Masuk翌朝。
村は、昨夜の騒ぎが遠い夢だったかのように静まり返っていた。 エレナが借り受けた一室を出ると、戸口の向こうには薄い朝靄が漂っていた。湿った土の匂い。遠くで鶏が一声だけ鳴き、それきり、村はまた浅い眠りに戻ったように沈黙する。 その静けさを、乾いた音が断ち切っていた。 土を蹴る音。 剣と剣が触れる、軽い金属音。 エレナは音のする方へ歩いた。 広場には、すでに小さな人垣ができていた。村人たちが半円を描いて立ち、その中心で、グレンが木刀を構えている。 向かい合っていたのは、ひとりの老人だった。 グレンより頭ひとつ分は低い。背はわずかに丸く、胸元まで伸びた白い髭が朝靄に濡れている。手にしている剣も、飾り気のない古びたものだ。 けれど、その老人が剣を構えると、広場の空気だけがすっと重くなった。 傍らでは、シイナとシオンが腕を組んで様子を見ている。ミストだけは両手を口元に当て、今にも声援を飛ばしそうな前のめりの姿勢だった。 「オラァッ!」 グレンが地面を蹴った。 一歩で間合いを詰め、剣を横薙ぎに振り抜く。豪快で、速い。並の相手なら、それだけで押し切られる一撃だった。 それに対し、老人はほとんど動かなかった。 半身を引く。 それだけで木刀の軌道から外れ、次の瞬間には、グレンの足元へすっと足を差し込んでいた。 「うぉっ!?」 勢いを殺せなかったグレンの体が、見事に泳いだ。 前へ突っ込む力の行き場を失い、そのまま土の上へ転がる。乾いた地面が鈍く鳴り、薄い土埃が跳ねた。 起き上がろうとした首元へ、老人の木刀の腹が静かに添えられる。 「ほっほっほ。これで四度目じゃな。お前さん、悪い意味で正直すぎる」 老人は剣を引き、半歩下がった。 「勢いは悪くない。じゃが、勢いだけで来ると分かっておれば、止めるのは難しくないわい」 「くっそ……!」 グレンは土を払うことも忘れて跳ね起きた。口の端を引き結び、木刀を握り直す。 その様子を見て、エレナは小さく首を傾げた。 『これは修行…だよね』 問いかけるより早く、内側からエレンの声が返ってくる。 『ああ。見たところ、あの老人がグレンの悪癖を潰しているようだな』 『悪癖?』 『突っ込みが素直すぎる。力も速度もあるが、初動で何をするかが見えやすい。あれでは、読める相手には簡単に崩される』 広場の中央では、グレンがもう一度踏み込もうとしていた。 老人は剣先を下げたまま、ただ立っている。隙だらけに見える姿勢。だが不思議なほど、どこにも踏み込む余地がない。 『それにしても、あの老人……若い頃は、相当な戦士だったのだろうな』 『そんなことまで分かるの?』 『分かる。余計な力がない。どこも固まっていないのに、どこへでも動ける。あれは長く戦いの場に身を置いた者の立ち方だ』 エレンの声は静かだった。 けれどその静けさの中に、ほんの薄く、敬意の色が混じっていた。 「今度こそ――!」 「これ、待たんか。まず考え――」 「だらぁっ!」 老人の言葉を最後まで聞かず、グレンがまた飛び出した。 人垣のあちこちから「ああ……」という声が漏れる。シオンが無言で目元を押さえ、ミストは「あっ」と小さく口を開けた。 剣が走る。 老人の刃が、その軌道を軽く撫でた。 力で弾いたわけではない。触れた角度を、ほんの少し変えただけだった。だがそれだけで、グレンの剣は狙いを失い、身体の重心が半歩ずれる。 そこへ老人の体が滑り込んだ。 足を払うでもなく、押すでもなく。ただ流れの先に立たれただけで、グレンの体がぐるりと回る。 次の瞬間、広場の土がまた鳴った。 「だぁぁぁっ! なんでだよ!」 「だから言うたじゃろう。同じ手を何度も使うなと」 老人は呆れたように言いながらも、口元には笑みを浮かべていた。 