Se connecter朝は急いで家を飛び出したため、ブロック形のバランス栄養食とパウチのゼリーを腹に入れただけ。仕事中は間食する暇が無いし、昼も今漸く食料を入手したところ。たったこれっぽっちのエネルギーで足りるもんかと文句を垂れる身体は、食い物を寄越せと腹を鳴らし必死に訴えている。
「おにぎり、食べちまおうかなぁ」
一度足を止め、持っていたレジ袋を広げて中を見る。容器の大きなざる蕎麦の上に乗っているのは黒い三角が一つ。それを食べてしまうと、残りは直ぐに腹が減ってしまう蕎麦だけが残ることになる。
「うーん」
少し我慢をすれば昼食にありつけるだろう。しかし、食べ物の誘惑が目の前にチラつき思考を掻き乱す。結局は欲求に逆らえず木陰を探して切ったおにぎりの封。乾いた海苔の歯ごたえと、程よく冷えた米の弾力。内側から染み出すツナマヨネーズの旨味が口の中に広がるともう駄目で、手のひらサイズの三角形はあっという間に姿を消してしまった。
「やべぇ……余計に腹が減ってきたわ」
一瞬だけ満たされた空腹は、それだけで満足するはずが無いだろうと更なる食べ物を要求してくる。余計に強くなってしまった飢餓感を満たすためにはもう少し量が必要だ。それを理解すると、そのまま会社に戻ることを諦めもう一軒、近場のコンビニへと足を延ばすことに決めた。
次に訪れた店は先程の系列とは企業カラーが異なるため、もう少し家庭的な印象がある。店内には、まだ初々さの残る店員が一人。ピークタイムが落ち着いたことに安堵しほうっと一息を吐いているようだった。
「い、いらっしゃいませ」
客の来訪に気が付いた彼女は、戸惑いながらも一生懸命接客をする姿勢を見せる。不慣れな雰囲気に思うのは頑張れという応援したい気持ち。焦らないでと心で呟きながら、商品を選びレジへと向かう。
レジカウンターに置いた品物は二つ。具材が肉系のおにぎりと明太子が入ったおにぎり。その他に一番大きいサイズのアイスコーヒーを頼み会計を済ませようとしたところで目に留まったのが、レジ脇に設置されているフードストッカーだった。
「あ。すいません」
バーコードの情報を読み取り次の操作へ進めようとする店員を引き留め言葉を続ける。
「これもお願いできますか?」
追加で注文したものはこのブランドのオリジナル商品であるフライドチキンで、こんがりと良い色に上がっているのを見ると無意識に喉を鳴らしてしまう。
「他にご注文はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
手に取りやすい商品をレジ脇に配置するのは、客の購買意欲を刺激するための商業戦略だと聞いたことがある。実際、こうやって美味しそうで手軽に食べられるスナックフードや手頃なお菓子を並べられると、交うつもりも無いのについでに買ってしまう事も多い。今回もまた、こうやって消えていく財布の残高。支払いを済ませコーヒー以外の品物を持っていた袋へ移動すると、店を出て再び歩き出す。
「あーあ。やっちまった」
予定外の散財。それに対して罪悪感を抱かない訳では無い。欲求に従い買い物する癖を止めたいと何度も思うはずなのに、日々のストレスがそうさせるのだろうか。気になる物を見つけてしまうと、無意識に手を伸ばして手に入れてしまう事を辞められない。
「これは必要経費だから」
そしてまた。今日も都合の良い言い訳を並べて自分を慰める。
「早く戻ろう」
手にしたカップの中で音を立てて転がる氷。外気温せいで冷えた嗜好品は勢いよく汗を掻いていく。照りつける日差しの暑さを避けるように日陰を選び歩き続けること数分。漸く戻ることが出来たビルに駆け込むように移動すると、火照った身体に心地よい冷気が全身を包んでくれた。
◆
「ふぅ」
買った食べ物は思った以上に速い速度で姿を消してしまった。飢餓感が解消されると次に襲ってくるのは強烈な眠気である。
「うぅ……」
午前の時点で欠伸の回数が多いことには気付いてはいる。それを振り払うためにと選んだドーピング剤は甘さの一切無い苦い飲み物。氷が溶けたせいで若干味が薄まったものの、苦味の強さは未だに健在。口の中を閉める付けるような不快感を伴いながら流れ落ちていく冷たさを感じれば、漸く目が覚め頭がすっきりし始める。
「残ってる作業を片付けなきゃ」
