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「転生したら貴族令嬢でした!」

last update Last Updated: 2025-11-11 04:45:11

 ――時は少しさかのぼり、とある令嬢の物語が静かに幕を開ける。

 彼女の名はエレナ・シルヴァーバーグ。

 先ほどの出会いへとつながる、もう一つの物語が今、はじまる――。

 ◇

 深い深い闇の中で、一つの魂が漂っていた。

 蜂蜜色の髪をした少女の魂。かつてエレナ・シルヴァーバーグと呼ばれた存在。

「もう……わたくしなんて、いないほうがいいんですわ」

 その声は、闇の中でかすかに響く。

「お母様も、わたくしのせいで……もう、なにもかも……」

 愛した母を失った悲しみ。自分のせいで死なせてしまったという罪悪感。

 すべてが重すぎて、もう生きていることさえ辛くて。

 その魂は、肉体の奥底へとゆっくりと自分を沈めていく。

 まるで深い湖の底へと落ちていくように。静かに、静かに。

 そして——暗闇の向こうから、別の光がやってきた。

 同じように傷つき、同じように孤独だった魂が。

「お願い……今度こそ、幸せになりたい」

 二つの魂が、闇の中で出会った瞬間——

 頭がずきずきと痛む。まるで長い間眠り続けていたような、重い眠気が体を包んでいる。

 私、白石香澄は薄っすらと目を開けた。視界に飛び込んできたのは、見たこともない豪華な天井。金色の装飾がきらきらと輝いて、まるでお城みたい。

 ……あれ?

 そして——なんだろう、この香り?

 空気が違う。ただの空気じゃない。石鹸の香り、花の香り、かすかな香木の匂い、それから——悲しみ? 寂しさ?

 え? 匂いで感情がわかるって、何それ……?

 今まで嗅覚なんてそんなに敏感じゃなかったのに、まるで香りが色とりどりに見えるみたい。これって一体……?

 起き上がろうとして、愕然とする。私の腕が細い。すごく細くて、色白で、指先まで美しい。

 そしてベッドの向こうには、これまた見たことのない豪華な調度品。

 私、死んだはずじゃ……

 そうだ。学校でのいじめが酷くて、家に引きこもって、病気になって、そして——

 慌てて鏡を見ると、そこに映っていたのは知らない顔。蜂蜜色の縦巻き髪に金色の瞳をした、驚くほど美しい少女。

 誰これ……私?

 でも、この顔。どこかで見たような……。

 その時、断片的に記憶が流れ込んできた。豪華な屋敷、大きな庭、使用人たち、そして——香りの記憶。

 母親の優しい声、花の香り、温かい手のひら。

 だが同時に、深い悲しみと罪悪感も押し寄せてくる。

(お母様……私のせいで……)

 誰の記憶? この感情は一体……?

 混乱の中、ゆっくりと思い出す。この顔、この髪、この部屋の装飾。そして流れ込んできた記憶の断片——ノクスレイン王国、シルヴァーバーグ家。

 私が最後にプレイしていた香水をテーマにした乙女ゲーム『恋と貴公子と百の香水』と、全部一致している。

 まさか……エレナ・シルヴァーバーグ?

 ノクスレイン王国の侯爵令嬢エレナ・シルヴァーバーグ。ヒロイン・リュミアに嫌がらせを繰り返し、最後は婚約破棄されて領地に幽閉される運命の、典型的な我が儘令嬢!!

 転生しちゃったの? しかもゲームの世界の貴族令嬢に!?

 ちょっと待って、冷静になりましょう白石香澄。

 ベッドの縁に座り、必死に状況を整理する。

 転生した。それは間違いない。でも、なぜか時々この身体の持ち主——エレナの記憶が混じってくる。

 深い悲しみと、何かに対する強い罪悪感。

 この子も、辛いことがあったのかな……

 でも今は、目の前の問題に集中しなければ。エレナ・シルヴァーバーグの破滅ルートは確定してる。

 このままだと最後は——

 絶対に嫌! 今度こそ幸せになるって決めたんだから。

 いじめられて、病気になって、誰にも愛されずに死んだ前世。でも今度は違う。

 この美しい身体で、素敵な人たちに囲まれて、きっと幸せになれる。

 善行ムーブで破滅回避よ! まずは使用人さんたちと仲良くなって……

 でも、困った。ゲーム知識はあるけど、貴族の生活なんて全然わからない。

 どういう言葉遣いをすればいいの? お食事のマナーは? 使用人さんにはどう接するのが普通?

