「紅優……? どうしたの?」
寝ぼけて話した後、また眠ってしまった蒼愛が目を擦っている。目を覚ましたらしい。
見上げた蒼愛が紅優に手を伸ばした。「泣かないで。僕がぎゅってするから。悲しい時は手を繋ぐって、約束したでしょ」
紅優の手を握って、蒼愛が紅優に抱き付く。
「泣かないよ。蒼愛がいれば、悲しくないから」
握ってくれた手を握り返して、紅優は微笑んだ。
「ふふ、紅優、温かいね。大好き」
蒼愛が紅優の頬に口付ける。
まだ半分くらい寝ぼけているのかもしれない。 蒼愛から紅優に照れずに甘えてくるのは、珍しい。「大好きって、前より言えるようになったね、蒼愛」
最初は『好き』がどんな感情かも、わかっていなかったのに。
「僕ね、分かったんだよ。好きって、とっても大切で離れたくない相手に言う言葉だって。自然とぎゅってしたくなるのは、紅優だけだよ」
蒼愛が紅優の首に腕を回して抱き付いた。
何にも代えがたい温もりが、紅優に触れる。「蒼愛……、愛してる」
堪らなくて、紅優は蒼愛を抱き返した。
ぐぅ、と締まりのない音が蒼愛の腹から響いた。「あ……、ごめん、お腹すいちゃったみたい」
腕を解いて、蒼愛が紅優を眺める。
その顔を見ていたら、おかしくて紅優は吹き出した。「締まらねぇなぁ、蒼愛。折角いい話していたってぇのに。よし、飯にするか」
蒼愛の頭を一撫でして、火産霊が先に部屋を出ていった。
「俺たちも、行こうか」
立ち上がった紅優の着物の裾を、蒼愛が引いた。
「あのね、紅優。火産霊様と神話の本をちょっとだけ読んだんだ。でもちょっとだけだから、後で一緒に続きを読んでほしいんだ」
蒼愛の申し出に、表情が曇ったのが、自分でもわかった。
「紅優と一緒に読みたいんだ。これから僕たちが何をするべきなのかとか、し
「ふぅむ、困ったね。紅優の元気がないと、心配になるよ」 淤加美がちらりと蒼愛を流し見た。「もっと紅優が寛げるように、やっぱり私の加護を授けようか。少しは水ノ宮に妖力が馴染むだろう」 淤加美が紅優の腕を引いて、その体を抱き寄せた。「え⁉ いえ、流石にそれは、あまりにも急すぎます。俺には水の適性はありませんから、馴染みませんよ」 「与えてみないと、わからないだろう? 蒼玉の番になったんだ。紅優にも水の適性が生じているかもしれないよ」 更に抱き寄せて、淤加美が紅優の顎を掴む。「淤加美様、御戯れが過ぎるかと……」 紅優の声が震えている。 嫌がっているというより、怯えている感じだ。「唇を重ねるだけだよ。すぐに済む」 淤加美の唇が紅優に触れそうになった時、蒼愛は無意識に淤加美の袖を引いていた。 動きを止めて、淤加美の目が蒼愛に向く。「あっ、ごめんなさい……。邪魔するつもりじゃ……」 我に返っても、淤加美の袖を離す気になれなかった。「邪魔する気がないのなら、離してくれないかい、蒼愛。このままじゃ、紅優に加護をあげられない」 淤加美の声がいつになく冷たく聞こえて、びくりと震える。 それでも、掴んだ袖を離せなかった。「あ、あの、淤加美様……、加護を与えるの、キスじゃないとダメですか……」 声がどんどん小さくなって、消え入りそうだ。「神力を外側から押し込んでもいいけれど、口移しが確実だよ。濃厚な神力を流せる。濃いから少し、気持ち良くなってしまうかもしれないけれどね。蒼愛にも、しただろう」 思わず顔が上がった。 淤加美の加護も神力も、口移しで何度も授かっている。だから、言葉の意味は理解できる。「じゃぁ、やっぱり、外側から……」 「蒼愛、大事な想いは、はっきり言葉にしないと伝わらないよ。大事じゃないなら、紅優に加護を与えた後でもいいね」 口の中でもごもごと話す蒼愛に、淤加美がすぱっと言い切った。 蒼愛に袖を
火ノ宮に三日ほど滞在した蒼愛と紅優は、火産霊の引き止めを押しのけて水ノ宮に戻った。 読書の他にも、炎の術の使い方など教えてもらって、蒼愛としてはとても楽しい時間だった。 水ノ宮に戻ると、淤加美が険しい顔で出迎えた。「予想通り遅かったね。火ノ宮に住むつもりかと思ったよ」 緊急事態でも起きたのかと思いきや、蒼愛たちの帰りが遅かったので不機嫌になっているだけらしい。 火産霊の引き止めを考えたら、これでも早めに切り上げてきたと思うのだが。 などと話すと淤加美がもっと不機嫌になりそうなので、黙っておいた。「戻るのが遅くなり、申し訳ありません、淤加美様」 紅優と一緒に蒼愛もぺこりと頭を下げた。