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岩倉優雨の研究②

last update publish date: 2026-06-23 17:00:01

 水曜日の放課後になった。

 俺は緊張に弾む心臓の音を少しでも落ち着かせようと、一度だけ深呼吸をしてから、万物研究会への扉を開く。

 部屋には既に、香月先輩の姿があった。

 今日は俺が研究テーマを発表する日なのだが、彼女は機材の準備だけ既に進めてくれているようだった。

「やあ、岩倉君。発表用のデータは持ってきてくれたかな?」

「あ、はい。これです」

 俺は学生鞄の中から、予め香月先輩から預かっていたSDカードを取り出し、それを彼女に渡す。

 SDカードの中には発表用に使うスライドデータのテンプレートと、それを元にして俺が作成したスライドデータが格納されている。

 香月先輩は俺から受け取ったSDカードを、彼女が持っていたノートPCにあるメモリースロットに差し込んだ。

 SDカードから読み込まれたスライドのデータが、PC上に表示される。

「ほう、興味深いね。これは、もしかして君自身の――」

 そこまで言った所で、香月先輩は言葉を止めて緩やかに首を左右に振った。

 ふわりと香ってきたシャンプーの香りに、一瞬だけ気を取られた。

「いや、すまないね。発表前だというのに、つい質問してしまいそうになってしまった。質問は、後の楽しみにとっておこう。あとはこのケーブルをここに差し込めば、スクリーンにPCの画面が表示される。スライドのページ移動に関しては分かるよね?」

「はい、大丈夫です」

「よろしい。では、準備完了だ」

 そんなやり取りから数分も経たない内に、朝山先輩がいつもの「やほー」という挨拶で登場した。

 そのすぐ後に、神崎が無言のままペコリと頭を下げながら姿を見せた。

 メンバー全員が揃い、それぞれが定位置へと着いた所で、香月先輩によって部屋の電気が消灯される。

 そのタイミングに合わせて、俺は先ほど言われた通りにケーブルを配線した。

 問題なくPCの画面がスクリーンに投影されているかを確認した後、皆の反応を伺う。

 朝山先輩は首を傾げている。その様子から察するに、どうやら彼女はスクリーンに映し出された言葉に対しての知識は持っていないらしい。

 神崎は、無言でスクリーンを見ているだけなのでよく分からない。

 香月先輩は先ほどの口ぶりからすると、その言葉については既に知っているのだろう。

 スクリーンには表題として、このように記載されている。

【共感覚(シナスタジア)について】

 どのように発表を進めるか、シミュレーションはしてきてある。

 俺は緊張を飲み込むようにゆっくりと息を吸ってから、言葉を発した。

「これが俺の研究テーマです。共感覚、シナスタジアとも呼ばれている、ある知覚現象についてになります。この現象については知らない人もいると思うので、簡単に説明します」

 俺はPCを操作して、スライドを次のページへと移動した。

 二ページ目には、シナスタジアの語源について記載してある。

【シナスタジアの語源について】

・シナスタジアはギリシャ語で共同を意味する【syn-】と感覚を意味する【aesthesis】から名付けられた。

・日本語では共感覚、感性間知覚と呼ばれている。

「シナスタジアの語源についてはここに記載されている通りです。と、語源だけ言ってもよく分からないと思うんですが、簡単に言ってしまうと通常の感覚とは異なる感覚が自動的に生じるような現象の事を、シナスタジアと言います。こうやって調べてみると日本語の共感覚は、正しくは異感覚なのでは? と疑問に思ったりもしたんですが、そこを掘り下げてしまうと脱線しそうなので話を戻しますね」

 スライドを、次のページに移動する。

 三ページ目に記載したのは、シナスタジアで確認されている現象の、代表例と言えるものを羅列したものだ。

【共感覚で生じる知覚現象の例】

・文字や数字に色を感じる共感覚。

 色字共感覚と呼ばれている。共感覚を持っている人の内、全体の七十パーセントがこの色字共感覚であると言われている。

・音に色を感じる共感覚。

 色聴と呼ばれている共感覚現象。

・時間が見える共感覚。

 空間上に時間そのものが構成物として見えるようになっている共感覚現象。

「共感覚によって生じる知覚現象の例を、とりあえず三つほど羅列してみました。これは俺が調べた中の、ほんの一例に過ぎないので、他にもあると思います。スライドにも記載してある通り、色字共感覚と呼ばれているものが一番、報告例が多いです。二番目の色聴に関しても色字よりかは報告数が少ないようですが、日本でも研究されているとの情報もありました。三番目に関しては最も特殊な例ですが、とある科学雑誌に投稿されていた内容で、この共感覚を持っている人は一年間を表す円環が、自身の周囲を囲んでいるように見えるそうです。その円環上に示されている一年間は月毎に区切られていて、丁度現在の月が自身の胸の辺りにくるように見えているとの報告でした」

