聖暦1590年
「情報屋の話だとここの筈ね」
ここはアーゼスト最西端の大陸、ズィーア大陸。
その中でも最大の国家であるセストリア王国の首都セスト。
その端に存在する酒場である。
近くに冒険者ギルドがあるここ近辺は冒険者達の拠点として活用され、この酒場も2階は宿屋になっており冒険者達の憩いの場となっていた。
日も落ちかけている現在、そんな訳で周りには見るからに屈強な荒くれ者達が増えている状況において、その可憐な少女はあまりにも場違い感に溢れていた。
しかしそんな状況など意に介さず平然と酒場に入っていく少女。
周りの客が少し意識し、しかしすぐに酒や料理、話に戻る。
それはそうだろう、少女が若い美少女だから目立つだけで女の冒険者はそれこそこの酒場にだって居る。
いちいち気にしていたら冒険者なぞやっていけない。
ただやはり若い美少女というのは気になる存在なのだろう。
案の定少女に絡んでくる輩が居た。
「オイオイなんだ嬢ちゃん?ここはレストランじゃねぇぞ?ガキはさっさと家に帰んな!それとも俺達と一緒にいい事したいのかい?」
下心丸出しの下卑た笑いを浮かべながら筋骨隆々の男が少女の前に立ちはだかった。
そんな男の横を素通りし、少女はカウンターの奥に居る店主らしき人物に声を掛けた。
「人を探しているの。ここに最近フードを被った3人組が来ていると聞いたのだけれど、ご存知ないかしら?」
それに店主は顔を上げ答えようとするが、
「無視してんじゃねぇぞクソガキがァ!ちいとばかし痛い目をみてぇ様だな!?」
と、先程の男が少女に向かって殴りかかってきた。
背後からの不意打ち、少女は帯剣しているがそれを抜くより前に殴られその後は酷い運命が待っているだろう。
誰もが少女に哀れんだ目を向けようとした刹那、
少女の姿が消えた―
そう思う程の高速移動で男に肉薄、鳩尾に拳を叩き込み男を沈めた。
あまりの一瞬の出来事に誰もが言葉を失い静まり返る中、少女は振り向き再度店主に問いかける。
「ごめんなさい、話の続きで。それで?知っているかしら?」
何事も無かったかのように話す少女に気圧されながらも店主は店の一角に目を向ける。
少女も追ってそちらに向くと、居た。
食事中だというのにフードを目深に被り、こちらの出来事などまるで眼中に無いかの様に食事を続ける3人組。
少女はその3人に向けて歩き出し、言った。
「あなた達を探していたの。あなた達、ザジという名を知っているわよね?」
その言葉にフードの2人が少し反応した。
代わりに聞き耳を立てていた周りの客の反応の方が大きかった。
「ザジ!?ザジってあの!?」
「少し前に剣聖として隣の大陸で有名だったあのザジ!?」
「今じゃ確か隠居してどこにいるか分からないんじゃなかったか?」
「いやいや死んだって噂だぜ?」
と、口々にざわめき出す。
その言葉を代弁する様に唯一無反応だったフードの1人が答えた。
「知っていますよ、かの御仁は有名な方ですからね。しかし知っているだけで私達には何の関わりも無いのですが?」
声からして男だろう。少女よりも少し年上だと感じる声色でそう答えた。
「ザジは私の師匠だったの。彼が最期に言っていた言葉よ。『ワシが死んだらフードの3人組を探せ、今はズィーアに居るはずだ』と」
その言葉にフードの男が反応した。
「彼は…死んだのですか…?」
「ええ、去年老衰でね。最期まで元気なおじいちゃんだったわ。結局彼に勝つ事は出来なかったのが悔しいけれど」
悲しみと少しの悔しさを滲ませながら少女は答えた。
「彼は他に何か言っていましたか?」
「あなた達に伝言を。『約束を守れずすまない、申し訳ないついでにこの弟子を頼む。』だそうよ、約束の内容までは聞いてないから私にはさっぱりだけど」
「そうか…逝ったか…悪い事をした…」
と、悲しみと寂しさと何故か諦めが滲む様な声で男が答えた。
「貴女は随分と気に入られていた様ですね?」
その男の問に少し恥ずかしがりながらも少女が答える。
「2年という短い間だったけど良くしてもらったわ。この剣も彼の愛剣を譲ってもらったの。だからかな?まるで本当のおじいちゃんの様に思っていたわ」
「そうか…確かにその剣は…」
お互いもう居ない彼に想いを馳せながら男が言った。
「確かに私達は彼とは旧友でした。そして昔の約束を違えたのもこちらです。なので君の事も面倒を見ようと思う。それでよろしいかな?」
その言葉に残りの2人が反応するが、2人が何か話す前に男が言った。
