緊張感で伝わってくる。「陽さんあのね……」「ただな、佐々木さんに頼まれたからって、俺に隠し事をしてほしくなかった」 ギリギリ聞きとれる声量で橋本が本音をポロリした途端に、離れていた宮本が駆け寄り、タブレットを小脇に抱えて橋本の利き手を掴んだ。「ごめんね、陽さん。心配して、ここまでわざわざ来てくれたんだよね?」「べ、別に。おまえの心配なんて、してなかったけどな。場所がここだった時点で、走ることに夢中になってんだろうなぁと思っただけだ」「それでも来てくれたんだよね? こんな夜遅くで、明日も仕事があるというのに」 橋本を掴んでいる、宮本の手の力が強められる。痛いくらいに握りしめられたそれに、文句でも言って抗いたいのに、宮本が傍に来てくれたという事実が嬉しくて、されるがままでいてしまった。「雅輝が楽しそうに走ってる姿を、拝んでやろうと思っただけ。それだけだ……」「雅輝さんは僕が頼んでも、走ってくれなかったんです」 ふたりの会話に割って入った佐々木が、意外なことを告げた。「雅輝が走っていないだと?」 信じ難い佐々木のセリフで、穴が開くほど凝視した橋本の視線に、宮本は照れくさそうな顔を見せる。「雅輝、どうして走っていないんだ? 走ることが好きなおまえが走っていないなんて、腹の具合が悪いとか、そんな理由しかないだろ」「橋本さんは本当に、雅輝さんが走らない理由がわからないんですか?」 橋本が宮本に問いかけたというのに、なぜだか佐々木が先に口を開いた。「コイツが走らない理由は……」「どうして、すぐに答えられないんですか?」 橋本に鋭いまなざしを飛ばす佐々木に、反論はおろか、そのほかの返答もできなかった。すると宮本は掴んでいる橋本の手を解放し、ふたりに背中を向ける。素早い行動に宮本の表情がどんな感じなのか、まったくわからなかった。「雅輝?」 答えられないことに嫌気がさして、手を放されたと思った橋本が、距離をとった宮本を掴もうとしたときだった。「すみません。ちょっとト
*** 街中とは対照的に、しんと静まり返るサーキット場周辺。橋本は宮本のデコトラの隣に沿うように、黒塗りのハイヤーを停めた。エンジンを切って運転席から降りたつと、ゴーカートを走らせる音が耳に聞こえる。「数台走ってるんじゃないな、一台のみか……」 その場で目を閉じ、ゴーカートのエンジン音を改めて確かめてみた。アクセルのオンオフのタイミングや、癖などをそこから探してみる。(たぶん、雅輝が走ってる感じじゃない。アクセルをオンにしたときの加減に、荒々しさがある) 橋本は目を開けながらゴーカートが走行しているサーキット場に、颯爽と足を進ませた。煌々と灯りの点る場所に導かれるように近づくと、見慣れた横顔が目に留まる。 タブレットを片手に、真剣なまなざしでそれを見つめる恋人の姿を目の当たりにして、どっと安堵した。宮本が襲われてなくて、本当に良かったと思わずにはいられない。 靴音をたてないように背後から宮本に近づき、右腕を大きく振りかぶって、後頭部を思いっきり叩いてやった。バコンっ!(☆_@;)☆ \(`-´メ)「いった~……」 宮本はタブレットを持っていない手で、橋本に叩かれたところを撫で擦りながら、怖々と振り返った。自分の背後に立ちつくす橋本の存在を認識した途端に、目を見開いて息を飲み、肩を竦めながら強ばる。「雅輝、こんなところで、なにやってんだよ?」「…………よよよよよ陽さんっ!?」「とっとと答えろ。なにしてるのか聞いてんだぞ、このクソガキ!」 わざと怒っ風を装った橋本の演技に、まんまと騙された宮本は震えあがり、タブレットを胸に抱きしめたまま、じりじり後退りした。「あ、あわわわっ!」「狼狽えるようなことを、ここでしていたのかよ?」「してないしてない! いたって真面目に、佐々木くんの走りをここで見てただけ!」 橋本が一歩近づくと宮本が三歩退るので、当然距離は縮まらない。どんどん開いていくばかりだった。「雅輝が言ったとおりに、真面目に走りを見ていただけなら、どうして俺から逃げるんだ? やましいことをしていないっていうのに!」「だって陽さんの顔が怖くて…むぅ」 退いていた宮本の足が、不意に止まった。橋本としては近づきたかったが、宮本の動きに合わせて進んでいた足を止める。この微妙な距離感こそが、不器用なふたりの間柄を示しているように、橋本は
「この間、四人で出かけたゴーカート場です」「ということは、相手は佐々木さんだな」 宮本をじっと見つめた、尊敬を含む佐々木のまなざしを思い出す。サーキット場で自分よりも速く走ることのできる宮本に憧れているうちに、それが恋心に変わることは容易に想像ついた。 