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しきたりを盾に、危篤の父に会わせないクズ夫

しきたりを盾に、危篤の父に会わせないクズ夫

By:  鳳小安Completed
Language: Japanese
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御堂家は掟が厳しく、毎月1日は必ず先祖の供養を行う。 御堂家に嫁いで2年、篠原穂波(しのはら ほなみ)は毎月この日になると、夜も明けないうちに起き出していた。 手を清めて香を焚き、お供え物をして、仏壇の掃除をする。今まで一度も失敗したことはなかった。 誰もが彼女を御堂家の良い嫁だと言い、しきたりを重んじ、分をわきまえていると口を揃えて褒め称えた。 しかし今回の供養が終わった後、穂波は義母・御堂芙美子(みどう ふみこ)の部屋を訪れ、離婚の承諾を求めた。 芙美子は眉をひそめた。「何ですって?私が仏間で正座させたからって、冬凌と離婚するというのですか?忘れないで頂戴。この結婚は、2年前にあなたが自分から望んだことでしょう」 穂波は首を横に振った。「ただ突然気づいたんです。冬凌の心が私に向くことは、この先一生ないのだと。お義母様、結婚してからもう2年です。私は、彼を諦めることにしました」 「穂波、嫁いできた時に言ったはずですよ。冬凌は冷たい人間だと。2年経っても、そんなことにも慣れないのですか?」 穂波はふっと笑った。「慣れました。でも、もう疲れ果てました」 芙美子は手を振った。「いいでしょう、好きになさい。離婚の手続きは、こちらで手配しますから」 「ありがとうございます」

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第1話
この結婚は確かに彼女自身が望んだものだった。自分の誕生日パーティーでプールに落ちた時、飛び込んで助けてくれたのは御堂冬凌(みどう とうり)だった。それ以来、彼女は彼にどうしようもなく惹かれていった。御堂家が政略結婚の相手を探していると知り、彼女は父親に頼み込んで縁談を進めてもらった。芙美子が冬凌の意向を尋ねた時、彼はただ頷き、「ああ」と一言返しただけだった。その短い返事だけで、穂波は世界を手に入れたかのように喜んだ。嫁いでからも冬凌の態度は冷ややかなままで、月に一度の決められた日以外、彼女に触れることはほとんどなかった。それでも穂波は十分に満たされていた。いつかきっと彼に愛してもらえると信じていたから。たとえ冬凌が常に厳格で、穂波が家のしきたりを破れば決して容赦しな、罰を受けた後にただ薬が届けられるだけで、慰めの言葉一つなくとも、彼女は彼を恨まなかった。「私への愛情がないわけじゃない、元々こういう冷たい人なのだ」と、何度も自分に言い聞かせてきた。だが今日、彼女は思い知らされた。決してそうではなかったのだと――!今朝の供養が始まってすぐ、穂波は低血糖でめまいを起こし、持っていたお盆を取り落とし、供え物を床に散乱させてしまった。芙美子はその場で顔を曇らせ、彼女に仏間で2時間の正座を命じた。冬凌に庇ってほしい、ほんの一言でいいから口添えしてほしいと彼女は願った。しかし冬凌は動こうともせず、ただ冷たく言い放った。「母さんの言う通りにしろ。しきたりを破った以上、罰を受けるべきだ」その時でさえ彼女は自分を納得させ、仏間で丸2時間の正座を耐え抜いた。ふらつく足取りで母屋へ戻ろうとした時、冬凌が清楚なワンピース姿の女性を労わるように車から降ろしているのを目の当たりにした。外は激しい雨が降っていた。冬凌は女性が濡れないように深く傘を傾け、自分自身の半身がずぶ濡れになることなど気にも留めていないようだった。女性に語りかける彼の口元には、かすかな優しい笑みが浮かんでいた。穂波は雨の中に立ち尽くし、ただ茫然とその光景を見つめていた。あんな冬凌は見たことがなかった。「聞いた?旦那様が夏目様を連れてこられたそうよ」「夏目様って、旦那様の初恋の人のこと?あの人が何も言わずにいなくなってから、旦那様は毎日浴びる
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第2話
