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わたしを殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。
わたしを殺した騎士が、記憶を失って“好きだ”と言ってきた。
Author: 吟色

殺されたはずなのに、なぜ

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-07-27 01:03:50

痛みが、まだ生々しく胸に残っていた。

熱に浮かされたような視界の向こうで、誰かが私の名前を呼んでいる。その声が、信じられないほど優しかった。

「……リア、目を覚ましてくれ」

私の額に触れる手。男の声。低く、少し掠れていて、けれどどこか懐かしい響き。まぶたを押し上げると、目の前に一人の男がいた。

漆黒の髪と鋭い輪郭。凛々しい目元。

見覚えがある——でも、その顔は私にとって、最も見たくなかった顔だった。

「……なんで、あんたがここに……」

声がかすれる。痛みと混乱で、頭がうまく回らない。でも私は確かに、この男に殺されたのだ。胸に深く、鋭く突き立てられた剣の感触。今も、身体の奥にその記憶が刻まれている。

「よかった、助かって……本当に……」

男——カイルは、まるで恋人に再会したかのような顔で笑っていた。その表情が、なによりも恐ろしかった。

私は首を振ることもできなかった。傷は深く、意識はかすれていく。それでも、この状況が夢や幻ではないと、理性のどこかが告げていた。

「気をつけろ。まだ完全に治ってない。しばらくは寝てた方がいい」

カイルはそう言って、壊れ物を扱うように慎重にブランケットをかけ直した。その動作一つひとつが優しくて——優しすぎて、気が狂いそうだった。

どうして、こんな顔をするの? 私を殺したくせに……

涙が勝手ににじんだ。声を出す力はなかった。けれど、カイルはそれを誤解したのだろう。彼の手が、そっと私の頬に触れた。

「ごめん……怖かったよな。でも、もう大丈夫だ。俺がいるから……」

その言葉が、刃よりも鋭く胸を貫いた。この男は、覚えていない。私を殺した記憶を——

リアは目を閉じた。見たくなかった。あの男の顔も、声も、聞きたくなかった。

「俺は……なぜ君と一緒にいるのか、よくわからない。でも……顔を見た瞬間、守らなきゃって思った」

静かに語るその声音が、酷く優しい。あまりにもまっすぐで、残酷なほどに無垢だった。

私を殺したあんたが、そんな顔するなんて。

私の中に、記憶が蘇る。血の匂い。倒れた感覚。剣が胸を貫いた時の衝撃。そして、崩れ落ちる意識。

「……本当に、何も覚えてないの?」

絞るような声で問いかけると、カイルは眉をひそめて目を伏せた。

「夢を見た気がするんだ。君が泣いてて……俺は、血まみれの剣を持って……でもぼやけてて、何があったのか……」

その言葉に、リアの胸が痛んだ。何もかも忘れたふりをしているのではない。本当に、記憶が欠けているのだとわかってしまう。だからこそ、怒ることもできなかった。

カイルはベッドにそっと手を添えて、彼女を見つめた。

「怖がらせてごめん。でも、無理に話さなくていい。今は君がそばにいるだけで、それでいい」

優しい声だった。けれどその優しさが、何よりも残酷だった。

-----

日が傾き始めた頃、私はようやく起き上がることができた。小さな山小屋。質素だけれど清潔で、暖炉では薪がぱちぱちと音を立てて燃えている。

カイルは台所で何かを作っていた。慣れない手つきでスープをかき回している。その後ろ姿を見ていると、胸の奥が複雑にざわめいた。

この人が、本当に私を殺したの? 今のこの優しい人が?

「起きたのか。体調はどうだ?」

振り返った彼の顔は、心配そうで、愛おしそうで——私への愛情が、隠しようもなく溢れていた。

「……少し、良くなったわ」

「そうか。よかった」

カイルは安堵の表情を見せて、椀にスープを注いだ。

「あまり上手じゃないけど、食べてくれるか?」

差し出されたスープは、確かに見た目はあまり上手とは言えなかった。でも、湯気と一緒に漂ってくる匂いは悪くない。何より、私のために作ってくれたという事実が、胸を温かくした。

一口飲むと、優しい味がした。塩加減も絶妙で、身体の芯から温まる。

「美味しい」

素直にそう言うと、カイルの顔がぱっと明るくなった。

「本当か? よかった……初めて作ったから、心配だった」

初めて? でも、なぜか手つきは慣れているようにも見えた。記憶を失う前は、料理をしていたのかもしれない。

「カイル……あなたは、自分のことを覚えてるの?」

「いや」

彼は首を振った。

「名前も、過去も、何もかも曖昧だ。ただ、君を見た瞬間に『カイル』という名前が浮かんだ。それが俺の名前だと、なぜか確信できた」

「他には?」

「君を愛してるってことだけは、はっきりしてる」

またそんなことを。私の頬が熱くなる。

「どうして、そんなことが言えるの? 記憶もないのに」

「理由はわからない。でも、君を見てると胸が苦しくなる。大切にしたくて、守りたくて……これが愛じゃなくて何だって言うんだ?」

その言葉に、私の心は大きく揺れた。嘘偽りのない、真っ直ぐな想い。記憶を失っているからこそ、純粋に私だけを見つめている。

でも、だからこそ辛い。この愛は、偽りの上に成り立っている。

「私のことを、何も知らないのに」

「これから知ればいい。君の好きなもの、嫌いなもの、笑顔の理由、涙の理由……全部、教えてくれ」

カイルが私の手を取った。大きくて、温かい手。この手が、私の胸を貫いたなんて信じられない。

「時間はたくさんある。急がなくていい」

時間? 私たちに、そんなものがあるの?

いつか彼の記憶が戻ったら。いつか真実を知ったら。この優しさは、憎しみに変わってしまうかもしれない。

「リア? どうした? 顔が青いぞ」

「何でもない……ちょっと疲れただけ」

嘘をついた。でも、本当のことなんて言えるはずがない。

カイルは私をベッドまで運んでくれた。お姫様抱っこで、まるで本当の恋人同士みたい。

「もう少し休め。俺がそばにいるから」

ベッドの脇に座って、私の髪を優しく撫でてくれる。その手つきが、どこまでも慈愛に満ちていて、涙が出そうになった。

「カイル……」

「何だ?」

「もし、私があなたを傷つけたことがあるとしたら……それでも、愛してくれる?」

彼は少し考えてから、微笑んだ。

「君が俺を傷つけるなんて、想像できない。でも、もしそうだとしても……愛してる。君がどんな人でも、何をしたとしても、この気持ちは変わらない」

嘘。きっと、真実を知ったら変わる。

でも今は、その言葉にすがりたかった。

「ありがとう……」

カイルは私の額にそっとキスをして、部屋を出て行った。一人になった私は、胸の傷跡に手を当てた。まだ痛む。でも、それ以上に心が痛んだ。

愛してる。この人を、心から愛してしまった。

殺された相手を愛するなんて、狂気の沙汰かもしれない。でも、止められない。

窓の外では、夕日が山の向こうに沈んでいく。美しい光景だった。でも私には、不吉な予感しか感じられなかった。

この幸せは、いつまで続くのだろう。

その答えを知るのが、怖くて仕方なかった。

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