Home / BL / domの王子はsubの皇子を雄にしたい / 第3話:初夜のプロトコル

Share

第3話:初夜のプロトコル

Author: fuu
last update Last Updated: 2025-09-06 23:00:24

鐘が三度、湿った石の大聖堂に鳴り渡った。

香の煙は青く、壁の魔紋が微かに光っていた。

条約婚の儀は、公の視線の中で淡々と進んだ。

「誓うか」

大司教の声は低い。

皇子は一歩、前に出た。

衣は銀。喉仏が小さく上下する。

王子は半歩、背に添う。

視線だけで合図を交わした。

「誓う」

「支える」

言葉は短く、触れた手の温度の方が雄弁だった。

掌に描いた薄い護符の感触。紙は冷たく、指先は火照っている。

民のどよめきが、石床を震わせた。

《契約は愛より先、だが愛を置く土壌を用意する》

取り決めは覚悟の証だ。

王子が巻物を差し出す。

合意契約書。可・不可、合図、アフターケアまで明文化されている。

「公開」

大司教は頷いた。

文言が読み上げられる。

可──命令口調、腕の保持、衣の管理、呼称の変更。

不可──露出、痛みを目的とする行為、跪きを長時間強要すること。

合図──言葉「藍」、右手三度のタップ、息を止める仕草の禁止。

アフターケア──甘い茶と湯、毛布、額の接吻、言葉による確認。

「週一回のスイッチ・デー、評議日の終わりに」

王子の声に笑いが零れた。

大聖堂に柔らかい波紋が広がる。

誤解した侍従が慌てて耳打ちした。

「本日は六の市ではありません」

「明日ではなかったか?」

「明後日です」

二人は同時に小声で「了解」と言い、場は和んだ。

地下街の組頭は、香の供給権をちらつかせていた。

納骨堂の守り手は、祖霊の前での誓いを要求した。

双方の使いが目線だけで動く。

政の駆け引きは、儀礼の陰で始まっていた。

儀が終わると、石の冷たさが残る回廊を抜けた。

扉が閉じる音。私室は布と木の匂いが濃い。

初夜と呼ばれる夜だが、彼らにとってはプロトコルの検証の夜だった。

「水はここ」

王子が水差しを示す。

「光は低く」

皇子は火を落とし、蝋燭を一本だけ残した。炎の鼓動が壁を揺らす。

「確認する」

王子は手帳を開いた。

「呼称」

「公では殿下。私室では君」

「命令」

「短く。三語以内」

「触れ方」

「手首は包む。捻らない」

「不可」

「痛み、露出、長時間の跪き。しない」

皇子の喉が乾いた音を立てた。

緊張ではなく、覚悟の音だと王子は知っている。

「試すか」

王子が問う。

「試す」

皇子が答える。

王子は絹の紐を取り出した。柔らかい。艶がある。

「合意」

「ある」

手首に一重、ゆるく巻く。

締めない。皮膚の上を滑らせ、結び目は解けやすく。

王子の親指は脈に触れ、速度を測った。

「命じる」

「うん」

「目を、閉じろ」

皇子は従う。睫毛が頬に影を落とした。

呼気が熱い。肩が上がる。

「ここまで」

王子が囁く。

「……藍」

皇子が発した。

すぐに紐は解かれた。

王子の手が肩に回る。温度を渡す。

「水」

「飲む」

甘い茶に蜂蜜を一匙。喉が鳴る。

額を合わせる。汗の匂いが互いの心拍を落ち着けた。

「止めた理由」

王子が短く問う。

「声が揺れた。合図の確認をしたかった。怖くはない」

皇子は目を開けた。

瞳に炎が映る。小さな火が芯を照らしていた。

「合図は機能する。君は守る。私は言える」

「言える」

言葉は合意の対位法だ。命令と停止、その間に信頼が生成される。

「もう一度」

皇子が言う。

王子は頷く。

今度は王子が仰向けになった。

「スイッチ・デーの練習」

「今日ではない」

「二分だけ」

二人は笑った。

「了解。命じて」

皇子の声は低くなった。

「手を、見せて」

王子は掌を上に。指を軽く握られる。包まれる感覚が心地よい。

「終わり」

皇子が小さく告げる。

合図は互いに通じた。それだけで十分だった。

外から、地下街のざわめきが風に乗って届く。

香を仕切る組頭の駒が、大聖堂の供物台の周りを歩いているのだろう。

納骨堂の扉は重い。祖霊の名は簡単には借りられない。