グレンは仰向けのまま空を睨む。肩が二度、三度と上下した。 「くっそー……! まるでエレンと戦ってるみてーだ!」 その一言に、エレンが小さく笑った気配があった。 『まあ、似ている部分はある。力の受け方、崩し方、相手の勢いを利用する手際。悪くない』 『じゃあさ』 エレナの内側の声が、少しだけ軽くなる。 『もし戦ったら、どっちが勝つのかな?』 からかうような問いだった。 答えは、すぐに返ってきた。 『当然、私だ』 迷いのない即答。 『ふふっ。そう言うと思った』 エレナは口元にそっと手を添えた。 外から見れば、村人たちと共に修行を見守る聖女見習いの姿でしかない。だがその内側では、穏やかな笑いがしばらく揺れていた。 広場の中央では、グレンが性懲りもなく五度目の構えを取っている。 「次こそは倒す!」 「まず倒すことから離れんか。お前さんはそこからじゃ」 老人の声に、村人たちの間から小さな笑いが起きた。 その輪から少し離れたところで、シイナがエレナの方へ歩いてくる。 先ほどまでグレンの修行を眺めていた目ではなかった。黒曜石のような瞳に、冷えた熱が戻っている。研究者が、答えに手をかけた時の顔だった。 「エレナ様。今、少しよろしいですか?」 「ええ。どうされました?」 エレナは広場から視線を戻し、シイナへ向き直った。 シイナは一度、周囲に目を配る。グレンの声と村人たちの笑い声が少し遠のいた場所で、彼は声を落とした。 「俺……いえ、私とミストですが」 言い直したところで、エレナが柔らかく首を振る。 「本来の一人称で大丈夫ですよ。あまり、かしこまらないでください」 「……助かります」 シイナの肩から、わずかに力が抜けた。口元に、いつもの薄い笑みが戻る。 「では、俺から報告します。エレナ様が休んでいる間、俺とミストは井戸を調べていました」 「井戸を?」 「はい。村人たちに起きたあの症状。 原因があると踏み、まずそこを押さえる必要がありました」 シイナの視線が、村の中央にある石組みの井戸へ向けられる。 朝靄の中で、井戸は何事もなかったかのようにそこにあった。村人たちが日々水を汲み、暮らしを支えてきた場所。あまりに当たり前のものほど、疑われるのは遅くなる。 「村人たちは、およそひと月前から一斉に倒れ始めた。ですが、俺たちをこの村へ案内してくれた三人は無事だった」 「その三人は、その時期に村を離れていた……」 「ええ」 シイナは頷いた。 「発症した者と、発症しなかった者。その差は単純です。当時、この村にいたかどうか」 エレナの指先が、胸元で静かに重なった。 昨日、彼女は村人たちの体から黒い瘴気を引きずり出した。病と呼ぶにはあまりに異質で、生き物の根のように臓腑へ絡みついていたもの。 浄化はできた。 けれど、それがどこから来たのかまでは分からなかった。 その問いを、シイナたちは夜のうちに追っていた。 「では、原因は井戸に?」 「可能性は高いです。少なくとも、村全体に同時期に広がった説明としては一番自然でした。飲み水は、村人全員が共有する。外から来て短期間で帰った者より、村に住む者ほど影響を受けやすい」 シイナはそこで一度言葉を切った。 広場では、またグレンが転がされたらしい。ミストの大きな声援と、村人たちの笑いが重なる。 その明るさとは裏腹に、シイナの声は低く落ちていった。 「ですが、調べて分かったことがあります。井戸そのものに、自然発生した毒や病の痕跡はありませんでした」 「自然発生では、ない……?」 「はい。少なくとも、俺はそう見ています」 シイナの瞳が、まっすぐエレナを捉えた。 「今回の出来事には、人の悪意が絡んでいると読んでいます」 「……人の、悪意、ですか」 エレナの声は、少し遅れて言葉に追いついた。