LOGIN──神谷 想(かみや・そう)は、確信していた。
「水曜日に──何かが起きている」
だが、何が起きているのかはわからない。
もしかしたら本当に、自分が忘れてしまっているだけかもしれない。
色々と対策を考えても、その記憶自体が消えるのなら意味がない。
──まさに、八方塞がりだった。
「なあ、一つ聞いていいか?」
職場で、ふと同僚に声をかける。
「……なんだよ、急に改まって」
「俺さ、昨日の仕事で、何やってた?」
「は? ちょっと何言ってんの、意味わかんねえよ」
「……だよな。自分でも変なこと聞いてると思うよ」
「いちいち人の仕事なんて覚えてないけどさ。……あ、お前、部長に資料見せてなかった? 仕上がってるって言って、褒められてたよ?」
「……ああ、そうだっけ」
想はとぼけるように答えたが、記憶にはなかった。
「……部長に見せた資料って、最近作ってたアレか?」
すぐに社用PCのフォルダを開く。
確かに、途中までしか作っていなかった資料が──いつの間にか完成していた。
「……いよいよ分からん」
仕事の記憶すら失っているのなら、それはもう“夢うつつ”では済まされない。
──自宅
想はこれまでの出来事を、メモ帳に整理していた。
水曜日だけが、何度繰り返しても記憶にない。
体感としては、火曜日の夜に寝て、目覚めると木曜日になっている。
「……タイムリープだったら面白かったのにな」
しかし日付は確実に前に進んでいる。
時間は飛んでいない。ただ──記憶だけが、抜け落ちている。
「……次の火曜日までに、何か作戦を考えないと」
週末、想は家電量販店へ向かい、ある“道具”を手に入れた。
部屋の隅に取り付けたのは、小型の定点カメラ。
「これがあれば、少なくとも“水曜日の自分”が何をしていたか分かるはず……」
どこか虚しさを感じながらも、黙々とセッティングを終える。
「……何やってんだろ、俺……」
それでも、“自分”の謎を暴くために、必要な準備だった。
──火曜日・深夜
ついに、決行の日がやってきた。
録画ボタンを押し、カレンダーを確認する。
「明日は空白……仕事行って、帰ってきて、それで終わり。普通の一日だ」
念のため、机に一枚のメモを置く。
『水曜日 確認』
誰にも意味がわからないように──
だが、“木曜の自分”だけは気づくように。
「よし。あとは、寝るだけ」
想は電気を落とし、静かに布団に入った。
──木曜日・午前6時59分
アラームが鳴る前に目が覚めてしまった。
少しだけ損をした気分になる。
歯磨きをしながら、カレンダーを確認する。
「木曜日か。今日は……」
カレンダーをなぞる指が止まる。
机の上に、一枚の紙が置かれている。
『水曜日 確認』
「……? なんだ、これ」
何のメモか思い出せず、カレンダーを再確認する。
──水曜日は、空白。
「…………あれ?」
準備を整え、鞄を持って玄関へ向かいかけたその時、想の足が止まった。
「……違う、違う……!」
「俺、火曜日に寝て……今は木曜日。やっぱり、水曜日が──無い……!」
思わずメモをもう一度手に取る。
「これ、何だったっけ……もうちょっと分かりやすく書けよな、火曜の俺……」
呆れながらも目線を上げたその瞬間、視界の隅に見覚えのある“それ”が映る。
「…………あっ!」
部屋の隅。
天井近くの白い壁に取り付けられた、小型カメラ。
見た瞬間、記憶が“つながった”。
「そうだ、カメラ……! 水曜日の記録、これに残ってるかも……!」
時計を見る。出勤ギリギリだ。
「やば、遅刻する!」
慌てて録画を停止し、想は家を飛び出した。
──果たして、カメラに映っているのは何か。
彼の記憶を奪っていたのは、“誰”なのか。
“何”が──水曜日に、起きているのか。
真相は、すぐそこまで迫っていた。
第4話 了
──研究室・深夜。 りかが押した記憶復元装置の“実行”ボタン。どれ程の時間が経っただろうか。想はまだ、目を覚まさない。「神谷さん!……神谷さん!」 りかの必死な呼びかけも虚しく、想に反応はなかった。「おいおい……まさか……」 橘の胸に、最悪の結末がよぎる。 その静寂を破ったのは──中野の乾いた笑い声だった。「ふふふ……はーっはっはっ!」 室内に、嫌なほど響き渡る。 ──その時。「……う、ん……」 ゆっくりと、想のまぶたが開く。「ここは……」 装置を外し、周囲を見渡す。──拘束された中野。──寄り添うりか。──そして橘。 ひとりひとり、確かめるように視線を送った。「……そうか。帰ってきたんだな」 そう呟きながら、想は中野に視線を戻す。「あなたは──僕の研究を奪い、そして僕から“記憶”を奪った。……その罪は、決して許されない」「神谷