 うわあ、どうしよう……

 あ、そうだ! ゲーム世界なら、ステータスとかスキルとか確認できるんじゃない?

「ステータスオープン……ですわ!」

 ……何も起こらない。いやちょっとまって今私なんて言った?

「えーっと、ステータス? スキル確認ですわ?」

 やっぱり何も。そして何、この口調!?

 何度やっても、ゲームみたいな画面は出てこない。

 あれ? なんで? 転生ものだったら普通……

 そうか、これはゲームじゃなくてゲーム世界なんだね。ゲームと同じ世界だけど、システム的な機能は使えないのかも。

「まあ、でも香りの感覚が鋭くなってるし、何かしらのスキルはあるのかな?」

 その時、こんこんとドアがノックされた。

「お嬢様、お目覚めでしょうか」

 震え声。明らかに怯えてる。

「どうぞ」

 入ってきたのは、栗色の三つ編みをした私と同年代くらいの女の子。ゲームで見たクラリスだ。

 でも、彼女の表情は恐怖に満ちてる。

「あの……お加減はいかがですか?」

 まるで怯えた小動物みたいに、私の顔色を窺ってる。

 どう答えればいいんだろう? 貴族のお嬢様らしく? でも、どんな言葉遣いが正しいの?

「あ、あの……」

 困っていると、突然記憶が浮かんだ。エレナの記憶——クラリスと過ごした日々、使用人への接し方、言葉遣い。

 そして、どれだけ我が儘を言って困らせていたか。

 うわあ……思わず顔が青くなる。なんて酷いことを……。

 ゲームだからって分かってても、やっぱり人を傷つけるのは嫌だ。今度は違う。優しくしなくちゃ。

「クラリス……さん、ありがとう。もう大丈夫ですわ」

 自然に言葉が出てくる。エレナの記憶が教えてくれてる。

 って、やっぱり語尾に『ですわ』がついてる!? オートでお嬢様口調になっちゃった!?

「……え?」

 クラリスの目が大きく見開かれる。

「あの……今、なんと……?」

「クラリスさんありがとうって言ったけど……おかしかったかしら?」

 かしら!? なにこの自動変換機能!

「お、お嬢様が……『ありがとう』を……」

 そして彼女の目に涙が浮かんだ。まるで奇跡を見たかのような表情で。

「本当に……お嬢様なんですか?」

 あ、そうか。ゲームの中だから、安心して素直にお礼が言えるんだ。現実だったら、また裏切られるかもって怖くて、こんなに自然に優しくできないもん。

 朝食の準備をしてもらう間、私は屋敷を歩いてみることにした。

 どこもかしこも豪華で、まさに貴族のお屋敷って感じ。ゲームで見てた通りだ。

 廊下で掃除をしてる女の子——ミラに声をかけてみる。

「おはようございます、ミラさん。掃除お疲れさまですわ。いつもありがとうですの」

 ですの!? もう完全にお嬢様モードじゃない!

 彼女は雑巾を取り落とし、震え上がった。

「お、お嬢様……?」

「あ……ああ……」

 ミラは涙を流しながら、何度も頭を下げる。

 …って、攻略脳で考えちゃったけど、やっぱり人が泣いてるのを見ると胸が痛くなる。一体どれほど厳しく当たってたんだろう、元のエレナ。

 でもゲームの中だから、安心して謝れる。現実だったら、優しくしたって結局裏切られるかもしれないけど、ここなら大丈夫。

 庭に出ると、老庭師のトーマスが作業をしていた。

「おはようですわ、トーマスさん」

 トーマスはスコップを落とし、私をじっと見つめる。

「エレナ様……」

「お花、とても美しく咲いていらっしゃいますのね。お母様も、こんな風にお花を愛でていらしたのでしょう?」

 いらっしゃいますの!? 花に対して敬語使ってるし!