轟音とともに頭上で響いた雷鳴が、穂波の思考を断ち切った。自室に戻る途中、書斎の前を通りかかると、冬凌の書斎のドアが開いているのが見えた。彼が書斎への立ち入りを固く禁じていたことを思い出し、そのまま立ち去ろうとした。その時、突風が吹いて机の上の書類が床に散らばった。彼女は思わず部屋に入り、1枚ずつ拾い集めて綺麗に揃え、机の上に戻した。書類を置き終えた途端、冬凌が入ってきた。彼は冷ややかな目で彼女を見下ろした。「俺の書斎には誰も入れるなと言ったはずだ。お前もだ」穂波は事情を説明しようとした。「ただ、落ちた書類を拾っただけで――」彼は彼女の言葉を遮った。「出て行け。柴田のところへ行って罰を受けろ」下げた両手をきつく握りしめ、穂波はそれ以上弁解することなく、そのまま1階へと下りた。御堂家では、しきたりを破ればいかなる理由があろうと罰を受ける。また仏間で正座させられるのだと思っていたが、執事の柴田健造(しばた けんぞう)は無言で竹刀を取り出した。彼女は呆然とした。「柴田さん、仏間で正座ではないのですか?」「奥様、旦那様から仰せつかっております。書斎には機密書類が置かれており、決して触れてはならない。もし触れた場合は、打ち据え20回の罰を与えるようにと」「分かりました」彼女は床に膝をつき、健造が振り下ろす竹刀を、背中に丸20回受け続けた。ひと打ちごとに容赦なく込められた力に、10回も打たれないうちに全身が痛みに震え出した。それでも彼女は悲鳴すら上げず、ひたすら耐え忍んだ。翌朝、彼女は高熱を出した。朦朧とする意識の中、階下から騒がしい声が聞こえてきた。「冬凌!この女がかつてあなたに何をしたか忘れたのですか?よくも堂々とこの家に連れ込めたものですね!あなたはもう結婚しているのですよ。穂波が二階にいるというのに、よその女を連れ込んだと知ったらどう思うか考えなさい!」「どう思おうと俺の知ったことじゃありません。瑶子は不治の病を患っていて、今は行く当てもないんです。数日この家に滞在させるだけです。それ以外の他意はありません。穂波がそれしきのことで嫉妬するようなら、俺の妻には相応しくありません」穂波は手すりのそばまで歩み寄り、階下の光景を見下ろした。冬凌は床に膝をつき、背筋を真っ直ぐに伸ばしてい
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第3話
冬凌は書類を受け取ると、ためらうことなくサインをした。芙美子は眉をひそめた。「中身も見ずに署名するなんて!冬凌、私はあなたをそんな風に育てた覚えはありませんよ」確かに、以前の冬凌ならどんな契約書であっても、隅々まで念入りに確認していた。必要な時には弁護士を同席させるほどだった。だが今日、彼は見向きもせず、待ちきれないように署名したのだ。「瑶子がこの家にいられるなら、どんな書類でもサインします」「あなたって子は……!」芙美子は激怒したが、どうすることもできなかった。「いいでしょう、後悔しないことですね」穂波には分かっていた。冬凌がサインしたのは、自分との離婚協議書だと。昨夜、離婚を切り出したばかりだというのに、今朝にはもうサインまで済ませてしまうとは。その後数日間、彼女は静かに御堂家で過ごし、黙って離婚の手続きが完了するのを待った。冬凌は連日部屋に戻ってこなかった。穂波はふと、彼のいない日々も気楽なものだと感じ始めていた。瑶子との交流もほとんどなかったが、ある日、彼女が冬凌の書斎に入ろうとするのを見かけた。穂波は親切心から忠告した。「夏目さん、冬凌の書斎には入らない方がいいですよ。誰も入らないよう彼が固く禁じていますから」「そうなんですか?」瑶子は微笑んだ。「でも、どうしても取りに行かなければならない物があって」彼女は穂波の言葉を聞き入れず、中に入ったばかりか冬凌の引き出しを開け、中から彼の私用の万年筆を取り出した。「篠原さん、この万年筆に何と彫られているかご存じですか?」瑶子はそばにあった紙を手に取り、キャップを外し、見せつけるように差し出した。そこには【夏目瑶子】という名前が刻まれていた。穂波はその文字を見て、胸の奥がずんと重くなった。冬凌が「決して触れてはならない機密」と言っていたのは、これのことだったのか?「何をしているのですか!」健造が慌てて駆け寄り、瑶子を引きずり出そうとした。「旦那様、申し訳ございません。夏目様が書斎に入られたことに気づきませんでした。しきたり通り、処罰を下されますか?」いつ戻っていたのか、冬凌が手を挙げて彼を制した。「いや、いい。瑶子は来たばかりで、この家のルールを分かっていないだけだ」穂波は唇を噛み締めた。背中の傷跡がまだ鈍く痛む。
