로그인「ソンチョル」
「はい、兄貴!」
突然名前を呼ばれても、ソンチョルは動じなかった。
いつものように、大きく威勢のいい声で返事をする。
「片づけはどうなってる」
「そ、それが……」
だが、その一言でソンチョルは固まった。
慌てて隣に座る者へ視線を送る。
何の片づけですか、とは聞けない。
かといって黙っているわけにもいかず、言葉を濁すしかなかった。
周囲へ必死に助けを求める視線を送るが、集まった誰一人として「片づけ」が何を指しているのか分からない。
結局ソンチョルは、おそるおそる聞き返した。
「兄貴……何のことか、もう少し詳しく……」
「ジジイがやってた仕事だ。
全部片づけろって言っただろ」
ソンチョルは数秒、ぽかんと口を開けた。
ドヒョクの言う『ジジイ』とは、祖父のことだった。
つまり、この組を作った初代組長である。
父親から組を継ぐことが決まった頃から、ドヒョクは昔ながらの仕事をすべて整理するつもりでいた。
時代は変わっている。
いつまでも昔と同じやり方ではいられない。
そう考えていたからだ。
一年ほど前、確かに部下たちへ命じた。
だが、その後一度も進み具合を確認しなかった。
一度も。
自分でも命じたことを忘れてしまうほどに。
「あ、ああ……!
そ、その件ですか!
もちろん順調に進んでます!
ははは……!」
ソンチョルはわざとらしく笑った。
どうせ今日を過ぎれば、また聞かれることなどない。
ここで正直に「何もやってません」と言うほど馬鹿ではない。
ドヒョクはその返事を聞くと、今度は別の名を呼ぶ。
「テギュ」
「は、はい! 兄貴!」
ソンチョルとテギュは、初代組長の頃から組にいた古株だった。
今ではドヒョクの右腕と左腕を務めている。
昔は末っ子同然だった二人も、長い年月を経て今ではドヒョクより年上になった。
それでも絶対のボスとして仕え、組の中でも確かな立場を築いている。
「新しい事業は」
さっきの質問があったせいで、まったく予想外というわけではなかった。
もっとも、テギュもこの一年、新規事業などほとんど気にしていない。
それでも必死に平静を装って答えた。
「あ、あれですね。
会社の登記までは済ませました。
その……近いうちには……」
「どっちも早めに片づけろ」
「はい、兄貴!」
「はい、兄貴!」
二人の威勢のいい返事を聞きながら、ドヒョクはわずかに眉を寄せた。
一年間、一度も確認しなかったとはいえ。
二人が真面目に準備を進めていなかったことくらい、分かっている。
何より、自分自身もそこまで重要視していなかったから放置していた。
だが。
今は事情が違う。
「二日」
「……え?」
「っ……!」
二人は提示された期限に息を呑んだ。
命令なら従うしかない。
それでも、全国に散らばる仕事を二日で整理するなど到底無理だった。
新規事業も同じだ。
何もないところから会社を動かすなど、不可能に近い。
「一年前に言ったことだ。
まだ時間が必要か?」
ドヒョクはソンチョルとテギュを交互に見た。
他の組員たちは息を潜めたまま動けない。
二人は慌てて首を横に振る。
「い、いえ!」
「ど、どうにかします!」
「三日」
ドヒョクは恩赦でも与えるように、一日だけ延ばした。
二人は一日増えただけでも助かったと思うしかない。
頭の中では、すでに段取りが猛スピードで組み立てられていた。
「ありがとうございます、兄貴!」
「必ず間に合わせます!」
ドヒョクは少し考え、それから軽く手を振った。
解散の合図だ。
全員が一斉に立ち上がろうとした、その瞬間。
「それと」
ドヒョクが再び口を開く。
全員、慌てて座り直した。
「サランチェの一番広い部屋は、今日から会議室として使う。
テーブルを運び込め。
進捗報告は毎日まとめて、会議室に置いておけ」
何の会議室なのか。
気になる者は大勢いた。
だが、そんなことを聞ける者は一人もいない。
「はい、兄貴!」
返事だけが響く。
それを聞いて、ドヒョクはようやく全員を下がらせた。
そしてソンミンからファックスで送られてきた一枚の紙を、静かに持ち上げた。
