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第25話

Author: ルーシー
玲奈はこれ以上愛莉から自分への愚痴に耳を貸す気もなく、早足でリビングに入っていった。

邦夫は彼女の姿を見つけると、さっと立ち上がり、近寄ってきた。「玲奈さん、やっと帰ってきたんだね。今日はどうしてこんなに遅くなったんだい?」

玲奈は彼に微笑んで説明した。「もうすぐ仕事が終わるという時に、急患が入ったんです。処置がおわってから帰ってきたものですから」

愛莉は玲奈の声を聞くと、背筋をピンと伸ばしたが、意地を張って振り向こうとせず、じっと座ったまま母親から声をかけてくるのを待っていた。

邦夫おじいさんの家なのだから、さすがに母親が彼女を無視したりはしないだろう。

少なくとも、見せかけだけでも、構ってくれるはずだ。

しかし、現実は違う。母親はまるで彼女が存在しないかのように、一切関わろうとしてくれなかった。

邦夫が立ち上がる時、智也は入ってきた玲奈を一瞥したが、彼女は彼には目もくれず、視線は邦夫じいさんだけに向けられていた。

邦夫は玲奈をソファに座らせながら、智也を睨みつけて言った。「玲奈さんはまだご飯も食べてないぞ。キッチンに取っておいた料理を持ってこい」

その命令する口調には拒否する余地はなかった。

智也は邦夫と争うつもりはなく、それに、ただ食事を運ぶだけのことだし、彼は一言返事して、携帯を置いた。

テーブルを通り過ぎると、愛莉の服の帽子を軽く引っ張った。「一緒に来なさい」

愛莉は振り向き、鬱陶しそうに智也を見つめたが、曾祖父の前では怒るわけにはいかなかった。

仕方なく、彼女はしぶしぶと「うん」と返事しながら、智也の後を追って、キッチンへ行った。

玲奈は二人が嫌々ながら食事を運んで来るのを見て、そんな必要がないと思い「自分で取りに行きます」と立ち上がろうとした。

しかし、彼女がキッチンへ行こうとした時、邦夫に阻止され、力強く食卓の席に押し戻された。

すると、邦夫は握っているステッキを振りながら、諭すように言った。「座っていなさい。新垣家に嫁に来てもらったのは苦労させるためではないんだ。智也と愛莉もちゃんと手足があるのだから、少しぐらい君の世話をするくらいどうということはない。君はもう十分彼らの世話をして来ただろう。新垣家のために、愛莉を産んでくれたから、これは新垣家は感謝すべきだろう。男はな、今はちゃんとしつけしないと、いつか絶対偉そうに
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