でもこんな知り合いいただろうか。これほどの顔立ちなら覚えているはずだ。
頭が働かず沈黙が流れてしまう。気まずいあまり増々混乱していると、青年は屈み、一架の耳元で囁いた。
「初めて生で見たセックスは、誰だか覚えてる?」
「えっ!?」
今、なんて……。
慌てて顔を上げると、彼は優しい顔で笑った。
この笑顔。思い出した。嘘だろ……。
「つ……継美さん……?」
「良かった、ちゃーんと覚えてるじゃんか。あんなに子どもだったのになぁ」
驚きのあまり口が塞がらない一架に、彼は可笑しそうに笑い、腕を組んだ。
「でも中身は変わってないな。まだ懲りずに人のセックス見て興奮してんのか」
「あ、いやっ、そういうわけじゃ……!」
噛みまくったが、全身全霊否定した。と言っても挙動不審過ぎて怪しさ倍増だろう。
「ていうか何なんですか、何でここに……!」
「何でだと思う? 当たったらキスしてやる」
「結構です!!」
全力で拒絶すると、ちょうど朝礼を告げるチャイムが校内に流れた。
「おっと、いい加減遅刻になるぞ。頑張って教室まで走るんだな。俺は後から行くから」
それって……。
何か尋常じゃなく嫌な予感がする。外れてほしいけど、十中八九当たってる気がする、嫌な予感。
青ざめてる一架に彼はにっこり笑いかける。頭にぽんぽんと手を置き、切れ長の目を開いた。
「これからよろしく、一架。俺、今日からお前のクラスの担任になったから」
黒板に、チョークの綺麗な白文字が書かれた。
「梼原継美《ゆすはらつぐみ》。担当は英語だ。もう二年も残り少しだけど宜しく!」
「先生って何歳?」
「二十五」
「お~、若い」
教室はかつてなく活気に溢れている。
だけどこんなに仲間はずれな気分はない。
「中途半端な時期に悪いね。本当は来年から一年の教室を受け持つ予定だったんだけど、前田先生が脚を骨折して入院されたから」
前田というのは俺達の担任。陽気なおばさん先生だけど、この間の休みに大好きな登山で脚を骨折して帰って来た。
ホームルームが終わった後も、彼の周りから生徒が散ることはなかった。むしろ彼に近寄っていないのは俺だけという最悪な構図。何だこのアウェイ感……。
「そういや、先生の名前聞き覚えあんだよね。何でだろ」
ふと、誰かがそんな事を言った。
「あ! 思い出した、昔何かのドラマに出てた子役の名前だ!」
「……まぁ、ちょっとだけね」
「えぇ、マジ!? すご!」
教室の熱がさっきの倍は上がった気がした。皆の食いつき度が尋常ではない。とは言え彼はテレビよりローカルの活動ばかりしていたから、覚えている者がいたことに驚きだ。自分含め、やはり本名で活動するのはめんどくさいことの方が多い。
「つーか子役ってことは一架と一緒じゃん。先生、ウチのクラスにも子役だった奴がいんだよ」
やめろ! 話を振るな!
「ほら、あそこに座ってる崔本。中学までドラマにも出てて……」
「知ってるよ。同じ事務所だったからね」
継美の言葉に、クラスメイトは皆さらに盛り上がりを見せた。
「えぇ!? すげー偶然!!」
偶然?
そんな偶然あるわけねーだろ。一架は密かに歯ぎしりした。
「じゃあ先生は一架の先輩だったんだ」
「うん、でもほとんど入れ違いだったからあまり関わりはなかったけど。どんな子だったのかは覚えてるよ」
「わー、何か興味ある? 昔の一架ってどんなだった?」
「そうだなぁ。何か面白い趣味があった気が」
や ば い。
あの野郎、まさかここで“アレ”を話す気か?
そしたら俺の高校生活が終了する。何としても阻止しようと立ち上がると、ちょうど授業を開始するチャイムが響いた。
難を逃れた。しかし胃が痛い。
梼原は大学へ進学後、教員免許をとったらしい。引退するとき彼が勉強に専念したいと言ってたことは聞いたけど、まさか本当に教師になってるとは。
不適性だ。だって彼は人を虐めることに生き甲斐を見出してる。それは多分、今も変わってない。
そして一番の問題点は、俺と同じく男が好きということ。そんな奴が男子校に来るなんて、まるでうさぎ小屋に放たれた狼だ。
『一架、悪い子だね。男の裸見て興奮してるの?』
記憶が解凍されていく。
六年前の、あの忌まわしい過去が。
終始気が気じゃなかったものの、無事に最後の授業を終えた。案の定、放課後は梼原継美先生と仲良くなろう会が開催している。
今日はもう疲れたから帰ろう……。
バラされたらどうしようとか考えるのもめんどくさくなってきた。
まぁそこまで外道じゃないと信じ、気づかれないよう彼らの前を通り過ぎようとする。しかしばっちり見透かされてたらしく、即座に名前を呼ばれた。
「」あ、ちょっと待って、崔本。時間あったら久しぶりに少し話さないか?」
「はい!?」
やはり、相手はつっ……梼原さんだった。
ニコニコしやがって、間違いなく良くないことを企んでる。
「おー、そうしなよ、一架も先生と話したいこと色々あるだろ?」
ないよ。
クラスメイトの気遣いが心苦しいというか、今はむしろありがた迷惑だ。
「すいません、今日は用事あるんで帰ります」
反応を待たずにそう言い捨てて、教室を出た。