「蒼愛が無事なら問題ないけれど。紅優も私のモノだと、あれ程、伝えたのにね」 淤加美に横目に流し見られて、紅優が苦笑している。「大事な話は、できたのかな?」 淤加美の問いかけに、紅優が一瞬、目を見開いた。「……はい。ちゃんと伝えられました。佐久夜の話を、火産霊と一緒に」 はにかむように笑んだ紅優に、淤加美もまた安堵の息を漏らした。「ならば、良かったよ。蒼愛も元気そうだしね」 淤加美に頬を撫でられて、蒼愛も笑んだ。「二人で佐久夜様を大切にするって決めたんです。どんな神様だったのか、僕も知りたいから、これからいっぱい紅優からお話を聞くんです」 淤加美がニコリと笑んだ。「そうかい。では私も、昔語りを蒼愛に聞かせようか」 「はい! いっぱい聞かせてください」 淤加美に頭を撫でられて、擽ったい気持ちになった。「先に大事な話を伝えておこう。色彩の宝石を瑞穂ノ社に祀る日が決まったよ。五日後だ」 「五日後……」 紅優の表情と纏う気が引き締まった。「五日後には、紅優の目が戻るんだね。そうしたら、完璧な番になれるよね」 紅優の袖を引く。 蒼愛を振り返って、紅優が笑んだ。「そうだね。今より蒼愛と深
「紅優……? どうしたの?」 寝ぼけて話した後、また眠ってしまった蒼愛が目を擦っている。目を覚ましたらしい。 見上げた蒼愛が紅優に手を伸ばした。「泣かないで。僕がぎゅってするから。悲しい時は手を繋ぐって、約束したでしょ」 紅優の手を握って、蒼愛が紅優に抱き付く。「泣かないよ。蒼愛がいれば、悲しくないから」 握ってくれた手を握り返して、紅優は微笑んだ。「ふふ、紅優、温かいね。大好き」 蒼愛が紅優の頬に口付ける。 まだ半分くらい寝ぼけているのかもしれない。 蒼愛から紅優に照れずに甘えてくるのは、珍しい。「大好きって、前より言えるようになったね、蒼愛」 最初は『好き』がどんな感情かも、わかっていなかったのに。「僕ね、分かったんだよ。好きって、とっても大切で離れたくない相手に言う言葉だって。自然とぎゅってしたくなるのは、紅優だけだよ」 蒼愛が紅優の首に腕を回して抱き付いた。 何にも代えがたい温もりが、紅優に触れる。「蒼愛……、愛してる」 堪らなくて、紅優は蒼愛を抱き返した。 ぐぅ、と締まりのない音が蒼愛の腹から響いた。「あ……、ごめん、お腹すいちゃったみたい」 腕を解いて、蒼愛が紅優を眺める。 その顔を見ていたら、おかしくて紅優は吹き出した。「締まらねぇなぁ、蒼愛。折角いい話していたってぇのに。よし、飯にするか」 蒼愛の頭を一撫でして、火産霊が先に部屋を出ていった。「俺たちも、行こうか」 立ち上がった紅優の着物の裾を、蒼愛が引いた。「あのね、紅優。火産霊様と神話の本をちょっとだけ読んだんだ。でもちょっとだけだから、後で一緒に続きを読んでほしいんだ」 蒼愛の申し出に、表情が曇ったのが、自分でもわかった。「紅優と一緒に読みたいんだ。これから僕たちが何をするべきなのかとか、し
書庫から何冊かの本を持って、紅優は部屋に戻った。 寝ているだけでは暇だろうから、蒼愛と寝所で本でも読みながら漢字の勉強でもしようと思った。 昨晩は蒼愛を離せなくて、かなり無理をさせてしまった。 我ながら、やり過ぎたと反省している。(蒼愛は俺が想像もしない言葉で俺を安心させてくれる。まるで俺の心が見えているみたいに) たった十五年しか生きていない人間が、千年以上を生きてきた妖狐を癒してくれる。 とても不思議な感覚だ。(初めて会った時から、そうだった。紙風船を飛ばしていた時、あの時の言葉で、俺は蒼愛に興味を持った) 魂の美しさは会った瞬間に気が付いた。 けれど、初見では理研から来る他の子供たちと大差なく見えた。 興味を持ってからは、気になって仕方がなかった。 少し捻くれていた言葉や態度は、話すたび、触れ合うたび、本来の素直な質が見えてきた。 劣悪な環境で:擦(す)れた心を綺麗に磨いてみたくなった。(どんどん綺麗になっていく魂に、どうしようもなく惹かれた。蒼愛は俺が求めていた理想の相手だったから) 弱い心を許してくれる優しさと、紅優に喰われない霊力量を有した人間。 本当は、ただそれだけで良かった。 蒼玉で、色彩の宝石で、理の代弁者になり得る人間。蒼愛の価値はどんどん上がっていく。(俺のせいでもある。神力を有し、色彩の宝石の代わりとして均衡を保つ妖狐の番。だからこそ、蒼愛の価値が上がってしまう。けど、俺はおまけみたいなものだ。蒼愛の価値は蒼愛自身が押し上げている) そのうちに、遠くへ行ってしまうのではないかと怖くなる。 紅優の手が届かない場所に行ってしまうのではないかと、そういう存在になってしまうのではないかと。(失いたくない。誰にも渡したくない。俺だけの蒼愛でいてほしいのに) まるで自分勝手な願いをどうすれば叶えられるのか、紅優はそればかり考えていた。 憂いの息を吐きながら、紅優は部屋の扉を開けた。 室内の光景に動きが止まった。「は&h