問い返したというより、耳に入った音をもう一度形に戻した、というのが近い。確かめても何かが変わるわけではない。それでも、確かめずには通り過ぎられなかった。 「はい」 シイナは静かに頷く。 「動機までは断定できません。発覚を恐れたのか、ただの悪戯だったのか。誰か一人を狙ったものが、結果として村全体に広がったのか。そこは、これから詰める必要があります」 一拍。 「ただ、井戸の水を精査した結果、およそひと月前に混入されたと見られる毒性反応を検出しました」 「毒……っ」 エレナの肩が、ほんのわずかに引いた。 「通常の毒ではありません。分類するなら――天然由来。もっと正確に言えば、魔物の体内に存在する魔力器官の、一部です」 「……魔物の、器官……」 「ええ。細胞片、と言った方が近いでしょう」 シイナは続けた。 「人間の体にとって、過剰な魔力はそれだけで毒になります。たとえ純粋な魔力であっても、体内に蓄積すれば異常を起こす。まして、魔物の細胞となれば話は別です。魔力そのものに加え、生体由来の侵食性を持つ。脅威度は、通常の魔力中毒とは比較になりません」 言葉は冷静だった。事実を一枚ずつ並べていくような声に、誇張も脅しもない。 その事実にエレナの顔から、血の色が遠のいていく。 昨夜、村人たちの体内から引きずり出したもの。黒く、粘り、根のように肉へ絡みついていた異物。ただの病でないことは、その場の誰の目にも明らかだった。けれど――魔物の細胞、と名づけられた瞬間、それまで曖昧だった輪郭が、急に生々しい重さを持つ。 ひと月。 井戸の底で、目に見えない毒が水に溶けていた。誰かが桶を落とすたび、誰かが口をつけるたび、ほんの少しずつ。胃へ、血へ、骨へ。村人たちの暮らしの真ん中から、静かに入り込んでいた。 病ではない。瘴気でもない。外から持ち込まれ、体の内側で根を張ったもの。 ひと月かけて醸された、重度の急性魔力中毒。 ミストが昨夜シチューの前で口にしていた言葉が、ここでぴたりと噛み合う。研究者の少女が料理と聖属性の理屈から辿り着こうとしていた答え。シイナが井戸の底から拾い上げた事実。その二つが、朝靄の中で一つの形になった。 「……では、シイナさん」 エレナが、細く息を整えてから口を開く。 「なぜ、それを……人の悪意によるものだと、断定されたのですか」 ただの確認ではない。問いの形を取っていても、その奥にあるものはもっと脆い。シイナにも、それは伝わっていたのだろう。彼はすぐには答えなかった。 黒曜石のような瞳がエレナを映す。研究者の冷えた光と、それだけでは片づけられない温度。両方が、同じ瞳の奥にあった。 エレナの視線は、シイナの口元と、その向こうに広がる村の朝靄のあいだを漂っていた。焦点は、目の前にない。もっと遠く――昨夜の火のそばに置き忘れてきたものを、たぐり寄せるような目だった。 薪をくべたグレン。炉の鉄枠を組み上げた、シイナの几帳面な仕事。眠るエレナの傍らで本を開いていた、シオンの静かな佇まい。誰に言われるでもなくシチューの段取りを整えていた、ミストの弾むような所作。 あの一晩には、確かに人の温かさがあった。受け取ってもなお両手からこぼれるほどの、まっすぐな温度が。 その同じ「人」という器から――悪意もまた零れ落ちる。同じ村の、同じ水場で。 「もちろん、説明します」 シイナが、静かに口を開いた。 「ただ……ここから先は、エレナ様にとって、少し辛い話になるかもしれません」 彼は一度、視線を井戸の方へ向ける。 朝靄の残る広場の端で、問題の井戸は何事もなかったように口を開けていた。水を汲むための縄。湿った石組み。人々の生活を支えてきた、ありふれた村の水場。その静けさは、薄い皮をかぶった傷口に似ていた。 