LOGIN塔の最上階。
夜気のような沈黙の中で、甲冑の侍たちが円陣を組み、無音のまま刀を抜いた。誰ひとりとして息をしていない。その存在は、生きているというより稼働していると表現すべきだった。セーラは静かに羽を広げた。
黄金の光が溢れ、部屋全体が微かに震える。「誰も死なせない。死なせないんだから」
その言葉と同時に四枚の翼が風を生み、侍たちを弾き飛ばした。光の奔流は暴力的でありながら、どこか悲しみに満ちていた。オルドはその羽根で宙に浮いてセーラの戦いを俯瞰していた。その視線の端で、アレフが小さく笑う。
アレフは吹き飛ばされた侍のひとりに手をかざし、短いコードを唱えた。再起動命令:身体強化モジュールを展開。目標、オルド。
侍の眼に赤い光が灯り、信じ難い跳躍でオルドへと斬りかかる。
一閃。
刃が閃き、オルドの片翼が根元から断たれた。白い羽が雪のように舞い落ちる。
「うぐっ……!」
バランスを保てず上空から落下していくオルド。それを眺めてアレフは呟く。
「私は何でも知っているんだ。お前の本当の名前がオルドなんかじゃない事も……。我が友よ」 「まさか…お前は」 オルドは地面に着地して体勢を立て直す。 「この世界ではアレフだ、そしてお前はオルド…」 「自ら降臨してくるとは、予想していなかった」 脂汗をかきながらニヤリと笑うオルド。 その落とされた片羽からはどくどくと流血していた。 「傷が痛むか。修復してやろうか」 眉をひそめてアレフが呟く。状況をただ眺めていたマリア達は、二人の会話の内容よりもまずアレフが使った魔法に驚いた。
何故ならアレフは生粋の戦士職であり、魔法の類は一切使用できなかったからだ。 「カイ、アレフが魔法を使ったところなんて見たことある?」 「ないな。少なくとも生きている時は」 「どういうこと?」 「あのアレフ……何かおかしい」 セーラが訝しげに言った。 「ああ…」 「生き返って使えるようになったのかしら」 「そんな事あるの?」 「いや、そうは思えない」 カイは顎に指をやりながら思案していた。 「前にオレはオルドさんが持っているノートパソコンの中の、妙なアプリを見せてもらったんだ」 「それで強くなれるかもって言ってたわね」 「結局、その仕組みは分からなかったが、アプリには世界のあらゆる存在がデータとしてバックアップされていた。アレフのステータスもだ」 「え……それじゃあ」 「オルドさんがアレフを生き返らせたのかもしれない」 「凄いわ! そのついでに魔法も使えるようにしてくれたのね」 「そんな簡単に人が生き返るの……それに」 「セーラの感じた違和感、アレフの人格が変わっている」 「うん…」 「待って待って! 生き返る代わりに性格が変えられちゃったわけ?」 マリアが核心をつく。 「変わったというより」 「別人ね。魔法も使えるし、オルド様と知り合いみたいな様子だし」 「本当にアプリの力でアレフが生き返ったなら、にわかに喜んでいられる状況じゃない」 ガタガタと震えながらカイが続けた。 「少しオーバーだが、それは、世界を自由に動かせるということだからだ」 「そんな」 「アプリの名前は…箱庭。小さな世界を意味する言葉だ」 カイは対峙するオルドとアレフを見つめながら、声を潜めて呟いた。「開発者のマウスにゃ」 ミニオルドは衣服のポケットから秘密道具を取り出した。「そ、そのマウスは」「これを使わんとアップはできにゃい」 オルドは自慢げに、何の変哲もない白いワイヤレスマウスをカイの眼前に突きつけた。(なんてことだ、今までのオレの苦悩はいったい)「例えばこのハデス、不幸の元凶がもう復活ちている」 オルドは持参のマウスを操作してキャラクターデータのファイルを開く。「混沌の魔導師…ダニーさんも言っていた」「ダニーが来たんでちか?」「話すと少々長くなりますが…」「後でゆっくり聞きまつ。他言ちないように」(他にも箱庭に転移しているプレイヤーが残っているかもしれないからな……) そう独り言を呟いたオルドの声音は、ふざけるのを少し控えた真面目なものに変わっていた。「このハデスとセーラには深い因縁がある」「オルドさん、普通に喋れるんじゃないすか」「あー、ごほん、わつぃが今できることはかなり制限されている。