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第十七話:疲労の果て、背負う覚悟

作者: ちばぢぃ
last update 最終更新日: 2026-02-15 14:31:50

秋季福岡大会3回戦を終えた翌朝、福丘高校野球部の寮は静かだった。昨日の龍門高校戦は、球太の完投勝利(4-1)で終わった。158キロのストレート、鋭く落ちるフォーク、夏の因縁を断ち切ったあのマウンドの記憶は、まだ球太の体に鮮やかに残っていた。

しかし、今朝の球太はベッドから起き上がるのも一苦労だった。

右腕をゆっくり動かすと、肩から肘にかけて鈍い痛みが走る。腰も重く、足首が少し腫れているような感覚。昨日の試合で投げた球数は、公式記録で128球。練習を含めれば130球を超えていた。初めて一人で130球を投げ抜いた体は、まるで鉛を詰め込まれたように重かった。

寮の部屋で、球太はベッドの端に座ったまま、右腕を軽く回した。痛みはないわけではないが、動かせないほどではない。隣のベッドで健が目を覚まし、ぼんやりした声で言った。

「球太……まだ寝てていいぞ。今日は午前中オフだって監督が言ってた」

球太は首を振った。

「いや……起きる。体、動かさないと固まる」

立ち上がろうとして、膝が少しガクッとなった。健が慌てて支える。

「マジで無理すんなよ。昨日、完投したんだぞ。130球だぞ」

球太は苦笑した。

「わかってる。でも……次の試合、2日後だろ。休んでる時間なんてねえよ」

健はため息をついた。

「龍門倒したばっかなのに……次は準々決勝だぞ。相手は北部地区の強豪・北九州学園だって。ピッチャー陣が揃ってるって噂だ」

球太はグローブを手に取り、指で握りしめた。

「知ってる。だから……俺が投げなきゃ」

午前中のオフ時間。選手たちは寮の食堂で遅めの朝食を取っていた。球太はパンとプロテインシェイクを口に運びながら、右腕を軽く揉んでいた。そこに涼がトレイを持って近づいてきた。

「早乙女。体、大丈夫か?」

球太は無理に笑顔を作った。

「大丈夫だよ。ちょっと重いだけ」

涼は球太の隣に座り、静かに言った。

「昨日、128球だったな。俺が2回戦で投げた分も含めて……お前が背負いすぎだ」

球太は首を振った。

「俺が先発だって決まったんだ。背負うのは当然だろ」

涼は小さく息を吐いた。

「肩の疲労は?」

「……少し疼く。でも、投げられる」

涼は黙って球太の右腕を見た。テーピングはしていないが、筋肉が微かに張っているのがわかる。

午後の練習開始前。グラウンドに選手が集まる中、山田監督が全員を中央に並べた。いつもの厳しい表情だが、今日はどこか落ち着いている。

「今日は軽めの調整だ。だが、その前に通達がある」

監督の視線が選手たちをゆっくりと見渡す。

「準々決勝の先発は……早乙女球太だ」

グラウンドに静寂が落ちた。

球太自身も一瞬、息を止めた。監督は続けた。

「篠原は2回戦で7回、3回戦で待機させたが、肩の疲労を完全に抜く。準々決勝は温存する。早乙女、お前が先発だ。北九州学園は投手陣が厚い。だが、お前なら抑えられる」

監督の言葉に、選手たちの視線が球太に集中する。翔が小さく息を飲んだ。健が心配そうに球太を見た。

球太は立ち上がり、声を張った。

「わかりました。俺が……投げます」

監督は球太をじっと見て、言った。

「無理はするな。だが……お前の球を信じる」

練習が始まった。球太はブルペンで軽く投げ込みを始めた。球速はまだ出ない。150キロ前後。フォークも少し甘い。体が重く、腕が上がらない。

健がミットを構えながら言った。

「球太、無理すんなよ。今日は軽くでいいって監督が……」

球太は首を振った。

「軽くじゃ……意味ねえよ。2日後、先発だ。体を慣らさないと」

投げ続ける。汗が額から滴り落ちる。右腕の痛みが、ジワジワと広がる。

ブルペンの端で、涼が立っていた。投げ終えた球太に近づき、低く言った。

「早乙女……体、限界近いだろ」

球太は息を切らしながら答えた。

「近いかも。でも……投げなきゃ、意味ねえ」

涼は静かに言った。

「俺が代わりに投げたい。でも、監督の判断だ。お前が先発なら……俺はベンチで、お前の球を全部見る」

球太は涼を見た。目が潤む。

「涼……ありがとう。俺、投げるよ。北九州学園を……抑えてみせる」

夕方、練習終了後。球太はグラウンドの隅で一人、座り込んでいた。右腕を押さえ、息を整える。そこに監督が近づいてきた。

「早乙女」

球太は慌てて立ち上がろうとしたが、監督が手で制した。

「座ってろ。話だけだ」

監督は球太の隣にしゃがみ、静かに言った。

「体は正直だ。130球投げ抜いた翌日だ。疲労は隠せない」

球太は俯いた。

「……わかってます。でも、俺が先発なら……投げなきゃ」

監督は小さく頷いた。

「そうだ。お前は投げる。だが、無理はするな。準々決勝で勝てば、九州大会だ。そこまで体を持たせろ」

球太は監督を見た。

「監督……俺、怖いです。2日後、また崩れたら……チームに迷惑かけるんじゃないかって」

監督は球太の肩に手を置いた。

「怖いのは、みんな同じだ。だが、お前は夏から変わった。監督に叫んだあの日から、お前は自分のマウンドを取りに来た。今日も、明日も、その意地を捨てるな」

球太の目から、涙が一粒落ちた。

「……ありがとうございます」

監督は立ち上がり、背を向けた。

「休め。2日後、お前のマウンドだ」

球太は一人残り、グラウンドを見渡した。夕陽が土を赤く染め、遠くで涼が素振りをしている姿が見えた。

「俺……投げる」

右腕を軽く握りしめ、球太は立ち上がった。体は重かった。でも、心は少し軽くなっていた。

準々決勝まで、あと2日。背番号10の執念は、静かに燃え続けていた。

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