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第4話
「埃を被っていたから、使用人に拭かせようと思って」「怒っているのか?」「いいえ」穂波は顔を上げて彼に笑いかけた。「何も怒るようなことなんてないじゃない」「俺が瑶子を書斎に入れて、お前を入れなかったからだろ」「あそこはあなたの書斎なのだから、私には口出しする権利なんてないわ」「穂波、お前は変わったな」冬凌は眉をひそめた。以前の彼女はこんな風ではなかった。名家のお嬢様だけあって、少なからず気の強いところがあったのだ。以前なら、他の女が彼にまとわりついているのを見れば、自ら進み出て牽制し、妻としての所有権を誇示したものだった。だが今の彼女は、まるで別人のようだった。長い躊躇いの末、彼は口を開いた。「穂波、瑶子は病気なんだ。俺が面倒を見なければならない。だが、お前が俺の妻であるという事実に変わりはない。それを変えるつもりもない」その言葉を聞いて、穂波は微笑んだ。「もうすぐそうじゃなくなるわ」冬凌は聞き取れなかった。「何だって?」「何でもないわ。もう遅いから寝ましょう」彼女が背を向けてベッドに入ると、彼も布団に潜り込み、彼女を抱き寄せて手を這わせ始めた。彼女はその手を押さえた。「疲れているの」彼はそれ以上無理強いせず、背を向けるとそのまま部屋を出て行った。その夜、彼女はひどく寝苦しい夜を過ごした。午前2時、突然スマホが鳴った。母親からの電話だった。「穂波、早く病院に来てちょうだい!お父さんが心臓発作で倒れて、お医者様が危ないって……っ」「どうしてそんなことに?すぐに行くわ!」電話を切るなり、穂波は1階へと駆け下りた。彼女は健造を探し出した。「柴田さん、父が倒れて病院に運ばれたの!早く車を出して、病院まで送って!」「奥様、現在は午前2時でございます」健造は慌てる様子もなく答えた。「御堂家のしきたりにより、夜の12時以降はいかなる者も車を使うことは許されておりません」穂波は気が狂いそうなほど焦っていた。「私でも駄目なの!?今回だけでいいから!私の言葉が聞こえなかったの!?父が心臓発作で病院に運ばれたのよ、今すぐ行かなきゃならないの!」「申し訳ございません、奥様。旦那様のご命令ですので、我々には逆らえません」穂波は狂ったように階段を駆け上がり、客室にいる冬凌を探しに行
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第5話
その日は激しい雨が降っていた。穂波は地面から這い上がり、ふらつく足取りで門の外へと歩き出した。健造は見かねて、傘を広げて彼女の頭上に差し掛けた。「奥様、やはり屋敷にお戻りください。明日の朝になれば、車をお使いになれますから」穂波は振り返ることも立ち止まることもなく、ただ前へと進み続けた。深夜の高級住宅街には、車1台通っていなかった。10キロもの道のりを歩き続け、ようやく1台のタクシーを見つけた。だがその車は止まることなく、彼女の脇を通り過ぎる際に泥水を撥ねて走り去っていった。病院に駆けつけた時、ちょうど医師が父親の顔に白い布を被せ、母親がその傍らで泣き崩れているところだった。その光景を見た瞬間、穂波は全身から力が抜け落ちた。彼女は床にへたり込み、大粒の涙をこぼした。「嘘よ……お父さん……そんなはずないわ!死ぬはずない!」「どこに行っていたの!」彼女の姿を見た母親は、駆け寄るなり容赦なく穂波の頬を張り飛ばした。「お父さん、死ぬ間際までずっとあなたの名前を呼んでいたのよ。あなたに会うために、3時間も耐え抜いたの!3時間よ、それなのにあなたは病院に来なかった!穂波、あの冬凌に嫁いでから、あなたは私たちをすっかり見放してしまった!普段ならそれでも構わないわ、母さんは一度もあなたを責めたりしなかった!でもお父さんが心臓発作で倒れたのよ……あんなにあなたを可愛がってくれたお父さんに、どうしてこんな残酷な真似ができるの!」