「井戸そのものと、そこに繋がる水の経路を確認しました。水脈、石組みの隙間、底の沈殿物。可能な範囲はすべて見ています」 「その上で結論を言うなら――魔物が入り込める経路は、ありませんでした」 シイナは、噛み砕くように続ける。 「魔物の死骸が自然に流れ込んだ、という説明は成立しません。水路の幅も構造も痕跡も、何一つ合わない。大型どころか、小型の魔物であっても不可能です」 そこで、一拍置いた。事実を伝えるための間。同時に、受け取る側が逃げ道を畳むための間でもあった。 「井戸に落ちたのは、魔物そのものではない。何者かが、魔物由来の細胞片だけを持ち込み、意図的に投じた。そう考えるのが、最も自然です」 「……そうですか」 「ただし」 シイナの表情が、わずかに険しくなる。 「犯人の特定は、難しいでしょう」 エレナの瞳が、ゆっくりとシイナへ戻った。 「村人の方々に聞き取りをしました。今回、急性魔力中毒の症状が出なかったのは、看病や水の管理に回っていた、あの三人だけです。逆に言えば――あの三人を除く村人全員が、何らかの形で井戸の水を口にしていた」 全員。 その言葉は、村という小さな器の中ではあまりにも重い。家族も、子供も、老人も。畑に出る者も、台所に立つ者も。井戸の水を使うたび、同じ毒を分け合っていたことになる。 「そして、あの三人には村を陥れる利点がない。病人を抱え、村を回し、外から来た我々に助けを求めていた。行動の筋が通らないんです」 シイナは指をほどき、片手で眼鏡の位置を直した。所作はいつも通り几帳面だったが、声にはわずかな硬さが残っている。 「もちろん、彼らからも改めて詳しく話は聞きます。その上で、俺の方で正式に判断します。ただ――現時点での見立てを言うなら、今回の件は村の内側からではなく、外から持ち込まれたものです」 「外から……」 エレナの声が、朝靄の中へ落ちる。 村の外。それは、顔も名前もない場所だった。誰かの生活圏の外にある、見えない手。その手が魔物の細胞を握り、井戸へ放り込んだ――そう言われたのと、同じだった。 「だから、悪意……なのですね」 「ええ」 シイナは頷いた。 「事故ではない。自然発生でもない。そこに誰かの手が介在している以上、そう呼ぶしかありません」 言い切ってから、彼はほんの少しだけ息を吐く。 「今の世の中では、珍しい話でもないんです。商売を邪魔された。利権を奪われた。取引を断られた。――理由は、その程度のものかもしれない」 その程度。村一つを毒に沈めかけた出来事に対して、あまりに軽い言葉だった。 「人は、ときに信じられないほど小さな理由で、信じられないほど大きなことをします」 シイナの視線が、井戸へ向く。水面は見えない。ただ、暗い穴の奥に、朝の光が届かない場所があった。 「今回も、おそらくはそういう類でしょう」 「そう、ですか……」 エレナの声は、まだ重い。胸の前で組まれた指は、ほどけていなかった。 「……ですが、エレナ様」 間を置いて、彼が口を開く。 「もう、大丈夫ですよ」 「……えっ?」 エレナの瞳が、わずかに上がった。組まれた指が、ほんの少しだけ緩む。 「今朝、俺とミストで――毒性を中和するための薬を、作りました」 シイナは、ようやく胸の前から手をほどき、軽く広げてみせた。 「井戸への投薬は、つい先ほど済ませたところです。時間をかけて拡散・分解されますが、反応そのものはすでに終えています。今この瞬間の井戸の水は――もう、元通りですよ」 空中に置かれた指が、すっと一段下がる。 「予備の薬は、いくらか村長へお預けしました。万が一、再発の兆しが出た場合の備えです。残りは、研究所の方で正式な精製と保存に回します」 「井戸の周辺は、俺の鉄で封鎖しました。