空っぽになりゴミとなった弁当箱は、おにぎりを包んでいたビニールや中身が無くなった紙パックとともに纏めてゴミ箱へ。アイスコーヒーだけを持ち職場に戻ると、何やら様子がおかしいことに気が付き無意識に足を止めてしまった。
「あれ?」
何か問題が起こったのだろうか。嫌な予感が頭を過ぎり気持ちは一気に急降下。【残業】という二文字がちらつくのを必死に否定すると、近場に居た後輩を捕まえどうしたのかと尋ねてみる。
「何か問題でも起こったのか?」
それに対し、後輩は微妙な反応を見せながらこう答える。
「問題というか……うーん……」
なんとも歯切れが悪い返答に感じた違和感。
「進行している案件の仕様が変更になったとか、致命的なエラーが起こったとかそう言うんじゃないんですけど、戻ってこないんですよ。担当者が」
「え?」
言われて顔を向ける先にあったものは主の居ない空席で。先ほどまで作業をしていた痕跡はあるのに、それを扱う人間だけが消えてしまっている。
「休憩に出たとかじゃないのか?」
「一応、それも考えたんですけど、あの人って結構時間に厳しい人じゃ無いですか。三十分以上も戻ってこないなんて、ちょっと考えられないっていうか」
詳しく聞いてみると、そのデスクの持ち主は、突然席を立つと徐に口元を押さえ部屋を飛び出していったという。慌てて同僚が追いかけていったのを考えるに、急な体調不良なのだろうと気にも止めていなかったのだが、中々戻ってこない状況に次第に、後輩自身も不安を感じ始めたらしい。
「俺の作業、あの人の担当してる部分が終わらないと進まないんですよねぇ」
困ったなぁ。頭を掻きながら盛大な溜息を吐く後輩の顔に浮かぶのは疲労の色だ。
「追いかけていったって人も未だ戻ってきていないのか?」
「まだですね」
残業確定かなぁ。力なく呟き肩を落とす後輩に心配するところはそこじゃないと突っ込みそうだったが、自分だっておんなじようなものだ。後輩と同じ状況に置かれたら帰れない事を嘆く方に意識が向き、体調を崩した相手を心配する余裕も無くなってしまう可能性は非常に高い。
「誰か、引き継ぎ内容を聞いてる人が居るかも知れないだろう?」
後輩の嘆きを否定することは無く、厳しい言葉で諭すこともしない。その代わり、少しでも業務の遅れを取り戻せるようにアドバイスを出し行動を促す。
「彼女と同じチームの人に聞いてみますわ」
「そうしろ、そうしろ」
軽く肩を叩き活を入れてやると、手を振りその場を後にする。自分のデスクに戻る途中で改めて社内をゆっくり見渡してみれば、何故だろうか。午前中に見たときよりも空席が目立つような気がして気持ち悪い感覚に囚われてしまった。
「今日って、こんなに休んでる人が多かったっけ?」
声に出して吐き出した疑問。それが頭にこびりついて離れていかない。自分の席に戻り止めていた作業を再開させるのだが、どうしても先ほど感じた疑問が気になり集中力に欠けてしまう。
結局、就業時間になるまで例の人が戻ってくることは無く、後輩は残業が確定してしまったようで。同じように集中力を欠いた自分も、作業の遅れを取り戻すためにと残業をする羽目になってしまった。
「ちょっと待てよ! 楽しむってどういうことなんだよ!!」 確かに。誰かが言ったその言葉に同意し、無意識に頷いてしまう。 そもそも、この世界に来てまだ間もない上に、この場所以外にどんな場所があるのかの説明も全く無い状態で、何をどう楽しめば良いのか皆目見当もつかない。それに、これから何をさせようとしているのか、相手の目的が何なのかという部分も分からないのだから、素直に「はい、分かりました」と答える方が難しいだろう。『それについてはこれから説明するんで、少々お待ちを』 そう言うと、ライは指を鳴らして背後のモニターに写る映像を切り換える。『まずは。みんな、自分の利き手の手首をよーく見てくれないかな?』 何を言っているんだと思いながらも、取りあえずは素直に右腕を持ち上げ手首を見てみることにする。「なん……だ……? これ……」 さっきまでこんなものあっただろうか? 覚えの無い奇妙な二つの数字。それが自分の手首にあることに気が付き嫌そうに表情を歪めると、それを察したかのようにライが口を開いた。『みんなの手首には二つの数字があると思う。