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愛という名の狂気

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-07-27 01:15:22

朝の光が頬を撫でて、私は目を覚ました。

カイルの腕の中で、安らかに眠っていた。彼の胸の上下に合わせて、私の頭も静かに揺れている。昨夜愛し合った事実が、まだ身体に残っていた。

でも、目が覚めた瞬間に襲ってくるのは、複雑すぎる感情の嵐だった。

幸福感。愛されている実感。そして——圧倒的な罪悪感。

私は何をしたの?

殺された相手と、愛し合った。身体を重ねた。「愛してる」と言い合った。

これは夢? それとも現実?

カイルの寝顔を見つめる。長いまつ毛が影を作って、まるで少年のように無邪気だった。この顔が、あの夜は冷酷な暗殺者の顔をしていたなんて、信じられない。

「おはよう」

カイルが目を開けた。私を見つめるその瞳に、深い愛情が宿っている。

「おはよう……」

私の声が震えた。昨夜のことを思い出して、頬が熱くなる。

「昨夜は……ありがとう」

カイルが私の髪を優しく撫でる。

「君が俺を受け入れてくれて、本当に嬉しかった」

受け入れる? 私が? 矛盾してる。受け入れるべきは、私の方なのに。彼の過去を、罪を。

でも、彼は何も覚えていない。だから、こんなに純粋に愛してくれる。

「後悔してない?」

カイルが不安そうに尋ねた。

「後悔……」

考え込む。後悔しているかと聞かれたら——

「してない」

心の底から出た言葉だった。これが狂気だとしても、後悔はしていない。

「よかった……」

カイルが安堵の息を吐いた。

「君を悲しませるのが、一番怖い」

悲しませる? 私を悲しませたのは、記憶を失った今のあなたじゃない。記憶のあった、あの夜のあなた。

でも、それは言えない。

「カイル……」

「何だ?」

「あなたにとって、私ってどんな存在?」

突然湧いた疑問。記憶のない彼にとって、私はただの「愛した女性」。でも本当は、私たちには重い過去がある。

「どんなって……」

カイルが考え込む。

「すべて、かな」

「すべて?」

「君がいない世界なんて、考えられない。君がいるから、俺は生きていられる」

その言葉が、胸に突き刺さった。重すぎる。あまりにも重すぎる愛。

「そんなに大げさに言わないで」

「大げさじゃない。本気だ」

カイルが私の顔を両手で包んだ。

「俺にとって君は、空気と同じなんだ。なくては生きていけない」

息ができなくなりそうだった。こんなに愛されて、いいの? 私は彼を愛していいの?

「愛してる、リア」

またその言葉。何度聞いても、心臓が跳ねる。

「私も……愛してる」

また答えてしまった。でも、嘘じゃない。本当に愛してる。狂おしいほどに。

カイルが微笑んで、私にキスをした。朝の光の中でのキス。昨夜とは違う、清らかで温かいキス。

でも、私の心は清らかじゃない。複雑で、汚れていて、矛盾だらけ。

-----

朝食を作りながら、私たちは他愛のない会話をした。

「卵焼き、上手だね」

「ありがとう。なぜか手が覚えてるみたい」

記憶を失う前の名残なのか、カイルの料理は慣れた手つきだった。きっと、誰かのために料理を作った経験があるのだろう。

誰のために? 恋人? 妻?