昼間、守り手の老婆は言った。

「祖霊は約束の音に敏いよ」

だから二人は、約束の音を揃えたのだ。

「明日は壇上に立つ」

皇子が呟く。

王子は頷いた。

「前に出ろ。私は背で支える」

「公では私が前。私室では君が支える」

「二重統治」

「うん」

言葉は短いのに、肩に落ちる重さは心地よかった。

王子は地図を広げる。森の端に描かれた納骨堂の印。地下街へ下る階段の印。大聖堂の尖塔の影。

「三つ巴」

皇子が指先でなぞる。

「香の税で揺さぶる地下。祖霊の権威で牽制する骨蔵。聖の儀式で包もうとする堂」

「演説で条件を置く」

王子が言う。

「合意と合図」

「それで進める」

二人の契約は政の抽象にも転写できる。安全装置のある約束。停止の言葉が用意された交渉。

組頭が食い下がるなら、「藍」を使えばよい。撤退の合図を事前に決め、次の場で再開すればいい。

納骨堂には短く頭を下げる。祖霊に嘘はつかない。言える規模だけを言う。

「もう一度、確認」

王子は巻物をひろげる。

「公の呼称」

「殿下」

「私室」

「君」

「命令の長さ」

「三語以内」

「停止の合図」

「藍、右手三度」

「アフターケア」

「茶、湯、毛布、言葉」

「スイッチ・デー」

「明後日」

二人は同時に笑った。

扉が小さく叩かれた。

侍従が頭を下げる。

「地下街の代表が、献香の比率について」

「明朝に」

皇子が即答する。

「納骨堂の守り手より、祖霊の前での文言修正の申し入れ」

「受ける。三語以内に直す」

王子が紙を受け取り、赤い墨で線を引いた。

侍従は去る前に小声で言った。

「殿下、今夜は……」

「訓練だ」

王子が静かに答えた。

「初夜のプロトコル」

侍従は頷き、微笑を残して消えた。誤解も、お互いの一言で解ける。甘やかな事故は、心を柔らかくする。

灯りを落とす。

布擦れの音。互いの体温が、石の部屋から冷えを追い出す。

王子は皇子の首筋に額を預けた。

「君は前へ」

「君は背で」

「一緒に」

言葉が合わさるたび、政治と愛の手触りが一つに重なっていく。

信頼の実験は成功だ。

明日、壇上で皇子は雄になる。雄とは、命じ、止め、守ること。支える背中があることを知っている者の声だ。

遠く、鐘が一つ鳴った。

夜は深く、心は静かだった。

次回、第4話:壇上の前後

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第51話:刃の夜

    大聖堂のステンドグラスが、夜を青い刃で裂いていた。香と油の匂いが重い。金糸の結び紐が、二人の手首をゆるくつなぐ。条約婚は成立、公開儀礼は穏やかな終章へ――そのはずだった。矢が鳴った。骨の羽が、細い音で空気を切る。最初に血が咲いたのはアルトリウスの左肩。銀青の礼衣に赤。膝が落ちかけ、踏みとどまる。視線は前を外さない。「下がれ」ルシアンの声は鈍い鉄。体は勝手に前へ――だが結び紐が引き戻す。公では皇子が前に立つ。二人で刻んだ条。忘れてはいない。けれど血は、本能を呼ぶ。「紅葉」アルトリウスが口の内で告げる。セーフワード。不可侵の停命。ルシアンの靴裏が石に戻る。「公は私が前だ」「……命令か」「契約に基づく要請だ」低い対話ののち、ルシアンは一歩退いた。アルトリウスが右手を上げ、祭司と民へ短く通す。「背を見せるな。祈りは解く。扉は閉じず、出入口は監視。狼煙は上げない」声は細る。合図は正確。護衛の影が伸びる。内陣で羽音、二本目。ルシアンは礼装の青帯を掴む。「それは葬儀用で――」と祭司。「借りる」帯は一瞬で止血帯に変わり、肩へ巻かれる。痛みで眉が寄る。その隙に黒衣の影が祭壇脇の扉へ滑り、地下へ。石段の冷気。「地下街に抜ける」ルシアンは即座に采配した。若い従者へ目だけで命じる。「鐘楼は黙らせろ。市門は閉じるな。地下の吐き口四つだけ封鎖」「は、はい! ただ今夜、スイッチ・デーの帳面が――」「延期。記録に『不可・危急対応』。明日は倍、撫でる」従者が真っ赤で走る。空気が一瞬ほどける。別の従者が結び紐を解こうと近づき――「まだだ」アルトリウスは静かに首を振る。「結びは解かない。民の前で戻る」痛みの中の頑固さ。雄になる訓練は、こういう場面に通う。公でまず立ち、

