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#56:静かな護衛と預けられた物語

مؤلف: 渡瀬藍兵
last update تاريخ النشر: 2025-08-11 11:38:09

「ありがとうございます。身体も休めることができましたし、続きを……」

 エレナは布団に手をつき、そのまま立ち上がろうとした。

 だが、動き出すより早く、シオンの手がそっと前に出る。強く押さえつけるものではない。ただ、これ以上はまだ許せないと告げるように、エレナの肩の前で静かに行く手を塞いだ。

「お待ちください」

「シオンさん……?」

「あなたは、まだたったの数時間しか休めていません」

「す、数時間も……!?」

 その言葉に、エレナの身体が逆に浮き上がりかける。

 数時間。眠っていた時間の長さが、そのまま村人たちを待たせていた時間に置き換わったのだろう。小さな手が布団を握り、乱れた呼吸のまま腰を上げようとする。

 シオンは、その動きを見越していたように、今度は肩へ手を添えた。

「ダメですよ。せめて目覚めてから三十分ほどは安静にしなくては」

「シオンさん……! 離してください……! 早くしなければ、また彼らの身に……!」

「大丈夫です」

 シオンの声は、静かだった。

 急かすような響きも、叱りつけるような硬さもない。ただ、揺れかけた水面を掌でそっと押さえるような、低く穏やかな声。

「大丈夫ですから、落ち着いて」

「で、でも……」

「まず、グレンさんが大きな焚き火を用意しました。村人たち全員が囲めるほどの炉です」

 シオンは順を追って告げた。

「ただ火を焚いただけではありません。シイナさんが鉄で炉の枠を組み、熱が外へ逃げにくいよう、囲いと風除けを作っています。グレンさんの炎と、シイナさんの鉄。二人の属性を合わせた即席の大炉ですね」

 エレナの動きが、そこでわずかに止まる。

「なので、少なくとも今現在、再発者はいません」

「……そう……ですか」

 肩に添えられたシオンの手に導かれ、エレナは小さく布団の上へ戻った。抵抗はもうなかった。けれど、膝の上に置かれた指先には、まだ力が残っている。

「次に、ミストさんです」

 シオンはその指先を一度見てから、言葉を続けた。

「ミストさんは、あなたがしようとしていたことを察したらしく、シチューを準備中です。食材の処理も、火加減も、すでに整えています。あなたが再開できるように、必要な手前までは済ませておくつもりなのでしょう」

「私が、倒れていても……皆さんは……」

 エレナの声は、そこで細く途切れた。

 誰も、彼女の代わりに聖属性を込めることはできない。最後に手を伸ばす役目は、きっとエレナにしか担えない。

 それでも。

 外からの熱を絶やさないよう、炎と鉄で炉を組む者がいた。内からの熱を届けるため、料理を整える者がいた。買い集めた食材を運び、傍らで目覚めを待つ者がいた。

 エレナが言い残せなかったことを、仲間たちは拾っていた。途切れかけた手を、誰も終わりにしなかった。

『皆、君に喜んで協力している様子だった。……素晴らしい仲間たちだ』

 内側から届いたエレンの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

 淡々とした言葉の形は崩れていない。だが、その奥にある温度までは隠しきれていない。剣を振るう時の冷静さとも、敵を読む時の鋭さとも違う、静かな誇らしさが滲んでいた。

『きっと、私はこの先、この光景を忘れることはないだろう』

『そうだね。こういうの、私も慣れてないけど……。うん。みんなの温かさが、伝わってくるよ』

 返した声は、ほんの少しだけ震えていた。

 肩から力が抜けるのを感じながら、エレナはゆっくりと視線を巡らせる。建物の中は静かで、外で爆ぜる薪の音だけが、布越しに遠く届いていた。

 その視線が、ふと止まる。

 シオンの傍ら――敷布の端に、一冊の本が置かれていた。

(シオンさん、いつも一人でいる時、なにか本を読んでいるんだけど……)

 深い藍に金の意匠が走る装丁。表紙には、星屑のような細かな粒子と、そこから伸びる枝のような曲線が描かれている。文字は読めない。だが、ただの記録書や指南書でないことだけは、その絵柄からすぐに伝わってきた。

(なんだかおしゃれな絵……。何かの物語、かな?)

