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第十九話:病院のベッドから見る空、再生への第一歩

Auteur: ちばぢぃ
last update Date de publication: 2026-02-17 14:30:05

病院の個室は静かだった。白い壁、カーテン越しに差し込む柔らかな秋の陽光、点滴の滴る音だけが響く。早乙女球太はベッドに横たわり、右腕を固定されたまま天井を見つめていた。意識が戻ってから丸一日が過ぎていたが、まだ体は重く、頭の中は昨日のマウンドの記憶でいっぱいだった。

「158キロ……出なかった」

球太は小さく呟いた。ブルペンでは走っていたはずの球が、試合開始直後には140キロ前半しか出なかった。あの瞬間、腕に力が入らず、視界が揺れて、膝から崩れ落ちた感覚がまだ体に残っている。

ドアが静かに開き、監督の山田浩二が入ってきた。いつもは厳しい表情の監督が、今日は少しだけ穏やかだった。手に持った紙袋をベッドサイドのテーブルに置き、椅子を引き寄せて座る。

「監督……」

球太は体を起こそうとしたが、監督が手で制した。

「動くな。まだ安静だ」

監督は紙袋からスポーツドリンクとバナナを取り出し、球太の前に置いた。

「医者から聞いた。過度の疲労と右肩の炎症。腱板に軽い損傷があるが、断裂ではない。3~4週間は投球禁止。リハビリ次第で、年内には投げられる可能性はある」

球太は天井を見上げ、唇を噛んだ。

「……年内、ですか」

監督は静かに頷いた。

「焦るな。お前はまだ1年生だ。来年の夏まで時間はある」

球太の目が潤んだ。

「でも……準決勝、俺がいなくて……みんなに負担を……」

監督は小さく息を吐いた。

「準決勝は……涼が先発で投げた。7回2失点で締めて、チームは勝った。スコアは3-2。九州大会出場が決まった」

球太は目を閉じた。涙が頰を伝う。

「涼が……俺の代わりに」

監督は静かに言った。

「篠原は肩の疲労を抱えながらも、投げた。お前が3回戦で完投した分、篠原が準決勝で応えた。お前たちは……互いに背中を預け合ってる」

球太は声を絞り出した。

「俺……投げたかった。監督に『信じてる』って言われて……なのに、1回も持たずに倒れて……」

監督は球太の肩に手を置いた。重く、温かい手だった。

「倒れたのは、体が限界を教えてくれただけだ。お前は夏から、毎日自分を追い込みすぎた。監督にぶつかって、意地を張って……それが強さだと思っていただろう。だが、強さは無理をすることじゃない。自分の体と向き合うことだ」

球太は涙を拭い、監督を見た。

「監督……俺、どうしたらいいですか?」

監督は少し間を置いて、言った。

「まずは治せ。リハビリをしっかりやれ。筋トレ、ストレッチ、フォームの修正。投げられない間も、頭の中でマウンドに立て。映像を見ろ。自分の投球を分析しろ。来年の夏、お前はもっと強くなって戻ってくる」

球太は小さく頷いた。

「……わかりました」

監督は立ち上がり、紙袋を指差した。

「栄養取れ。バナナはカリウムが豊富だ。筋肉の回復にいい」

監督は病室のドアに向かいながら、振り返った。

「明日から、リハビリのスケジュールが組まれる。俺も、時々顔を出す。お前のマウンドを……また見たいからな」

ドアが閉まった。

病室に一人残された球太は、窓の外を見た。秋の空は高く、雲一つない。遠くで、どこかのグラウンドから野球の音が聞こえる気がした。

「俺……まだ投げられる」

右腕をそっと動かす。痛みはある。でも、諦めはなかった。

数日後。病院の廊下を歩く練習が始まった。右腕はまだ固定されているが、足取りは少しずつ軽くなっていた。リハビリのトレーナーが球太に言った。

「焦らなくていい。まずは体全体のバランスを取り戻すところからだ」

球太は頷きながら、窓の外を見た。グラウンドが見える病室の窓から、遠くで少年たちがキャッチボールをしている姿が見えた。

「あの頃の俺みたいだ……」

球太は小さく笑った。

寮から見舞いに来た翔と健が、病室に入ってきた。翔が大きな果物カゴを抱えている。

「球太! 持ってきたぞ! みんなからの差し入れだ!」

健が笑いながら言った。

「涼も来るって。監督が『安静にしろ』って言ってるけど、無理やり来るらしい」

球太は笑った。本当の笑顔だった。

「みんな……ありがとう」

翔がベッドの横に座り、言った。

「準決勝、涼が投げて勝ったぞ。決勝は来週だ。九州大会出場は決まってるけど……お前がいねえと、なんか寂しいよ」

球太は頷いた。

「俺も……行きたい。でも、今は治す。来年の夏、俺が……みんなと一緒に甲子園に行く」

健が拳を差し出した。

「約束な」

球太は右腕を動かせないまま、左手で拳を合わせた。

「約束だ」

夕方、涼が病室に来た。肩にテーピングを巻いたまま、静かに座る。

「早乙女」

球太は笑った。

「涼……準決勝、ありがとう。俺の分まで投げてくれて」

涼は首を振った。

「お前の分なんかじゃねえ。俺が投げたかっただけだ」

二人はしばらく無言だった。

涼が静かに言った。

「来年の夏……お前と俺で、エースナンバーを争おう。背番号1は、まだ譲らねえぞ」

球太は目を輝かせた。

「俺も……譲らねえ。10番から、1番を奪う」

二人は拳を合わせた。左手と左手。まだ弱いが、確かな握りだった。

窓の外で、秋の陽が沈み始めていた。病室に柔らかなオレンジの光が差し込む。

球太はベッドで目を閉じた。

「俺……まだ投げられる」

体は重かった。でも、心は軽くなっていた。

来年の夏まで、時間はある。

再生への道は、ここから始まる。

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