あの四人の中で一番おっとりしているように見えたのに、実際は鮮やかなドライビングテクニックで他を圧倒、サーキット場にいる者すべてを魅了した宮本を橋本は思い出す。(俺のインプを鮮やかに運転する雅輝に憧れた結果、そういう関係になった俺だから、気持ちが痛いくらいにわかっちまう)「和臣の職場の近くに、ゴーカート場があるでしょ。先週の火曜日と金曜日にデコトラを駐車場で見かけたって、さっきもメッセージがあって」 本日は火曜日。それでわざわざ榊に、和臣がメッセージを打ち込んだのだろう。一度ならず二度三度、同じ場所でデコトラを見かけたら普通じゃないことくらい、誰にでもわかる。「俺に黙って、アイツはなにをしてるんだろうな……」「真面目な宮本さんは、橋本さんを裏切ることをする人じゃないですって」「そんなの、おまえに言われなくてもわかってる!」 声を荒らげたが、運転にはそれを出さぬように、ぎゅっとハンドルを握りしめた。あと少しで、榊の住むマンションに到着する。「和臣のヤツ、今日は残業したみたいで、さっき帰ってきたそうなんです。自分の会社よりも早く営業が終わってるのに、デコトラが駐車場に停まっていて、ゴーカートのお店はまだ電気がついていたって――」「つっ!」 まだマンション前じゃないのに、思わずブレーキを踏んでしまった。 とっくに営業時間が終わってるサーキット場で、誰もいないことをいいことに、よからぬことをしている可能性がゼロではない。宮本が襲われているかもしれない現実に、橋本の呼吸が勝手に乱れた。 走ること以外は、からっきしダメな宮本の緊急事態に、全身から冷や汗が滲み出る。「橋本さん、大丈夫ですか?」「あっ、すまない。こんなところで停まっちまって」「俺ここで降りますので、宮本さんのもとへ向かってください!」「恭介……」 運転席から振り返ると、榊はドアを開けて外に出るところだった。素早い身のこなしに内心感謝しながら、橋本は微笑みかける。「恭介いろいろサンキューな! いつか埋め合わせするから」「それ
*** 四人で過ごした楽しい週末を終え、いつもの日常を送っていた橋本は、一番最後の客になる榊を黒塗りのハイヤーに乗せて、マンションに向かっていた。「恭介、明日の朝もいつもどおりでいいんだな?」「はい。変わりなくお願いします」 どこか生ぬるい返事の声に橋本は違和感を覚え、ルームミラーで背後を確認すると、スマホを見ている榊の顔色が、どこか憂いを帯びていた。「…………なにか心配事でもあるのか?」 橋本がルームミラーから前方に視線を移して声をかけたら、「あ……、ぅ、どうしよう」なんて、榊らしくない歯切れの悪い返答をされた。「俺がかかわることで恭介が混乱するなら、心配事について聞かなかったことにする」 白黒ハッキリさせたい性格の橋本だからこその言葉を聞き、榊は顎に手を当てて、暫し黙り込む。「橋本さんは四人で出かけて以来、宮本さんと逢ってますか?」 妙な沈黙のあとに告げられたセリフに、橋本はチラッと背後を見てからすぐに答える。「平日は余程なにかなきゃ滅多に逢わない。お互い仕事が忙しいことがわかっているし、俺も夜は遅いしな」「宮本さんが、どこかに出かけていることは聞いてますか?」「出張の話は聞いていないが……」「出張じゃなくて、う~ん。どうしよう」 ふたたび繰り返された『どうしよう』の言葉と宮本についての質問に、橋本の頭の中で自動的に整理がなされた。困惑する榊の態度を見ているからこそ、思いつく言葉があった。「雅輝がどこぞで浮気している、決定的な現場の情報でも仕入れたとか?」 つとめて明るく言いながらルームミラーで榊の顔を見つめると、鳶色の瞳を大きく見開き、唇をきゅっと引き結ぶという態度を目の当たりにした。「こういう嫌な予感ってのは、どうしても当てちまうんだよな。それで雅輝のヤツは、どこで浮気してるんだ?」「浮気と決まったわけじゃないですって。きちんと確かめないと!」「だが俺は、アイツがどこかにでかけている話をいっさい聞いていないし、アプリでのやり取りでもやっていない。恋人の俺に内緒で誰かと逢っている時点で、浮気じゃないかと疑うのが普通だろ」 この話を聞くまで、橋本はいつもどおりの日常を送っていた。だから当然、宮本も同じだと思っていた。毎日かわされるアプリのメッセージも、なにげないことを打ち込んだ後に、互いの気持ちを書き込み、おやすみなさ
「恭ちゃんの走りも凄かったと思うんですけど、橋本さんはどう思いましたか? 僕、全然追いつくことができなくて!」 