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エレナの視点 ────── ラムザスさんと別れた後、私は一人、メモリスの大通りを歩いていた。 陽光を浴びて輝く白亜の街並みは、まるで神々が住まう都のよう。けれど、そのあまりの美しさが、かえって人々の会話の歪みを際立たせていた。 「ねぇ、あの劇場でやってる『堕ちた英雄の物語』、もう観た!?」 「もちろん! 処刑される瞬間の絶望の記憶、最高だったわ!」 「前に買った『幸せな家庭の記憶』がすごく良くてさ……。だから今度は、もっと刺激的な裏切りの記憶が欲しいんだよな」 「わかる〜! 私は大魔法使いの『属性を上手く操るコツ』を探してるの。ちょっと高いけど、自分へのご褒美ってことで!」 街ゆく人々は、みんな笑顔を浮かべている。 でも、その笑顔はどこか借り物みたいに見えた。他人の人生を切り売りした記憶を消費して得た、束の間の高揚感。 この街の人たちにとって、記憶の売買はもう……食事や呼吸と同じ、当たり前の日常なんだ。 その事実が、ただ歩いているだけで、痛いほどに伝わってくる。 (…………。) エレンは、ラムザスさんと別れてからずっと口数が少ない。意識を代わってくれた後も、彼の心の中から感じるのは、静かで、氷のように冷たい怒りの感情だけだった。 きっと……彼が言ったように、この街の仕組みそのものに、強い嫌悪感を抱いているんだと思う。 そんなことを考えながら歩いていると、突然後方から、やけに芝居がかった声が飛んできた。 「そこの可憐なお嬢さんッ!!!」 (……ん? まさかね) もちろん、私が呼ばれたなんて微塵も思わない。この街には、私なんかよりずっと綺麗な人がたくさんいるんだから。絶対、私の後ろを歩いている人のことだよね。 そう思って真っ直ぐ歩き続けていると、目の前にひょいっと人影が躍り出た。派手な色合いの服を着た、少し目つきの鋭い男性が、私の行く手を塞ぐように立っている。 「ですから、あなた様のことですよ! 可憐なお嬢さん!」 「あっ……! えっ!? わ、私だったのですか!?」 「はっはっは! あなた様ほど可憐な方を、私は他に存じ上げませんとも!」 大げさな身振り手振りで、男は楽しそうに笑ってみせる。 (いやいやいや、そんなわけないでしょ! 普通、私のことだなんて思わないよ!) (自分の姿を鏡で見たことがないのか。その無自覚さこそが、ある意味では最大の武器かもしれんな) なんて、エレンまでもが心の中で呆れたように呟くのが聞こえる。 「お嬢さん……! どうか、この私をお助けくださいませんか……!」 男は突然、この世の終わりのような悲壮な表情を作って、私にぐっと迫った。 (た、助けを求めてる……? なにか本当に困っているのかな……) (待て、エレナ。見ず知らずの男だ。不用意に手を貸すべきではない) エレンの冷静な警告が響く。でも、目の前で誰かが助けを求めているのに、見過ごすなんて、私にはできない。 「あの……私に出来ることであれば、お力になります」 (……はぁ。それが君の美点であり、最大の弱点でもあるな) エレンの深いため息が、心の中に響いた気がした。 「おお! 本当ですか!? まるで慈悲深き女神様のようだ……!どうかこちらへ……!」 男はぱあっと顔を輝かせ、私の手を取らんばかりの勢いで促す。 彼に導かれるまま、私は大通りから一本外れた、少し薄暗い路地へと足を踏み入れた。 (……警告はしたからな、エレナ) (ちょ、ちょっと怖いこと言わないでよ……! きっと、大丈夫だってば!) *** ……どうして、こんなことになってしまったんだろう。 私は今、かつてないほどに自分の浅はかさを後悔していた。 薄暗く、少しカビ臭い店の裏部屋。目の前では、先ほどの男性――この酒場のマスターが、土下座せんばかりの勢いで頭を下げている。 そして、彼の隣の椅子には……。 (な、なに、これ……) 置かれていたのは、黒い光沢のある生地に、白いふわふわの襟とカフスがついた、衣服とは到底呼び難い何か。おまけに、頭につけるらしい、ぴんと伸びた兎の耳までちょこんと添えられている。 「こ、これが……私がお手伝いする時の、衣装……ですか?」 「はい! これは、ある異邦の旅人さんの記憶にあった『伝説の給仕服』でして! この『ばにーがーる』という服装には、客を呼び寄せ、店を繁盛させるという、それはそれは不思議な力があると……!」 