それが確認できた人は挙手して欲しい』 何だか気味が悪い。そう思っているのは自分だけではないだろう。それでも、一人、また一人と上がり始めるいくつもの手。誰かが上げれば、他の誰かも手を上げる。そうやって少しずつ手で作られた花畑が広がっていき、最後の一人の手が上がったところでライは満足そうに手を叩く。『無事に全員の手首に数字が出ていることが確認出来たので、次の説明に移ろうかな』 そう言いながら再びモニターを指さすと、そこに表示されている手首のイラストを丸で囲みながらミラへと託す説明のバトン。『この数字についてざっくり説明するんだけど、上に表示されている数字は、皆さんに割り振られたユーザーナンバーになってまーす。この数字は完全にランダムで、規則性は全くありません。なので、数字はあくまでも名前の代わりとしての機能しか無く、数字自体に意味なんて無いからね〜』 ユーザーナンバー。そう言われて数字を改めて見てみる。「889560」 自分の手首に現れている数字は8・8・9・5・6・0という六桁の数字。一見すると本当にどういう基準で割り振られているのか理解が出来ない。足してみたら分かるのだろうか。それとも引いてみるべきか? はたまた掛け
喋りっぱなしになっているミラに比べて、ライというキャラクターは随分と口数が少ないようだ。どうやらこの二つのキャラクターは、ミラが話をリードする側で、ライがそのサポートを行う側と役割が分担されているらしい。『何故かって言うとぉ、皆さんが望んでいた別次元の世界へご招待されましたってことだからだよ〜!』「え?」 突然降って湧いた異世界転生というフラグ。 いや。実際には異なるに世界転生したというよりは次元間を移動しているという方が正しいのかも知れない。ただ、この現象がとても非常識なものであるこということだけは考えなくとも直ぐに分かった。「別次元の世界って何なんだよ!」 どうやら同じように思っている人間は自分だけでは無いらしく、明らかに広がる動揺が波状効果として場を満たすと、そこかしこから上がり始めるのは悲鳴だった。「一体どういうことなんだ!!」「訳が分からないわ!」「いやああああ!! 出してぇえええっっ!!」 そこかしこから上がる言葉は様々だが、共通して言えることは今の状況を素直に受け入れるのが難しいということだろう。「お母さああああんんっっ!!」「やだぁ……帰りたいよぉぉ……」「ふざけんな!! 馬鹿なことを言うんじゃ無い!!」 次第にエスカレートしていく泣き言や暴言の激しさ。まだ説明も不十分な状態で引き起こされているパニックが、感染症のように人から人へと伝わっていく。そうやって爆発的に重なり合う反響が、大きなうねりとなりホール全体を飲み込んでいく。『ストォーーーーーーッッップ!!』 だが、その波が溢れて止まらなくなる直前で、スクリーンから大きな声が響き暴走を止める。『混乱しちゃうのは分かるけど、まーだ説明の途中だよー。あ・せ・っ・ちゃ・だーめでーすよー!』 一瞬にして場を支配する静寂。そこに居る全員が瞬間的に口を閉ざし、巨大なスクリーンへと視線を向ける。暫くはそうして誰も言葉を発する事の無い時間だけが流れていくのだが、その間にもスクリーンの中では、男女二人のキャラクターがそこに居る人達の様子を確認するように時折指を差しながら何かを相談しているようだ。『多分、先にそれ説明しちゃわないと駄目じゃないかな?』『そっかぁ。じゃあ、そうしようかな』 理解出来ない二人だけの会話の詳細は不明。それでも、一端区切りが付いたらしく、パチンという
「……げっ」 確率の変動は無し。確定したレアリティの排出は見た目通りのもので、無意識に零れたのは落胆を表す一言。 始めの十回では残念ながら、最高レアリティのキャラクターを獲得する事は出来なかった。 気を取り直してもう一度。チュートリアルを進めて手に入れたアイテムと、メールアイコンに来ていたアイテムの残りを足して同じように十連を回すが、二回目も一つ下のレアリティまでが確定され最高キャラが来る気配はない。「くそっ!」 キャラ獲得が可能な期間はまだ二週間と余裕があるが、その二週間の間中、ゲームを普通にプレイして手に入れることが出来るアイテムで、確実にキャラが手に入るという保障がないのは悩み所。「うぅ……」 そこで頭を過ぎる嫌な文字。