「今日は遅いので明日の朝、ここの1階に集まりましょう」
ニイルの言葉でその日は解散となった。
レイもセストに到着したばかりである。
拠点とする様な場所も探しておらず腰を落ち着けたい気持ちもあったので、逸る気持ちを抑えながら賛同した。
幸いこの宿屋の空き部屋を借りられたので、その日はゆっくりと休む事が出来たのだった。
翌朝レイが1階に降りると3人はもう揃って、レイを待っていた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「おはよう。お陰様でね。待たせてしまったかしら?」
「いえいえ、これから朝食をとろうとしていた所ですよ。良ければ食べながら話しませんか?」
そう言われ空いている席に案内される。
レイもお腹が空いていたのでその提案に乗り、店主に注文をする。
頼んだ朝食が並び始めたところでニイルが切り出した。
「さて、修行を行う約束でしたが、まずはお互いの力量を知らなければなりません。こちらもあなたがどれだけ出来るのか分からなければ何も教えられませんし、あなたも自分より弱い相手に教わりたくないでしょう?」
それはもっともである。
いくら師匠の言葉といえど実際に見て体験してみない事には、いまいち信憑性に欠けると感じていたところだ。
「見たところあなたは帯剣をされているので剣士だとお見受けしました。なのでまずはこのランシュと戦ってください。それを私達が見て判断します」
その言葉にランシュが頷く。
そうして朝食後、ランシュとの模擬戦が行われる事となった。
街から少し離れ多少暴れても大丈夫な場所まで移動してきた一同。
中々広々とした場所でいかにも訓練に向いてそうな場所である。
「ここは冒険者が特訓や訓練をする為の場所でしてね。ここなら派手に暴れても大丈夫ですよ」
そのニイルの言葉に少し感謝しながらレイは答える。
「模擬戦ならこの剣を使うより素手や木剣とかの方が良いんじゃない?」
見たところランシュは丸腰、魔法師のほとんどが杖か魔法使用を補助する物を持っている事を考えると、恐らく素手で戦うタイプだろう。
そんな相手に対して剣を使用する事は憚られたのだが、それを笑いながらニイルが否定する。
「大丈夫ですよ、その剣を使って本気で殺しに来てください、ウチのはそんなにヤワじゃ無いので」
その言葉に少しカチンと来るレイ。
自分だってそんなに弱い訳では無い筈なのだ。
何せあの剣聖の元で2年も学び、それ以前にも数々の修羅場をくぐり抜けてきたのだから。
「そこまで言うなら本気でいくけど、怪我してもしらないからね」
「大丈夫ですよ、そっちは魔法も使って構いません。本気の実戦だと思ってください。じゃないと実力が分かりませんので」
と、更に煽るような事を言ってくるニイル。
その言葉に後悔させてやると内心決めながらレイは剣を抜いた。
ランシュがフードを脱いだところで、
「では、始めてください」
ニイルが開始の合図を出す。
まずはお互い様子見、剣を構えたままランシュの動きを観察しようとしたレイはその違和感に気付く。
そう、ランシュは構えもせずその場に棒立ちになっているのだ。
しかし油断している訳でも無く隙が見当たらない。
その事実に気味の悪さと、明らかに向こうの方が実力が上なのだろうという事が分かり少し苛つくレイ。
今までの相手は大体が格下か、例え格上であったとしても自分が少女という事で油断して負ける様な相手ばかりだった。
故に師匠以外には負けた事が無い。
今目の前に居る相手はそのどれでもない、油断はしていないが舐めている、そんな印象を受けた。
そう、この10年間強者の噂を聞けばわざわざ倒しに向かっていた自分に対して。
(ならその自信すらも打ち砕いてやる!)
レイは一瞬で自身に強化魔法を付与し、目にも止まらぬ早さでランシュに接近、その胴目掛けて剣を振り抜く。
(取った!)
勝利を確信し寸止めしようとした剣は、しかしその直後ランシュの右肘と右膝に挟まれ、いわゆる真剣白刃取りの様な形で止められていた。
「な!?」
そのレイの一瞬の動揺をランシュが見逃す筈もなく、空いた左手で思い切り殴られ、レイは地面に叩きつけられた。
「だから言ったでしょう?殺す気で来なさいと。今のあなたでは彼女にかすり傷すら与えるのも難しいですよ?」
ニイルの言葉に、しかしレイは反応する事すら出来ない。
凄まじい衝撃に息も詰まり、意識が飛びそうになる。
「まぁこの程度ですか。今日はここまでですかね」
その言葉に手放しかけた意識を戻し、立ち上がるレイ。
「まだよ…まだやれるわ…」
「ほう?」
どうやら油断していたのは自分らしい、その事をしっかり反省しながら改めてレイは考える。
(今ので実力差は大体掴めた。どうやったところで私は勝てない。ならあの技を使ってでも殺すつもりで行く!)
