تسجيل الدخول「……は?」
朱夏は平然とした道赫の顔を見つめながら、混乱した頭を必死に整理した。
とんでもない話を聞かされた。
なのに、その話をした本人があまりにも平然としているせいで、余計に現実味がなかった。
「……組織を継いだって? 誰から……?」
誰かから受け継ぐということは、その誰かが持っていたものを譲られるということだ。
そして、それは受け継いだ人間のものになる。
ただの幹部や現場責任者の座を「受け継いだ」なんて言い方はしない。
道赫ははっきりと、「組織を受け継いだ」と言っていた。
「祖父が作った組織で、父が継いで……そのあと俺が受け継ぎました」
「…………幹部とか、そういう話じゃなかったの……?」
その言葉でようやく道赫は気づいた。
その日、珠葉はホテルで眠ってしまった。「私が寝たら隣の部屋行って」そう言っておきながら。道赫は寝息を立てる珠葉をしばらく見つめ、その穏やかな呼吸を耳に焼きつけてから、静かに隣の部屋へ移った。寝顔を見せてくれるようになった。それだけでも、どれほど大きな変化なのか。道赫にはよく分かっていた。翌朝、大学まで送ると、「あとで連絡する」そう一言だけ残して、珠葉はさっさと校内へ消えていく。道赫もそこでようやく家へ向かった。珠葉も、ときどき道赫のことを思い出した。それでも昨日よりはずっと勉強に集中できていた。試験期間だというのに、余計なことばかり考えていたくはない。だから普段以上に意識して机へ向かう。ただ、ときどき周囲が妙にざわつく。試験期間中の大学は、物音一つ立てるのも遠慮するくらい静かなはずなのに。どこか落ち着かない空気だけが漂っていた。それでも珠葉は気にも留めなかった。◇「ご飯行こ」昼休みになると、友人の恵珍が珠葉の肩を軽く叩いた。珠葉はようやく伸びをして頷く。恵珍は同じ学科ではない。二年生のとき偶然仲良くなって、それからずっと付き合いが続いていた。五年制の珠葉とは違い、本来なら四年で卒業できるはずだったが、「青春を取り戻してくる!」と言って一年休学したせいで、結局まだ同じ大学へ通っている。「何食べる?」「トッポッキ」「りょーかい」そんな他愛ない話をしながら北門へ向かう。歩いているだけでも、周囲のざわつきがどこか気になった。店へ入り注文を済ませると、珠葉がぽつりと言う。「今日、大学なんか変」「それ……ちょうどその話しようと思ってた」「え? 何か知ってるの?」珠
「えっ……八棟? 東京じゃなくて、ソウルで? それって相当広くない?」「ええと……ソウルの端のほうなので、ほとんど京畿道みたいな場所です。でも、ご主人様の大学からなら車で二十分くらいですよ」珠葉は身を乗り出すように道赫へ近づいた。今日の彼女は、いつになく積極的だ。その様子を見て、道赫は小さく笑う。やっぱり、自分に腹を立てていたわけではなかったらしい。そう思えるくらいには、素直な反応だった。「試験終わったら行ってもいい?」「もちろんです」来週末くらいだろうか。道赫は頭の中でざっと予定を思い浮かべる。外で一緒に食事をするだけでも苦労していた。それが家へ来てくれるなら、自分で作ったわけじゃなくても食事くらいは用意できる。それだけでも十分嬉しい。運が良ければ、一度だけじゃ済まないかもしれない。「……でも、家族と住んでるんじゃないの?」「いえ。今は家族は一緒じゃありません。俺一人と、あとは子たちが少し」「へぇ? 何人くらい?」――ああ。これじゃ、あいつらを全員どかすわけにもいかないな。道赫は少しだけ考えた。本当のことは言いたくない。でも、嘘もつきたくない。迷った末、変に取り繕うことなく答える。「五十人くらいです。でも昼間はみんな出てるので、あまりいませんよ」適当に片づけておけばいいか。そんな結論の返事だった。珠葉は素直に頷く。五十人。そんな大人数で暮らしているとは思わなかった。そもそも韓屋に住んでいることすら、今日初めて知った。でも、知るタイミングとしては悪くない。試験さえ終われば、少しは余裕もできる。「分かった」そう言って珠葉は、またベッドへごろんと寝