 その瞬間、トーマスの目に大粒の涙が浮かんだ。

「そうです……奥様は、花を心から愛していらっしゃいました。そして、エレナ様のことも……」

 私の中で、また深い悲しみが込み上げてくる。これはエレナの感情……データだ。

 母親への愛と、失った悲しみと、そして——

「奥様が戻ってこられたようじゃ……本当のエレナ様が」

 ふと、枝の上で小鳥が鳴いた。

 羽毛のような軽さで枝が揺れ、トーマスが目を細める。

「今年もこの子たちは元気でなによりですな」

 私の香りに誘われるように小鳥が私の肩に止まった。

「あら?」

 小鳥小首をかしげちょん、と私の頬をつついた。

「……っ」

 微かな痛みが、胸の奥にまで届く。その瞬間、胸の中で何かがはっきりと音を立てた気がした。

「おや、お嬢様は、この子たちに好かれているようですな」

 トーマスの言葉に、胸の奥が温かくなり私は無意識に頬をゆるめた。

 私は白石香澄だけど、この身体にはエレナのデータも残ってる。ゲームの中だから、安心して二人分の気持ちを大切にできる。

 肩から小鳥が飛び立っていく。

 私たち、二人で幸せになるんだ。

 夕食の時間。大きなダイニングルームで——って、どうやって座ればいいの? どのフォークを使えば?

 パニックになりそうになった瞬間、またエレナの記憶が浮かんだ。椅子の座り方、カトラリーの使い方、父との食事の作法。

 ダイニングルームには既に男性が座ってた。初めて見る顔だけど——あ、記憶が浮かんできた。

 威厳ある灰金の髪、鋭い琥珀の瞳。この人が父親、ジグムント・シルヴァーバーグだ。

「エレナ」

 威厳のある声で名前を呼ばれる。

「はい、お父様」

「体調は問題ないか? 使用人たちが大騒ぎしているようだが」

「もちろん、問題はございませんわ!」

 問題ございません!? 自分の父親に敬語!?

 隣に控えるのは執事のクライスト。銀髪をオールバックにした、どこか冷たい印象の男性。

 その視線が、じっと私を観察してる。

「お嬢様の変化について、屋敷中が……驚愕しております」

 クライストの声に、わずかな警戒が混じってる。

「変化って?」

「まるで……生き返ったかのような」

 確かに、ある意味生き返ったのかもしれない。エレナも、私も。

「お父様もお忙しいでしょうに、わたくしのことまで気にかけてくださって。ありがとうございますわ」

 わたくし!? しかもめちゃくちゃ丁寧!

 ジグムントの手が止まった。クライストも、わずかに眉をひそめる。

「……エレナ、本当に大丈夫なのか?」

「はい。今日から、新しいわたくしとして頑張りますわ」

 新しいわたくしって何よ! この自動変換システム、どうにかならないの!?

 でも…ゲームの中だから、こんな風に素直に感謝の気持ちを伝えられるのかも。現実だったら、家族にだって心を開くのは怖かったから。

 クライストの視線が、一層鋭くなった。まるで何かを探るように。

 夜、一人の時間。部屋を探索してると、ドレッサーの上に美しい香水瓶を見つけた。

 これって……

 透明なガラスに繊細な装飾。中身は淡いピンク色の液体。

 恐る恐る蓋を開けてみる。

 ふわりと立ち上る香り。その瞬間——

 記憶が溢れ出した。これはきっとエレナのデータ。

 幼い日、母マリアンヌと過ごした穏やかな時間。花の香りに包まれて、優しい声で物語を聞かせてもらった日々。

 お母様……

 涙が頬を伝う。これはエレナの涙だ。

 愛した人を失った悲しみと、自分のせいで母が死んだという罪悪感。

 でも同時に、私自身の記憶も蘇る。現代で一人ぼっちだった日々。

 いじめられて、誰にも理解されずに死んでいった寂しさ。

 二つの記憶が、香りを通して初めて混じり合った。

 あなたも、寂しかったんだね……

 私はそっと呟く。

「でも、もう大丈夫ですわ。今度は一緒ですもの。二人で幸せになりましょう」

 ですもの!? このお嬢様口調、もう止まらない!

 香水瓶を胸に抱きながら、私は誓う。エレナの記憶も、私の後悔も、全部背負って新しい人生を歩んでいこう。

 ゲームの中だから、安心して愛を信じられる。今度こそ、みんなと幸せになるんだ。

 ヒロインのリュミアちゃんとも仲良くなって、素敵な攻略対象の男性たちとも友達になって。

 アルベール王子やルシアン王子、ガイルくんにユリウスくん、テオくんにノアくん——みんなゲームで見た通りの人たちがこの世界にいるなんて!

 今度こそ、愛に満ちた日々を送るんだ。

 外では夜風が窓を揺らし、まるで二つの魂を祝福するような優しい音を奏でていた。

 そしてどこからか、かすかに花の香りが漂ってくる。

 うん、この世界で頑張ってみよう!

 わたしは心の中で呟いたのだった。

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