基燦は、そろそろ道赫に言われていた仕事をしようと門へ向かっていた。だが、まだ着く前に。炳浩と万植が、誰かを悪しざまに罵っている声が耳に入る。「世の中、とんでもねぇイカレ女っているもんだな」「誰の話です?」「いや、見た目は普通のお嬢ちゃんだったんだが、ボスの名前を平気で呼び捨てにしてよ。"最後のチャンス"がどうとか――」まだ約束の時間までは一時間ある。少し世間話でもしてから門へ行こう。そう思っていた基燦だったが、その話を聞いた瞬間、慌てて腕時計へ目を落とした。「……え? いつですか!?」「五分くらい前か?」「やべぇ……。どうしました? 中へお通ししましたか?」「はぁ!? 何でお通しするんだよ? 追い返したに決まってんだろ!」炳浩は呆れたように聞き返す。あんな小柄なお嬢ちゃんを、わざわざ"お通し"する理由がどこにある。どう見ても様子のおかしい人間だったのだから。だが、その返事を聞いた途端。基燦の顔から血の気が引いていく。ごくり、と唾を飲み込んだ。……何でこんなに早く来たんだ。まだ時間あるのに。まずは状況を把握しなければ。炳浩も万植も、珠葉のことなど知るはずがない。よりにもよって、この二人だった。きっと、ろくな口を利いていない。今日に限って道赫が仕事を理由に大勢外へ出してしまい、門番が足りなかったのが運の尽きだった。炳浩と万植は、大田の仕事を片づけたばかりで待機中だったのだ。「……くそっ。ボス、今どちらです?」「寝てるんじゃねぇか?」だから連絡がつかなかったのか。基燦は震える手を落ち着かせるように、大きく息を吸う。「タクシーで来られました?」「ああ。タク
「人んちのボ……いや、代表のお名前を、そんな気軽に呼ぶもんじゃねぇよ」――やっぱり。あのバカ。人が来るって言ってなかったのか。珠葉の機嫌は一気に急降下した。この男は今、危うく「ボス」と言いかけた。そのうえ初対面の自分にいきなりタメ口。けれど珠葉はぐっと気持ちを抑える。怒られるべき相手は、こいつらじゃない。そう思った。「どうやって知ったのかは知りませんが、お引き取りください」「じゃあ、ここで合ってるってことね?」「だから、お帰りくださいって」こんな場所までタクシーで来る押し売りがどこにいるっていうんだ。珠葉は冷静に考えながらスマホを取り出した。あのとき会った"職場の人"たちの名前でも知っていればよかった。それもない以上、証明できそうなものは一つしか思いつかない。「これしか証明できるものないんだけど」「おじさん? それがどうし――」「……代表の番号じゃねぇか、それ」『おじさん』と登録された道赫の番号。そして何度も残っている通話履歴。二人は顔を見合わせ、小声で何か話したあと、結局また首を横に振った。「いや……どっかで名刺でも見て番号登録したのかもしれねぇし」「ちゃんと見て。こんなに何回も電話してるでしょ」「……いや、それでもな。うちの代表は、だからって家まで来れば会えるような人じゃねぇんだ」口調はさっきより少し柔らかくなった。それでも態度は頑なだった。珠葉は小さくため息をつく。道赫とのメッセージ履歴。あれを見せれば、自分たちの関係くらいすぐ証明できる。でも。あんな私的なやり取りを他人へ見せるなんて嫌だった。名刺には載っていない個人用の番号
「ディルド代わりに使ってあげる」『……』受話器の向こうから返事はなかった。思わず笑いそうになる。いや、もう少し漏れてしまったかもしれない。その小さな笑い声を、道赫は聞いていたのかもしれなかった。それでも彼は、しばらく何も言わない。やがて、一段低くなった声が返ってきた。『土曜日……ですか? 十二時に?』いつの間にか。「ここは郊外だから、タクシーは家の前まで来ません」そう伝えるつもりだったことすら忘れていた。今、自分が何を考えているのか。それすらよく分からない。ただ、頭の中は真っ白だった。彼女の言葉を、本当に正しく理解できているのかさえ怪しい。それでも。――とても、とても大事なことを言われた。その事実だけが、頭に残っていた。「うん」『……分かりました。お待ちしています』土曜日まで、あと二日。