「お母さん、ごめんなさい!私が悪かったの!」穂波は泣きながら母親の足にすがりつき、胸が張り裂けんばかりに号泣した。「私が悪いの!冬凌なんかと結婚するべきじゃなかった。結婚さえしていなければ、お父さんの最期に立ち会えないなんてことにはならなかった!私が間違っていたわ、本当に間違っていた!お父さん、許して!お母さん!ごめんなさい!」冬凌に嫁いでからの数年間、穂波が実家に帰る回数は確かに減り続けていた。冬凌の態度があまりに冷たかったため、彼女は毎日、どうすれば彼に喜んでもらえるかばかりを考えていたのだ。彼が会社に行き、その日家に帰らないと聞けば、丁寧なお弁当を作り、会社まで届けた。たとえ冬凌が気に入らず、毎回ゴミ箱へ直行させたとしても、彼女は諦めずに作り続けた。冬凌が出張す
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第6話
穂波は彼をちらりと見ただけで何も言わず、ただ黙ってうつむいた。彼女は今日になってようやく思い知った。冬凌の心の中で、自分の存在は瑶子の足元にも及ばないのだと。そうと分かった以上、これ以上冷たくあしらわれてまで彼にすがりつく必要がどこにあるだろう?それに、父親はもうこの世にいない。今さら彼と口論したところで何の意味もない。彼女が黙り込んでいるのを見て、冬凌の顔色はさらに険しくなった。「穂波、答えろ!だんまりを決め込む気か!」「ちょっと、冬凌。そんな言い方しないで!」瑶子が彼を遮り、心配そうな顔で言った。「篠原さんの顔色、とても悪いわ。どこか具合が悪くて、病院へ診察に来ただけじゃないかしら?」彼女は歩み寄り、穂波の手を取った。「すごく熱い!篠原さん、お熱があるんじゃありませんか?」「触らないで!」触れられた瞬間、穂波は無意識に瑶子を強く突き飛ばした。瑶子はよろけて、そのまま床に尻餅をついた。彼女は痛みに顔をしかめた。「痛っ……!」「穂波、何をする!よくも瑶子を突き飛ばしたな!」冬凌が掴みかかり、穂波を椅子から引きずり下ろすと、容赦なく床に投げ飛ばした。「くっ……」元々心身ともに限界を迎えていた彼女は、その衝撃で気を失ってしまった。意識が遠のく直前、冬凌が瑶子を抱き起こす姿が見えた。「怪我はないか?医者に診てもらおう」「冬凌、篠原さんが倒れてしまったわ。早く見てあげて!」「芝居だ。どうせ俺の気を引くためだろう。昔からこういう手ばかり使ってきたんだ。放っておけ」彼は一度も振り返ることなく、立ち去っていった。穂波の心は、完全に冷え切った。確かに、かつて彼の気を引こうと仮病を使ったり、あの手この手を使ったことはあった。しかし、それはすべて彼を愛していたからこそだ。もう彼を愛していない今、気を引くために小細工などするはずがない。目を覚ますと、穂波は病院のベッドに横たわっていた。医師によれば、家族には連絡したものの、篠原家は父親の葬儀の準備で手が離せず、付き添いを雇って彼女には病院で休むよう伝えてきたらしい。彼女は布団を跳ね除けてベッドから降り、退院の準備をした。看護師が彼女を引き留めた。「篠原さん、お体がまだ弱っています。まだ退院はできません」「家に帰ります
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第7話
葬儀が終わった後、穂波は一度御堂家へ戻った。屋敷に着いた時、冬凌と瑶子はまだ帰っていなかった。芙美子は彼女を書斎に呼び、冬凌との離婚届受理証明書を手渡した。「もう手続きが済んだのですか?」証明書を受け取ると、穂波は感情が高ぶり、わずかに手が震えた。手続きはスムーズに済んだようだった。「ええ、滞りなく進みましたよ」芙美子は彼女の手をポンポンと軽く叩いた。「お父さんのことは聞きましたよ。あいにく、私が戻った時にはもう葬儀が終わっていました。そうでなければ、必ず私自身で弔問に伺ったものを」穂波の目から涙がこぼれ落ちた。「お心遣い、感謝いたします」「穂波、実を言うと、私は以前からあなたのことがあまり好きではありませんでした。ですが、腐っても御堂家の嫁だったのですからね。冷遇して追い出すような真似はしませんよ。このカードには600億円入っています。あなたがこの数年間、御堂家に嫁いで尽くしてくれたことへの慰謝料だと思いなさい。