アプリを使って弄れるのは個人の、ごく最近の記憶、強制できるのは直近の些細な行動のみでちゅ。でもハデスは果てしなく永く生きているからね、とりあえず奴の中のセーラに関する記憶はほぼ消去できるはずだ。何かと邪魔であろう」 話しながらオルドは完全に以前の口調に戻っていた。 消去→保存→元に戻す(アップロード) …… …… …… …… …… …… …… …… 転送完了。「これで奴の記憶からセーラに関わる情報があらかた消えたはずだ」「マジすか、こんなあっさりと…、オルドさん、他にオレ達に優位になるような改変はできますか? 悪魔の属性を中立に変えるとか」「昔はそれもできただろうが、アプリの機能が正常でない今は無理だな」「カイがむちゃくちゃ強くなるのは?」 マリアが口を挟む。「それは、別人にでもならぬ限り無理だ」「何らかの要因で能力ステータスの数値が大きく増えたり変わったりとかあり得ませんか」「ふむ、そういったバグも稀には起きるが、予測不可能だからな、ひたすら待つしかないだろう」 ──そして、三人はあれこれ可能性を探って、小一時間ほど話し合った。(オルドは全てを説明はしなかった) 期待した効果がすぐに望めそうもない事を理解したカイが肩を落としていると、室内に強烈な魔気が発生し、パトラが到着した。「
セーラは戦っている混沌の魔導師、いや、冥王ハデスの痩せ衰えた薄暗い姿をじっと見つめた。 みすぼらしい黒頭巾と装束姿で、ジュリアンの鉾に身体を砕かれては再生し暗黒魔法や腐蝕魔法を唱えている。 しかし海神に対して効果は薄く、再び蹴散らされては再生し、切れ切れの衣がまるでボロ雑巾のようで哀れに思えてくる。 ハデスの体は細く骨ばっていて、よく観ると前歯も何本か無く、それで素早く動いているのが余計に哀愁を誘った。 闘いの趨勢は明らかにジュリアンに傾いているように思えたが、終わりは見えなかった。 あの落ちぶれたヨボヨボの老人が自分の父だと、あれほど葛藤しながら乗り越えたものをまた……自分はかつてあの父をズタズタに滅ぼしてその事を吹っ切ったはず、今さら情も無い、はず……。 セーラは母親の存在をあらためて考えてみる。 天魔融合体の内部には多くの天使たちが肉もそのままに眠っており、その中に自分とそっくりの顔をした天使がいて、自分の血縁、いやその天使から別れた一部が自分であると、直感したのだった。 先の大戦中、セーラはこの天使ルーテの記憶をも一部思い出せた。更にルーテと共存する女性の思いや苦悩も……。ルーテはそういった二重思考をする天使であった。『ガギィィィン!!』 気づくとセーラはハデスを攻撃するジュリアンの鉾を、天使の鉞で受け止めていた。「何のつもりだ、堕ちたか? 天使セーラ」 ジュリアンは薄く笑みを浮かべた。「あれ? わたし……」 その背後からハデスは呪文を唱える。« 業禍炸烈衝 » 腐蝕弾が対象を襲う。 セーラ諸共、ジュリアンを攻撃するハデス。 ジュリアンは纏っている魔法の篭手で弾を振り払い無効化する。 飛び退いて腐蝕弾を躱すセーラにスルトが斬りかかり、パトラの無詠唱マジックミサイルが放たれる。 加護する光虫のヴェールが悪魔の攻撃を寄せ付けず、セーラは後方に着地する。「お前達は、天使を、やれ」 ハデスが二人の悪魔に命じる。 セーラのことをただの"天使"と呼び、まるで過去を忘れているかのようであった。(ボケちゃったのかしら……) セーラは少し心配になった。 命令するな、と言いながらここは従うスルト。パトラは不思議そうにハデスに目をやった。「待ってお兄ちゃん」「っと、なんだ」「この戦い、誰かの干渉を受
その頃、オルドの塔 跡地では… カイは"箱庭システムで世界を自由に動かす"という野心を諦めきれなかった。 閉ざされた箱庭内の一キャラクターに過ぎない自分が、開発者と同じ次元に立つなど到底不可能な夢物語、しかしその片鱗を知る事ができたこの幸運をどうしても逃したくなかった。 どうにかしてシステムのアップロード機能だけは復活させるために、自分が出来ることを考える。 自分は主に氷系の魔法とその他少しの一般魔法を使えることしか取り柄がない。 情報源としては開発者の五人が最も有益なはずだが、オルドとダニーの他には接点は見込めなかった。「無理なのか…オレが一廉の存在になるのは、どだい無理な話なのかマリア…」 箱庭のメイン画面をマウスでいじりまくるカイ。 