マスターは必死に力説しているけれど、私の頭には全く入ってこない。 伝説の給仕服……? これが……? (…………ふふっ) 不意に、頭の中でエレンの押し殺したような笑い声が響いた。 (今、笑ったでしょ!?) (いや?) (絶対笑った! ひどいよ、エレン! こんな時に!) 唯一の味方であるはずの彼にまで笑われるなんて! (うわぁぁぁ! こんな恥ずかしい服を着てお酒を運ぶなんて、聞いてないよぉぉぉ!) (だから、不用意に手を貸すべきではないと言ったんだ) (うぅ……もう無理だよぉ……エレン、お願い、代わって……) (構わんが) 一瞬、希望の光が見えた。けれど、彼の次の言葉が、私を絶望のどん底に突き落とす。 (この格好で、私のようなつまらない者が給仕をしたところで、客が喜ぶとは思えんな。むしろ、店を叩き出されるのが関の山だろう) (そ、そんなぁ……) 彼の言う通りだ。この服は、こういうのが似合う、可愛らしい人のためにある。私なんかが着ても似合わないし、ましてやエレンが出てきたら、お店が潰れる前にマスターが卒倒しちゃう……! こうして、私の全ての逃げ道は、完全に塞がれたのだった。 *** そして、現在。 「へい、お待ち! ビール二つな!」 威勢のいいマスターの声に、私は「ひゃい!」と裏返った声を上げながら、ぎこちなくお盆を持ってテーブルへ向かう。 黒いハイヒールは慣れないせいで生まれたての小鹿みたいに足が震えるし、何より、四方八方から突き刺さる視線が痛い! 痛すぎる! 恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。 (まずいな。あのテーブルの二人組、酩酊レベルが高い。最短距離で接近し、酒を置いたら即座に離脱しろ) エレンの、やけに冷静な戦術分析が脳内に響く。 (今の歩き方、重心が高い。もっと腰を落とせ。不測の事態に対応できん) (は、はいぃ……!) 私は涙目になりながら、言われた通りに少しだけ腰を落とす。けど、そんな動きが逆に注目を集めてしまった気がして、もう本当に泣きたい。 (エレナ、右後方45度から強い視線。おそらく品定めだ。気にするな。だが、決して死角には入れるな) (ひ、ひぃっ……!) もう無理、もう無理だよエレン! 私は心の中で絶叫しながら、なんとかビールをテーブルに置く。その瞬間、酔客の一人がにやにやしながら私に話しかけてきた。 「よう、嬢ちゃん! 新人か? なかなかいいじゃねぇか!」 「あ、あぅ……あ、ありがとうございます……!」 (返事をするな。会釈だけでいい。下手に会話を続ければ、拘束時間が延びるだけだ) (で、でも、無視するわけにはいかないじゃない!) 私が頭の中でエレンと無言の攻防を繰り広げていると、客の男がさらに身を乗り出してきた。 「なぁ、姉ちゃん、この後――」 その、時だった。 (――今だ、エレナ。奴の注意が完全に君に向いている。その右手に持つトレイの角で、奴の眉間を狙え。一撃で沈黙させられる) (そんなことできるわけないでしょぉぉぉぉぉ!!!) 私の心からの絶叫が、エレンに届いたかは分からない。 ただ一つ確かなのは、このメモリスでの悪夢のような夜は、まだ始まったばかりだということだった。へレフィア王国へ向かう船旅は、驚くほど穏やかだった。海は陽光を受けて宝石のようにきらめき、波は柔らかく船体を持ち上げては下ろす。その規則正しい揺れが、心臓の鼓動と重なって、妙な安心感を与えてくれる。潮風は冷たく、けれど鼻を抜けるとどこか甘さを含んでいて、これから訪れる新しい土地の匂いを運んでくるかのようだった。しばらく進むと、視界の先に大きな船影が現れる。白銀の装飾をまとい、陽を浴びて輝くその姿は、海の上を行く巨大な聖堂のよう。あれが、へレフィア王国の騎士団の船――。私たちの船が近づくと、操舵手さんが甲板に立ち、胸を張って声を張り上げた。「騎士団の皆さん! お疲れ様です!」その呼びかけに、鎧を着込んだ騎士が姿を現す。鉄靴が甲板を打つ音さえ、威厳を帯びていた。「お疲れ様でございます。……そちらの方々は、見ぬ顔のようですが?」「彼らはナヴィス・ノストラのギルド受付嬢の推薦を受け、へレフィア王国へ向かっているところです!」