そう決意し、レイは新たな魔法を刻む。
「魔法装填!」
その言葉と共に雷魔法を剣に付与し、そして奥の手も発動する。
「装填魔法!」
一般的に無機物に魔法を装填する魔法装填と呼ばれる技術だが、魔法をその物に付与するという点でとても高い技術が要求される。
更に別の魔法を同時に発動する技術も難易度が高く、例えるなら左右の手で違う文章を書くという様な技術が求められる。
その2つを同時にこなすなど、到底16歳の少女に出来る芸当では無かった。
そして装填魔法、これは有機物に魔法を付与出来るエレナート家の秘伝魔法である。
本来有機物には強化魔法、治癒魔法、精神魔法、状態異常魔法の4つのみしか付与出来ない。
装填魔法はその制限を取り払い、あらゆる魔法を付与出来る様になるという魔法である。
エレナート家でも魔法に高い適正と天才的なセンスを持つ一部の者しか使えない、まさしく奥義と呼ぶべき代物である。
もちろんいくら天才のレイでも今の段階では10秒維持するだけで精一杯だった。
しかし全身に雷を纏ったレイは、今や雷とほぼ同等のスピードを手に入れている。
このお陰で、大抵の敵は10秒以内で殲滅出来る程の戦闘力を獲得していた。
「ほう!」
これには流石のニイルも驚きを隠せない。
ただでさえ高度な技術を2つも行いながら、更に超高度な魔法を使用しているのである。
その魔法適正の高さと戦闘センスには、目を見張るものがあった。
雷を纏いながら剣を構え、ランシュに向かって突進を行うレイ。
たったそれだけで落雷の音が響き、レイが走り抜けた地面は抉れていた。
獣人特有の直感でギリギリ避けていたランシュだが、その惨状を見ても焦ること無く、しかし遂に拳を構える。
(残り6秒、次は仕留める!)
「ハァァ!」
裂帛の気合と共に、自身が出せる最高速度で突進するレイ。
その剣がランシュに届く直前、目の前のランシュが視界から消え―
下から昇ってきた衝撃に顎を打ち抜かれ、レイの意識は刈り取られた。
全てが終わりレイ達4人がいつもの宿に戻った時には、太陽が昇り始める時間になっていた。朝日に目を細めると緊張が解れたのか、途端に空腹と眠気がレイを襲う。(そういえばご飯もまだだったわね)仕事終わりの食事をするつもりがここまでの騒動になってしまった事に、つい苦笑してしまうレイ。今すぐにでもベッドに飛び込みたい欲求を堪えて、まずはニイルの部屋でレイとニイルの治療を行う事となった。治療と言っても例の如く、ニイルの用意した魔法薬を飲むだけなのだが。しかしそこで一悶着起きた。ニイルから差し出された魔法薬を見た瞬間、今迄の鬱憤が爆発したのだろう、レイが以前苦言を呈した時以上の怒りでもってニイルに詰め寄ったのだ。「魔力は治癒魔法では回復しないからこれを飲むのは分かるわ。でもいい加減この地獄を何とかしないと耐えられない」と、今迄ニイルに向けた事の無い剣幕でそう告げたのだ。「以前貴方は言ったわね?飲んだ事が無いから分からない、と。なら今すぐ貴方も飲むべきだわ。そうすればいかに貴方が悪逆非道な行いをしてきたのか分かる筈よ」その迫力は、フィオやランシュでさえもレイを止めるのを躊躇わせる程。流石のニイルもその雰囲気に呑まれつつ、抵抗を試みる。「い、いえ…私も飲みたくないから飲まない訳では無く、飲・ん・で・
「一体…何が起こってるの…?」震える声で囁くレイ。誰かに対して言った言葉では無い。ただひとりでに、無意識の内に出た言葉であった。レイは全てを目撃していた。スコルフィオの周囲に突然現れた騎士達も。その騎士達と戦うマーガも。スコルフィオが燃やされ、しかし何故か死なずにマーガ諸共斬られる所も。そして、意識を取り戻したマーガの首が刎ねられる所も…その全てが、ま・る・で・現・実・の・上・か・ら・重・な・っ・て・流・れ・る・映・像・の・様・に・、半・透・明・
