第二十話

秋久は立ち上がると、当たり前のように私へ手を差し出した。

その仕草があまりに自然で、まるで昔からそうしてきたかのようだった。

私は迷いながらも、その手を取る。温かな掌に導かれるまま、彼の腕に自分の腕を絡めた。

店を出ると、支配人やスタッフが深くお辞儀をして見送ってくれる。

そのままエレベーターホールへと向かうと、外はいつの間にか雨が降り出していた。

大きなガラス越しに、街の灯がぼんやりと霞み、雨粒が光を滲ませていた。

「……雨」

思わずこぼれた私の声に、秋久は小さく笑みを浮かべた。

エレベーターが開き、彼は私を促すように一歩前へ出る。

何気なく乗り込むと、行き先は下ではなく――上。

「秋久？　どこに行くの？」

上昇を告げる静かな駆動音の中で尋ねると、彼は短く答えた。

「もう少し付き合ってくれ」

「でも……」

一緒に暮らして、一緒のベッドで眠っているのに。

ホテルの上階――ラウンジや客室のある階に向かっていると思うと、胸がざわついた。

息を整えようとしても、鼓動の速さは止まらない。

「ねえ、秋久――」

その名前を呼びかけた瞬間だった。

彼が一歩近づき、私の頬を両手で包み込む。

エレベーターの中なのに、まるで世界から切り離されたような静けさの中で、

彼の唇がふわりと触れた。

息を呑む間もなく、ただその温かさに思考が止まる。

それは激しいものではなく、ただそっと触れるだけのキスだった。

拒むこともできたはずなのに、私はその一瞬の甘い感触に身を委ねていた。

息が触れ合う距離で、彼の体温が伝わってくる。

キュッとシャツを握る指先が震え、次の瞬間、秋久の手が私の後頭部を包み、キスは少しだけ深まった。

まるで、本当の恋人のように。

大切に、壊れものを扱うように触れられて――胸の奥がきゅっと締めつけられた。

どうして涙が出そうになるのか、自分でも分からない。

やがて唇が離れ、秋久が私を見つめた。

「……ごめん」

低く落とされた声に、私は思わず息をのむ。

彼が私の頬に触れ、指先でそっと目元をなぞる。

そこで、初めて気づいた。

泣いていたのは私だった。

違う。

キスが嫌だったわけじゃない。

ただ――その優しさに、抗えなかった自分が怖かった。

心の奥で、ほんの一瞬でも“このまま流されたい”と思ってしまった自分が。

「……頭、冷やす」

秋久は短くそう言って、少し距離を取った。

その背中を