操舵手さんが誇らしげに言うと、騎士団の人たちは一瞬だけ視線を交わし、そして私たちに柔らかな笑みを向けてくれた。「なるほど。あの方の推薦であれば、何も問題はございません。――へレフィア王国への上陸を許可します」(やっぱり……エレン、あの受付嬢さん、すごい人なんじゃない?)(ああ。ギブソンにも物怖じせぬ胆力、そして王国騎士団すら動かす信頼。ふむ……市井に埋もれさせておくには惜しい人材だ)エレンの声が、少しだけ感心を含んで響く。私は胸の奥で頷き、改めて、あの受付嬢さんに助けられたことを深く感謝した。「では、失礼します!」「皆様も、王国で実りある日々を」騎士の言葉に見送られ、船は再び速度を上げる。風が強まり、白い飛沫が甲板に散った。***やがて船着き場が近づき、仲間たちは次々と下船していった。私は最後に、木の板を踏みしめて石畳の港へ降り立つ。潮の匂いに混じって、どこか清冽な空気が流れ込んでくる。深呼吸すると、胸の奥に冷たさと同時に清らかな熱が広がるようだった。顔を上げた瞬間、言葉が喉に詰まった。――空が、狭い。正確には、空を覆い隠すかのようにそびえる建物のせいだ。天を貫くほどの巨大な大聖堂。その壁はクリーム色に近い温かな白で築かれ、どこまでも高く伸びている。首が痛くなるほど見上げても、その頂は霞に隠れて見えない
**────エレナの視点────** いくつもの船が停泊する港町。その一角にあるギルドの内部で、私たちは今回の依頼の完了報告と、捕らえた海賊たちの引き渡しを行っていた。 「この度は……本当に、本当にすみませんでした……!」 カウンターの向こうで、依頼をくれたあの受付嬢さんが、深く深く頭を下げていた。その声は、申し訳なさで震えている。 「い、いえ!大丈夫ですっ!どうか、頭を上げてください……!」 私は慌ててそう言った。彼女が悪いわけじゃないのに、そんなに謝られるとこっちまで恐縮しちゃう。 「いえ……今回の不備は、完全に我々ギルドの不手際によるものです。まさか、あの『紅の海蛇』の内通者が、ギルド所属の操舵手に紛れていたなんて……」 「確かに、それはそちらの不手際だ」 今まで黙っていたシイナさんが、厳しい声でそう言った。ピリッ、と空気が少しだけ緊張する。でも、彼の言葉はすぐに和らいだ。 「だが、結果として依頼は達成できた。今後はこのようなことが無いよう、人員管理を徹底してくれればそれでいい」 「……お言葉もありません。そのお詫びと言ってはなんですが、皆様をへレフィア王国へ渡れるよう、こちらで手配いたします」 受付嬢さんの口から、思いもよらない言葉が飛び出した。 「な、なに!?それは本当だろうか!?」 シイナさんが、思わずといった様子で声を上げる。 「ええ。私、へレフィア王国の出身ですから。そのくらいの融通は利かせられます」 「きっと、明日にはへレフィア王国へと渡れるでしょう」 彼女はそう言って、少しだけはにかんだ。 へレフィア王国へ……。 その言葉が、私の胸に温かく染み渡っていく。 もうすぐ……もうすぐ、お母様に会えるんだね……。 ずっと張り詰めていた気持ちが、ふっと軽くなるのを感じた。 今まで、一度もへレフィア王国へいったこ (エレナ……二人で、君の母君に挨拶を済ませよう) エレンの、優しくて力強い声が響く。 (うん……) 私は、心の中で強く頷いた。 「そういえばなのですが」と、受付嬢さんが思い出したように付け加えた。 「あなた方が連れてこられた、ギブソンという海賊ですが……彼は船の器物破損、及びギルド所属船への無断乗船の罪で、現在、地下牢に幽閉中です」 (そ、そうなんだ……) あの人のことを考えると、正直、少
エレンがマリーたちを捕らえてくれた後、私たちは船内の物陰でそっと入れ替わった。荒れた甲板の中心で、マストに縛られている大海賊マリーさんと向き合う。さっきまでの喧騒が嘘のように、船の上は静かだった。 ふと、一つの疑問が浮かぶ。 「そういえば……他の海賊船はどうしたんですか?」 私の問いに、グレンさんがニカッと笑って答えてくれた。 「おう!俺が派手に一隻沈めてやった後、ギブソンの奴が潜って、もう一隻の船底に風穴開けてやったのさ!」 (そんな事になってたんだ……) エレンとマリーさんが戦っている間に、そんな激しい戦闘が繰り広げられていたなんて。グレンさんは、さらに得意げに言葉を続ける。 「残りの一隻は、シオンの奴が一人で静かに潰してたぜ」 「ああ。