LOGIN「水鏡、次の満月に連れていく。それまで待っていてくれるね?」
夕月夜はそう言の葉を告げると、中庭から屋根までヒラリと跳躍する。
そうして、あっという間に夕闇の中に紛れていってしまった。
「いや、夕月夜さまーーーっっっt!」
せつない絶叫が廊下に響く。
夕月夜が去っていった方角へと視線を向けたまま、水鏡さまはフラ……っと膝から崩れ落ちていったの。
「どうして……連れていって欲しかったのに。夕月夜さま……!」
遠く、夕映えの向こう。
飛び去っていった彼の名を呟きながら、涙をポロポロ零しつづけている。どうしよう、なんて声をかけたらいいんだろう。かける言葉がみつからない。
「あの、水鏡さま……」
「どうして止めたの? あの時」
氷の如き冷たい言葉
それは、あたしに向けて放たれた想いだった。
「もう少しで夕月夜さまに届いたのに! わらわの想いが分からないの!?」
「だって変だよ! あの藤の妖はさ、水鏡さまを攫おうとしてるんだよ!」
「さらって欲しかったのよ! 邪魔をしないで……っ!」
まるで
そんな顔、するんだ。
どんなに美しくても、あれは妖。きっと一緒に行ったなら、元には戻れないと思う。命を吸われてもいいなんて、あたし思えないよ。だってちっぽけな子猫の頃から一緒に暮らしてるんだもの。
「あたし、水鏡さまにさ……死んで欲しくないんだよ!」
「貴方だって化け猫でしょう。一等、気持ちが分かるのではなくて?」
「そんなの、わかんないよっ」
「じゃあ、もう知らない。顔も見たくない!」
「……え?」
今、なんて言ったの……?
「しばらく顔も見たくないわ。次の逢瀬も邪魔をしないで!」
「あんた、この猫ちゃんを拾ったって聞いたけど」
千年さまが割って入ってくれた。
座り込むあたしに手を差し出すと、スッ……と立ち上がらせてくれたの。まるであたしを守るように、水鏡さまの前に立つと、千年さまは口を開いた。
「拾った命に対して、ずいぶんと軽いもんだな。顔も見たくないって、捨てるつもりなのか」
「そこまで言ってませんわ」
水鏡さまは涙を拭きながら、言いよどむ。先刻までの殺気は、少しおさまった気がした。
「同じ事だろうよ。この化け猫ちゃんは心配してるだけだろう。連れて行かれたら、死ぬかもしんねーんだぞ? 赤の他人じゃない、赤の人外だ! そりゃ一緒に長年過ごしてきたんだ、心配くらいするだろう」
「心配……でも邪魔はしないで」
「あんたさあ〜」
呆れたようにその顔を見据えると、千年さまは頭をボリボリかいた。
「夕月夜さまに逢いたいの! それだけが、わららの願い。どうして理解してくれないの!? この恋を貫きたいだけですのに!」
「あ、そう」
その叫びを聞いた千年さまは、何か腑に落ちたように独り言を吐いた。そして意を決したように、あたしをヒョイとお姫様抱っこしたの。え? は? あたし今────
お姫様抱っこされてる──────!?
「いらねーんなら、この化け猫はちゃんいただくぜ」
「は?」
えっと、は?
何これ。今あたし、何で抱っこされてるの!?
「晴明さま〜、捨て化け猫ちゃん拾ってもいいですかー?」
あたしを姫抱っこしたまま、晴明さまの前にスタスタ歩いていく。どういう状態、これ??
「いいぞ。可哀想にのう……連れて帰ろうぞ」
「やった──────!」
な、なんか勝手に決まってるんですけど……っ。やだちょっと困る! あたしは水鏡さまの猫なんだから、あたしがいないと冬の暖もとれないのよ。朝だって、あたしがフミフミしてあげないと起きないんだから、水鏡さまはっ!
と思ったのに。
水鏡さまは、黙ってしまった。そんな……嘘、だよね?