やってしまえという悪魔の囁きと、それは駄目だという理性の引き留めが膠着状態で時間だけが過ぎていく。「……ふぅ」 リセットマラソンをする事も考えたが、メールアカウントがユーザー情報と紐付けされているため、それも現実的には感じられない。無駄な労力を費やすくらいなら、社会人の都合を使って確実性を得た方が堅実的だ。「よし!」 色々悩んだ末に下した決断はというと、残っているアイテムでキャラを獲得できるのかを試すということだった。これでも駄目だったら諦めて、素直にアイテムを購入しよう。そう覚悟を決め三回分だけボタンを押していく。 一回目は最低レアリティの色演出。 二回目も同じ色で顔に浮かんだ渋い表情。 もう後が無い三回目。「……え?」 ここに来て初めて見る色が現れ、昂ぶる気持ち。祈るように両手を握ると、神頼みの言葉を繰り返しながら結果が出るのを待つ。完全に高レアリティ排出の色だと確定すれば、後はキャラのビジュアルを確認するだけ。もう少しでお目当てのキャラとのご対面が訪れるかもしれない。そのことに喜びを感じる心の準備をし始めた瞬間だった。「いっ……」 突然襲われる激しい頭痛。 目も開けられないような鋭い痛みに、頭を庇うようにして蹲り呻き声を上げる。それでも結果が気になり無理に瞼をこじ開け見た画面。涙に滲む視界の先には、虹色に輝くシルエットが楽しそうに手を振ってはしゃいでいる。「なんっ……で、こんなっ……」 そこで鳴ったのは携帯端末に設定していたアラーム音だった。 午前、零時。 また、この時間がやってきた。 昨
ゲームに没頭している間は良い。現実で起こる嫌なことを簡単に忘れてしまえるからだ。 出来る事なら目の前の、仮想現実が現実になれば良いのに。 最近流行りの異世界転生なんて都合の良い話、起こるはずが無いと分かっていても無意識に願ってしまうのは、そんな突拍子も無いことである。 実際は、そんな世界に放り込まれたらきっと、直ぐにゲームオーバーになりブラックアウトをしてしまうだろう。何度失敗してもやり直せる状況というものは、その世界が意図的に作り出された幻のだからこそ成立する条件でもある。たった一度しかない現実という場において、そのような都合が良いことは起こるはずも無い。仮に仮想現実が現実になった場合、それがリアルに変わった瞬間に、設定されていたご都合主義が一気に消えて無くなる可能性は高い。ただ、それを分かっていたとしても、一度はそこへ逃げ込んでみたい。そう考えてしまうほど、追い詰められているのが今の状態で。それに気が付きどうしようも無くなった瞬間、思わず笑いが込み上げてしまった。「っっ!」 目の前に迫る脅威。反射的に取った行動により大きく振った右手が、勢いよく机の角へとぶつかり思わず声が出てしまう。「くっそ!」 当てた場所が悪かったのだろうか。 手の甲についた小さな擦り傷。皮膚が破れた場所から逃げ出すようにして、ゆっくりと赤い染みが広がっていく。視覚的にそれが【傷】だと認識すれば、患部に広がる鈍い痛み。傷自体は決して大きくも、深くも無い。それなのに、確かにそれは【痛い】んだと言う事を思い知らされる。「あっ!」 聞きたくない音。別のことに気を取られている間に表示された文字は、操作キャラクターが行動不能になった事を知らせるものだ。「マジかよ……」 怪我のせいで移った意識。直前まで行っていた作業は完全に止まり、視線が画面に戻るまで時間がかかる。その間に続いているのは戦闘状態を知らせる音楽で、攻撃が当たる度に操作キャラクターが呻き声を上げダメージが蓄積していく。「あっ!」 最終的に耳に届いたのは、一番聞きたくないと思っていた効果音。別のことに気を取られている間に表示されている文字は、操作キャラクターが行動不能となった事を知らせるものである。「マジかよ!?」 ここまでのプレイ時間は決して短いものではない。リリースされたばかりで改善点が多いアプリのため、
