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第五話「動き出す水曜日」

Author: 河内謙吾
last update Huling Na-update: 2025-10-24 11:00:00

──木曜日・午後7時10分

 神谷 想は、仕事から帰宅するとそのままリビングに直行し、録画用に設置していたカメラの再生ボタンを押した。

「さて……鬼が出るか、蛇が出るか……」

 コンビニで買ってきた弁当を広げ、湯気の立つインスタント味噌汁をすすりながら、目を凝らす。

 同僚の話では、昨日──つまり“水曜日”も、想はいつも通り出社していたらしい。 だが、本人にその記憶はない。画面に映るのは、よく知っている“自分の部屋”。

──水曜日 午前7時00分

 カメラ越しに、自分がベッドから目覚める様子が映る。 アラームを止めて、眠そうな顔で起き上がり、洗面所へと向かう。歯磨きをしながらカレンダーを確認し、机の上にあるメモに気づく。

『水曜日 確認』

 それを手に取り、一度頷いて──そっと元の位置に戻す。そして天井近くのカメラを見上げ、録画状態であることを確認し、小さく安堵の表情を浮かべる。

「……記憶はないけど、少なくとも“あの時の俺”は覚えてるってことか」

 想は小さく呟いた。

 その後の映像でも、想は普通に出勤し、何事もない様子で部屋を後にしている。

「……ほんとに何も起きてないな」

 再生速度を倍速にして、夕方まで早送りする。 その間、部屋には誰も来ない。特に不審な点もない。 窓から差し込む陽光がゆっくり角度を変え、ただ一日が流れていく。

 そして、想が帰宅する。 いつもより少し早いが、買い物の予定もない“空白の水曜日”なら不自然ではない。

 映像の中の想は、冷蔵庫を開けて料理を始め、風呂に入り、スマホで動画を観て── やがて就寝の準備に入り、翌日の予定をカレンダーで確認して、部屋の電気を落とす。

 画面は暗転。

「……いや、普通すぎるでしょ」

 想は溜息をつき、椅子の背にもたれかかった。

「異常な日、のはずなのに……何も異常が無い」

 そう呟きながら立ち上がり、風呂へと向かう。

 ──ただ一つ、彼は忘れていた。カメラの再生を、停止していなかったことを。

──水曜日 午前0時30分

 映像は、真っ暗な部屋の中を映し続けていた。 やがてベッドに寝ていた想が、ふと起き上がる。無言で電気をつけ、落ち着いた様子で外出の準備を始める。

 着替え、スマホを確認し、財布をポケットに入れる。そして──何事もなかったかのように、家を出ていった。

 映像は静かに流れ続ける。

──同日 午前6時40分

 想が帰宅する。 鍵を開け、無言で中へ入り、着替えて洗顔を済ませる。ベッドに入る直前、カレンダーをもう一度見つめるように立ち止まる。

──午前6時58分

 想はベッドに体を横たえ、目を閉じる。

──午前6時59分

 アラームが鳴る直前、再び“目覚める”。

──金曜日・朝

「……あれ、再生……切り忘れてたか」

 準備をしていた想は、机の上のカメラがスリープ状態になっているのに気づく。再生ボタンを止め、電源を落としながら小さく首を傾げる。

「ただの記憶障害なのか、他に何かあるのか……」

 気だるげに鞄を手に取り、玄関の扉を開ける。

「……病院、もう一回行ってみようかな」

 想はまだ──水曜日の“もう一人の自分”に、気づいていない。そしてそれが、やがて彼自身の存在を揺るがす“外出”であることにも──まだ。

第五話 了

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