え、だってさ……桜色の傘を差しだして「一緒に帰ろう」って言ってくれたのは、貴方じゃない。
秋はススキの穂にチョイチョイさせてくれた。
綺麗な夕映えを見ると、教えてあげたくなった。
大きいドングリがあれば、見せてあげたくなったよ。
貴方が笑うと、うれしかった
だって、あたしは捨てられた命だったから
この命は、水鏡さまのために使うんだって、決めてたんだ。
それを伝えた事は、なかったけれど
あたし此処から消えたら寂しいよ……!
他に代わりなんていなかった
人ってある日突然、いらなくなったりするモノなの?
同じ想いだと信じてたのに……!
「少しの間、預かっていて。秋華のこと」
ためらいがちの声で、水鏡さまは呟いた。その言葉にあたしは絶句する……。やだ、何て言ったらいいのか分かんないよ……!
「勝手なこと言うなよ。この子はもう、俺が連れて帰る!」
「千年……さま?」
お姫様だっこっされたまま、あたしはその胸にギュッと身を寄せた。
ドクンと心臓が高鳴って。
けれどとても寂しかった。
これをキッカケにあたしは
安倍晴明さまの屋敷で、暮らすことになるのだった──────
「夕月夜はな、妖怪『枕返し』のチカラを、吸収しておったようじゃ」 蛍火自慢の料理、魚の煮物をつまみながら、晴明さまがトツトツと話してくれる。 あの事件から、数日がすぎた。「枕返しの力って、夕月夜はサトリですよね?」「そうじゃな。どこかでサトリになってから、枕返しを食べたのであろうな」「そっか、それで力だけを吸収したと」「ああ。夕月夜は格別チカラの強い、サトリだったようじゃ。他の妖怪を喰らい、夕月夜の姿のまま、強化する事ができたようじゃな」 なんていうか、あたしは大変な闇の王と戦っていたらしい。 今更ながらに、あれは大物であったと理解ができたわ。「なんか生きてて良かったです!」「誠にのう」 こうやって皆でいつものようにお膳を囲み、おいしい料理に箸をはこんでいると、ふと千年さまがあたしの隣で笑っている気がして、まだ切なくなる。 けれどあたし、日常に帰ってきたよ。 ここは晴明神社。式神の住まう屋敷。 いつものように広い座敷に、みんな向かい合わせで膳を並べ、晴明さまも式神も、いっしょになってご飯を食べるのだ。今は朝餉の時間。 春の陽射しがまぶしく煌めき、御簾から光がこぼれてお膳を照らす。 千年さまがいた場所に、今は士道さまと、鈴丸、桔梗さまが座っている。士道さまが、汁物を啜ると目を細めてあたしへと言の葉を紡いだの。「秋華ちゃんが、生きていて良かったよ」「士道さま」「千年との約束が、守れて良かった」「そう、ですね……」 そうしている間、鈴丸と桔梗さまはミカンを奪い合っていた。きゃいきゃい騒ぎながら、楽しそうに蜜柑を二人で頬張っている。鬼童丸も、今日はゴキゲンなようだ。 ああ、そういえば日常って、こんな感じだったっけ。 あたしは魚をハグッと頬張る。 そして、晴明さまに聞いてみたかった事を、投げかけた。「ねえ晴明さま、妖怪『枕返し』について、もっと詳しくお聞きしたいな」「枕返しか。人はな、夢をみている間、魂が肉体を離れると言われておる。夢うつつの状態で枕を返されると、どうなると思う」「ど、どうなるのですか?」「魂が黄泉の国にいったまま、二度と帰っては来ないのじゃ」 ゴクリ、と喉が鳴る。「それって……死を意味するのでは」「ああ、おそらくな」「ではあのまま。一等優しい夢の中で溺れていたら……あたし、ど
