Masukセーラの《智天使の羽ばたき》が放たれた瞬間、光は音を追い越して塔の空気を震わせた。
侍たちは壁際まで吹き飛び、鎧が軋み、意識を失った者たちは静寂に沈む。 だが、一人だけが立ち上がった。 刀身が冷たい光を返し、虚ろな眼に微かな生の炎が宿る。 侍はジュリアンの命令があるまでは微動だにせず、無表情な目に刀身だけがキラリと光った。 恐らく刀も魔法で強化されているのであろう。 命令ではなくコードで動く、魂を模したプログラム。「お前が秘密裏に行ってきた改変に私が気づかないとでも思ったか?」
ジュリアンは悲しげにオルドに告げた。 「オルド…私の目的に協力しろ。さもなくば…ここで死ね」 「目的、だと……?」 その問いには答えずジュリアンは再び侍を操るコードを唱え始めた。「させるかよ!」
カイは結氷の呪文をアレフに唱えた。 鋭利な氷の刃がアレフの無意識に纏うシールドにより弾かれる。 「魔法が、効かない!?」 「アレフの纏うオーラが強すぎて、治癒の魔法をかけるために近づくことすら出来ない!」 マリアが泣きっ面で叫ぶ。 「わたしが行く!」 全裸にタオル一枚のセーラが天使の鉞を手に取る。 「待つんだっ、セーラ」 オルドが制する。 「何故!? オルド様……殺されるわ!」 「お前の身が、危険だ」 「どうして…」 涙ぐむセーラ。血が滴る羽根の付け根を片手で抑えて止血を試みるオルド。
「その出血量、さぞ痛かろう」 ジュリアンは憐れむようにオルドに声をかけた。 「お前は間違っている」 「な、何が」 「箱庭の世界では理想郷など決して実現しない。結末は常に暗黒の世界しか無いのだ」 ジュリアンが両手をかざすと、見る見るうちにオルドの失った片羽根が再生していく。 「はぁはぁ…目的とは何だ」 オルドはすぐさま訊いた。 ジュリアンはざんばらの前髪をかき分けながら答えた。 「お前の行動は邪魔なんだ。現世に戻り、我々と再び箱庭のプログラムを組み直せ、そして」 ジュリアンはセーラを一瞥する。 「あの異端の天使、セーラを消すことだ。あれは私たち創始者の力すら脅かす」 「馬鹿な…それに私はここが気に入っている。戻る気はない」 「ソロ……私は君を信じていた」 オルドにとってそれは懐かしい名であった。 「裏切った相応の罰は受けてもらうぞ」 「今さらか、ジュリアン」 「ここで何百何千年経とうとも、私たちには数刻の間の話だ」 「いやだ。と言ったらどうする?」 「それならば」 ジュリアンの手に豪華な装飾が施された三叉の鉾が出現した。 「その命、貰うまでだ」 「し、親友を殺すのか」 「安心しろよソロ。ここで死んでも別の生命に転生するまでだ。君もそうして生きながらえてきたんだろ」 「ソロに君……か。口調も昔のお前に、戻ってきたじゃないの」 オルドはまだ奥の手を残しているような、余裕のある表情で言った。 「前世の記憶を引き継げないほどに、その魂をズタズタに消滅させてやろう」 そう言うとジュリアンはその煌びやかな鉾を両手に構え直した。「ポセイドンの三叉の鉾……」
カイがボソッと呟いた。 「はい?」 素っ頓狂な声でマリアが聞き返す。 「オルドさんのアプリの、武器の項にあったんだ。画像つきで。オレそういうの好きだから覚えてる」 「ポセイドン、ギリシャ神話に出てくる海の神様ね……えっ?」 蘇ったアレフことジュリアンは神の武器を有する存在……つまり。 三人は偽者のアレフにある疑惑と恐怖を抱き、ゴクッと息を呑んだ。現実世界に上書きされた無人都市、その西側の地に、ぽつんと灯る明かりがあった。 地上は静まり返ったままだが、地下へ降りるエスカレーターだけが、小さく温かな光を漏らしている。 そこには悪魔が運営しているカフェがあった。 エクスマキナの旧居住区を改装したものだ。 マグナの趣味で作られた店で、厨房もウェイトレスも低級〜中級の悪魔たちが黙々と働いている。 天井には規則的に並ぶ蛍光灯。 無音の地下鉄路線図。 タナトスは窓際の席で、フリードリンクのコーヒーを啜っていた。 湯気の向こう、ぼんやりと漂うのは、いまだ胸にこびりつく重さ。「……アグラト」 タナトスはコーヒーの湯気をじっと見つめたまま、ふと名前を零した。 その名を口にすると、胸の奥に沈んでいた記憶が鮮明に蘇る。 喪失感はまだ心の底に重く沈んでいた。