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第50話:王都の喝采

    鐘が六つ、白い石を震わせた。大聖堂の段に朝陽が跳ね、旗の紋が風で鳴る。香草の甘い匂いが鼻の奥に落ちた。王子は皇子の革当てを締め直す。指は容赦なく、体温はやさしい。「深呼吸」「……吸う、止める、吐く」チェックは短く、抜けがない。「合図」「左手二度。呼吸を二つ。停止語は――石榴」「可」「手首まで。刃は寸止め。命令語は短く」「不可」「首輪の露出、公での跪拝、痕」「アフター」「甘味、温水、肩を揉む。翌朝の政務は短縮」王子が頷く。「週に一度、反転。――スイッチ・デー」皇子はわずかに笑った。震えより笑いが勝ち始める。若い従者が帯を抱えて駆け込む。出したのは赤。

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第49話:剣の稽古、手の稽古

    朝の光が城門の金具を白く撫で、街路の旗が同じ方向へ揃った。王都は祝いの装いだ。石畳の継ぎ目に、薄い花の影。太鼓が二度、鐘が三度。人のざわめきがふくらんで、やがて一つの音になる。王子は皇子の右手の帯を整えながら、呼吸を数えた。四拍で吸って、四拍で止めて、四拍で吐く。「主導は呼吸から」皇子が小さく頷き、半歩、前に出た。公では彼が前に。私室では王子が支える。いつもの合意が、今日は街じゅうの目に触れる。広場の壇には、三つの印が並んだ。大聖堂の銀、地下街の銅、納骨堂の骨白。そして中央に、二人の共治紋。王妹フローラが視線だけで合図を送る。――段取りは整った、行ける。大司教が杖を横にし、開式の言葉を短く置く。皇子は前へ出て、掌をひらりと見せた。「条約婚は、ここから運用に入る。祈りは内に、法は外へ。今日は“見える手当て”を置く」王子が巻紙を開き、読み上げは簡潔に。・共同監査局の設置(大聖堂・地下街・納骨堂の三者と王宮使い)・共同の箱(鍵は三本、開封は三印一致)・地下通路の夜半巡回と、灯り・蓋の費用負担の分担・広場掲示の公開台帳――税と寄進と支出の見える化ざわめきが波紋になる。地下街の行商長は腕を組み、納骨堂の守り手は数珠を転がす。大聖堂の副祭司は羽根を揺らして、頷いた。王子は巻紙の下段を指でなぞり、もう一つ、声を落とす。「合図の項。公の場にも“止める仕組み”を置く」・異議(議場の手順)と停止(関係の手順)を分ける・停止語は当事者の発声に限って効力(外部の発声は確認ののち再開)・嘲笑目的の模倣は禁止、侮辱罪に準ず・鐘の合図は三つ(合流・開印・避難)、小鐘は子どもと司祭がともに引く人々の顔がほどけていくのがわかる。見えないところにあった“止め方”が、今、広場に置かれたからだ。王子は袖の内側で、皇子の手の甲を二度、軽く叩いた。緩めて。皇子はうなずき、息を少しだけ落とす。