急に嫉妬が湧いた。理不尽な感情。でも止められない。

「どうした? 浮かない顔をしてる」

「何でもない」

嘘をついた。最近、嘘ばかりついている。

「何か心配事があるなら、俺に話してくれ」

カイルが私の手を握る。

「君の悩みは、俺の悩みでもあるから」

優しい人。こんなに優しい人が、なぜ……

もう、考えるのをやめよう。今の彼だけを見よう。過去は忘れて。

でも、忘れられるはずがない。胸の傷跡が、いつも私に思い出させる。あの夜のことを。

「リア?」

「ごめん、ぼんやりしてた」

「疲れてるのか? 昨夜、無理をさせたかもしれない」

カイルが心配そうに私を見る。

「そんなことない。ただ……」

言いかけて、やめた。何を言おうとしたのかわからない。

「ただ?」

「幸せすぎて、現実じゃないみたい」

半分は本当。幸せ。でも、現実逃避でもある。

「現実だよ。俺たちの愛は、紛れもない現実だ」

カイルが私を抱きしめる。その腕の中で、私は思った。

この愛は現実。でも、真実ではない。真実を隠した愛。

いつか、破綻する時が来る。

その時まで——この幸せを守りたい。

-----

午後、私たちは森を散歩した。

木漏れ日が美しくて、鳥の声が響いている。平和な光景。まるで、私たちが普通の恋人同士であるかのような。

「綺麗な場所だね」

カイルが空を見上げる。

「ここで君と暮らせたら、幸せだろうな」

「暮らす?」

「ああ。静かで平和で……君と二人だけで」

夢みたいな話。でも、現実的じゃない。私たちには、過去がある。いつか清算しなければならない過去が。

「それって、現実逃避じゃない?」

思わず言ってしまった。

「現実逃避?」

カイルが困惑した顔をする。

「私たちには、向き合わなければならないことがあるかもしれない」

「例えば?」

「あなたの記憶とか……」

「記憶……」

カイルが立ち止まった。

「君は、俺に記憶を取り戻してほしいと思ってるのか?」

どう答えたらいいのか、わからない。

記憶を取り戻してほしい気持ちもある。真実を知りたい。なぜ私を殺したのか。本当は私をどう思っていたのか。

でも、取り戻してほしくない気持ちもある。今の優しいカイルを失いたくない。

「わからない……」

正直に答えた。

「複雑な気持ちなの」

「そうか……」

カイルが私の手を握る。

「俺も複雑だ。記憶を取り戻したい気持ちもある。でも、失いたくないものもある」

「失いたくないもの?」

「君への愛。今の俺の、純粋な気持ち」

純粋な気持ち……

そう、それが一番大切かもしれない。記憶に汚されていない、純粋な愛。

「記憶が戻ったら、君への気持ちが変わってしまうかもしれない」

カイルの声が不安に震える。

「そんなの、わからないじゃない」

「でも、可能性はある」

私は答えられなかった。可能性どころか、確実に変わるだろう。真実を知ったら、彼は私を愛せなくなる。

「だから、俺は今を大切にしたい」

カイルが私を見つめる。

「記憶なんてなくても、君を愛していることに変わりはない」

でも、私には記憶がある。重い、痛い記憶が。

「リア、俺と一緒に逃げよう」

「逃げる?」

「ここから。誰も知らない場所へ。二人だけで」

現実逃避。でも、魅力的な提案だった。

すべてを忘れて、彼と生きていく。過去も、真実も、すべて捨てて。

「考えさせて」

私はそう答えるのが精一杯だった。

-----

夜、ベッドに横になりながら、カイルが呟いた。

「時々、怖い夢を見る」

「どんな夢?」

「血の匂いがして、誰かが泣いてる。俺は剣を持ってて……」

私の心臓が止まりそうになった。

「でも、顔が見えない。誰を傷つけたのかわからない」

まだ、私だとは気づいていない。

「ただの夢よ」

「そうかな……」

カイルが不安そうに私を見る。

「あまりにもリアルで。まるで記憶みたいだ」

記憶。そう、それは記憶。封印された、忌まわしい記憶。

「忘れましょう。嫌な夢のことなんて」

私はカイルを抱きしめた。

「私がついてるから」

「ありがとう……」

カイルも私を抱き返す。

「君がいてくれなかったら、俺はどうなってたんだろう」

わからない。でも、私も同じ。この人がいなかったら、生きていけない。

愛してる。愛してる。愛してる。

この気持ちだけは、嘘じゃない。

でも、愛だけで乗り越えられるの? 真実という名の嵐を。

答えは出ない。出したくない。

今は、この腕の中にいたい。この愛を信じていたい。

たとえそれが、狂気だとしても。

窓の外で、風が不吉に唸っている。まるで、嵐の前触れのように。

でも私は、カイルの腕の中で目を閉じた。

明日のことは、明日考えよう。

今は、この愛だけを信じていたい。

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