 この最後の例に関しては、実際に調べてみて俺も驚いた部分だった。

 色字や色聴に関しては、共感覚に対して俺が持っているイメージの範囲内ではあったのだ。

 ただ時間が見える共感覚に関しては、そのイメージの枠を突破してきたような感覚だった。

 少し話疲れたので俺は小さく息を吐き、言葉を止めるのと同時に皆の様子を眺めた。

 神崎、朝山先輩、香月先輩。

 みんな真剣な表情で、スクリーンの文字を見つめていた。

 俺は一人ずつ、その目を見つめた。

 それぞれの瞳から感じられる、色を認識した。

 俺はこうやって、人の目から感じられる色を見るのが好きだった。

 その人が楽しいと感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは黄色が見える。

 その人が悲しいと感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは紺色が見える。

 その人が怒りを感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは赤色が見える。

 その人が恐怖を感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは緑色が見える。

 その人が驚きを感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは青色が見える。

 その人が嫌悪を感じている、俺がそう認識した時にその人の目からは紫色が見える。

 その人が関心を寄せている、俺がそう認識した時にその人の目からは橙色が見える。

 その人が信頼を寄せている、俺がそう認識した時にその人の目からは黄緑色が見える。

 俺は皆の目から見える色を感じながら、その色が変わらない事を願いつつ、続きの言葉を発した。

「さて、俺の研究テーマについての説明はここまでになります。俺はこの研究会でこのシナスタジアと呼ばれている現象について、もっと深く調べていこうと思っています。ここからの話は、なぜ俺がこの研究テーマを選定したのか、その理由についての話です」

 ふいに、神崎と目が合う。

 きっとこいつは、これから俺が話す内容を聞いても何一つ変わらないのだろう。

 いつも通り何を考えているのか分からない、不思議なままの存在でいるのだろう。

 そう思うと、不思議と安心できる自分がいた。

「俺には小さい頃から、このシナスタジアと呼ばれている現象が起きています。人の目から何かしらの感情を感覚として認識した時に、それが色になって見えます。見え方としては、その人の目にある虹彩と呼ばれる箇所の色が変わる、そんな感じです」

 そして俺は、自身の共感覚現象について簡単に説明した。

 それは言ってしまえば、目に映し出された感情に色を感じる共感覚というものだ。

「正直、俺は自身に生じているこの現象について人に話そうとか、もっとちゃんと調べてみようとは思っていませんでした。ただ、この研究会で皆がそれぞれの研究に打ち込む姿を見て考えが変わりました。これは自分自身に関連する事だし、もっと深く知るべきだ。その為に皆の力を借りてみるのも良いんじゃないかと。そういう意味で、この研究会に入会できた事は良かったと思っています。目を背けるんじゃなくて、向き合うキッカケになってくれたので」

 その言葉が余ほど嬉しかったのか、香月先輩が口角を上げ、笑顔をこちらに向けた。

 黄色の瞳を灯したその笑顔を見て、この人やっぱ美人だなーなんて、場違いな感想が脳裏に浮かんだ。

 朝山先輩はなぜかドヤ顔で腕を組み、うんうんと頷いている。なんでドヤ顔なのかはよく分からない。

 神崎は変わらずに無表情で、やっぱり何を考えているのかよく分からない。

 奇異の目など、誰からも向けられていない。

 その事実に安心すると同時に、今まで誰にも話していなかった事を告白した事により胸のつかえがおりたような心地だった。

 俺は皆の様子を眺めた後、どんな風に閉めようか、先輩達はどうしていたっけ、などと考えながら最後の言葉を口にした。

「えっと、そんな感じです。こんな俺ですが、これからもよろしくお願いしますってことで、俺からの発表を終わりたいと思います。ご静聴ありがとうございました」

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