この家を出てから、もし何か私に頼みたいことがあったら、いつでも訪ねていらっしゃい」芙美子が自分の手に握らせたカードを見て、穂波は再び涙を流した。「おかあ……大奥様、ありがとうございます。どうかお元気で。荷物をまとめたら、すぐに出て行きます」「冬凌の帰りを待たないのかい?」「結構です」離婚したのだ。彼が帰ってくるのを待って何の意味があるだろう?穂波は自室に戻り荷物をまとめ始めたが、私物の大部分はすでに整理してあった。彼女は薬指の結婚指輪を外し、机の上に置いた。そして、スーツケースを引きながら部屋を出た。玄関まで来た時、突然スマホが振動した。【どうだ?体調は少しは良くなったか?】冬凌からのメッセージだった。穂波は一瞬呆然とした。冬凌が自分の体調を気遣うメッセージを送ってくるなんて思いもよらなかった。返信しようとした矢先、2通目のメッセージが届いた。【篠原さん、ごめんなさい、私よ!冬凌ったらちっともあなたのことを気にかけないから、彼のスマホを借りて送っちゃった。私たち、今『グラン・ブルー』にいるの。冬凌はかなり飲んで酔っているから、今夜は帰らないわ。あなたが病院にいるって聞いたから、明日は私たちが迎えに行くわね!】瑶子からの挑発的なメッセージを見て、穂波はふっ
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第8話
「穂波ちゃんの父親だよ、お前の義父さんだろ!心臓発作で亡くなったそうで、今日葬儀が終わったばかりだ。知らなかったのか?」「穂波の親父が、死んだ?」その場にいた全員が唖然とし、一斉に冬凌に視線を向けた。義父が亡くなったというのに、なぜ婿である冬凌に誰も知らせていないのか?「俺の前でいい加減なデマを吐いたらどうなるか、分かってるだろうな?」冬凌は手を伸ばし、その男の胸ぐらを乱暴に掴んだ。その目は血走っていた。「義父さんは病院に入院しているはずだ。どうして死んだなんてことになっている!」「冬凌、俺がこんなことで嘘をつくわけないだろう!」男は慌ててスマホを開き、SNSのニュース画面を彼に見せた。冬凌は画面の中に、喪服姿で、祭壇の前で手を合わせている女の姿を一目で捉えた。彼女はただそこにひざまずき、目を赤く腫らしていた。そのやせ細った体は、風が吹けば倒れてしまいそうだった。だがそれでも、冬凌はこの事実を信じようとはしなかった。彼は男を突き飛ばすと、きびすを返して外へ向かって歩き出した。「あり得ない!絶対に嘘だ!もし義父さんが死んだなら、穂波が俺に連絡してこないはずがない!」彼は震える手でスマホを開き、着信履歴やLINEがないか確認しようとした。なかった。何もなかった。LINEの1通すら、彼女からは届いていなかった。彼は完全にパニックに陥り、足取りすらおぼつかなくなった。瑶子が追いかけてきて彼を支えた。「冬凌、落ち着いて。何かの誤解じゃないかしら?あの写真は偽物かもしれないわ。だって、あんなに大事なことなのに、篠原さんがあなたに知らせないわけないもの」「そうだ、絶対に嘘だ。以前は両親にちょっとしたことがあるだけで、実家に帰るから一緒に来てくれと俺にまとわりついてきたんだ。父親が死んだなら、必ず俺のところへ泣きついてくるはずだ」そう自分に言い聞かせても、冬凌の心はいつまで経っても落ち着かなかった。彼が必死に自分を納得させようとしているのを見て、瑶子の口元に微かな笑みが浮かんだ。実のところ、彼女はこの知らせをとっくに知っていた。だが穂波が冬凌に知らせないということは、彼女が完全に冬凌を見限ったという証拠だ。ならば、自分からわざわざ余計なことを教えてやる必要はない。グラン・ブルーを出て
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第9話