──水曜日・深夜0時30分。 いよいよ、すべての決着をつける時が来た。 研究所前に集まった想・りか・橘の三人。緊張感の中、それぞれの覚悟が静かに燃えていた。「いいですか、神谷さん。 作戦通りにお願いしますね」「……あぁ、必ず成功させる」 想が力強く頷く。「中野の側近と思われるスーツの男は、別件で拘束してる」 橘が言いながら、想の肩を軽く叩く。「アイツは叩けば埃だらけだった。 今夜は中野一人、決めるには最適だ」「……ふぅ、よし、行ってくる」 想は一度、深く息を吐き── ゆっくりと、研究所へ入っていった。 ──研究所内。 受付には、前と同じく無表情の女性職員がひとり、薄暗い照明の中で待っていた。 想が近付くと、電話をかけ始める。「……もしもし、神谷さんが来られました」 電話が終わった瞬間、想は受話器を奪うように置き、背後からりかと橘が現れる。「……これは、一体……?」 戸惑う職員。「今日は、終わらせに来ました」 想がまっすぐに言い放つ。「あなたた
──りかの考えた作戦が、伝えられる。 想は“記憶をすべて取り戻したふり”をして、研究所に潜入。 中野と対峙し、まずは説得。 もし応じなければ、装置を奪い取り、記憶を取り戻す──という強硬策だった。「……ちょっと、雑すぎやしないかい?」 想は、軽く笑いながらツッコミを入れる。「え? 我ながら、けっこう良い作戦だと思ってたんですけど」「いや、“記憶が蘇ったふり”まではいいんだよ。 でもさ、最後が“力ずくで奪い取る”って……成功する未来が全然見えない」 想は苦笑いを浮かべながら、テーブルを指でトントンと叩く。「でも……“気を引いている間に装置を操作する”って方が、まだ現実的かもな」「それこそ、どうやって1人でやるんですか?」 りかの問いに、想は無言でニヤリと笑う。「……えっ、私も?」「当然でしょ。バディじゃん、俺たち」「……もうちょっとマイルドな作戦、考えません?」「おい、ズルいぞ」 2人のやり取りは、どこか漫才のようだったが、その目は真剣だった。ああでもないこうでもないを繰り返し、時間だけが過ぎていく。──このままでは埒が明かないと判断し、橘も交えて作戦会議を開くことに。
──喫茶店・夕方。 橘と別れた後、想とりかは、今後の方針について語り合っていた。「……でも、実際どうやって記憶を戻すか、だな」 想の疑問は、誰もが感じる率直なものだった。「ですね。医学的には、写真や映像、匂いなどの“記憶のフック”が有効って言われてますけど……」「俺の場合、音声だけじゃ、何もピンと来ないんだよね」 2人はそろって肩を落とした。「早くしないと……また、水曜日が来てしまう」 想の表情には焦りがにじんでいた。今日は土曜日。あと数日で、また“あの日”がやってくる。 その夜、再び研究所に向かってしまえば、今度こそ全ての記憶が消されるかもしれない。そう考えるだけで、胸が締めつけられた。「……でもさ、なんで俺、水曜の深夜に限って“動いちゃう”んだろう?」 ふと漏れた想の言葉に、りかの目が鋭くなる。「それ……何かあるのかも。 あの時間じゃなきゃいけない理由……あっ!」 りかが何かに気づいたように、身を乗り出す。「……記憶を“取られた”時間……!」「え、どういうこと?」「もしかしたら、水曜日の深夜0時30分に、記憶を奪われたんじゃないかって&
──共に戦うと誓い合った2人。 だが、その第一歩は、思いのほか難しいものだった。「……で、戦うって言っても、俺たち、何すればいいんだ?」 想が素朴な疑問を口にする。 それは、核心でもあった。「まさにそこなんです。まずは、神谷さんの記憶を戻せたらって思ってて…… 特殊な周波数の装置とか言ってましたよね? 何か、思い出せそうですか?」「うーん……さっぱり」「とりあえず、電波でも当ててみます?」「おいおい、俺の脳をチンでもすんのかよ……脳科学者の発言とは思えないな」「……ごめんなさい」 くだけた会話の中、ふと想が気づく。「そういえば、よく研究所までたどり着けたね。俺の名前まで……」「あ、それは……実は協力してくれてる人がいるんです」「協力者?」「中学の同級生なんですけど……今は刑事をしてて。 事故の調書や、研究所の周辺情報も──その人に手伝ってもらってました」 少し言いにくそうに、りかは続ける。「……聞かなかったことにします?」「いや、言ってくれていいよ。ただ、他言しないほうがいいってこと?」「はい&helli
──長い、長い沈黙。 想は、自分という存在そのものに疑念を抱いていた。“神谷想”という人格すら、誰かに作られた記憶の上に成り立っているのではないか。 かつて自分が生み出した研究が、誰かの記憶を消し、誰かを冤罪に追いやった── その可能性に打ちのめされていた。 聞いてはいけない話を聞いてしまったのかもしれない。りかもまた、迷いを抱えたまま口を閉ざしていた。──どれほどの沈黙が続いただろうか。 先に口を開いたのは、りかだった。「……あなたに、話さなきゃいけないことがあります」 俯く想の隣で、彼女は静かに語り出した。 ──綾瀬りかの弟、優斗。 大学生だった。真面目で、優しくて、家族思いで、将来を嘱望されていた。 ある日、通学中に轢き逃げ事故に遭い、命を落とした。「でも……おかしかったんです」 捕まったのは、ごく普通のサラリーマン。物的証拠も揃っていて、裁判は早かった。 だが、彼だけが言い続けていた。「俺はやっていない。……何も覚えていない。なのに、なぜ記憶が“ある”んだって」 何よりも不可解だったのは── 弟が搬送された病院で、りかが見た“男”の姿だった。「その人……事故の犯人と、全然違う人で