「みずか……さま……」 水鏡さまの穿たれた心臓から、一匹の蝶がまた生まれる。 あたしはその緋色の蝶に手を伸ばすけれど……するりと指の間を抜けていった。 体の先から深紅の蝶になっていく水鏡さまが、夢のように微笑する。「地獄でもかまわないと、いったでしょう? 私ね、愛しい人の傍にいられるのなら、鬼にも蝶にもなれるのよ。貴方ならわかるでしょう……? 秋華……」 彼女の瞳から、ひとすじの涙がこぼれる。 涙は、やがて蝶になる。 あたしに向かって差し伸べられた掌が、はらはらと崩れて。 やがてそれは数多の蝶へと変化した。「それでも、心は……残っていたのかな」 桜色の傘、あの日の雨音が聞こえる。 ねえ、それが貴方の夢だったの……? なつかしい微笑みは、小さな無数の蝶へとかわり羽ばたいていく。彼女の体がすべて蝶になってしまうのを、どうしても止められない。「どこへ行くの?」 炎の色を秘めた蝶は、あたしを取り囲むと、あたしの体をフワリと浮かびあがらせる。「え、浮いてるっ!?」 そのまま幾千の蝶達があたしの体を乗せて、闇の向こうへ運ぼうと舞いあがった。「いかせない」 パシン……! 右手に強い力を感じる。 あたしの腕をキリリと握り、桔梗さまが引きとめた。「秋華ちゃんは私の式神だ。行かせない!」 桔梗さまの掌は、しっかりと結ばれていた。 強い強い力で、あたしは地面へと引き戻される。 タンと、うつし世の地面に足をつける。 ここは現実、あの人のいない世界……!「それでも、生きていくからね。千年……!」 大好きな、あの人を想った。 どうしようもない恋だった。 それでも全部、真剣だったよ。この世なんかいらないと思う程、誰かを愛せたこと。 もうそれだけで、十分だったから──── あたしは桔梗さまに駆け寄ると、ぎゅぅぅぅぅっと抱きしめた。もう無くしたくない絆を、確かめるように。「ありがとう」「みずか、さま……?」 その光景をみていた幾百の蝶たちが、なにかを悟ったかのようにと方向をかえた。 そうして一斉に月へと羽ばたいたいていく。 ザン……! 深紅の蝶たちが、蒼い蝶を追いかけていく。 あたしの頬をかすめて飛びゆく蝶を、もう捕まえることはしなかった。抱きしめた桔梗さまから腕をはなして、照れたようにあたしは笑みを宿した。桔梗さま
鳳凰の口から、炎の滝が一気に放出された。「ゴオオオオォオオン」「千年の仇、その身に業火を浴びるがいい!!」 鬼童丸の体躯から、修羅のような殺気が立ち昇っていた。 それと重なるように、地獄の豪華のような火炎が、夕月夜に向かって降りそそがれる。「夕月夜、君を守る!」「鈴丸!」 夕月夜をかばうように、鈴丸が両手を広げて、立ちはだかった。 あたしも、何故か守ってあげたくなる。 おかしいよね、あれは憎い……敵なのに!「もういいよ、鈴丸」「えっ」「君は、誰より生きなきゃいけない」 そう呟くと、夕月夜は鈴丸をの背中をドン! と押して、いっしょにゴロゴロと転がった。 滝のような炎は、二人から離れた場所で、ダクダクと降りそそがれる。 その光景を見据えると、夕月夜は砂をはらいスルリと起き上がった。 「鈴丸、君がここに来るまで……人など滅べばいいと願っていた」「夕月夜?」「でも、君が生きているなら。ヒトも悪くないな」「だけど。僕はもう、ヒトじゃないよ」「いいや、誰よりも君は……ヒトであろう」 風がさやさやと頬を撫でる。 夕月夜に、やわらかな笑みが滲んでいた。 ああ、この優しい面差し。懐かしい感じがする。 それはかつて、あたしが雪椿だった頃に出逢った、あの夕月夜だったんだ。「君は生きるといい。