「『神性アルカヌム』?それに『惑わす淫魔アスモデウス』って…」聞き慣れない単語を耳にし、1人呟くレイ。だがその圧力プレッシャーはどこか身近で、しかしその何倍も大きくて…「『神性アルカヌム』とは、簡単に説明するならば神性付与ギフトの上位互換です。か・つ・て・存・在・し・た・神の権能、その半分程が人間と混ざり合い新たに名を得たのが『神性アルカヌム』、その保持者達を『神性保持者ファルサ』と呼びます」ニイルの説明に愕然とするレイ。かつてレイが勝てなかったベルリや、序列大会で会ったルヴィーネ、レイが出会い戦った相手はどちらも尋常では無い強さを有していた。しかしその『神性付与保持者セルヴィ』達でさえも、『神性保持者ファルサ』の前では劣るのだという。にわかには信じがたいが、そもそもレイはこの力の事をよく知らない。
土煙の中から姿を現すマーガ。今にも倒れそうな様相で意識も朦朧としているが、その瞳には確たる意志を宿していた。横で倒れているブレイズに目を向けるマーガ。意識は無いが呼吸は辛うじてしている状態だった。しかしその状態も長くは続かないだろう、最早一刻を争う状態であろう事は傍から見ても理解出来た。(魔法障壁のお陰で、何とかお互い一命は取り留めた。敵の増援が来た以上本来なら部下を呼んで撤退するべきなんだろうけど…)周囲に意識を向けるが戦闘の音が全く聞こえない。最後に見たのは部下全員がたった1人を相手に向かって行った時。それから一向に助けに来ないところを見るに、想像したくは無いが全員やられたのだろう。(敵の増援が来た以上、早々にこの場を切り抜けなければならない。僕の魔力ももう空だけど、何とか君だけは逃がしてみせるよ)内心でブレイズに語り掛けるマーガ。彼を喪う事はセストリアの、いや世界にとっての損失だ。それ程この『剣聖』は人類にとっての希望なのである。
「さぁ、そろそろ決着をつけましょうか?」挑発する様にそう告げるレイだったが、決して勝算の目処が立ったからでは無い。寧ろその逆で、いよいよレイの魔力の底が見えてきたからである。これ以上長引けば、2人を削り切る前に確実にレイが魔力切れを引き起こす。当初想定していた最悪のシナリオ通りに進む事が予想出来た。故にレイらしからぬ挑発も兼ねた宣言を行ったのである。しかしその挑発を受けても、対する2人の冷静さが失われる事は無かった。勿論、状況的に追い込まれている事は重々承知の上だがそれでも尚、2人は勝利を諦めてなどいない。この程度の苦境、英雄と呼ばれるようになってから今まで、いやそれ以前からも、幾度となく乗り越えてきたのだから。「しかし追い込まれてるのもまた事実…ってね。そっちはどう?」わざと明るい雰囲気を醸しながら言ってのけるマーガ。ここで悲観した所で状況は好転しない、それ故の態度だった。「確かに早々に決着を付けたいのはこちらも同じだがな。だがこちらも奴を殺れるだけの決め手が無い。持久戦に持ち込まれればこちらの敗北は目に見えている」マーガなりの気遣いに感謝しつつ、しかし厳しい現状を冷静に突き付けるブレイズ。マーガの魔力も、ブレイズの体力も限界に近い今の状況では短期決着を狙うレイと同じではある。しかしこちらの手の内を全て晒し、その上で互角である。
流石に嘘だと信じたかった。しかし現実と共に思い知らされる。英雄と呼ばれる者の恐ろしさを―(たった1回、それも目で追えない様な速度だったのに…たったそれだけで対応してきた。そもそも雷に追い付くなんて、人間に出来る芸当じゃ無いのだけれど…)いくら100%の『雷装』ほんとうのぜんりょくでは無かったのだとしても、この技はレイにとっての切り札。速度も、本物の雷に劣るが決して並の人間が捉えられる速度では無い。身近に師匠バケモノが居るから錯覚してしまうが、英雄と呼ばれるブレイズとマーガも、バケモノになる事を選んだレイも、本来なら人類では最強格なのである。(そういえば、いつだって御伽噺では、バケモノは退治される側だったわね)幼い頃、妹と共に読んでいた御伽噺を思い出すレイ。世界各地で伝えられている物語は様々で、ある者は怪物を、ある者はドラゴンを…そしてある者は神すらも屠り、英雄と崇められていた。レイ達はそのどれもが好きであり色々と読み漁ったものだが、思い起こせばそのどれもが、人間がその上位の存在を打ち破る話だった。だからこそ人類は絶望に負けず希望を見出し、ここまで繁栄して来れたのだろう。その希望の象徴たる『英雄』の称号を与えられた人間が弱い筈は無く、その相手はバケモノ未満であるレイ。