そうやってどれくらい意識を失っていたのだろうか。「次は、…………」「っっ!!」 耳が捉えた音に驚き目を見開いて飛び起きる。「…………です。…………です。お出口は右側です」 駅の名前を聞きそびれてしまったたため、一瞬どこに停車するか分からず酷く焦ってしまう。だが、幸いにも停車駅などを表示するために設置されている車内ディスプレイを見れば、現在の運行状況を確認することは可能なことを思いだし、慌てて視線をディスプレイへと向ける。目的地が次の停車駅であることを理解すると、膝の上から滑り落ちそうになっている鞄を抱えて急いで立ち上がった。「……はぁ、はぁ……」 別に駆け足になる必要は無かったはずだ。それなのに逃げるように飛び出したホームで大きく揺らす肩。後から降りてきた同駅の利用者は、こちらの行動を訝しげに眺めながら警戒するように脇を通り過ぎていく。「…………」 変な人だと思われたのだろう。何となく、それが分かって気持ちが落ち込んでしまう。「早く……帰ろう」 何だか。今日一日で物凄く疲れてしまった。 帰宅途中で近所のコンビニへと寄り道をし、珍しく手に取ったアルコール飲料。業務の忙しさからか、滅多に飲む機会のないそれに付け合わせる食べ物を幾つか物色し、レジへと並ぶ。「ん?」 いつもならば。この時間は顔馴染みのバイトが、カウンターの向こう側に立っているはずだった。「あれ?」 しかし、何故か今日に限って初めて見る中年の男性が作業を進めている。「ポイントカードなどはありますか?」 言われて携帯端末からアプリを表示し、バーコードを提示して読み取って貰う。向かい側の男性の胸元にあるネープムレートには店長という言葉。「料金は…………になります」 先程表示していたアプリから支払い用の決済アプリに切り替え、もう一度提示した携帯端末。「あの」「はい?」 幸いにも、現在のレジ作業は自分が最後の客のようで。後続がいないことを確認してから口にしたのは、先程感じた疑問についてだった。「今日は、いつものバイトの人じゃないんですね」 その言葉は、特に意味があって聞いたものではない。「はぁ」 何故それを気にするのかと男性は眉間に皺を寄せるが、取り繕うように「何回か話したことがあるもんで」と言葉を濁すと、特に警戒することも無く疑問に答えてくれた。「体調を崩
「お前のせいだぞ。分かってるよな?」 目の前で食欲をそそる匂いを漂わせているのは、大盛の牛丼である。「俺、別に悪く無いですよね?」 隣に座る後輩の前にも同じように大盛の牛丼が鎮座している状態で。彼素早く箸を取ると、備え付けの紅生姜に手を伸ばしながら言われた言葉に反論を返してきた。「お前が気になること言うから、作業が全然進まなかったんだよ」 自分が理不尽なことを言っているのは分かっていた。それでも愚痴を零してしまうのは単純に、蓄積した疲労と解決しない悩みが残り続けているからだろう。「そんなこと言ったって、勝手に気にして作業出来なくなったのは先輩じゃないですかぁ」 頂きますの言葉を合図に始まる遅めの夕食。どうせお互い帰宅しても家に一人きりなのだ。食事を作る気力も無いのだからと向かったのが駅前にあるチェーン店で。普段は無い大盛無料を謳ったのぼりがあるなと思ったら、どうやらこの場所に店舗を開設して今月で一周年になるらしく、店頭で宣伝しているとおり『今だけお肉増量中』といった抗いがたい誘惑に負けたことで、気が付けば二人とも食券が手に握られていたというわけだ。「俺だって被害者ですよ」 口を尖らせながら刻まれた真っ赤な薬味を掴んで行ったり来たり。薬味トングで掴む量は決して少ないものではないのに、どんぶりに放り込まれていく量は自分の手元の物よりも明らかに多く乾いた笑いが零れてしまう。 それから暫くは、特に会話も無く黙々と食事を続けていく。確かに美味いと感じているはずなのに何となく感じる例えようのないえぐみ。噛み砕いた食べ物が喉を通る度、身体がそれを受け入れる事を嫌がり拒絶を示す。「母さんの作ったもん、久し振りに食べてぇなぁ……」「ホームシックですか?」 「まぁ、多分?」 自ら腕を振るわなければ味わえない故郷の味を思い出し、無意識に出たのはそんな一言で。どれだけ色んな料理を食しても、結局落ち着くものは慣れ親しんだ味なのだと言うことを思い知らされ気持ちが落ちていく。 「お店とかじゃ駄目なんですよね?」 先に完食してしまった後輩は暢気にお茶を啜り一息吐いたところで、こちらの食事が終わるのを待っている状態だ。 「店に行っても結局、味付けはこっちに合わせてるだろうからやっぱり違うんだよな」 今年は有給を使って、一度地元に戻るかなんて。「な、なぁ……」「何で