だが、最後の船は勝ち目がないと見て逃走した。……詰めが甘かったな」 冷静に補足してくれたのはシイナさんだった。それを受けて、ギブソンさんが吐き捨てるように言う。 「海賊なんてそんなもんさ。裏切りは日常茶飯事よ。どうせまたどこぞのバカと手を組むだけだ」 逃げた船もいるんだ……。でも、それよりも気になることがあった。 「あの、沈没した船に乗っていた海賊の方たちは……?」 (悪い事をした人達だけど……命が失われることは、やっぱり嫌だから……) 私の心からの祈りにも似た呟きに、エレンが優しく応えてくれる。 (そうだな。君のそういうところは、美徳だと思う) その時、ミストさんが「ご安心を!」とでも言うように、ぱっと明るい声を上げた。 「エレナさんが心配すると思って、全員きっちり捕獲済みですよ!」 (良かった……) ミストさんの言葉に、私は心の底からほっとした。 その声で意識が戻ったのか、マリーさんが呻きながら顔を上げた。 「くそ……この私が、こんな奴らに捕まるとはね……」 その悔しそうな声を聞き、それまで黙っていたギブソンさんがズカズカと彼女の方へ歩いていく。 「よォ、マリー。随分と派手にやってくれたじゃねえか」 「……ギブソンか。今更何の用だい」 「決まってんだろ。俺から奪っていったモンを、きっちり返してもらうだけだ」 ギブソンさんはそう言うと、どこからか取り出した巨大な斧をその手に構えた。危ない! 「待ってくれ!俺たちの依頼は海賊の掃討だ!捕まえたのなら命まで奪う契約ではない!
私は再び剣を構え、マリーへと踏み込んだ。「はっ!!!」踏み込みと同時に、刃を振り下ろす。「甘いな!!」マリーは後退しながら、あの奇妙な銃を私に向けて連射する。赤い宝石が、唸りを上げて空を切り裂いた。一発目を身を翻して避ける。二発目は背後の船のマストを盾にする。直後――凄まじい衝撃と共に、盾にしたはずの柱が内側から弾け飛んだ。木片が、雨のように降り注ぐ。「……!」私は目を細める。「柱を貫くか……!とてつもない威力だ」正直に認めざるを得ない。「当たったら耐えられんな」だが、脅威はその程度だ。「放つ武器と理解したら」私は、マストの残骸を蹴りつける。「そこまでだ」煙幕のように舞い上がる木屑の中から、私は飛び出した。予測通り、マリーは再び銃口をこちらへ向ける。引き金に指がかかる。しかし――もう遅い。迫り来る宝石の弾丸。私は腰に差していた短剣を抜き、その側面を叩き斬るように弾いた。甲高い音を立てて、弾丸は明後日の方向へと飛んでいく。海の彼方へと消えた。「はっ!??」マリーの目が、大きく見開かれる。「斬っただと!?」彼女の顔に、初めて純粋な驚愕が浮かんだ。その一瞬の硬直が――命取りだ。「隙を見せたな!!」一気に距離を詰める。風が、頬を撫でた。「そんなモノに頼っているからだ!!」がら空きになった胴体へ、容赦なく膝蹴りを叩き込む。「ぐぅぅ……!!」マリーは苦悶の声を漏らし、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。船の甲板を転がり、マストにぶつかる。だが――それでも体勢を崩しながら、執念で銃を向けてくる。二発、三発。赤い閃光が、立て続けに放たれた。「ふっ!!」一発目を剣の腹で受け流す。「はっ!!」二発目も同様に。巧みに軌道を変えてやった。狙いは――彼女が守るべき背後の部下たちだ。「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」仲間が放った弾丸に太ももを貫かれ、海賊が倒れる。「がぁっ……!!」もう一人も、肩を押さえて崩れ落ちた。その無様な光景を眺め、私は周囲の敵を見回す。「さぁ」剣を軽く振る。「お前たちも掛かってくるといい」挑発の言葉。案の定、効果は覿面だった。「くそ!!バカにしやがって!!」逆上した海賊たちが、やみくもに斬りかかってくる。素人じみた剣戟。力任せの振り下ろし。私はその全てを最小