「あの……シオンさんがいつも読んでらっしゃるのは、何の本なのですか?」

 控えめに尋ねると、シオンは枕元の本へ手を伸ばし、片手でそっと取り上げた。指の運びには、ぞんざいさの欠片もない。長く繰り返してきた所作なのだと、それだけで分かる丁寧さだった。

「ああ、これですね。これは――」

 言いかけて、シオンの視線が本の表紙へ落ちる。

 数秒の間。

 長くはない。けれど、その沈黙には、シオンが普段こぼす静謐さとは別種の重さがあった。指先が、表紙の金の意匠を一度だけ、なぞるようにかすめる。

「私の友人が綴った、幻想譚なのです」

「やっぱり。とても幻想的な絵でしたから、そうなのかな、と」

「ふふ。よろしければ、読んでみますか?」

「い、いいのですか……?」

「ええ、もちろん」

 差し出された本を、エレナは両手で受け取った。

 思っていたよりも、ずっしりと重い。表紙の金の意匠は、近くで見ると細やかな線で星座を象っているのが分かった。

「ありがとうございます……」

 膝の上に置き、表紙を開く。

 冒頭の一文が、目に飛び込んできた。

 それは、過去の世界の出来事を題材にした創作だった。

 かつての神――万象神。世界を救い、人々の願いを聞き届けてきた、優しい存在。けれど、その優しさには代償があった。願いを一つ叶えるたび、神は自らの身を削っていた。

 人々はそれを知らない。知らぬまま、次の願いを差し出した。次の苦しみを訴えた。万象神は微笑み、また自身を削り、応え続けた。

 やがて、神は引き返せぬ場所まで歩んでしまう――。

 ページをめくる指が、知らず止まらなくなっていた。

 シオンはエレナの表情を見て、小さく微笑む。それから、ゆっくりと瞼を閉じた。妨げないように、けれど傍らから去ることもなく、ただそこに在り続けるような閉じ方だった。

 時間の感覚が、薄らいでいく。

 布越しに、外の喧騒がときおり差し込んでくる。グレンの威勢のいい声、シイナの落ち着いた指示、ミストの跳ねるような笑い声。それらすべてが、別の世界の音のように遠ざかっていた。

 ページの中の神は、人々の願いに微笑み続けている。誰も気づかぬまま、その身は少しずつ透けていく。

「――あっ……!」

 はっと、エレナは顔を上げた。

 窓の外の光は、自分が読み始めた頃と、明らかに変わっている。

「あ、あれから何分経ちましたか……!?」

「およそ、四十分といったところでしょうか」

 穏やかに、シオンが目を開ける。

 四十分。エレナは慌てて本を閉じかけ――けれど、その指は、未練がましく表紙の上で止まった。

「……とても、面白かったです」

 名残惜しさを抱えたまま、エレナは本をシオンへ差し出した。

「優しい、物語でした」

「それは良かった」

「身勝手だった人々が、やがて自らの過ちに気づいて、今度は万象神を支えようとするところ……あの場面は、特に。罪を悔いるだけではなくて、それでも傍に在ろうとする姿勢に、胸を打たれました」

 言葉は止まらなかった。

 神の独白のひとつ、人々の祈りの言い回し、終盤に差し込まれる小さな挿話――気づけばエレナは、印象に残った場面を一つひとつ、シオンへ語り聞かせていた。普段の慎ましさが、ほんの少しだけ脇に置かれている。物語に触れた直後の人間が見せる、子どもじみた熱量だった。