汲み上げの口だけを残して、他はすべて塞いであります」 指が、空中で円を描く。井戸の縁を象ったのだろう。 「鍵は、村長に。これで、村の外から来た者が夜半に井戸へ近づくことは、まず不可能です」 もう一段、声の調子が落ちた。 「それから、俺が組んだ鉄の構造には――二重の仕掛けを入れてあります」 指が、もう一周、円を描いた。 「構造そのものを破壊しようとした場合。あるいは、無理やり蓋を開けて毒物を投じようとした場合。そのいずれにも反応するよう、属性魔力の脈を仕込みました。脈が乱れた瞬間、王立マギア研究所の方へ警報が走ります」 「……警報?」 「ええ。研究所が異常を検知すれば、即座に応援が動きます。早ければ、半刻と経たずに人が来るでしょう」 シイナの言葉は、過不足のないまま積み上げられていく。 毒は、抜いた。井戸は、塞いだ。鍵は、村長へ預けた。再来は、警報で抑える。応援は、半刻で届く。 四つの段が順を追って組み上げられたとき、それはもう「対処」ではなかった。一度この村で起きた悲劇が、二度とこの村では起きえない――そう言い切るための、確かな盾だった。 研究者と戦士の両方の頭で、シイナはひと晩のあいだに、その盾を編み上げていた。 「……シイナさん」 組まれていた指が、ようやく完全にほどけた。エレナの肩から、ゆっくり、ほんの一段だけ力が抜ける。微笑の頼りなさは、まだ拭いきれていない。それでも、頬には少しずつ、血の気が戻り始めていた。 「ありがとうございます」 「いえ」 シイナは、軽く首を振った。 「これは、俺の役目ですから。――エレナ様が手を差し伸べた人々が、もう一度同じ目に遭う。そんな結末は、俺が許せませんので」 言葉の最後に、確かな温度があった。────エレナの視点──── 石造りの螺旋階段を、私たちは息を切らしながら駆け上がっていた。 ごつごつとした壁が、手に持つ灯りの光を不気味に反射している。下層から響いていた激しい戦闘音は、もう聞こえない。石段を踏みしめる足音と、荒い息遣いだけが、神殿の静寂を破っていた。 「グレンさん、大丈夫ですかね……!?」 ミストさんの不安そうな声が、静寂に包まれた階段に響いた。その声には、仲間への深い心配が込められている。 「……きっと、大丈夫!」 何の確証もない。けれど、私の胸の奥で、温かい光のようなものが「大丈夫だ」と囁いていた。それは昔から私の中に宿る、聖女としての直感のようなもの。 「私の直感が、そう告げてるの!」 「えぇ!? そ、そんな直感が……!?」 ミストさんが驚きの声を上げる。 (私も原理は分からんが……エレナには、その力が間違いなく備わっている。運命そのものを、その祈りの力で強引にねじ曲げてしまうような、不思議な力がな。だから、今回もきっと大丈夫だ) エレンの声が、私の内側で静かに響いた。 (うん……!) 彼の言葉が、私の直感を後押ししてくれる。 「それなら良いが……慢心はするなよ」 シイナさんが、冷静に釘を刺した。 「未来が見えるからと、それに胡坐をかいて行動するようでは、今の暗明の聖女と何も変わらないからな」 「……うん、そうだね。私は、この直感を絶対に正しいなんて、傲慢なことは思わないよ」 私にできるのは、この直感を信じつつ、でも決して過信しないこと。神様のお導きを感じながらも、自分の足で歩むこと。 「そこが、エレナさんの素敵なところですね」 シオンさんが、静かに微笑んだ。 その時、長く続いた階段が終わり、私たちの目の前に、だだっ広い広間が見えてきた。天井は高く、月光が差し込む窓から、青白い光が石床を照らしている。 「きっと、ここにも残りの騎士が待ち構えていることだろう」 「その時は、私が残ります」 シオンさんの言葉に、ミストさんが待ったをかける。 「いやいやいや! そこは私でしょうー!!」 「……?」 シオンさんが、心底不思議そうに首を傾げた。 「そのお顔はなんですかァァ!?」 「いえ……だってあなたは、戦いがあまり得意な方ではないでしょ