その二日がどれほど長く感じられるのか。このときの道赫は、まだ知らなかった。ただ、きっと長い時間になる。そんな予感だけがあった。珠葉は電話を切ると、長く息を吐いた。本当にこれでよかったのか。そう自分へ問いかけても、すぐには答えが出ない。こんな勢いで決めるために、今まで引き延ばしてきたわけじゃない。それでも。さっきの道赫の反応を思い返せば、きっと後悔はしない。たかがセックス。珠葉はそうやって自分へ言い聞かせる。けれど、「たかが」の一言だけで納得できるほど簡単でもなかった。だからもう一度、道赫のことを思い浮かべる。どんな意味であれ。自分へ本気で向き合ってくれる、あの整った顔の男を。そして彼へ言った通り、自
「大したことじゃない。ただの噂だし。事実でもないんだから、腹を立てる必要ないと思って言わなかった」やっぱり。珠葉なら、そう言うと思った。こんなことを聞かされても黙っていた理由なんて、一つしかない。彼女は、自分自身の名誉なんて少しも気にしていない。あれだけ聞こえよがしに騒がれていたんだ。今日初めて耳にした話なわけがない。何日もそんな声を聞きながら、何事もなかったように大学へ通っていた。そのことを、自分は何も知らなかった。それが、たまらなく腹立たしかった。けれど。怒る相手は、決して珠葉じゃない。それくらい、道赫にも分かっていた。「何であれ、ご主人様の許可がなければ、俺は何もできません」「じゃあ、しなきゃいい」「他のことは考えなくていいです。せめて、俺の名誉だけは守ってください」もちろん、それは口実だった。自分の名誉なんて気にしない珠葉だからこそ、わざわざ持ち出した口実。彼は、ご主人様の許可がなければ動けない自分を知っている。だからこそ、理由が必要だった。珠葉はそっと下唇を噛む。大学にも通っていない彼に、守るべき名誉なんてあるのか。そんな考えが一瞬よぎる。けれど同時に。自分と同じように、彼まで「金で人を買った男」にされてしまったこと。そのことには、まったく思い至っていなかった。彼だって、何も悪くない。しかも、こうしてちゃんと許可まで求めている。たった一言。それだけでいいと言っている。難しいことじゃない。それでも。彼が何をするつもりなのか分からない以上、簡単には頷けなかった。「……暴力はダメ」「はい」返事は驚くほど早かった。まるで、その言葉を待っていたかのように。
その日、道赫は一日中、珠葉から「迎えに来て」と連絡が来るのを待っていた。試験勉強の最中に、あの性格でどうでもいいメッセージを送ってくるはずがない。だから、日付が変わる頃に彼女から連絡が来たときも、ごく自然に車のキーを手に取った。「……え? 来なくていい、ですか?」「うん。今日は歩いて帰る。待つ時間のほうが長いし」そんなことは道赫だって分かっている。大学まで迎えに行くのに二十分。そこから珠葉の家までは歩いて十分ほど。それでも今までは、彼女は彼を呼んでくれていた。彼が着く時間を逆算して、少し早めに連絡をくれるくらいには。試験期間でも、夜に少しだけ顔くらいは見られると思っていたのに。これでは、罰を受けているときと大して変わらない。もちろん。連絡くらいは取れるだけ、まだ救いだった。「でしたら……明日は大学の前で待っていましょうか?」「何時に終わるか分かんない。電話しながら帰るから、そのとき話そ」道赫は仕方なく「分かりました」と答えた。声だけでも聞けるなら、それでいい。家へ帰ったあとも、少しだけわがままを言った。せめてビデオ通話をしませんか、と。珠葉は「いいよ」とあっさり了承し、帰宅するとすぐにかけ直してきた。画面越しの彼女は、いつもとほとんど変わらない。少し疲れて見えるくらい。試験期間なんだから、それくらい当然だろう。道赫は何度か身体を気遣う言葉をかけ、珠葉の話を聞いてから電話を切った。そんな日が、何日も続く。試験期間中は一度も呼ばないつもりなのか。彼女は毎日欠かさず連絡をくれるのに、会おうとはしなかった。道赫もまた、長い我慢の時間を過ごす。首席を何度も取ってきた人だという。その努力も生活も、自分が邪魔したくはなかった。珠葉も