はぁー……。
またしてもドッと疲れが押し寄せてきた。
無性に喉が渇く。帰る前に売店に寄って、ジュースを一気飲みした。暑い。全身が火照って熱い。
あの人を見てると、嫌でも後ろ暗いことを想像して、身体が疼いてしまう。
俺が他人のセックスに興奮するキッカケになった人……だから。
「一架!」
ボーッとしてたが、名前を呼ばれてビクッとする。
声の方を振り返ると、今朝俺をオトリに逃げた少年A君がいた。
でもこんな知り合いいただろうか。これほどの顔立ちなら覚えているはずだ。頭が働かず沈黙が流れてしまう。気まずいあまり増々混乱していると、青年は屈み、一架の耳元で囁いた。「初めて生で見たセックスは、誰だか覚えてる?」「えっ!?」今、なんて……。慌てて顔を上げると、彼は優しい顔で笑った。この笑顔。思い出した。嘘だろ……。「つ……継美さん……?」「良かった、ちゃーんと覚えてるじゃんか。あんなに子どもだったのになぁ」驚きのあまり口が塞がらない一架に、彼は可笑しそうに笑い、腕を組んだ。「でも中身は変わってないな。まだ懲りずに人のセックス見て興奮してんのか」「あ、いやっ、そういうわけじゃ……!」噛みまくったが、全身全霊否定した。と言っても挙動不審過ぎて怪しさ倍増だろう。「ていうか何なんですか、何でここに……!」「何でだと思う? 当たったらキスしてやる」「結構です!!」全力で拒絶すると、ちょうど朝礼を告げるチャイムが校内に流れた。「おっと、いい加減遅刻になるぞ。頑張って教室まで走るんだな。俺は後から行くから」それって……。何か尋常じゃなく嫌な予感がする。外れてほしいけど、十中八九当たってる気がする、嫌な予感。青ざめてる一架に彼はにっこり笑いかける。頭にぽんぽんと手を置き、切れ長の目を開いた。「これからよろしく、一架。俺、今日からお前のクラスの担任になったから」黒板に、チョークの綺麗な白文字が書かれた。「梼原継美《ゆすはらつぐみ》。担当は英語だ。もう二年も残り少しだけど宜しく!」「先生って何歳?」「二十五」「お~、若い」教室はかつてなく活気に溢れている。だけどこんなに仲間はずれな気分はない。「中途半端な時期に悪いね。本当は来年から一年の教室を受け持つ予定だったんだけど、前田先生が脚を骨折して入院されたから」前田というのは俺達の担任。陽気なおばさん先生だけど、この間の休みに大好きな登山で脚を骨折して帰って来た。ホームルームが終わった後も、彼の周りから生徒が散ることはなかった。むしろ彼に近寄っていないのは俺だけという最悪な構図。何だこのアウェイ感……。「そういや、先生の名前聞き覚えあんだよね。何でだろ」ふと、誰かがそんな事を言った。「あ! 思い出した、昔何かのドラマに出てた子役の名前だ!」「……まぁ、ちょっとだけね」
自分の性癖が異常なものだと分かっている。これはどんなに隠しても醜く滲み出てしまうものなんだ。『一架。……もしかして見てた?』遠い記憶。あの人の声が反響している。『俺達が“してる”ところを……』本当は思い出したくない。“あれ”は消し去りたい記憶だ。まだ小学生のとき、他人がセックスしている姿を目撃した。それを機に自分の異常な性癖に気付てしまった。驚きや嫌悪より興奮の方が遥かに勝っている。俺は他人のセックスを視ることでしか欲情できない人間だった。◇崔本一架《さいもといちか》、十七歳。私立の男子校に通う高校二年生。中学まで子役として芸能事務所に所属していたが、今は引退してごく普通の高校生活を送っている。「一架、おはよ!」「おはよう」学校では基本真面目な優等生を演じ、大人しく過ごしている。学校は好きでも嫌いでもない。常に成績上位の為テスト前は必ずクラスメイトに引っ張りだこだ。頼りにされるのは素直に気持ちが良い。だから断ることもせず、優しい微笑みを貼り付けている。「ごめん崔本、この問題がどうしても分かんないんだけど……」「どれどれ……あぁ、これはここをこうして……」教えて、それで喜んでくれるならいくらでも力になってやりたいぐらいだ。「なるほど、サンキュー! やっぱお前すげーな!」一生懸命なクラスメイトといると癒される、というか心が洗われる。俺とは違って本当に純粋なんだな、と思う。「勉強もスポーツもできて、クラス一面倒見がいい! 一架は最強のイケメンだよ!」「ははっ、褒めすぎだよ。決して間違いではないけど」そうそう、俺が子役のオーディションに合格したのも、この容姿と全くの無関係とは言いきれない。俺はどうも一部の人を惹き付けてしまう美貌の持ち主らしい。「はぁ、イケメンで勉強もできるなんて不公平だよな。外でお前のことガン見してる女子とか見つけると、マジで羨ましいわ~」「褒めすぎだね、間違いではないけど。……でも俺は俺で不安な時があるんだ。俺のルックスに嫉妬した男子諸君が襲って来ないかって」「大丈夫だよ。お前ほど完璧な奴だと逆に手が出せないって」「そうかな……。それならいいんだけど……」学校に限らず、俺はどこを歩いても見られている。それを自信過剰と呼ぶ友達もいれば、自意識過剰と呼ぶ友達もいる。「あ、崔本だ。今日も爽やかだな