第29話 盗賊と呪われた村

「橋、壊れちゃってますね……」

目の前に広がる大きな橋は、もはや原型を留めておらず、崩れた木材が川へと無惨に垂れ下がっていた。

「ちょっと待ってくれ、俺が橋を架けよう」

そう言って前に出ようとしたシイナさんを、ミストさんがさっと手で制する。

「いやいやっ！！ シイナくん！ ここは私の出番ですよっ！」

得意げに笑った彼女は、ポケットから小さな薬剤を取り出すと、川面へ向けてすっと手を伸ばした。その手先から、微かに光がにじむ。

（……なにをしてるんだろう？）

よく分からないけど、ミストさんは満面の笑みで宣言した。

「これで大丈夫！ さぁ、渡りますよ！」

そのまま軽やかに、彼女は水面へと一歩踏み出す。

「えっ！？ 沈まないんですか！？」

思わず声を上げた次の瞬間──彼女の足元には、しっかりと“道”があった。水の上を、にこっと笑いながら歩いていくミストさん。

「なるほど。水を凝縮して、固めたのか」

シイナさんが感心したように頷き、続くように川へ足を伸ばす。

「うはーっ！ おもしれぇな！！」

グレンさんは大はしゃぎで、水の上をぴょんぴょんと跳ねながら進んでいく。

「ふむ。面白いですね」

シオンさんは変わらぬ無表情で、まるで浮かぶ影のように静かに渡っていった。

私も、みんなのあとに続いて、水の上に足を乗せる。

──ぐにゅっ。

「わぁ……不思議な感覚ですね……！」

ゼリーみたいな弾力と、ひんやりした感触が足裏から伝わってきた。なのに、沈まない。不思議で、でも心地よい違和感だった。

＊＊＊

メモリスまでもう少しという頃。

……ｶﾞｻｶﾞｻｯ。

道脇の茂みが揺れて、六人ほどの集団が姿を現した。全員が顔を隠しており、どこか殺気立っている。その格好と動きは、まさに──盗賊。

「お前ら、ちょっと大人しくしてもらうぜぇ！！」

叫ぶと同時に、彼らは一斉にこちらへと飛びかかってきた。

でも──当然。

＊＊＊

シイナさん、シオンさん、グレンさん。前に出た三人が動いた瞬間、事態は決着していた。もはや“戦い”とは呼べないほど、一瞬の出来事。

「で？ どうして私たちを襲おうとしたんですか？」

トンファーを構えたまま、シオンさんが淡々と問いかける。

「え……いや、その……ほんの出来心でして……」

しどろもどろな返事のあと、静かな笑顔のまま──シオンさんが、隣の木をトンファーによる一撃で砕いた。

（シオンさん……笑ってるけど、目が全然笑ってない……！）

「なんですって？」

その一言で、盗賊たちの顔が一斉に青ざめた。

「おい……もうダメだ。話しちまおうぜ……」「だ、だが……」

小声で交わされるやり取りに、私はふと胸の奥で何かが引っかかる。

──言いづらい事情があるのかもしれない。直感的に、そう感じた。

「なにか……困ってることがあるんじゃないですか？」

私はそっと彼らに歩み寄り、しゃがみ込みながら静かに問いかけた。

少しの沈黙のあと、彼らはぽつりと口を開く。

「実は……この近くに村があるんだ。でも……呪われちまってさ。昔はミルクが名物の村だったんだけど、今じゃ採れなくなっちまって……村の人たち、みんな困ってるんだよ」

「そんな……」

「でも、なんでそれで俺たちを襲おうとしたんだ？」

シイナさんの問いに、盗賊のひとりがうつむいたまま、言葉を続ける。

「メモリスが近いだろ？ だから……いらない記憶をちょっと分けてもらって、それを売って、生活費にしようって思ったんだ……」

「…………なるほどな。」

「気持ちは分からないでもない。でもな、記憶というのは──人にとって、かけがえのないものだ」