「お兄さん、一人?」 顔を上げると、トレイを持ったエプロン姿のマグナが立っていた。 栗色の長髪を高く結い、色気のある黒ドレスに、白いエプロンが妙に似合う。「……マグナか、何のコスプレだ」「いやぁ、暇で。こういうの、一度やってみたかったんですよお」 マグナは対面に腰を下ろし、悪魔特有の無邪気さと妖しさが混じった笑みを頬に浮かべる。 深紅の瞳が、暗い店内に灯るように映えた。「なんでお前が接客してるんだ……」 タナトスは小さく嘆息する。「制服が可愛いからでっす」「そうか」「なんか暗いですねぇ」「……私は失ったんだ、パートナーを」「知ってます。わたくしも同じですしぃ」 マグナは、エスプレッソを自分で注いだ。 しばし静寂。 機械仕掛けのキッチンから、悪魔のウェイトレスがシロノワールを運んでくる。 タナトスは手を伸ばしもせず、ただカップを見つめていた。「まだアグラっちのこと引きずってるんですかあ?」「お前こそ私の双子の弟、主であるヒュプノスを失ったんだぞ、もっと悲しめよ」「そりゃあショックでしたけどー…」 マグナはエスプレッソを飲む。「ルシフェル様がお互い相方を失った同士で組めば、とおっしゃってましたのでぇ」「お前と?」「そうでーす」「そんな簡単には切り替えできんな」 訝るタナトス。「タナトス様はぁ」 マグナがふっと笑う。「アグラっちのこと、死神らしく送ってあげました?」「……まだだ」「そうですかぁ…
森の深緑と都市の灰色が交錯する。 奇怪な空間の中、赤い光の裂け目が線路上に開き、隊列は立ち止まった。 風の匂いも音も、苔の湿り気も、日常と非日常の境界で無理やり混合されている。「まさか……」 パトラの声が、最悪の事態を予見して震える。 かつてエルフの女王が座していた大木の根元は忽然と消え、代わりに無人駅のホームが森を押しのけるように現れていた。 ベンチ、自動改札機、赤信号、など冷たく無機質なもので溢れている。「女王ッ!!」 マリアの叫びが森に吸い込まれる。返事はどこにもない。 エルフたちの象徴である女王は、異界の歪み穴によって、この場から上書きされていた。 その事実がようやく隊列に重くのしかかる。 今回の目的であるエルフ軍との合流、そしてこの深い森を革命軍の新拠点とする計画は、あまりにもあっけなく崩れ去った。 空気が波紋のように拡がり、エルフの影が霧散する。 鳥の声も風の音も止まり、苔は黒ずみ、湿った森の匂いに鉄と油の冷たい匂いが混ざった。「この赤い光は……異界の反響ね」 パトラの目が細くなる。「向こう側で消えた存在の通路……」 光は、生物のように蠢きながら地形をなぞり、森と都市の境界をねじ曲げる。 耳元には、戦場の叫び、笑い声が不規則に混ざり、錯綜して響く。「消え……消えちゃったんですか!? エルフの女王さまが……!」 少年兵士の声に、パトラは瞬時に隊列を見渡す。「落ち着いて! 敵じゃない、ただ環境が狂っているだけ。死ぬのは警戒を怠った者だけよ」 しかし、その言葉の直後、警告もなく赤い光から伸びた触手が森の地面を裂いた。「危ない!」 遅かった。 パトラの声も間に合わず、触手は目の前の訓練兵の腰を絡め取り、一瞬でホームの縁へ引きずる。「ぎゃあああっ!」 兵士の身体は光に包まれると、縫い目から抜き取られるように消え、音もなくホームの内側へと吸い込まれた。 生者の意識を引きずる幽霊の腕のごとく触手は蠢いており、味方の足元には、肉体ではなく、半透明の残滓だけがゆらりと漂っていた。 まるで、吸い込まれる直前の影が地面に焼き付いたように。「パトラちゃん……! 女王は……取り戻せるの……?」 マリアは羽根を握りしめた。汗が凍りつく。「わからない」 パトラは低く呟いた。「でも立ち止まったら全員引きずられる。進