その為ならば、命を賭けたっていいや……!」「夕月夜!」 あたしは思わず、彼の名を呼んだ。今ならば、あたしの声も届くような気がしたから。「雪椿からの、伝言だよっ!」「なんだって?」「あの子は散って、幽霊になっちゃったんだ。あたし彼女に伝言を頼まれたのっ!」「伝言って、雪椿からか」「そうだよ、どうか……覚えててーっ!」 あたしが叫んだ刹那 天空をスーッと旋回する鳳凰が、大きく羽ばたいた。鬼童丸の殺気は、より激しい勢いをみせる。 体から瘴気のごとき金色の炎がメラメラと燃え滾り、その右手にたずさえた火神剣を、天空に高々とかかげた。そうして雄々しい咆哮をあげる。「夕月夜、天の裁きを受けるがいい!」 鬼童丸は炎に包まれたまま、夕月夜に向かい、まっすぐに走っていく。当の傾国の美少年は、涼やかな瞳でそれを見つめていた。 もう、鬼童丸を止めることは出来ない! だったらせめて……この言葉だけでも、どうか……届い
鈴丸はキリリと結んだ漆黒の髪を揺らし、その手にたずさえた刃を鬼童丸に向ける。「お願いです、鬼童丸さん! 僕は、夕月夜を助けるために、式神になったんです!」「なんだって」「僕にはチカラがなかった。だから母上も戦乱に巻き込まれて、亡くしてしまった。もう、嫌なんです!」「鈴丸、お前……っ!」「僕はもう、大切な人を……失くしたくないんだっ!」 鈴丸の握りしめた刀が、かすかに揺れていた。 あの子、まだ十代であろうに。 人の身を捨てて、鬼へと変わるなんて────「この、鬼の力があれば戦える。もう一度、あの失われた長岡京を取り戻そうよ、夕月夜」「鈴丸……っ」「なあ、朝顔は元気?」 鈴丸が、夕月夜の前に立ちはだかると、チャキっと切先をこちらに向けて構え直した。まるで、「夕月夜の盾」となる事を決めたように。 だが、鈴丸の言葉を耳にした夕月夜は、氷のような表情を宿した。「鈴丸。朝顔は……死んだよ」「えっ、嘘だろ」「誠さ。長岡京が滅ぶ少し前、大きな反乱があってな。私も命を狙われたのだ」「そんな事が」「朝顔は、母上に『雪椿』って新しい名をもらってね、可愛がられてたんだけど。父上と母上は討たれ。雪椿は、まるで私を庇うようにして、流れてきた矢に……射抜かれたんだ」 あわい紫の瞳から、涙の雫がシン……と流れる。「私は、忘れられない。誰一人として、忘れてしまっても……私を、長岡京を滅ぼした人間どもを、許すことなど、出来やしない……っ!」「そうか……、朝顔が。君の気持ち……わかった」「鈴丸」 はらはらと、あふれる涙を拭うことも厭わずに、鈴丸はコクンと頷いた。「君のチカラとなろう!」 夕月夜と鈴丸。二人は背中合わせとなり、あたし達にカッと、刃を向ける。 あたしは、夕月夜と暮らした事がある。 だから、二人の気持ちだって……痛いほどに理解ができたんだ!「ごめん。できれば、殺めたくないっ!」「小賢しい。ヒトなど、この都のためにも……滅んだ方が良いのだ!」「うおおおおおおおおおおおおっっっっっ」 二人が共鳴するように、咆哮する! 天空では火神剣から生まれし鳳凰が、バサリと大きな羽を広げ、炎の紅玉を放とうとしていた。鬼童丸が、鳳凰とともに光に包まれていく。「ほざくな! 貴様に殺された千年の気持ち、考えた事があ