シイナさんは一呼吸おき、静かに言葉を紡ぐ。「それを脅して奪おうとするのは……感心しないな」

（っ……！このままじゃダメだ…！）

「シイナさん」

私は彼の瞳をまっすぐに見つめながら、ゆっくりと口を開いた。

「その呪われた村に寄っても……いいでしょうか？」

事情を聞いてしまった以上、見過ごすなんてできなかった。それに──私なら、きっと何とかできる。自分に、そう言い聞かせるように心の中で呟いた。

私の言葉に、シイナさんは少しだけ肩をすくめ、「仕方ないな」とでも言うような優しい表情で、仲間たちへと視線を送る。

「……他の三人は？」

「異議はありませんっ！！」

ミストさんが元気よく手を挙げた。

「呪われた村ねぇ……そんな辛気臭い空気、俺が吹き飛ばしてやるぜ！！」

「かまいません」

シオンさんの返事は、いつも通りに落ち着いていた。

それだけで、もう十分だった。みんなが、私の気持ちを汲んでくれた。そのことが、何よりも嬉しかった。

「ありがとうございます！」

そんな私たちのやりとりを、盗賊たちはぽかんとした表情で見ていた。

私はそっと彼らの前にしゃがみこみ、穏やかに言葉を告げる。

「私は聖女見習いです。呪いへの対抗策があります」

「な、なんだって……！？」

村人たちの目が大きく見開かれる。驚きと、ほんの少しの希望が、その表情に滲んでいた。

「お、俺たちは……そんな人を襲おうとしちまったのか……」

呆然とうなだれるその姿が、まっすぐ胸に刺さった。

（仕方ないよね……記憶を奪うことは許されない。でも、きっとそれしか道がなかったんだ）

「ひとまず、村へ案内していただけますか？」

私は静かに言って、腰の短剣を抜いた。一閃。盗賊たちの手首を縛っていたロープが、あっけなく断ち切られる。

「す、すまなかった……」

「罪を償うべきですが、今は──急ぎましょう」

＊＊＊

そして、私たちは案内されるままに、“呪われた村”へと足を踏み入れた。

……目の前に広がっていたのは、想像をはるかに超えた惨状だった。

崩れかけた屋根、砕けたままの窓。瓦礫の間からは、か細い子どもの泣き声が聞こえ、遠くで誰かが、弱々しくうめくような声を上げている。

足を一歩踏み出すたび、空気が重たく肌にまとわりついてくる。湿った土の匂いと、染みついた絶望が混じり合って、息が詰まりそうだった。

「……これは、酷いな……」「なんだァ……こりゃあ……」

シイナさんも、グレンさんも、顔をしかめている。シオンさんとミストさんは、何も言わずに立ち尽くしていた。

私だってそう。……まさか、ここまでなんて。

（エレナ。この村は、相当深く呪いに蝕まれている。君に……対処できるか？）

（うん。私は──聖女なんだ。絶対に、なんとかしてみせる）

その時だった。「み、みんなー！！」

案内してくれた村人が、村の中央へと駆けていく。

「聖女様が来てくれたぞ！！ これで村は……村は助かるぞ！！」

その叫びが空気を揺らし、戸口から人々がゆっくりと顔を出す。病人を抱え、足を引きずるようにして、こちらへと歩み寄ってくる。

その視線が、すべて私ひとりに注がれていた。

胸元の布を、ぎゅっと握りしめる。

不安が、冷たい波のように胸を打つ。

（……正直、怖い。こんな大規模な呪い、見たこともない）

でも、この人たちの目が、私を信じてる。希望を託してる。

その想いを、裏切るわけにはいかない！

私は目を逸らさなかった。

「初めまして。私はベルノ王国教会の聖女……エレナと申します」

ひと呼吸置いて、しっかりと言い切る。

「皆さんの呪いを──必ず、私が祓います」

その声に、震えはなかった。私は一歩前へ出て、まっすぐ村人たちを見つめた。