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#55:聖女が眠る間に

Penulis: 渡瀬藍兵
last update Tanggal publikasi: 2025-08-10 11:32:46

 仲間たちがエレナを抱え、休ませるための空き家へ移したあと。

 広場には、先ほどまでとは別のざわめきが戻り始めていた。咳き込む声はまだ残っている。顔色も、決して良いとは言えない。それでも地面に座り込んでいた村人たちの背筋には、わずかずつ力が戻っていた。

 そこへ、荷を抱えたシオンが戻ってくる。

「戻りました……おや? 皆さん、エレナ様はどちらに?」

 買い物から帰ってきたばかりのシオンは、広場を見渡してからシイナたちへ視線を向けた。腕には、頼まれていた食材がまとめられている。

「エレナ様は、いま休憩中だ。だが……」

 シイナは答えかけて、周囲へ目を向けた。

 村人たちは、たしかに先ほどより動けるようになっている。完全に回復したわけではない。だが、倒れ込んでいた者が身を起こし、互いに肩を貸し合いながら呼吸を整えている。エレナの治癒が、彼らを死の淵から引き戻したのは明らかだった。

「……皆さん随分、調子が元に戻ったようですね」

 シオンも同じものを見て、静かに言った。

「でも、まだ完全じゃないんだと。外からの熱と内からの熱、それらを合わせて現状が解決するらしいぜ」

「なるほど。それでエレナ様は……」

「具材を頼まれてましたよね?」

 ミストが、シオンの抱えた荷へ目を輝かせる。

「ええ。シチューを作るみたいでした」

「シチューですか」

 ミストは両手を胸の前で合わせると、ぱっと顔を上げた。

「では、やれることは私たちでやっておきましょう!! この厨房の妖精こと、ミスト! 腕によりをかけてシチューを作りますよぉ!!」

「自ら厨房の妖精なんて大袈裟なことを言っているが……料理も計算だからな。ミストの得意分野だろう。任せる」

 シイナが短く頷く。

「オレはとりあえず薪を用意したから、焚き火を作ってくるぜ!」

 グレンもすぐに踵を返した。

 誰かが号令をかけたわけではない。それでも、役割は自然に決まっていく。シオンが食材を厨房へ運び、ミストがその横で腕まくりをする。グレンは村人たちの間を抜けて広場の中央へ向かい、シイナはその場に残って村全体の様子を見渡した。

 ミストは厨房へ入るなり、台の上に食材を並べた。

 動きは明るく、派手で、いつもの調子に見える。だが手元に無駄はない。野菜の泥を落とす。鍋の位置を決める。火加減を確かめ、器と水の量を揃える。その一つひとつが、あらかじめ答えを知っている計算式のように流れていった。

(たしか、歴代の聖女様は、生き物由来の食材に聖属性を練り込み、人々に振る舞って災いを払ったというお話がありましたね。恐らく、エレナ様がしようとしていたのはそれでしょう。であれば……)

 ミストの視線が、シオンの買ってきた具材を順に追う。

 ミルク。肉。大地から育った野菜。そして、それらを受け止めるための大鍋。

 村人たちを内側から温める料理。ただの食事ではない。エレナがそこへ聖属性を込めるつもりだったのなら、器はできる限り整えておくべきだった。

「よぉし……やりますよぉ」

 小さく呟き、ミストは包丁を取った。

 刃がまな板を叩く音が、軽やかに厨房へ広がる。野菜は大きさを揃えられ、肉以外の食材も次々に下処理されていった。鍋に火が入り、湯気が立ち、やがて村の冷えた空気に、やさしい匂いが混じり始める。

 一方、広場ではグレンが大きな焚き火の準備を進めていた。

 薪を組み、空気の通り道を作る。火が回れば一気に燃え上がるよう、太い薪と細い枝を交互に重ねた。炎属性の接続者である彼にとって、火を扱うことは戦うことと同じくらい馴染んだ動作だった。

 やがて、ぱちり、と乾いた音が鳴る。

 小さく生まれた火は、グレンの手元で勢いを増し、広場の中央に大きな赤い揺らめきを作った。村人たちが少しずつ近づいてくる。冷え切っていた手をかざし、肩を寄せ合い、炎の前に輪ができていった。