「何、このお守り!? 何か入ってるの?」 水鏡さまの指先から、黒煙がブスブスと立ちのぼっていた。 まるで、火傷でも負ったようだわ。 水鏡さまが、お守りに触れた部分の皮膚が、赤くなっている。この袋の中身って、ただのお守りじゃないのだろうか? なんだか、心がざわめく。 あたしはお守りの袋の中から、ちいさな一枚の板を取り出したの。 「それは石神さんの、鬼を祓う守りの札じゃな」 「晴明さま! これは夏妃って人が散る前に、千年さまに渡した……形見だったんですよ」 「夏妃か。よう、うちの神社にも出入りしておったな」 晴明さまは、いつかの記憶に想いを馳せるように、虚空を見上げた。 その瞳はどこか、憂いを帯びているように見える。 「生きてほしかったんじゃろうな。そのお守りの御神体は『玉依姫』じゃから」 「玉依姫、ですか?」 「おなごの願いを……たった一つだけ叶えてくれる、女神なんじゃよ」 女の子の願いを、たった一つだけ──── 「ああ……そっか。生きて欲しかったんだ」 まるで、あたしみたいに。 一度も逢った事のない、夏妃さんの面影。 この守り袋には、恋の『残り香』を感じたの。 あたしは、出逢ったこともない彼女に、少しだけ巡り逢えたような気がしたんだ。 「この恋のチカラ、借りるね……夏妃さん」 あたしは刀をギリッと握りなおす。 月灯りの下、水鏡さまの銀の髪が光を浴びて風にゆれた。 桜の下に佇む銀髪の少年と、紅蓮の単衣をまとう鬼の水鏡さま。現し世でありながら、二人だけは夢の住人のようで、言葉が届かない気がする。 それでもあたし、今伝えなきゃ。 永遠に届かなくなる、その前に! 「秋華ちゃん、全力で君を守ろう。俺の大っ嫌いな、千年の代わりに……!」 「士道、さま」 「どうしようもないアイツの、最後の頼みだったしね」 士道さまは笑いながら、あたしの肩をポンと叩いた。その瞳には、雫が浮かんでいたことを、あたし見逃さなかったよ。 「ありがとう。士道さまの力、借りるね……!」 心臓がじわりと温かくなっていく。 すると鬼童丸が、あたしの後方から声をかけてくれた。 「秋華、夕月夜を斬ってくれないか」 「鬼童丸」 「俺も全力で戦う、だから最後の一太刀は、秋華が頼む」 「あたしで、いいの?」 「秋華じゃなきゃ、納
「やっと、気が付いたんだね。秋華ちゃん……!」 「士道さま……?」 蘇芳色の着物に、漆黒の艶めく長い髪。 いつもの士道さまなのに、見た事ないくらい泣きそうな表情だ。 いつも陽の空気を纏っているのに、どうしたんだろう。あたしを見つめる瞳は、とてもとても辛そうで、見ていると心臓がキュッと痛んだ。 「そんな哀しい顔で、どうしたんですか?」 「哀しいに決まってるだろ! 千年がいなくなったんだよっ!」 「士道さま……っ」 あたしは、突然ギュッと抱きしめられた。 どうして、士道さまの方が震えてるんだろう。 だって、もう何も無いんでしょう。 あたしなんか、心配しなくてってもいいのにさ……っ。 「なん、で」 「哀しかったら泣いていい。もう、我慢しなくていいんだ!」 「だって、千年さまは、もう」 「そうだ。平気なフリなんか、もうしなくていいっ! 秋華ちゃん無理してただろ……っ。俺たち皆、めちゃくちゃ心配したんだから……っ!」 心配。そっか、あたし心配されてたんだ。 全然分からなかった。だってね、この世にある色彩を、全部失くしたみたいだったんだよ。 「あたし、千年さまのいない世界なんか……いらなかった……っ!」 だから夢に囚われても、良かったんだ──── 「それじゃ困るんだよ! 僕は、千年に約束したんだから……っ」 「士道さま、に?」 あたしを呪縛から解き放つように、抱きしめていた腕をゆるりと振り解いた。月の光を浴びて、漆黒の髪が蒼身を帯びて煌めく。 士道さまは、あたしの肩にそっと手を置いた。