 シオンは、ただ静かに耳を傾けていた。相槌は控えめに、けれど一言ひとことを丁寧に受け止めるように。

「気に入っていただけたようですね」

 エレナの語りが一段落した頃、シオンはやわらかく口を開いた。

「まだ読み終えていらっしゃらないようですし――その本、エレナ様にお預けします」

「えっ……」

「読み終えた後に、私へ返してくださればそれで」

「……ありがとうございます」

 エレナは小さく頭を下げた。

 それから、預けられた本を両手で胸元へ抱き寄せる。指先が表紙を傷つけないよう、そっと。まるで渡されたのが本ではなく、誰かの大切な記憶であるかのように。

 その仕草を見て、シオンの目元がわずかに和らいだ。

「そこまで嬉しそうに読んでもらえて、きっと私の友人も喜びますよ」

「次に会った時は、私が自分の口で感想を伝えたいです!」

「……ええ」

 シオンは頷いた。

 ほんの短い間が、二人の間に落ちる。

「きっと、いつか」

 向けられた微笑みは、穏やかだった。

 けれど、それが懐かしさなのか、悲しみなのか、それとも静かな喜びなのかは判然としない。窓から差し込む光の中で、シオンの表情は柔らかく、そしてどこか遠かった。

 エレナは胸元の本を一度見下ろし、そっと布団の脇へ置いた。

 大切なものを預けるように、丁寧に。そうして顔を上げた時、その瞳にはもう、迷いの色はなかった。

「すっかり身体の調子も元に戻りました! まだ三名の方が苦しんでいるはず……! それに、他の皆さんも完全には治癒できていません。彼らを救わなくては!」

 言い終えると同時に、エレナは立ち上がろうとする。

 今度は、シオンも止めなかった。

 椅子から静かに腰を上げ、エレナの前に片膝を折る。差し出された手は、まるで騎士が姫を導く時のように慎ましく、隙がない。触れ方ひとつにも、相手を急かさない礼節があった。

 エレナはその手を見つめ、頬を少しだけ緩める。

 そして、上からそっと手を重ねた。

 シオンは力を入れすぎることなく、その手を支える。エレナの身体が布団から離れ、床へ足が下りた。まだ少し頼りない細い足取りを、彼は横から静かに受け止める。

「行きましょうか」

 シオンが言った。

 エレナは小さく頷き、扉の方へ向かった。

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  • Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─   第110話:二人の目覚め

    **────エレナの視点────**次の日。「みなさん!!!!本当にご迷惑をおかけしました!!!」「本当に面目ねぇ……!!!今回迷惑かけた分は、必ず挽回するぜ!」二人が目を覚ましたんだ。あんなに傷だらけで、ずっと目を覚まさなかったグレンさんも元気になって、本当に良かったと思う……。でも……。聞かないといけない。二人に、何があったのか。「それより……二人に何があったんですか?なんで……グレンさんはあんなに傷だらけだったんですか……?」私がそう尋ねると、グレンさんが急に口を噤んでしまう。数秒の重い沈黙が部屋を支配すると、やがて言いにくそうにグレンさんが口を開き始めた。「お前たちが情報収集に行った数時間後、とんでもなく強い奴が現れたんだ」「とんでもなく強い奴?」シイナさんの声に、緊張が走る。「ああ。全身に見たこともない鎧を着て、刀を使っていた」(見たこともない鎧に刀……か)エレンの声が、意識の奥で静かに響く。「そいつは……全く俺の攻撃が通じなかった」「なに!?グレン、お前の攻撃がか!?」シイナさんは心底驚いたような様子を見せる。グレンさんの実力を知っている彼だからこその驚きだった。(…………)エレンが沈黙している。何かを考えているみたいだ。「ああ、正直全く底が見えなかったぜ。戦ってる感触としては……エレンに近かったかもな」「エレンに……?」私の声が震える。エレンと同じくらい強いなんて……。「それは……かなり厄介そうですね」シオンさんの美しい顔に、珍しく深刻な表情が浮かんでいる。「厄介なんてもんじゃねぇよ。あいつは俺の攻撃を全部受け止めやがった」グレンさんは、私たちのパーティ内でも屈指の攻撃力を持つ

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