「もちろん1人で生きていけると言うのなら私達も過度の干渉はしません。しかし彼から頼むと言われているのでね、代わりに何か1つ要求を飲もうではありませんか」
その言葉に少女は決まっているとばかりに即答した。
「なら私を弟子にして。あの人が生前ずっと言ってた、絶対に勝てないと思った相手が居るって。それって貴方なんでしょう?じゃなきゃ私を託したりしない。だから私を強くしてほしいの」
その尋常ではない雰囲気が気になり男は問うた。
「強くなってどうしたいのですか?」
それに少女は憎しみの籠った目を向けて、
「復讐するの」
とだけ答えた。
その答えに少し笑いながら…
「失礼、馬鹿にしたのではありませんよ。あまりにも強い想いでしたので驚いただけです。てっきり世間知らずのお嬢様かと。貴女名前は?」
「レイミスよ。師匠は長いからレイって呼んでた」
「よろしい。ではレイ、あなたを弟子にします。上に私達の部屋があるのでそこで詳しく話しましょう」
と2人を伴い男が立ち上がった。
レイもそれに着いて行こうとした時、先程レイに殴られ気絶していた男が起き上がろうとしていた。
「クソが!舐めやがって!俺はB級冒険者のゴルム様だぞ!?不意打ちで気絶させたからって調子に乗るんじゃねぇ!」
そう言いながら背中の斧を取り出しこちらに向かってきた。
不意打ちなら自分もしたじゃん…
その程度でB級なんだ…
そもそもB級ってどれくらい凄いんだろ?
そんな様々な事を思いながら向かってくる男を見るレイ。
逆に言えばそんな事を考える余裕があるくらい自分達には実力差があるのだが。
しかし面倒なのでもう一撃食らわせてやろうかと思ったその時、フードの男が言った。
「申し訳ありません、これから彼女は私達と話し合いをしますので少し静かにしていてください」
それだけ。
少なくともレイには男が何かしたように見えなかった。
ただそれだけでゴルムという男は白目を向いて倒れ込んでしまっていて。
その事実に周りの客も、そして間近に居たからこそ何をしたのか分からないという事実にレイが驚愕する。
(魔法?それにしては魔法発動時の魔法陣や詠唱、何より魔力の動きが何も無かった。なら体術?それこそ有り得ない、この男の近距離に居た私でさえ何も見えなかったのに…)
そんな事を考えながら男を見ると、男は何事も無かったかのようにレイを向いていた。
「な、何?」
「いえそう言えば名乗っていなかったなと」
そう言って男は。
「今はニイルと名乗っています。今後ともよろしく」
と、そう言うのだった。
全てが終わりレイ達4人がいつもの宿に戻った時には、太陽が昇り始める時間になっていた。朝日に目を細めると緊張が解れたのか、途端に空腹と眠気がレイを襲う。(そういえばご飯もまだだったわね)仕事終わりの食事をするつもりがここまでの騒動になってしまった事に、つい苦笑してしまうレイ。今すぐにでもベッドに飛び込みたい欲求を堪えて、まずはニイルの部屋でレイとニイルの治療を行う事となった。治療と言っても例の如く、ニイルの用意した魔法薬を飲むだけなのだが。しかしそこで一悶着起きた。ニイルから差し出された魔法薬を見た瞬間、今迄の鬱憤が爆発したのだろう、レイが以前苦言を呈した時以上の怒りでもってニイルに詰め寄ったのだ。「魔力は治癒魔法では回復しないからこれを飲むのは分かるわ。でもいい加減この地獄を何とかしないと耐えられない」と、今迄ニイルに向けた事の無い剣幕でそう告げたのだ。「以前貴方は言ったわね?飲んだ事が無いから分からない、と。なら今すぐ貴方も飲むべきだわ。そうすればいかに貴方が悪逆非道な行いをしてきたのか分かる筈よ」その迫力は、フィオやランシュでさえもレイを止めるのを躊躇わせる程。流石のニイルもその雰囲気に呑まれつつ、抵抗を試みる。「い、いえ…私も飲みたくないから飲まない訳では無く、飲・ん・で・
「一体…何が起こってるの…?」震える声で囁くレイ。誰かに対して言った言葉では無い。ただひとりでに、無意識の内に出た言葉であった。レイは全てを目撃していた。スコルフィオの周囲に突然現れた騎士達も。その騎士達と戦うマーガも。スコルフィオが燃やされ、しかし何故か死なずにマーガ諸共斬られる所も。そして、意識を取り戻したマーガの首が刎ねられる所も…その全てが、ま・る・で・現・実・の・上・か・ら・重・な・っ・て・流・れ・る・映・像・の・様・に・、半・透・明・
