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――『ノクスレイン物語 オーロレイン編』より 断頭の刃が陽光を弾いた。 広場を埋め尽くした群衆は、誰も声を上げなかった。かつて彼女に踏みにじられた者たちの沈黙は、憎しみよりも重く、そして静かだった。 沈黙にも種類がある。これは、赦しの沈黙ではない。誰ひとり、この娘のために言葉を使う気がないという意味の沈黙であった。人が本当に他人を見限ったとき、罵りさえ惜しむものである。 「エレナ・シルヴァーバーグ。汝の罪は、王国の民が知るところである」 罪状が読み上げられていくあいだ、風が広場を渡った。祝祭の日に焚かれる香も、貴族の袖から立つ香も、ここにはない。あるのは石と、埃と、朝の水の匂いだけである。香りの王国において、香のない場所に立たされることが、そもそも刑罰の一部であった。 蜂蜜色の巻き毛は乱れ、かつて誰よりも豪奢だったドレスは、今はただの布切れのように色褪せている。それでも彼女は顔を上げていた。最後まで、誰にも縋らずに。 縋らなかったのは、気高さゆえではない。縋る相手を、彼女はもう一人も持っていなかった。この二つは、遠くから見ると同じ形をしている。 「エレナ様……」 処刑台の下、群衆の中に立つ一人の青年が、拳を握りしめて目を伏せる。彼女がかつて笑って踏みつけた誰かの、名も残らない一人。 この青年の名を、記録は持たない。かつて橋を架けることを仕事にしていた男が、その橋を折られ、それでもこの朝、ここに立っている。何のために立っているのかは、彼自身にも説明がつかなかったであろう。 剣が振り下ろされる、その刹那。 ――彼女は、何を思っただろうか。 物語はここで、彼女の内心を語らない。 § § § observer.init() scope = "minimal_intervention" subject = "Elena Silverberg" note = "let's see how this one goes." 予め宣言しておこう。 私はただ、見たものを記すだけ。 小さな小石を放り込み、どんな波紋が広がるか、くらいのことはするが、私自身は何もしない。 さて、どのような劇が見られるのか、少しだけ期待して様子を見るとしようか。 § § § 夜会の広間は、シャンデリアの光に満ちていた。 「
彼女は、少し驚いた顔をして——すぐ、また演技に戻った。「ふふ、あなたのような方に理解できるかしらね?」 見下すような、底意地の悪い表情を浮かべる貴族の少女。残念ながら似合ってない。 あー、これは『悪役令嬢』ってヤツだな。物語の悪役を真似した令嬢。 この世界に「悪役令嬢」なんて概念はない。それをここまで再現してる時点で、やっぱり異世界からの持ち込みだ。「……ただ、あの香りが……気になって仕方ないのよ」 急に、声のトーンが変わった。演技の仮面が、一瞬だけ剥がれたような。「甘くて、でも静かで……芯のある香りだったの。忘れられないの」 それは遠い何かを思い出しているような、そんな表
バッターンッ! 乾いた音が店内に響いた。扉の開閉音。しかも強め。 おまけに、聞き捨てならない声がついてきた。「ムーア商店の者! ここにあるかしらッ!!」 ……え? なにこの人。声でかすぎだろ。しかも語尾に星マークでもついてそうな勢いだし。 その瞬間、店内の空気が変わった。値切り交渉してたおばちゃんも、納品伝票を確認してた職人も、瓶入りの香油を棚から盗もうとしてた浮浪者——コラまでもが、一斉に動きを止めて入口に視線を向ける。 そして、見た。 扉の向こうに立っていたのは、太陽をそのまま形したような少女だった。 純白のフリルが爆発したような服。 蜂蜜色のカールヘアにつり目が
「なあフィン。今日だけでいいから、あの香水屋に顔出してくれや」 朝、店の扉を開けると同時に、店主のムーアさんがパンを片手に言い放った。「なんでまた俺が……」「ベルティエ香水店から臨時派遣依頼が来とる。香りに詳しいって紹介しといたぞ」 香りに詳しいって、俺が? 雑貨店アルバイトの俺が? まぁ、わからなくはない程度の知識をあるけどさ。「それ、単に鼻がいいってだけじゃ……」「細かいことはいいんだよ。鼻が利くなら十分だろう?」 ムーアさんは手をひらひらと振った。「お前はバイトなんだから、言うこと聞いてりゃいいんだ」 バイト。 異世界からの流入語で、この世界では「短期雇用労働者」
領主館は町の南、段丘の上にあった。 高台に築かれたその屋敷は、外から見れば石造りの地味な建物だが、門を抜けた瞬間に空気が変わる。 芝は短く刈られ、敷石には靴跡ひとつなく、花壇には季節外れの百合が咲いていた。 整いすぎている。どこか、誰かが無理をしてまで整えているような気配。 門を通ったところで年配の家令が現れ、俺を迎えた。 痩身で無表情だが、所作はまさに貴族の屋敷にふさわしい品格を感じさせる。「冒険者ギルドから参りました、フィンと申します。本日のお約束の件で」 俺は軽く頭を下げながら、用意していた依頼状を差し出す。 家令は一礼のままそれを受け取り、目を通すでもなく懐にしまい