今やこのオルド専用の箱庭アプリはカイだけが自由に触れる。チャンスなんだ……。 マリアは丸椅子に腰掛け、むっちりした脚を組んで頬杖をつきながらカイの後ろ姿を眺めていた。「ねぇ…カイ。だから無理だよ。ダニーさんが言ってたでしょ」「オルドさんはこの状態でちょいちょい世界の改変を行っていたらしいんだ、開発者の権限なのか分からないが可能性は残されてるはずだ」「そんなこと言ったって、ずーっと何も起きないじゃーん、もう諦めてセーラのとこ行こうよ」「セーラは今どこに?」「空を飛び回って悪魔を探してる」「なら邪魔しちゃ悪い……」「ねーえ暇ー」 カイは何となくマリアのデータをダウンロードしてみるが、相変わらず記号の羅列が分からない。 これを読める人物がいればまた違うのだが……。 ふとカイは思い出す。 以前にオルドから、術者の命を触媒にして全ての仲間を甦らせる最強の回復呪文があると聞いた。 魔法とは原理が違うのだろうが、個人の何かと引き換えにアップロードを一つくらい出来ないものだろうか。「何とか…何とかしてオレも」 焦るカイ。「いいじゃないの。カイはカイでしょ」「……」 慰められて涙ぐんでしまうカイであった。「苦戦してまちゅねカイ」 「その声は! ちょっとかなり幼いがオルドさん??」 カイが振り返るとそこにはエンゼルマークのような幼児の天使が誇らしげに立っていた。「やっとここまで育ちまちた」「オルド様なの!? そんなに可愛くなって……」「あいつに魂を消滅させられたんじゃ」「わつぃが
セーラは街の惨状を見渡した。「これは……あなたがやったの?」 あちこちの建物から硝煙や粉塵が立ち昇り、血塗れで倒れている人々の山。「この街は悪魔どもに占拠されていた、私がそいつらを退治したのだよ」 セーラは警戒して答えない。ジュリアンの目が殺気に満ちていたからだ。「そして退治しなければならないエラーがまた一人」 ジュリアンは神器の鉾を構えた。「その武器は、アレフの時の!」 天使のフル装備を纏ったセーラは肩に鉞を担いだ。 彼女の周りには銀河に流れる星雲のごとく何匹もの光虫が集って飛んでいる。 その時、地獄の底から響き渡るような低い呻き声と、気も狂わんばかりの金切り声が重なって同時に聞こえた。(我は、不滅、なり……)「何っ!? この薄気味悪い声!」 セーラは思わず耳を塞いだ。 カイとマリアを置いてきて良かった。常人ならば耳にするだけで生気を吸い取られる。 声の主はポセイドンの威光によって退化させられ、胴体を引き裂かれた混沌の魔導師であった。 その肉体は崩壊と同時に、直ちに再生を始めていた。 顔半分と全身を再生しながら、フラフラと立ち上がる魔導師、そして他の特級悪魔二人も……。 ジュリアンは僅かな感情の乱れから、額に一筋の汗を流した。「死神め……」 セーラの手によってその魂を消滅させたはずの老いた魔導師は、転生ではなく再生をして蘇ったのだ。 彼奴の設定は、死の国を統治する冥府の神ハデス、超再生は考えられない事では無かった。「しかし……こんな短時間で…」 混沌の魔導師……初めはライナスがボスイベントとして操作していたが、度重なる改造の先で自我を持ち、修正不可のバグとしてそのまま放置された。 結果、このキャラクターは箱庭世界における冥界の王として、悪魔どもを率いるようになっていった。 幾度もシミュレーションを繰り返して造られる箱庭、その輪廻に内側から気づく存在は極めて稀だが、この、世界の遺物のようなバグに拠るならば、或いは……。「冥界の王よ…! 貴様はこの私が滅してやるぞ、何度でもな!」 ジュリアンは落ち着きを取り戻すように怒声を発した。 そして、第2ラウンドが始まる。(気の遠くなるほど、数多の生と死を繰り返してきた……我はこの無限の連鎖をまさに呪いと呼ぶ。 この呪われし魂を浄化するため、あらゆる手段を講じ、太古
