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第324話

Author: 雪八千
「大丈夫、無理なんてしてないよ。雨音は僕を気遣って、負担をかけたくないって思ってるんだよね」

海斗は一瞬だけまつげを震わせ、それから耳にかかる髪をそっと指先で払った。いつもの穏やかな笑みを浮かべながら続ける。

「最近僕は、むしろ君のほうが心配なんだ。もうすぐアート展が開幕するだろ?また寝る間も惜しんで作業してるんじゃないかって。友也は子どもじみたところがあるし、気配りってものを知らない。だから僕が代わりに、できることをしてあげたいって思ったなんだ」

雨音は眉をひそめ、きっぱり言い返した。

「……でも、女の子のそばには必ず男がついていなきゃいけない、なんて決まりはないよ」

友也とは違い、海斗が優しいことはよくわかっている。だからこそ雨音は感謝している。けれど、その奥にある「女性は守られる側」という考え方だけは、どうしても受け入れられなかった。

「海斗くんは、自分のことをちゃんと大事にできれば、それで十分だよ」

海斗は何も返さなかった。ただ、車椅子の操作キーに添えられた指先が、はっきりと白くなる。

……

結局、長い付き合いの友人でもある海斗は、不機嫌なそぶりなど一切見せなかった。いつもの穏やかな笑みを崩さないまま、膝の上の箱を机にそっと置き、丁寧に雨音へ別れの言葉を告げると、運転手に車椅子を押してもらい、静かに帰っていった。

海斗が去ると、オフィスには玲と雨音だけが残った。

玲は、さっき見た海斗のかすかに強張った指先を思い出し、今度は包み隠さず本音を口にした。

「ねえ雨音ちゃん、海斗さん……たぶん、あなたのこと好きだよね?雨音ちゃんも気づいてるでしょ?」

「……うん。気づいてた」

長い沈黙のあと、雨音は額を押さえ、ようやく声を絞り出した。

――どれだけ鈍い彼女でも、最近の海斗のあからさまなアプローチを見れば、さすがに気づかないはずがない。

「でも私、海斗くんのこと好きじゃないよ。十年以上の付き合いがあって、水沢家との縁談が昔からあったとしても……一度も海斗くんと結婚したいなんて思ったことなかったの。まして、友也と離婚するからって、そのお兄さんと一緒になるなんて……絶対に無理!」

弟と離婚して、その兄と再婚?そんな気まずすぎる展開、海斗が良くても雨音はまっぴらだ。

玲も想像してしまい、思わず言葉を失った。

……自分だって元カレと別れた
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