妙な空気を素早く読んだ和臣が、不機嫌になりかけた橋本に話しかけると、宮本はやんわりと佐々木の手を解き、橋本に向き合った。「陽さんってばもっと早く走れるくせに、俺らの走りを特等席から堪能するなんて、本当にズルいです」「あ、まぁな。和臣くんも恭介を追いかける姿、すげぇ感動した。というか、恭介の神経はいったいどうなってるんだ? ペーパードライバーとは思えない走りをしていたぞ」 橋本はふたりに気を遣わせてしまったことがどうにもいたたまれなくて、思わず榊に近寄り、前髪をあげてからいつものようにおでこを叩いた。「いたっ! 八つ当たりするなんて橋本さん酷いです」「八つ当たりじゃねぇよ。褒めてやってるんだ」 ふたりのやり取りを間近で見ていた佐々木は、お腹を抱えて笑いだした。「四人とも、本当に仲がよろしいんですね」 いきなり褒められたことが信じられなかった橋本は、ぽかんとして佐々木の顔を見つめた。橋本にオデコを叩かれた榊が、痛んだところを撫でながら、宮本に視線を飛ばす。「宮本さんは橋本さんに、こういうことをされていないんですか? これはこれで仲がいいと言われちゃうと、俺としては疑問なんですけど」「恭ちゃんと橋本さんのやり取りは、微笑ましいものがあるって。だから佐々木さんは、仲がいいと言ったんだと思うよ」 おっとりした宮本が答える前に、和臣が流暢に答えてしまった。バラバラなやり取りを繰り返しているというのに、皆が笑顔をキープしたままだからこそ、佐々木に仲がいいと言われたんだろうなと、橋本は勝手に納得してしまった。「陽さん、キョウスケさんに手を出しちゃ駄目ですよ。そういうのは俺だけにしてください」「おいおい、みずからドМ発言して、わざわざ自分から笑いを取りに行くなよ……」 榊の質問をスルーして、すごいことを強請った発言で、宮本以外大爆笑に陥ったのは言うまでもない!
※これは橋本が江藤と宮本弟に逢った日の夜におこなった、出張先にいる雅輝と熱いメッセージを交わした内容です 『雅輝、ただいま。今、大丈夫か?』「陽さんおかえりなさい。あとは寝るだけなんで大丈夫です。今日もお仕事お疲れさまでした」『お疲れ!さっきシャワー浴びて、ノンアルコールビールを飲んでるとこ。お前こそ、長距離の運転疲れていないか?』「そこまで長距離じゃないから平気。俺はオレンジジュースで乾杯」『カンパイ!あのさ今日の午前中、ハイヤーを走らせていたら、江藤ちんと雅輝の弟に偶然会った』「マジで!よく見つけられたね」『スーツ着てるし、平日の午前中なんて絶対に仕事中だろ。それなのにデー
※これは一緒に暮らして、初めて迎えたクリスマスのお話になります。「うへぇ、うんざりするくらいに疲れた。だけど家に帰ったら大好きな陽さんがいるんだって考えるだけで、そんな疲れが吹き飛んじゃうんだから不思議」 デコトラのハンドルを握りしめながら、自然とクリスマスソングを歌ってしまう宮本。その歌が上手なのか下手なのかは、皆様の想像におまかせします。 マンション近くの駐車場にトラックを停めて、助手席に置いてあった荷物を手に、急ぎ足で帰宅する。 甘いものが苦手な橋本を考えて、イチゴのショートケーキ1個とクリスマスプレゼントを持ってる宮本は、まんまサンタの気分だった。「ただいま~! ってあれ?
※ここからお話を現代に戻します(^_-)-☆ 隣から聞こえてくる宮本の寝息を橋本は愛おしく思いながら、閉じていた瞳をゆっくり開き、壁にかかっている時計に視線を飛ばした。「ぐっすり寝たと思ったのに、まだ6時前じゃねぇか。睡眠時間4時間で目覚めたくなかった……」 シルク素材でできたパジャマの袖を意味なくにぎにぎしながら、小さな声で呟いた。 宮本とお揃いのパジャマは色違いで、つい最近購入したばかりのものだった。ちなみに橋本はグレーで、宮本は濃紺。今まで揃いのものを買ったことがなかったのもあり、最初の内は身に着けるたびに、ふたりで照れてしまった。 ちなみにこのパジャマを購入した経緯は、朝
「や…め…っんん、ここじゃだっ、駄目だ。狭ぃ」「きっと大丈夫ですよ。上半身は俺が押さえ込めばいいだけですし、陽さんの片足を背もたれに引っかければ、狭さも上手いことカバーできますって」 笑いながら告げると、それまで大人しかった橋本が腕の中で暴れはじめる。「やらしすぎる。そんな恰好させられる、俺の身にもなってみろ。恥ずかしいに決まってるだろ。絶対に嫌だ!」 視線を鋭くしているのに頬を少しだけ染めるという、表現しがたい可愛い顔で抵抗されるだけで、宮本の闘志に火がついた。力任せに橋本の躰をソファの上に押し倒して、素早く跨る。「ちょっ、いつも動きが緩慢なのに、こういうときに限ってお前は!」