海皇ポセイドンはその肉体を箱庭界に顕現させた。 正体は元々箱庭に設定され眠っていたポセイドン神に転移し、もてる全ての魔法装備でその身を包み、神器の鉾を手に再び箱庭内に降臨した暴走ジュリアンであった。 ジュリアンは機能の多くがエラーとなった箱庭アプリのせいで、システム側から制御できなくなった全ての悪を自分の手で削除する使命感を持った。 自身が神になったつもりで裁きを断行する決意を固めていた。 悪魔どもは片っ端から街を荒らし回っていたので、居場所はすぐに分かった。 混沌の魔導師とも合流しており、街を占拠し住人を狩りながら、あの天魔複合した異形の怪物とはまた別の所業を進めていた。 ジュリアンは奴らを始末してから、ライナスの痕跡も見つけ次第、潰して消去していくつもりであった。「神は常に冷酷非情に、悪を断罪する」 そして最後はあの四つ羽根の天使セーラとそれを加護する神を、自らが設定した神をこの手で…。 準備、装備、手段はあらゆるものを用意した。 負けるはずが無かった。私は真の神となった、この箱庭での海皇ポセイドンとして、相応しい力を持ち、行使できる。冥府の神ハデスとはいえ所詮はNPC、この力で抑えられぬはずはなかった。 ゆったりと歩き空間をワープしてジュリアンは現地に到着した。「ん? 誰だ貴様は」 がらんどうの鎧戦士たちを従えて街を暴れ回るスルトは、地獄の八本足の馬スレイプニルを手に入れ、黄金ではなく黒い甲冑で身を包んでいた。「神器…あいつ。やっぱり生きてた」 パトラは魔法使いらしからぬ踊り子のような薄い生地の服を身に纏い、家屋の二階から突き出た木板の上にちょこんと座っていた。「混沌の魔導師、消えてもらうぞ」 スルトらを差し置いて魔導師に目を向けるジュリアン。「外の者よ……我は不滅、我の意志とは無関係にな」 魔導師は不気味な二重音声で答える。「やはり、お前たちは危険だな」 ジュリアンが見下して言う。「旦那、あの武器には異常なパワーがある、神器ってやつだ」 云うや否やスルトはスレイプニルで更にスピードを増し海皇に斬り込む。 ジュリアンは神器ポセイドンの鉾を胸の位置で回転させ、天に翳すよりも素早く多方面にその威光が照射される。「まずい!」 スルトが事態を察知するも今度は間に合わない。 ジュリアンの全ての挙動はマジックアイテ
「ふぅ…何とか終わったね」 セーラ達は地獄の餓鬼どもの処理を終え、木陰で麦茶を飲んで休んでいた。「ドワーフのおっさん凄かったなぁ」 特殊な浄化術で四人の中で一番たくさんの餓鬼を地獄へ送り返したのは、セーラに声をかけたドワーフの男であった。 彼は決められた役割と行動を終えると、口調も態度もがらりと変わり、自らをダニーと名乗った。 自分は箱庭の開発初期メンバーの一人であり、39歳で音楽教師をしているという。 カイは箱庭の操作方法をここぞとばかりにダニーに問い詰めたが、「リセットやアップロードという基本操作が出来なくなるという致命的なエラーを吐いた前例はこれまでになく、全く原因不明で我々開発者にも出来ることは少ない。修復出来ない以上、プレイヤーが箱庭システムを使ってやれることはさらに殆ど何もない。バグを利用したプレイやデータの閲覧ぐらいか」 と何とも残念な回答であった。「今回は久しぶりにジュリアンから箱庭の異常事態の知らせを聞いて来た。なるほど確かに異常だ、ソフトがここまで壊れたのは初めての事態だろう」 ダニーはアメリカ人がよくやるようなオーバーアクションで天を仰いだ。「他の二人はレポートを見てもいないかもしれない。ちゃんと読んだのは、招集に集まるのは、いつもボクとジュリアンだけだ。あと、たまにソロ。」 箱庭内では時間の流れが速く、何度も違った人生を試すことができる。 しかし権限を持った者の中に逸脱した行動や悪用をする存在がいると、これはもう何が正しいか間違いなのかも曖昧となり、混乱だけが支配する世界となる。「ジュリアンはいい奴だったが変わってしまった」「ソロは自己中心的な男で、壊れた箱庭が起こすバグで何か企んでいると聞いた」「ライナスはこの世でもっとも残酷で悪質な悪戯をする犯罪者だ」「それともう一人、箱庭の良心と呼ぶべき人がいた。ミシェルという女性だが、ライナスの操り人形のように彼に言われるがまま作業をし、ルーテという天使の担当を最後に今は消息不明だ。生きているか死んでいるか、ライナスとどんな関係だったのかも謎のまま…どうでもいい事だが」 ダニーはこの箱庭世界で何度も色んなキャラクターに転移していたらしい。 ジュリアンにもそういう時期があったそうだ。 通常、箱庭内で命を落とせばすぐに別のキャラクターへと転生する。 オルドのよう