その日、珠葉はホテルで眠ってしまった。「私が寝たら隣の部屋行って」そう言っておきながら。道赫は寝息を立てる珠葉をしばらく見つめ、その穏やかな呼吸を耳に焼きつけてから、静かに隣の部屋へ移った。寝顔を見せてくれるようになった。それだけでも、どれほど大きな変化なのか。道赫にはよく分かっていた。翌朝、大学まで送ると、「あとで連絡する」そう一言だけ残して、珠葉はさっさと校内へ消えていく。道赫もそこでようやく家へ向かった。珠葉も、ときどき道赫のことを思い出した。それでも昨日よりはずっと勉強に集中できていた。試験期間だというのに、余計なことばかり考えていたくはない。だから普段以上に意識して机へ向かう。ただ、ときどき周囲が妙にざわつく。試験期間中の大学は、物音一つ立てるのも遠慮するくらい静かなはずなのに。どこか落ち着かない空気だけが漂っていた。それでも珠葉は気にも留めなかった。◇「ご飯行こ」昼休みになると、友人の恵珍が珠葉の肩を軽く叩いた。珠葉はようやく伸びをして頷く。恵珍は同じ学科ではない。二年生のとき偶然仲良くなって、それからずっと付き合いが続いていた。五年制の珠葉とは違い、本来なら四年で卒業できるはずだったが、「青春を取り戻してくる!」と言って一年休学したせいで、結局まだ同じ大学へ通っている。「何食べる?」「トッポッキ」「りょーかい」そんな他愛ない話をしながら北門へ向かう。歩いているだけでも、周囲のざわつきがどこか気になった。店へ入り注文を済ませると、珠葉がぽつりと言う。「今日、大学なんか変」「それ……ちょうどその話しようと思ってた」「え? 何か知ってるの?」珠
「まあ、この辺ならホテルなんていくらでもありますし」 この辺りはラブホテルだらけだった。 ドヒョクはジュハの言葉に、小さく周囲を見回す。 生まれながらの坊ちゃん育ちで、こんな場所に来たことは一度もない。 もっとも、今さら二人でタクシーに乗ってホテルを探すというのも、それはそれで妙な話だった。「ふーん」「手でしかしませんけど。 それでもいいなら」「……何?」 ずいぶんと肝が据わっていた。 自分より倍は大きな男に向かって言う言葉とは思えない。 世間知らずなのか。 それとも、何か根拠のない自信でもあるのか。 酒に酔っているはずなのに、その瞳だけは不思議なほど生き生きとして
ジュハは、新学期初日からかなり酒を飲んでいた。 五年制の建築学科も、いよいよ最後の後期。 卒業制作の展示会も終わり、あとは卒業論文を書くだけ。 長かった学生生活も、ようやく終わる。 そう思うと、なぜだか無性に酒が飲みたくなった。 大学生活四年半の間、ここまで飲んだことは一度もない。 建築学科は酒を飲む人が多いイメージだったが、ジュハ自身は酒を好まなかったため、そこまで飲む機会もなかったのだ。 だから、その日の彼女は珍しく酔っていた。 道で大柄な男とぶつかったとき、何も考えず軽く頭を下げて謝ったのも、そのせいだった。「謝り方にしては、ずいぶん適当だな?」 そう言われ、ジュ
「どう? 家族の借金は少しあるけど、学校の先生だ。 悪くないだろ?」 何が「どう」なのか。 ドヒョクはソンミンの手から酒瓶を取り上げ、自分でグラスへ酒を注いだ。 そして、一気に飲み干す。 少し酒が入れば、昨夜と同じ状態になるかもしれない。 そんな考えが頭をよぎる。「今までとはちょっと違うタイプを集めてみたんだけど?」 だが、ドヒョクの隣へ座った相手は、目を合わせることすらできず小さく震えていた。 別にここで誰かと関係を持つつもりで
ドヒョクは、その十一桁の電話番号をじっと見つめていた。 名前を登録しようにも、何と保存すればいいのか分からない。 昨夜は、酔い潰れるほど飲んだわけではない。 それでも朝になると、ようやく頭が冷えてきた気がした。 そもそも、なぜ番号を聞いたのか。 自分でもはっきり覚えていない。 あの女と、この先どうするつもりだったのか。 昨夜のことは、ちょっとしたハプニングとして終わらせればいい。 そう自分に言い聞かせながら、ベッドを降りた。 もしかすると、昨日