「今日はどうしたんですか?」道赫は珠葉の隣へ寝転び、彼女の髪を指先に絡めて遊びながら尋ねた。珠葉は何でもないように、「何が?」と返す。その返事が妙に嬉しかった。いや、本当は返事なんてどうでもよかった。こうして肩を並べて話す、この時間そのものが嬉しい。以前なら行為が終わればすぐ追い返していた彼女が、今ではこうして隣にいることを許してくれる。それだけで十分だった。だから、何を話すかなんて大した問題じゃない。「今日はずいぶん激しかったですね、ご主人様」「そう?」知らないふりか。道赫は珠葉の顔をじっと見る。本当に気づいていないのか、それとも惚けているだけなのか。どう見ても白を切っている顔で、思わず吹き出した。「ええ、すごく。ほら、さっき俺、泣いちゃったじゃないですか」目元を拭う仕草まで添えてみせる。珠葉は「そんな気分だっただけ」とでも言いたげに、その話をさらりと流した。道赫は少し考える。正直、思い当たる理由がない。「大学で何かあったんですか?」「ない。そんなの」それなら、どうして。理由もなくあんなふうになる人ではない気がして、また考え込む。指の間をすり抜ける柔らかな髪を感じながら、おそるおそる口を開いた。「さっき、俺が実家に帰ったから怒りました?」「は? 何言ってんの。そんなわけないでしょ」珠葉は、自分が少し強く否定しすぎたことくらい分かっていた。でも、この問いだけは絶対に否定しなければならない。たとえ本当だったとしても。本当のまま認めるわけにはいかない。ここで口にしてしまえば、すべてが変わってしまう。自分のものにしたいなんて。そんな感情は、まともじゃない。だからこそ、認めた瞬間、それは弱みになる気がし
「……はぁ……」短く息を吐き、珠葉はゆっくりと上体を起こした。道赫の舌は思っていた以上に熱く、湿っていた。主導権を握られるような感覚だけは嫌で、自分なりにやってみたものの。思い描いていたものと現実は少し違っていて、思うようにはいかなかった。それでも、このくらいなら十分満足だ。道赫の目が、燃えるように熱を帯びていたから。本人は気づいていないようだけれど。そのあとは、いつもと似ているようで少し違った。珠葉はいつもより乱暴に腰を打ちつける。彼が甘い声を漏らすたび、笑っていたあの表情もない。ただ真剣な顔で、一心に彼を責め続けた。「はぁ……んっ……! うっ……! 速、すぎます……っ、ご主人様……あっ……!」「気持ちいいくせに。大げさ」そうだろうか。そもそも、ご主人様との行為が嫌だったことなど一度もない。どれほど翻弄されようとも。今日はいつもより荒っぽい彼女を見ながら、少しだけ可哀想なふりでもしてみようかと思った。「んっ……あぁ……でも……っ、速っ……んっ……!」潤んだ目を作るのは難しくなかった。強い刺激だけで自然と涙が滲むくらいなのだから。いつもより少しだけ弱々しく見せればいい。けれど珠葉は、そんな道赫を哀れむどころか。むしろ少し楽しそうだった。「触ってもないのに、その勃ってるチンポ」もちろん、それだけが理由じゃない。道赫は少しだけ理不尽さを飲み込み、もうひと押ししてみることにした。潤んだ瞳の
「返さなくていいし。横になって」「はい」道赫はゆっくりとベッドへ歩いていき、そのまま仰向けに寝転んだ。受け身の立場にも、もうだいぶ慣れてきた。こんなふうに何かをしてもらうばかりなんて、今まであっただろうか。……いや、そもそも誰かに何かを与えた記憶自体、あまりないのかもしれない。もちろん、そういう意味だけじゃなく。「坊や」「……また、そんな呼び方するんですか。期待しちゃいますよ」普段はほとんど呼んでくれないくせに、ベッドの上では妙に気前がいい。よりにもよって「坊や」なのは少し似合わない気もする。それでも嬉しかった。ご主人様だけが呼んでくれる、特別な呼び名だから。「ねぇ、あんた誰のもの?」「……え?」道赫は、生まれてこのかた、自分が"誰のもの"なのか考えたことなどなかった。「自分は自分のものだ」なんて意味じゃない。ただ、本当に考える必要がなかっただけだ。誰のものになろうと、別に構わない。もちろん、この問いに求められている答えくらいはすぐに分かった。ご主人様が何を聞きたいのかも。聞き返したのは、あまりに唐突だったから。だが、答えようとした瞬間。「……いい。まだ答えなくて」遅かっただろうか。道赫は一瞬だけ真面目な顔になる。しかし次の瞬間には、笑いを堪えることになった。珠葉が真剣な顔で、ネクタイを使って彼の手首を縛り始めたからだ。借りていった自分のネクタイで、自分の手首を縛る。そんな珠葉を、道赫は黙って見つめていた。さっきまでスマホを熱心に見ていたのは、このためだったらしい。縛り終えると、珠葉は何事もなかったようにベッドから降りた。道赫はそっと手首を動かしてみる