**────エレナの視点────** 「じゃあ皆、各々準備してくれ。五分後にはここを出て、リディアさんを助けに行くぞ」 シイナさんの力強い言葉に、私たちは一斉に頷いた。この小さな家の中に、静かだが確固たる決意が満ちている。みんなの表情に迷いはない。先ほどまでの混乱が嘘のように、今は一つの目標に向かって心が結束していた。 五分という短い時間の中で、私たちはそれぞれの装備を確認し、心の準備を整える。月光が窓から差し込み、武器の金属部分を青白く照らしていた。この静寂が、嵐の前の静けさのように感じられてならない。 「準備はいいか? 今回、ジンが大方の騎士は無力化してくれたという話だ。恐らく…すぐに四騎士との戦闘になるだろう」 シイナさんの声に緊張が走る。四騎士——この国の最強戦力との戦いが待っているのだ。 「ここの騎士たちの数は多かったからね。でも、気を付けて」 ジンさんが軽やかに言葉を続ける。 「流石に全部を倒すわけにもいかなかったから、十人程度は残ってるはずだから」 「それでも、そんなに多くの騎士を戦闘不能にするなんて……」 私は驚きを隠せなかった。一人でそれほどの騎士を相手にするなんて、どれほどの実力者なのだろう。 「はは、聖女様に褒めてもらえるなんて。なんだか嬉しいよ」 ジンさんの表情に、子供のような無邪気さが浮かんでいる。しかし、その奥に潜む何かが、私の心に小さな不安を芽生えさせた。 「ね、念の為に聞くのですが……殺しはしてないですよね……?」 恐る恐る尋ねた私の質問に、ジンさんの表情がふっと変わった。まるで別人のような、冷たい光が瞳に宿る。 「……剣を抜いた以上、お互いの命が尽きるまで刀を振り合うべきだと僕は思っているんだ」 その一言に、背筋が凍りつくような恐怖を感じた。ジンさんの声音には、戦いへの狂気じみた情熱が込められている。私の心臓が、ドクドクと激しく鼓動を刻んでいた。 「でも……今回は大丈夫。殺してないよ」 そう言って見せる笑顔は、まるで何事もなかったかのように穏やかだった。しかし、その急激な変化が、かえって不気味さを増している。 (今回は……? ということは、普段は……?) 心の奥で、暗い想像が渦巻いていた。 * * * 五分後。静寂を破って、私たちは行動を開始した
**────エレナの視点────**「という訳なんだ」ジンさんの軽やかな口調で語られた残酷な現実に、私の心は氷のように凍りついてしまった。リディアさんが捕らえられて、処刑される。その事実が、どうしても受け入れることができなかった。「そ、そんな……嘘ですよね??」私の声が震えている。まるで悪夢から覚めたいと願うかのように、その言葉にすがりついた。「……こんな時に嘘なんてつかないよ」ジンさんの飄々とした口調が、現実の重さをより一層際立たせる。「……くっ!!!」シイナさんが拳を強く握りしめ、歯を食いしばっている。その青白い顔に、激しい怒りと悲しみが刻まれていた。「皆は先にこの国を脱出してくれ……!俺は……俺はリディアさんを助けに行く!!」シイナさんが勢いよく立ち上がり、扉に向かって歩き出そうとする。その瞳に宿る決意の炎は、誰にも止められないほど激しく燃えていた。「待てよ!!そんなの俺たちだって同じ気持ちだ!」グレンさんが力強く立ち上がる。彼の声には、シイナさんに負けないほどの強い意志が込められていた。「ええ……彼女には計り知れないほど多大な恩があります。なので……グレンと私でリディアさんを救出に向かいます」シオンさんの顔に、鋼のような決意が浮かんでいる。