「よし、こんなところか」

 グレンは腰に手を当て、焚き火の具合を確かめる。

「皆さん……我々をお救いくださり、ありがとうございますじゃ……」

 年老いた村人が、震える声で頭を下げた。周囲の者たちも、それに続くように深く身を折る。

「へへ、気にすんなよ」

 グレンは照れくさそうに笑い、鼻の下を指でこすった。

「お礼は……そうだな。エレナが起きたら言ってくれ」

 その頃、シイナはひとり村の中を歩いていた。

 倒れた村人の様子。家畜小屋の位置。井戸、畑、通りの土、家々の扉。視線が一つひとつを拾い上げる。治療と食事と焚き火は、いま仲間たちが進めている。ならば彼が見るべきものは別にあった。

 この事態が、なぜ起きたのか。

「……俺たちを案内した男たちは、仕事で留守にしていたと言っていたな」

 シイナは足を止めずに呟いた。

「そして、その後戻ってきても感染している様子はない。疫病の類なら、接触や滞在で広がっていてもおかしくないはずだ」

 病が人から人へ移るものなら、村の外にいた者たちだけが無事で、戻ってからも変化がないというのは不自然だった。村人の大半に症状が出ている以上、原因はもっと村全体に共通するもの。

「……つまり」

 シイナの足が止まる。

 そこは、村の井戸の前だった。

 ✦ ━━━━━━━━━━━━━━ ✦

  それから数時間。

 薄い布の匂いと、磨かれた木の香りが混じっている。静かな部屋だった。外からは、遠く人の声が届いてくる。慌ただしさはある。けれど、先ほどまで村を覆っていた切迫したざわめきとは違っていた。

「……うっ」

 エレナは布団の上で、ゆっくりと瞼を開いた。

『目が覚めたか』

 すぐに、内側からエレンの声が届く。

『……エレン。私……』

『……今は休め』

 短い言葉だった。

 けれど、その一言で余計な説明は断ち切られた。エレナは布団に手をつき、ゆっくりと身を起こす。

 視界に入ったのは、まるで新築のように整えられた室内だった。埃っぽさはなく、床板も壁も丁寧に拭き上げられている。古い空き家だったはずの場所は、誰かが全力で手を入れたのだと分かるほど、清潔な空気に変わっていた。

 その傍らで、シオンが椅子に腰かけて本を読んでいる。

 ページをめくろうとしていた指が止まった。エレナが目を覚ましたことに気づくと、シオンは音を立てないように本を閉じ、静かに顔を上げる。

「お目覚めになられましたか。お身体の方はいかがですか?」

「シオンさん……。村の人々は……?」

 自分のことより先に、エレナの視線は扉の向こうへ向いた。

 シオンはその様子を見ても、咎めるような言葉は置かなかった。ただ、いつもの丁寧な声音で答える。

「皆さんが協力して、いつでもあなたが続きを再開できるように整えていますよ」

 そう言ってから、シオンは一度、浅く頭を下げた。

「失礼します」

 細い指が、エレナの額へそっと触れる。

 触れ方は驚くほど慎重だった。割れ物を確かめるようでもあり、戦場で負傷者の状態を見極めるようでもある。ほんの数秒ののち、シオンは手を離した。

「……熱は、ありませんね」

「だ、大丈夫ですよ」

「そうはいきません。魔力を急に消費すると、体外にも影響が出る場合がありますので」

 シオンは静かにそう言うと、懐へ手を入れた。

 取り出されたのは、小さな包みに入ったキャンディだった。指先に乗せられたそれは、光を受けて控えめに艶めいている。

「どうぞ。疲れた時には甘いものを。私がよく口にしているものですので、お口に合えば幸いです」

「ありがとうございます……」

 エレナは両手で受け取り、包みを剥がした。

 小さな飴を舌の上に乗せる。ころりと転がした瞬間、ゆっくりと甘さが広がった。深く、やわらかい。チョコレートの風味が、乾いた喉と疲れた身体にじんわりと染みていく。

(甘い……。美味しい……)

 エレナの肩から、わずかに力が抜けた。

「身に染みますね」

「でしょう?」

 シオンが、微笑んだ。

 ほんの一瞬だけ、静謐な横顔にやわらかな色が差す。窓から差し込む光の中で、その表情はすぐにいつもの穏やかなものへ戻っていった。

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