「『神性アルカヌム』?それに『惑わす淫魔アスモデウス』って…」聞き慣れない単語を耳にし、1人呟くレイ。だがその圧力プレッシャーはどこか身近で、しかしその何倍も大きくて…「『神性アルカヌム』とは、簡単に説明するならば神性付与ギフトの上位互換です。か・つ・て・存・在・し・た・神の権能、その半分程が人間と混ざり合い新たに名を得たのが『神性アルカヌム』、その保持者達を『神性保持者ファルサ』と呼びます」ニイルの説明に愕然とするレイ。かつてレイが勝てなかったベルリや、序列大会で会ったルヴィーネ、レイが出会い戦った相手はどちらも尋常では無い強さを有していた。しかしその『神性付与保持者セルヴィ』達でさえも、『神性保持者ファルサ』の前では劣るのだという。にわかには信じがたいが、そもそもレイはこの力の事をよく知らない。
土煙の中から姿を現すマーガ。今にも倒れそうな様相で意識も朦朧としているが、その瞳には確たる意志を宿していた。横で倒れているブレイズに目を向けるマーガ。意識は無いが呼吸は辛うじてしている状態だった。しかしその状態も長くは続かないだろう、最早一刻を争う状態であろう事は傍から見ても理解出来た。(魔法障壁のお陰で、何とかお互い一命は取り留めた。敵の増援が来た以上本来なら部下を呼んで撤退するべきなんだろうけど…)周囲に意識を向けるが戦闘の音が全く聞こえない。最後に見たのは部下全員がたった1人を相手に向かって行った時。それから一向に助けに来ないところを見るに、想像したくは無いが全員やられたのだろう。(敵の増援が来た以上、早々にこの場を切り抜けなければならない。僕の魔力ももう空だけど、何とか君だけは逃がしてみせるよ)内心でブレイズに語り掛けるマーガ。彼を喪う事はセストリアの、いや世界にとっての損失だ。それ程この『剣聖』は人類にとっての希望なのである。
「さぁ、そろそろ決着をつけましょうか?」挑発する様にそう告げるレイだったが、決して勝算の目処が立ったからでは無い。寧ろその逆で、いよいよレイの魔力の底が見えてきたからである。これ以上長引けば、2人を削り切る前に確実にレイが魔力切れを引き起こす。当初想定していた最悪のシナリオ通りに進む事が予想出来た。故にレイらしからぬ挑発も兼ねた宣言を行ったのである。しかしその挑発を受けても、対する2人の冷静さが失われる事は無かった。勿論、状況的に追い込まれている事は重々承知の上だがそれでも尚、2人は勝利を諦めてなどいない。この程度の苦境、英雄と呼ばれるようになってから今まで、いやそれ以前からも、幾度となく乗り越えてきたのだから。「しかし追い込まれてるのもまた事実…ってね。そっちはどう?」わざと明るい雰囲気を醸しながら言ってのけるマーガ。ここで悲観した所で状況は好転しない、それ故の態度だった。「確かに早々に決着を付けたいのはこちらも同じだがな。だがこちらも奴を殺れるだけの決め手が無い。持久戦に持ち込まれればこちらの敗北は目に見えている」マーガなりの気遣いに感謝しつつ、しかし厳しい現状を冷静に突き付けるブレイズ。マーガの魔力も、ブレイズの体力も限界に近い今の状況では短期決着を狙うレイと同じではある。しかしこちらの手の内を全て晒し、その上で互角である。
流石に嘘だと信じたかった。しかし現実と共に思い知らされる。英雄と呼ばれる者の恐ろしさを―(たった1回、それも目で追えない様な速度だったのに…たったそれだけで対応してきた。そもそも雷に追い付くなんて、人間に出来る芸当じゃ無いのだけれど…)いくら100%の『雷装』ほんとうのぜんりょくでは無かったのだとしても、この技はレイにとっての切り札。速度も、本物の雷に劣るが決して並の人間が捉えられる速度では無い。身近に師匠バケモノが居るから錯覚してしまうが、英雄と呼ばれるブレイズとマーガも、バケモノになる事を選んだレイも、本来なら人類では最強格なのである。(そういえば、いつだって御伽噺では、バケモノは退治される側だったわね)幼い頃、妹と共に読んでいた御伽噺を思い出すレイ。世界各地で伝えられている物語は様々で、ある者は怪物を、ある者はドラゴンを…そしてある者は神すらも屠り、英雄と崇められていた。レイ達はそのどれもが好きであり色々と読み漁ったものだが、思い起こせばそのどれもが、人間がその上位の存在を打ち破る話だった。だからこそ人類は絶望に負けず希望を見出し、ここまで繁栄して来れたのだろう。その希望の象徴たる『英雄』の称号を与えられた人間が弱い筈は無く、その相手はバケモノ未満であるレイ。