「シイナ、あなたこそエレナさんやミストさんと共に先に脱出してください」「だめだ!今回はパーティリーダーの責任として、俺が行く!」「シイナ!」「俺が、彼女を助けてすぐに戻ればいいことだろう!」「おいシイナ!俺がやられたテッセンとかいうやつの事を忘れたわけじゃないだろ!?少し落ち着け!」三人の激しい言い争いが、小さな家の中に響き渡る。誰も一歩も引かない様子で、感情のままに言葉をぶつけ合っていた。「あわわわわ……みなさん!こんな時に言い争ってる場合じゃないですって!」ミストさんが慌てて三人の間に割り込もうとするが、激しい感情の渦に巻き込まれ、弾き飛ばされてしまう。「ぎゃー!!」(みんな……冷静さがすっかり抜けて、これじゃあ救える命だって救えないよ……!)(それに……私だってリディアさんを助けたいのに……)私の心の中で、やりきれない想いが渦巻いている。みんなの気持ちは痛いほど分かるけれど、このままでは誰も救えない。そう考えていた、まさにその瞬間だった。私の意識が、まるで深い
**────ジンのの視点────** やる気か、と。僕は心の中で、小さく呟いた。 ここは冒険者ギルド。依頼と情報が交差する、いわば中立の聖域だ。そんな場所で騎士が刀を抜き、殺し合いを演じようというのだから、面白い。実に、面白い。 僕は向かってきた騎士の剣戟をいなすどころか、その勢いを逆に利用して体ごと弾き飛ばした。空中で無様に体勢を崩した彼の喉笛へ、僕は逆手に持ち替えた刃を、まるで吸い込まれるかのように滑らせる。「がぁっ……!」 声にならない呻きを漏らし、騎士が床に崩れ落ちた。口からごぼりと泡を吹き、痙攣する手足が、彼の命が尽きかけていることを示している。 仲間の一人が一瞬で無力化されたというのに、残された騎士たちは状況が飲み込めていないらしい。驚愕に見開かれた目が、滑稽なほどにこちらを向いていた。「き、貴様っ! 正気か!?」「あはは、面白いことを言うね、君。先にその物騒な鉄の獲物を抜いたのは、そっちじゃないか」「そ、それにしてもだ! 我々騎士に刃向かうなど、あってはならないことだぞ!?」「残念だけど、僕はそんな立派な冒険者様じゃない。僕はジン。世界を渡り歩く、ただの傭兵だからね」「ジン……!?」 その名に、騎士の一人が息を呑んだ。どうやら僕の名も、多少は裏の世界に知れ渡っているらしい。「くそっ……! やられて黙っていては、騎士の名が廃る! こいつも捕縛しろ!」 別の騎士が、その手に蒼い水の魔力を纏わせながら、僕へと突進してくる。ギルドの中で属性魔法を放つ? ああ、本当に、愚かだな。「はぁ……後悔しても、知らないよ」 僕は腰に差した愛刀「雪月花」の鯉口を切ると、一閃、抜き放った。 (鳴神式抜刀術――神威の型。) 空気を切り裂く音だけが響き、騎士の右腕が、ごとり、と鈍い音を立てて石床に転がった。「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!! お、俺の腕がァァァァッ!!」 やかましいね。腕の一本や二本、飛んだくらいで喚くなんて。自分から仕掛けておきながら、いざ返り討ちに遭えば獣のように吠え立てる。弱者の典型だ。「お、お前……! 自分が何をしたか、分かっているのか!?」「さっきも言ったはずだよ。先に始めたのは、そっちだってね」 僕は刀身に付いた血を振るい、ゆらり、と笑みを浮かべた。「まだまだ足りないな。……もっと、殺り合おうよ」 ああ、い
(この声に気配……覚えがある)エレンの意識が、私の奥底で警戒の炎を燃やし始める。(私もそう感じてた……なんだか、すごく(身に覚えがあるような……)(確か、夜の街で我々を襲撃してきた傭兵……名は確かジン……と言ったか)その名前を耳にした瞬間、あの記憶が、鮮血のように鮮やかに脳裏へと蘇ってきた。