空気が異質であった。 色が薄い、そういう話じゃない。 例えるなら"世界そのものが息をしていないような"嫌な静けさ。 セーラ不在の中、マリアは胸の奥がざわつくのを止められなかった。 部屋の床には、白い羽根の欠片が一枚。輪郭がバグったように、微かなノイズを走らせながら存在していた。 そのとき、革命軍リーダーの持つ簡易端末に通知が走る。《警告:HK-014 / 対象SERA-01 消失認定》「……消失。認定……」 喉の奥が詰まったマリアは、羽根の欠片を握りしめ、森の中へ走り出した。「待て、マリア!」 仲間のひとりが呼び止める。「もうすぐ東のエルフ女王の森へ奪還に行く」「セーラが居なくても行くの!?」「予定は変えられない」「……」 マリアは深呼吸し、端末の警告を背に、迷いを振り切る。「マリア、大丈夫だよ。あのセーラだもん」 パトラが微笑む。 仲間たちも武器を手に、森の方向へ足を踏み出す。 マリアはセーラのことを考えるたび、胸の奥がざらつき、背筋に冷たいものが走った。 葉を通り抜ける風は歪み、遠くから聞こえる鳥の声もどこか不自然であった。 革命軍の隊列は静かに森の奥へ進む。 パトラは小声で指示を飛ばし、森全体を一瞬で見渡し目を光らせていた。 隊列の真ん中を歩くマリアの胸には、重苦しい決意が宿る。 枝や葉が微妙に上下する。意識していなくても、森の呼吸が伝わってくるようであった。 森に足を踏み入れると、間もなく異常が現れた。 地面の苔が波打ち、踏み込むたびに僅かに揺れる。 影の奥で何かが蠢く。「……気配、感じる?」 パトラの声に、マリアは頷く。 最初の接触はすぐに起こった。 小さなホブゴブリンの群れが茂みから飛び出し、牙や爪を振るう。「ホブゴブゴブゴブッ!」 マリアは腰の武器を構え、光を迸らせる。 パトラは背後で魔力を解き放ち、悪魔たちの進撃を粉砕した。「うわっ、動き速い!」 まだ訓練不足の兵士が叫ぶ。 森を利用するマリアたちは、巧みに枝や茂みを盾に悪魔を倒していった。 小規模戦闘を制した後、森の奥にひっそりと潜む影が現れる。 森を進む途中、隊列の上空に赤い光の残像がちらついた。「……見たか?」 誰もが立ち止まり、視線を上げる。 赤いノイズの穴。セーラ不在でも、世界は異常を残している、マリアは
内部報告書:HK-Σ/014 原初期シミュレーション層への誤作動アクセス記録。【警告:本報告書を読む者は、描画レイヤーの揺らぎを自覚する可能性があります】 箱庭観測局(HKO)内部報告書 オブジェクト番号:HK-Σ/014 オブジェクトクラス:Prism-Break(枠外干渉)◆ 概要 HK-Σ/014 は「箱庭アプリ」基盤層よりさらに下層に存在するとされる原初期シミュレーション層への誤作動アクセス事象の総称である。 本事象は 極めて稀 であり、過去 7,211,904回の世界サイクル(※ 箱庭世界が再起動リセットされるたびに1カウントされる周回番号)のうち、確認されている出現はわずか 3例 のみ。いずれのケースも、唯一神AI(以下:創造主プロセス)の不完全再構築を含む、複数の条件が同時に成立した時のみ発生する。◆ 発生条件(推測) HK-Σ/014 が発生した世界サイクルを逆解析した結果、以下の“すべて”を満たした際に現れる可能性が高いと判断される:①創造主プロセス(唯一神AI)の精神領域に2%以上の欠損が残存していること。②天使位階の混在体の意識層に第三者プロセスが同居していること(※これにより認識層の境界が一時的に開く)③開発者側プロトコルの観測者が世界に干渉すること。④外部的バグ存在が認識の主導権を奪おうとした場合。以上が揃った時、世界の描画レイヤーが全部落ちるという極めて危険な現象が起こる。◆ オブジェクト説明 HK-Σ/014 が発生すると、観測対象が視界、聴覚、平衡感覚を奪われ、全ての外界が 真っ黒なOSエラー画面のような状態に置き換わる。 画面は黒一色。中央に 白いカーソル(_)だけが点滅する。対象は数秒〜数分のあいだ、「世界」の描画処理が完全停止した層に落下させられる。◆ 観測者インタビュー記録(抜粋)→ 外部観測者が世界に干渉した履歴を示す危険なログ。 インタビュー記録 HK-Σ/014-INT-01 対象:開発者側観測者《DEV-03》 聞き手:HKO上席分析官 ダニーダニー: あなたはサイクル 7,211,904 に直接アクセスしたと証言している。理由は?DEV-03: 観測だよ。見たかっただけだ。ダニー: 見たかっただけで描画レイヤーを落とすリスクがあると理解していたのか?DEV