ギブソンの怒号が、炎と煙の渦巻く甲板に響く。 「船の炎を消せぇぇぇぇ!!!」 だが、その声は空しく、火勢は衰える気配もない。状況は最悪だ。その絶望に追い打ちをかけるように、巨大な船影が波を割って迫る。その船首には、おぞましい蛇の紋様が彫られていた。 「ひゃひゃひゃひゃ!!! 俺たちに喧嘩を売るとは、馬鹿か!? しかも、そのザマじゃあ、海の上での戦いは素人のようだなァ!!」 敵船から飛んでくる下卑た嘲笑。その声の主を視界に捉えた瞬間、全ての状況が一本の線で繋がった。 「そういうことか……!あの操舵手め!!」 敵の甲板で不快な笑みを浮かべているのは、つい先ほどまで我々の船の舵を握っていた男だった。どうりで動きが鈍いと思った。初めから、我々をここに誘い込むための芝居だったというわけだ。 (つまり……さっきの人が情報を流してたから、孤島から姿を消してた…ってこと!?) エレナの驚きに満ちた声が、思考に割り込んでくる。私は内心の舌打ちを隠しながら、静かに肯定した。 (ああ……。そのようだ) 裏切り者は、隣に立つ屈強な女海賊へ向き直り、大声を張り上げた。 「姐さん!!! 大砲の準備、完了したぜ!!」 「よし……。――放て!!!!」 女――あの船団の頭だろう――は、短い命令を下す。無駄のない、冷徹な声だった。 「おい!!マリー!!いくらなんでもこれはひでぇだろうが!!!」 ギブソンが女の名を叫ぶ。知り合いか。だが、マリーと呼ばれた大海賊は、一切動じることなく言い放った。 「黙れカスめ……!お前たちにはここで死んでもらう」 あの瞳、あの声。交渉の余地はない。純粋な殺意だ。 「ちぃ!!」 覚悟を決めるしかない。この状況、予期すべきだった。 「やはり私が付いてきて正解だったようだな……!」 こうなる可能性を考えれば、戦力は一人でも多い方がいいに決まっている。私は即座に傍らのシオンへ指示を出す。 「シオン、頼みがある」 「わかりました……!して、何をすれば…!」 話が早いのは、何より助かる。 「私に、風属性を纏わせてくれ!私があの大海賊の元へ直接殴り込みに行く!」 「しかし、それは非常に危険では…いえ、あなたの強さは我々がいちばん知ってますね…!了解しました」 一瞬の躊躇の後、シオンは力強く頷いた。それでいい。頭を潰すのが、この状
**────エレナの視点────** こうして私たちは、「大海賊マリー」が潜むという孤島へと辿り着いた。 だが、ギルドの情報とは裏腹に、そこに人の気配は全くなかった。ただ、波に洗われ続ける古い桟橋と、中身のないまま朽ち果てた木箱が、過去に誰かがいたことだけを物語っている。 風すらも止まったかのような、不気味な静けさ。私とシイナさんは顔を見合わせ、肩をすくめて引き返すことにした。 (エレン……。ギルドの情報が、外れたってことなのかな?) (……いや。ギルドの情報網は常に的確だ。外れる時もあるだろうが、今回はそれとはどこか…違う気がするな。嫌な感じがする) 心の奥でエレンと囁き合った、まさにその瞬間だった。 ――ドンッ!! 船底から、海面そのものを殴りつけられたかのような衝撃が、船体を激しく貫いた。 腹の底まで響き渡る鈍い振動に、思わず息が止まる。 「えっ!?」 操舵室の方から、ギブソンさんの怒鳴り声が飛んできた。 「こ、こりゃあまずいぜ!!! 後戻りだ! せめて孤島へ戻れ!!」 何が起きたのかわからないまま、私たちが甲板に飛び出すと―― 視界の端から端まで、巨大な黒い影が、じわじわと海を埋め尽くしていくのが見えた。 「こ、これは…! 無理だ、いつの間にこんな…!」 シイナさんの声が、いつになく焦りを帯びている。 海は、もう逃げ場のない檻と化していた。 左右と背後に回り込んだ、四隻の海賊船。そして前方には、海面を押し潰すかのように迫る、一際巨大な旗艦。 黒布の帆は太陽の光を遮り、甲板を不吉な薄暗さに染め上げていた。 「っ…! いつの間にか、四方八方を完全に包囲されていますね……!」 シオンさんの落ち着いた声すら、冷たい緊張を孕んでいる。 その船影の間から、禍々しい旗が一斉に翻った。 赤地に、白い髑髏。海風が、血の匂いすら運んでくるような錯覚に陥る。 「おい!! 操舵手!! どうにか振り切れ!!」 再びギブソンさんの怒声が飛ぶ。 しかし、直後、彼の声が一瞬途切れた。 「ん!? おい!操舵手!? あいつ、どこへ行った……!?」 返事は、ない。 誰もいないはずの舵輪が、ギィ、と軋む音を立てて、ゆっくりと勝手に回っていくのが見えた時、私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。 「あっ…! み、みんな! 気をつけてっ!