そうして、優しい瞳で言の葉を紡いだの。 「千年からの伝言だ」 「でん、ごん?」 「秋華を守ってくれって。もう、守って……あげられないからって……っ」 肩に触れた手のひらが、カタカタと震えている。 士道さま、泣いてる? あたしは眼から零れる雫に、指先でソッと触れてみたの。 「泣かないで」 「だって、僕じゃ代わりになれないから……っ! 皆、心配したんだよっ。このまま永遠に、目が醒めなかったらどうしようって、僕は……っ!」 「そっか、そうなんだ。あたしなんかを、待っててくれたんだ……」 あたしね、何もかも諦めてたんだ。 こんな世の中、終わっちゃえばいいと思ってたんだよ。全然、ダメな女じゃない? こんなのさ。 だから自ら進んで、この夢
──『ここから先は、都の最後を見てもらうわ』 「また脳に響く声? もー! 一体、誰なのよ〜!」 まただ! 姿は見えないけれど、誰かがあたしに頭に語りかけている。 こんな精神の病気があるって聞いたけれど、そういうんじゃない感覚。妖術っぽいんだよね、この声って。 ──『いいから。長岡京の終焉を目に焼きつけて、秋華』 「長岡京の、終焉?」 ──『覚えていてあげて、あの忘れじの都の記憶を……』 その声が脳裏に響いたとき、あたしの体は、藤の花びらに攫われた。 激しい旋風が巻きおこり、夕月夜の腕の中にいたあたしの体は、ムラサキの渦の中に吸い込まれていく。 「ちょっ、今度はどの
「千年君に頼まなくてもさ。僕が心臓、止めてあげるよ」 「士道さま!?」 「だって残酷じゃないか。別に僕は、彼を苦しめたいわけじゃないし」 静謐な晴明神社の鳥居の下。 士道さまはいつになく真剣な声で、静かに告げる。 「僕はね、薬師なんだ。薬や物理のチカラで悪しき妖怪を退治するのが、僕の仕事だから」 「夏妃は、悪しき妖怪じゃねえよっ」 千年さまが、士道さまに荒々しく掴みかかろうとする。 が、華麗にサッとかわされてしまった。 士道様は「やれやれ」といった表情を見せると、千年さまに向き直る。 「彼女が悪しき妖怪なのか、夏妃って女なのか。もう区別がつかないんじゃない
声にはじかれて、ふり向く。 安倍晴明さまを真ん中に、鬼童丸、花蓮が立ち並んでいた。 「さあ、お相手願おうか」 鬼童丸はゆっくりと、構えを見せた。 楼門の下に立つ晴明さまは風をうけ、砂煙まいあがる向こうで、静かな殺気を泡だたせる。黒衣の陰陽師たる迫力をみなぎらせ、あたし達をみるや『安心しろ』とでも言うように、強くうなづいてみせた。 「もう一つのあやかし討伐に時間がかかってしまってな。遅くなってすまない」 「鬼童丸、ありがとう!」 あたしは嬉しくて、思わず声をあげる。鬼童丸が来てくれたなら、これほど心強いことはないわ。傷を負った夕月夜なら、今夜中に倒すこともきっと可能だ。 夕月
千年さまは、襖の戸をスッと開けた。 いつもより、憂いを帯びた表情をしている。彼は、あたしの肩にそっと優しく手を添えると、顔をゆっくり近付けた。吐く息が、かかりそうな程に──── 「秋華、式神のことだけどさ」 「式神の?」 「ああ、その……なんていうか」 「はい」 言い淀む千年さまの頬が、妙に紅く染まっていた。 なんだろう。いつもよりヒリヒリと、緊張した空気を感じる。 「俺、まだ結婚しねーからっ!」 「えっ……?」 「式神と陰陽師は結ばれないって、聞いたけどさ。俺には関係ねえ……っ!」 そう叫ぶと、あたしをギュッと抱き寄せる。 「ちょっ!」 どういう事──