仏間では、一筋の紫煙がゆっくりと立ち昇っていた。芙美子は先祖の位牌の前に正座し、口の中で静かに読経をしていた。冬凌は部屋に入ると、恭しく声をかけた。「母さん、戻りました」芙美子は何も答えず、ただゆっくりと立ち上がった。「お帰り。今日は何をしていました?」「母さん、そんなこと今まで聞いたことなかったでしょう」今日の母親はどこかおかしいと感じつつ、冬凌は適当にごまかした。「会社の仕事で忙しかったんですよ」「私が老いぼれたとでも思っているのですか?それとも馬鹿にしているのか!」芙美子は厳しい顔つきで言った。「冬凌、今日は義父さんの葬儀だったというのに、あなたはこの女と遊園地で1日中遊び呆けていたそうですね!一体何を考えているんです!」母親の口からその言葉を聞き、冬凌の心は激しく震えた。どうやら、その話は本当のことらしい。「母さん、俺は知らなかったんです。穂波から電話がなかったから。もしあいつが電話してきていれば――」「あなたは出なかったでしょうね」芙美子は冷ややかに彼の言葉を遮った。「まあいい、もう終わったことです。今さら何を言っても始まらない」彼女の視線が、冬凌のそばに立つ瑶子に向けられた。この女を、芙美子は昔から好いていなかった。5年前、名声と地位のために冬凌を捨てて海外へ渡った女だ。5年経っても何一つ成し遂げられず、今になってまた冬凌の元へ戻ってきたのだ。本来なら、こんな女を御堂家に入れることなど絶対に認めなかった。しかし冬凌は彼女を忘れられず、彼女のために穂波を追い出すまでに至った。芙美子はどっと疲れを感じ、これ以上口出しする気にもなれなかった。「せっかく2人揃って来たので、座りなさい。ちょうど話しておきたいことがあります」「母さん、話は後にしてくれませんか」冬凌は周囲を見回したが、やはり穂波の姿は見当たらなかった。「穂波は?どこにいるんです?」「あの子はここにはいませんよ」「どうしてここにはいないんです?」冬凌の顔が途端に曇った。「じゃあどこにいるんです?あいつは父親を亡くしたばかりで、今ひどく悲しんでいるはずだ。俺が会いに行かないと」「探す必要はありません。あの子ももう、あなたに会いたいとは思っていないでしょうから」芙美子は何気ない様子で言った。「今日あなた
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第10話
「あり得ない……母さん、これは偽物です!」彼は首を横に振り、その目には信じられないという色が濃く浮かんでいた。「俺は離婚協議書にサインなんてしてません。離婚するとも言ってません。誰が勝手に手続きしたんです!穂波が怒って、母さんと結託して俺を騙そうとしているんでしょう?あいつを出してください!」冬凌は仏間の中を歩き回り、穂波の姿を探したが、当然見つかるはずもなかった。今の彼は、これがすべて嘘であってほしいと強く願っていた。穂波がどこかの隅に隠れて、こっそり自分の反応をうかがっているだけなのだと思い込もうとしていた。あんなに俺を愛し、これほど長く尽くしてきたあいつが、あっさり離婚など口にするはずがない。父親が亡くなったのに、俺が葬儀に行かなかったから怒っているのか?知らせてこなかったのはあいつの方じゃないか!「旦那様、奥様とは本当に離婚されたのです。奥様はすでに屋敷を出て行かれました。もう探す必要はございません。以前からずっと、奥様が鬱陶しいと仰っていたではございませんか。これからはもう、奥様の顔を見ずに済むのですよ」執事の言葉に、冬凌は絶句し、とっさに何と返せばいいのか分からなかった。そうだ、俺は穂波のことが嫌いだったはずだ。いつも自分のそばにまとわりついてくるのを見るたびに、鬱陶しくて追い払いたいと思っていた。なのにどうして、あいつと離婚したと分かっても、少しも嬉しくないんだ。母親が瑶子を受け入れると言っているのに、心の中には得体の知れない喪失感が広がっていた。その様子を見た瑶子は、すぐに冬凌の腕にすがりつき、芙美子に向かって恭しく頷いた。「大奥様、お認めいただきありがとうございます。篠原さんと冬凌が本当に離婚されたのなら、私は喜んで冬凌と結婚いたします。結婚式の日取りや場所、式次第につきましては、すべて大奥様にお任せいたします」芙美子は内心で冷笑した――この女、こういう時の反応だけは素早いことだ。「よろしい。夏目さんが承知したのなら、この話はこれで決まりです。ですが、結婚式を挙げる前に、病院で総合的な健康診断を受けてもらいますよ」芙美子はゆっくりとした、有無を言わさぬ口調で言った。「夏目さんは体が弱く、不治の病に侵されていると聞きましたからね?安心しなさい。たとえ診断結果に問題があったとし
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