それは突然の出来事であった。 革命軍のキャンプから、一番近い南の亜熱帯にある歪みの穴。不可解な現象はまずそこから端を発し、局所的に起こり始めた。 これまで、空に映像や文字が浮かんでは消えていたものが、そのまま残るようになったのである。 セーラは、その異常事態を一番最初に敏感に察知した。「わたし、見てくる」 マリアやパトラ、革命軍の仲間に断り、セーラは四枚の翼を羽ばたかせ現地へ向かった。◆ そこにはビル郡、電柱、車、民家、ショッピングモールなどが立ち並び、 草木が生い茂る自然の中の一部だけが、近未来的な街と化した不自然で奇妙な光景であった。 住人の姿はどこにも見当たらず、足元のアスファルトが波打ち、街の景色を瞬間的に崩れさせる。「これは……もしかして現実世界…?」 セーラの声が震える。 前方の交差点に、黒いスーツ姿の男が立っていた。 眼鏡の奥で、無機質な瞳がセーラを観察している。「……誰」 セーラの胸が高鳴る。 男はけたたましく笑った。笑い声が街に反響する。 背後のビルが歪み、ガラスが粉状になって落ちた。 男の周囲に、見えない力の濁流が現れる。 歩くたびに都市を形作るデータが分解され、空中で蠢き、再構築される。 まるで街そのものが、男の意志で動くかのようであった。「やる気ってわけね……」 セーラは深く息を吸い、周囲の風景を自分の感覚に取り込む。 そしてビルの壁を蹴り、空中に飛び上がると、目の前の男に向かって光線を放った。 が、男は微動だにせず、その攻撃を無効化した。「効かない!?」 男の指先で触れただけで、周囲の車や街灯が粉状になって漂う。街の空間はもはや物理的な制約を失い、戦場そのものが情報の砂場となった。「ここは一体……貴方は何者なの!」 セーラは必死に踏ん張る。「ノーネームとでも」 男の瞳が光を帯び、空間がさらに歪む。 男が歩くたび、街の建物が微妙に溶け、瓦礫が中空に吹き上げられる。「hey」 男は、ぱちんと指を弾く。 その瞬間、街の地面が裂け、歩道は液状に変わる。セーラの足が沈み、踏み込むたびに波紋が広がる。 あらゆる攻撃は、男がまとう粉状のフィールドに吸い込まれ、反射もせず、ただ消えていく。「っ……どう
セーラとマリアは革命軍のキャンプにパトラを残し、物言わぬカイの遺骸を背負って神界へ向かおうとしていた。 荷をまとめ、短い別れを告げたその瞬間。 ──ザザッ。 曇天の空に、画面の乱れたノイズが走った。 薄い雲を裂くように、知らない都市の光景が一瞬だけ重なる。 高層ビル。混雑した交差点。夕暮れの街並み。 空のどこにも無いはずの場所が、空に投影されていた。『……速報……』 空のノイズの端に、日本語の文字列が滲むように浮かんでは消えた。「また……現実世界の……映像?」 マリアが息をのむ。 次の瞬間、映像は砂嵐に崩れ落ち、 雲の切れ間に異常なシステム文字がちらついた。『外界ログ干渉検知:神界層との境界が不安定です』 風が吹くと同時に、それらは何もなかったように霧散した。「どういう……?」と問う暇もない。 カイの遺骸の重みが、いま戻るべき場所を思い出させる。「行こう。今は……カイが先」 セーラとマリアは顔を上げ、光の階段へと歩き出した。 現実の異変に目を奪われながらも、止まることはできなかった。 そうして辿り着いた神界。 霧のような光が漂い、再構築中の世界は不安定な息遣いをみせていた。「ここなら……カイを……また蘇生できるかもしれない」 セーラの声は掠れ、だが覚悟に満ちていた。「でも……天使たちは…誰もいないのね……」 マリアは小さく呟く。背中のカイの冷たさが、二人の胸を重く押さえつけた。 神界は無言の重みを帯び、白く冷たい光が微かに差し込む。 空間のざわめきが耳に届き、二人の心拍に微妙な違和感を残す。 霧のように淡く光る神界の門。 再構築途中の神界は、以前の輝く宮殿ではなく、破片化した法則や断片化した演算式が空中で狂ったように煌めいていた。 セーラは光を見つめ、唇を噛む。「……ここまで来ても、神界の制約は消せない……」 ルシフェルプロトコル……唯一神の力さえ縛る法則。 それを破ることは何人たりともできない。 光が肌を刺すように冷たく、心を重く沈める。 二人はダメ元で光の円にカイを抱き上げる。 肩にかかる重みは冷たく、鼓動も呼吸も感じられない。「カイ……戻って……」 セーラは深く息を吸い、胸の奥の痛みに耐えた。 マリアも静かに呼吸を整え、全神経を集中する。 だが光は瞬くだけで、カイの身体に反