珠葉は、自分の集中力を疑ったことなど一度もなかった。九学期のうち六学期で首席を取れたのも、その九割は集中力のおかげだと思っている。だからこそ、どうして今、自分が何も手につかず、あの男のことばかり考えているのか理解できなかった。あいつは、親に呼ばれて実家へ帰っただけ。それなのに、この妙な気分は何なんだろう。「……バカじゃないの」珠葉はくしゃりと髪をかき乱した。最近の自分が少しおかしいことくらい、自覚はある。でも、こんな気持ちは本当におかしい。あいつは私のものでもないのに。――私のもの?そこで珠葉は、あり得ない考えに気づいた。所有欲。そんなものが、自分の中にある。「ほんと、どうかしてる……」とうとう机から勢いよく立ち上がる。試験期間だろうが何だろうが、この状態で座っていても時間を無駄にするだけだ。最近、こんなことは一度や二度じゃない。ため息をつきながらも、それ以上考えるのはやめた。片手に花束、もう片方にスマホを持ち、珠葉はとぼとぼと家へ向かって歩き出す。気づけば、ずいぶん時間を無駄にしてしまっていた。家で少し休んで、軽く勉強して、今日は早めに寝よう。そのほうが明日のためになる。歩きながらスマホを開いては閉じる。連絡するべきか。でも、送るほど話すこともない。だからといって、このまま何もしないのも落ち着かない。そのとき、スマホが震えた。画面には、相変わらず『おじさん』と登録された名前。珠葉は一度だけ瞬きをしてから、ゆっくり通話ボタンを押した。「もしもし」『大学ですか?』「んー……帰ってる途中」歩みを止めて答える。こんな正直に答える必要あったかな、とは思った。
「まあ、この辺ならホテルなんていくらでもありますし」 この辺りはラブホテルだらけだった。 ドヒョクはジュハの言葉に、小さく周囲を見回す。 生まれながらの坊ちゃん育ちで、こんな場所に来たことは一度もない。 もっとも、今さら二人でタクシーに乗ってホテルを探すというのも、それはそれで妙な話だった。「ふーん」「手でしかしませんけど。 それでもいいなら」「……何?」 ずいぶんと肝が据わっていた。 自分より倍は大きな男に向かって言う言葉とは思えない。 世間知らずなのか。 それとも、何か根拠のない自信でもあるのか。 酒に酔っているはずなのに、その瞳だけは不思議なほど生き生きとして
ジュハは、新学期初日からかなり酒を飲んでいた。 五年制の建築学科も、いよいよ最後の後期。 卒業制作の展示会も終わり、あとは卒業論文を書くだけ。 長かった学生生活も、ようやく終わる。 そう思うと、なぜだか無性に酒が飲みたくなった。 大学生活四年半の間、ここまで飲んだことは一度もない。 建築学科は酒を飲む人が多いイメージだったが、ジュハ自身は酒を好まなかったため、そこまで飲む機会もなかったのだ。 だから、その日の彼女は珍しく酔っていた。 道で大柄な男とぶつかったとき、何も考えず軽く頭を下げて謝ったのも、そのせいだった。「謝り方にしては、ずいぶん適当だな?」 そう言われ、ジュ
「どう? 家族の借金は少しあるけど、学校の先生だ。 悪くないだろ?」 何が「どう」なのか。 ドヒョクはソンミンの手から酒瓶を取り上げ、自分でグラスへ酒を注いだ。 そして、一気に飲み干す。 少し酒が入れば、昨夜と同じ状態になるかもしれない。 そんな考えが頭をよぎる。「今までとはちょっと違うタイプを集めてみたんだけど?」 だが、ドヒョクの隣へ座った相手は、目を合わせることすらできず小さく震えていた。 別にここで誰かと関係を持つつもりで
ドヒョクは、その十一桁の電話番号をじっと見つめていた。 名前を登録しようにも、何と保存すればいいのか分からない。 昨夜は、酔い潰れるほど飲んだわけではない。 それでも朝になると、ようやく頭が冷えてきた気がした。 そもそも、なぜ番号を聞いたのか。 自分でもはっきり覚えていない。 あの女と、この先どうするつもりだったのか。 昨夜のことは、ちょっとしたハプニングとして終わらせればいい。 そう自分に言い聞かせながら、ベッドを降りた。 もしかすると、昨日