霊たちが彷徨う夜の街で、昼間の平穏な探索が一変した瞬間。突如として現れた謎の傭兵——。その圧倒的な実力は私には理解の範疇を超えていたけれど、エレン曰く、これまで戦った敵の中でも別格の強さを誇っていた……と。(そ、その人がなんでこんな場所に!? まさか、私たちを追ってきたの!?)(さあな。だが……敵意は微塵も感じられない。それに何か重要な情報を知っているようだ)(ここは一か八か、直接対峙してみるのも選択肢の一つだろう)「エレンが敵意は感じないから……出てみるのも一つの手だって……」私はシイナさんに、内心の不安を隠しながらそう告げる。「敵意を感じない……か。グレンもミストも意識を取り戻したことだし、直接話してみるか?」シイナさんの声に、慎重な判断力が込められている。(ああ、そうしてみてくれ)「そうして見てほしいって……」エレンの助言をそう伝えると、シイナさんが深く頷き、警戒を込めて扉の前へと歩を進めた。「何用だ」シイナさんの声が、扉越しに響く。「あれ、やっぱりいるんじゃないですかー」その飄々とした口調に、底知れない余裕が滲んでいる。「やあ、僕はジン。リディアっていう方からの重要な伝言があるんだけど、扉を開けてもらえないかな?」「残念だが、こちらにも複雑な事情があってな。このままでお願いしたい」シイナさんの慎重な対応に、扉の向こうから軽やかな笑い声が響く。「……あーそっか、いまこの国から追われてるんだっけ。それなら心配しなくていいよ」「大体の騎士は僕が片付けたから」「な、何だと!?」シイナさんの声が、驚愕に震える。「えっ!??」私も思わず声を上げてしまった。「ま、待て! この国の騎士一人一人は精鋭と言っても過言ではないほどに優秀だ。それをお前は単身で制圧したというのか?」「はは。まぁ確かにこの国の騎士はよく鍛錬されていたね。でも、僕も実力には自信があるんだ」その軽やかな口調で語られる内容の恐ろしさに、私たちは言葉を失った
**────エレナの視点────**次の日。「みなさん!!!!本当にご迷惑をおかけしました!!!」「本当に面目ねぇ……!!!今回迷惑かけた分は、必ず挽回するぜ!」二人が目を覚ましたんだ。あんなに傷だらけで、ずっと目を覚まさなかったグレンさんも元気になって、本当に良かったと思う……。でも……。聞かないといけない。二人に、何があったのか。「それより……二人に何があったんですか?なんで……グレンさんはあんなに傷だらけだったんですか……?」私がそう尋ねると、グレンさんが急に口を噤んでしまう。数秒の重い沈黙が部屋を支配すると、やがて言いにくそうにグレンさんが口を開き始めた。「お前たちが情報収集に行った数時間後、とんでもなく強い奴が現れたんだ」「とんでもなく強い奴?」シイナさんの声に、緊張が走る。「ああ。全身に見たこともない鎧を着て、刀を使っていた」(見たこともない鎧に刀……か)エレンの声が、意識の奥で静かに響く。「そいつは……全く俺の攻撃が通じなかった」「なに!?グレン、お前の攻撃がか!?」シイナさんは心底驚いたような様子を見せる。グレンさんの実力を知っている彼だからこその驚きだった。(…………)エレンが沈黙している。何かを考えているみたいだ。「ああ、正直全く底が見えなかったぜ。戦ってる感触としては……エレンに近かったかもな」「エレンに……?」私の声が震える。エレンと同じくらい強いなんて……。「それは……かなり厄介そうですね」シオンさんの美しい顔に、珍しく深刻な表情が浮かんでいる。「厄介なんてもんじゃねぇよ。あいつは俺の攻撃を全部受け止めやがった」グレンさんは、私たちのパーティ内でも屈指の攻撃力を持つ