「あの、火産霊様、理ってなんですか?」 素朴な疑問を投げてみた。 火産霊が少しだけ考えるような顔をした。「そうだなぁ、分かり易く言うなら、人や妖怪じゃどうにもできねぇ自然とでもいうのかねぇ。本来、神ってなぁ、理を守るために存在するんだ。つまりな、神様が色彩の宝石を守るってのは、理を守るって意味だ。この幽世じゃ色彩の宝石自体が理そのものなんだよ」 話が壮大すぎて実感がわかないが、とんでもない宝石なのだというのは理解できた。 「色彩の宝石は、この国を守るために重要な石なんですね」「今なら、石だけじゃねぇ。蒼愛と紅優もだぜ」 ぽけっと呆けた顔で、蒼愛は火産霊を振り返った。「石を生み出す蒼愛は色彩の宝石そのもの、番である紅優も同様だ。蒼愛自身が理が顕現した姿だと、神々は理解している。俺たち神は、お前たち二人を守るために存在してんのさ」 あまりにも身分違いなスケールの話に、頭が付いていかない。「色彩の宝石を一人でいくつも作れる生き物なんざ、今までいなかった。そんな力のある奴は、それこそ創世のクイナ以来だ。蒼愛と紅優は神以上の存在、理の代弁者だ。本来なら三文字の名前を貰って然るべきなんだよ」 脳がヒートアップしてキャパオーバーを起こしかけている蒼愛を余所に、火産霊が本を閉じた。 「神に連なるか、それ以上の存在は名前が三文字になるって話だ、理解できたか?」 最初に自分がした質問が何だったのか、すっかり忘れていた。「僕は、そんな……」 言いかけて、言葉を止めた。(僕また、逃げたくなってる。紅優に蒼玉の話をされた時みたいに。身の丈に合わない評価が、怖い) 紅優の隣で、紅優にだけ愛されて、二人で幸せに生きられれば、それでいい。 それ以上の何かなんて、いらない。 宝石の蒼玉、色彩の宝石、理の代弁者。 自分の評価や肩書が、自分が気が付かないうちにどんどん大きくなっていくのが、怖かった。「蒼愛、おい、蒼愛」 枕に突
蒼愛は何枚もの紙に、名前を書き続けていた。 墨を付ける必要がない不思議な筆で、どんなに使っても減らない紙に名前を書いていく。「火産霊様の漢字は、難しいです。画数が多い……」 墨で書くと、文字が潰れてしまう。 もっと細い筆が欲しいなと思った。「筆の先を使ってみろ。ぐっと押し付けねぇで、ふわっと先だけで書けば、細くなんだろ」「ふわっと、先だけで……。難しいけど、書けるかも!」 コツを教わって、筆の使い勝手が増えた気がして嬉しくなる。「いいじゃねぇか。蒼愛は器用だな。教えるとすぐに覚える。素直だから飲み込みも早ぇ。理解も早いから、頭がいいんだろうなぁ」 たくさん褒められて、照れ臭い気持ちになった。「頭がいいわけではないです。僕、現世では学校にも行かせてもらえなかったし、知らないコトばかりです」 恥ずかしくて、顔が俯く。 そんな蒼愛の頭を、火産霊がわしわしと撫でた。「学ぶ場所は学校だけじゃぁねぇだろ。きっと地頭が良いんだろうぜ。蒼愛は好奇心や意欲もあるから、いくらでも伸びるぞ」 そんな風に褒められると、もっとたくさん覚えたくなるし、できるような気になってくる。 火産霊は乗せ上手だなと思った。「神様の名前は皆、漢字が三文字なんですね」 全員の書き取りを終えて、改めて見直す。 発音だと四文字の神様も、漢字だと三文字だ。「ああ、この国じゃぁ、名前が重要でな。力の強さにも関係してくる。独り者は一文字、番を得れば二文字、それ以上の存在は三文字の名前になるんだ」 前に紅優も、瑞穂国では名前が大事だと話していた。「神様以外にも、三文字の名前の存在がいるんですか?」 それ以上の存在、という表現が気になった。 頷いて、火産霊が本を開いた。『瑞穂国創世記』だ。「一通り、書き取りも出来たし、読書しようぜ。蒼愛の疑問はこの中に詰まっているからな」 ごろりと横に