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第48話:誓いの再構成

    鐘の音が石壁を震わせた。冷えた香の匂い。白い布の海。大聖堂の中央で、皇子は胸の鼓動を数えていた。彼の前に立つ王子が、掌を差し出す。指先が触れた。温度が移る。「契約を読む」大司教の声は乾いた羊皮紙の音に似ていた。条約婚。互いの国境の緩衝。使節往来の自由。軍の統制権の共有。その中に、皇子が昨夜まで書き直し続けた一段が挟まる。「合意の規定。可。抱擁、口づけ、手を引く。不可。公の場での命令口調、同意なき接触。合図。三度の指先タップ。セーフワード。琥珀」ざわめきが一波だけ起こり、消えた。王子は笑わなかった。ただ親指で皇子の手の甲を一度撫でて、囁く。「運用までが契約だ」「知ってる」皇子は息を整えた。魔紋の刻印師が膝をつき、朱を指に乗せる。王子の手首に銀糸の紋が浮き、皇子の指輪に淡い光の鱗が走った。魔紋は互いの脈拍と同期する。鼓動が重なったところで、大司教が最後の巻物を広げる。上下が逆だ。王子が片眉を上げた。「反転。今は縁起が良い、そういうことに」皇子が小声で助け舟を出すと、大司教の耳まで赤くなった。笑いが風のように広がり、緊張がほどける。王子はひと言だけ。「助かった」「スイッチ・デー、今週はあなたの日」「了解」公では、皇子が半歩前に立つ。私室では、王子が支える。そう決めた。互いの位置を確かめるように、王子はわずかに背を引いた。群衆の前で、皇子は名を名乗り、誓う。声は震えず、床の石が乾いていくみたいに静かに通った。◆◆◆儀礼を終え、側廊の控え室。羊皮紙の束。老宰相が鼻眼鏡の下からこちらを射抜く。地下街の顔役、大司教、納骨堂の管理者も並ぶ。石膏の白さが厳しい。王子が書簡の一枚をすっと前に出す。新条項。主従の交換条項。毎週一度、主と従を定め、互いに委任し合う。それを政治にも写す。「政治会議の議長を交互制に」王子は短く言った。皇子の肘が熱くなる。老宰相が苦

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第47話:風聞の毒

    夕刻の写本室は、蜜蝋の香りと乾いた紙の音で満ちていた。外では鐘の余韻。中では羽根ペンの先が、誓詞の行間を静かに縫う。王子は灯をひとつ落とし、羊皮紙を二枚、左右に並べた。左は公の条約文。右は私室の合意契約。どちらも昨日までの“正しさ”だが、今朝の紙切れ—風聞—が、言葉の継ぎ目に新しい綻びを示した。「再構成しよう」王子が言った。「うん。誓いは壊れたわけじゃない。けれど、曲げられた」ルシアンは袖口を正し、背筋を伸ばした。公では彼が前に立つ。影の位置に王子の熱がある。二重統治の約束は、ここでも有効だ。王妹フローラが小走りで入ってくる。「三者、揃えたわ。大聖堂、地下街、納骨堂。小礼拝堂で短い公聴を—“文言の手入れ”として」王子は頷き、右の紙に細字で一行、書き足す。付記:セーフワードの効力は当事者の発声に限定。外部の発話は一度停止して確認、異常なしなら再開。「風聞は“合図の言葉を叫べば止まる”に賭けた。外からの手は切る」王子が言い、ルシアンが続ける。「公でも同じだ。『異議』と『停止』を分ける。異議は議場の手順、停止は関係の手順」フローラが笑んだ。「言葉の綱引きは、こちらの得意分野」◆◆◆小礼拝堂。白い壁に金の縁取り。参列は最小限。大司教、地下街の長、納骨堂の守り手。王妹。書記官は一人—銀糸の仮面は外され、素顔は緊張で固い。王子が短く説明する。「誓いは二つ。公と私。今日はその“接合部”の再構成です」ルシアンは壇に出て、言葉を整えた。「跪礼は祈りに限る、が誤読された。だから追記する。『跪礼は主従でなく、共同体への敬意』。また、『合図は相互の救済手順であり、嘲笑の道具に非ず』」地下街の長が鼻で笑い、すぐ真顔に戻る。「商いでも同じだ。手仕舞いの合図を外から壊されたら、粉が散る」守り手が数珠を転がした。

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第46話:仮面の晩餐

    鐘が七つ、蜜蝋の滴る音さえ柔らかく呑み込み、葡萄の酸が夜気にほどける。白布で覆われた長卓、天井から垂れる蔓灯、床石に散らされた香草の粉。仮面の宴は、匂いと光でしか素顔を許さない。皇子は銀青の仮面。頬の縁に極細の双権紋。胸元には半輪の小紋章。王子は黒檀に鈍金の縁取り——影の意匠。半歩うしろで灯を遮り、視線の矢を折る。(公では皇子が前、影は王子。)取り決めは姿勢にまで染みている。「手を」皇子。「合図は二回」王子。「うん。危険は二回、撤退は三回」短い復唱は、羊皮紙に刻んだ合意の再点検。条約婚の夜に交わした四つの枠——可・不可・合図・アフターケア——は、今宵の仮面にも効く。可:儀礼内の口上命・姿勢の誘導・絹の拘束(短時間)。不可:跪礼の強要・痕を残す示威・公衆での屈辱。合図:二圧=危険/三圧=撤退。セーフワード:「青磁」。週一のスイッチ・デー厳守。破れた週は日の出前のケアで穴を埋める。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status