بيت / ホラー / 万有禊ぐ天津甕星 / 幕間 第13話 過日の栄光を求める者

مشاركة

幕間 第13話 過日の栄光を求める者

مؤلف: 輪廻
last update تاريخ النشر: 2026-01-22 17:18:52

時は少々遡る──

日本国内某所──荘厳なる和洋折衷の大豪邸、そのある一室。士官服を纏った若い男が、机の上に並べられた写真をじっと見つめながら煙草を吹かしていた。

男の傍らには、黒いビジネススーツをぴったりと着こなした若い女性秘書が分厚い書物を携えて佇んでおり、強ばった表情で男の顔色をちらちらと窺っている。

よく見るとベージュ色のストッキングに包まれた細い脚は、まるで生まれたての仔鹿が如く震えている。部屋の中が寒い訳ではない。部屋の中は弱冷房……ほんの少しだけ涼しいと思える、程よい塩梅となっていた。

では何故、震えが止まらないのか。彼女はその答えを既に持っていた。自らの仕える主君が……彼があまりにも恐ろしい存在だから、恐怖で震えが止まらないのだと。

そう──彼女が仕える主君は、青年将校の姿をした何者か。人であって人でない、そんな歪な存在だった。

「────」

怯える秘書には目もくれず、男は優雅に煙草を嗜みながら、写真の一枚一枚に目を通してゆく。

ふと、···の視線を感じ、女性秘書は一際大きく身を震わせた。この部屋には今、自分と主君の二人しか存在していない。主君は写真に目を向けており、自分には一瞥すらしていない。

では、この視線の主は誰だと言うのか。女性秘書は恐る恐る、視線を感じる場所へと目を動かした。

そこにあったのは、一枚の姿見だった。しかしながら、何かが可笑しい。

違和感の正体に気づいた時……女性秘書は戦慄した。

部屋の片隅に置かれたその姿見……男は全くと言って良い程そちらへは顔を向けていないのだが、何と姿見の中に映し出された彼はしっかりと、姿見の方へと顔を向けていたのである。

感情の籠っていない虚ろな目──それが、自分を入念に観察していると気付き、まだ二十代半ばの若々しさに溢れる可愛らしい容姿を持つその女性秘書は、思わず悲鳴を上げそうになるのを懸命に堪える。瞬きをしてもう一度姿見を確認してみると、彼は姿見には顔を向けておらず、粛々と写真の一枚一枚に目を通していた。

──今見たものは気の所為だ、タチの悪い幻覚だ。

心の中で何度も自分自身にそう言い聞かせ、何時でも主君からの要望に応えられるよう気を落ち着かせながら、彼女は姿見から目を逸らし、主君の動きを注視した。

写真に写っているのは全て、現内閣を構成する閣僚たち。内閣総理大臣の因幡を始めとして、諸外国には平気で金をばら撒き、国民を貧困へと追いやり、政策を施行しない言い訳だけは一丁前な、今だけ金だけ自分だけを地でゆく人間のクズたちだった。

「────」

煙草の煙をふうっと大きく吐き出すと、男は醜く肥えた因幡の顔写真に煙草の先端を擦り付け、そのまま強引に火を消した。

「……国を愛せぬ愚か者ども。自称··の、どうしようもない売国奴たち。それを選んだのは誰か。政治に関心を示さぬ若人……そして、自己保身に走る老人だ。上に立つ者たちの腐敗は、品性下劣なメディアでも取り上げられる。だが下々に生きる衆愚の腐敗は……誰もが見て見ぬふりをして、誤魔化している」

鷹のように鋭い目で焼け焦げた因幡の顔写真を睨め付け、音も立てず静かにそれを手に取ると、男は不快そうに眉をひそめた。自称リベラルの極左勢力に、自称保守本流の売国奴。男にとって現代日本国は、何もかもが腐敗し切った事実上の亡国に等しかった。

「……故に、我らが裁かねばならぬ。日本国の真なる防人である我らが。腐敗したこの日本国を……そして恥という概念を喪失した、無知蒙昧なる衆愚を、な……」

「──失礼します、神代《かじろ》さま」

黒服に身を包んだ中年の男が部屋へと入ってくると、神代と呼ばれた青年将校は写真を再び机に置き、来訪者へとゆっくりと視線を動かした。

──青年将校の名は、神代 大和《やまと》。元・大日本帝国海軍所属の軍人。巨万の富を持つ大富豪。長きに渡って日本の保守政治家たちを牛耳ってきた政界の重鎮にして、"日ノ本の裏御三家"と敵対関係にある特務機関【敷島】の創設者。

その真なる姿を知る者からは、"御上《おかみ》"と呼ばれて畏怖されており、戦時中は"高天原計画"にも大きく関わっていた。

現代日本を末期癌の患者と認識しており、とある目的のために"高天原計画"を再び推し進めている、裏御三家にとっては正しく不倶戴天の敵。人を超越せし怪物だった。

「……近況を報告せよ」

神代が尋ねると、【敷島】所属の諜報員であるその来訪者は、悔しそうな面持ちでわなわなと身を震わせ、首を大きく横に振った。裏御三家と【敷島】──両勢力は互いに間者を放ち、互いの動向を探り合っていた。

「九州・熊本、及び鹿児島に展開していた友軍は、"夢見鳥"が一柱・御堂 八雲の襲来によって全滅。彼の地に眠る·······を顕現させる目論見は……失敗に終わりました。他の場所に展開している友軍も、裏御三家の巫女とその護衛たる【彼岸】に手を焼いているのが現状です。正直なところ、状況は芳しくありません」

「…………」

無感動な面持ちで、神代は黙々と諜報員からの報告に耳を傾ける。必要な犠牲と割り切っているのか、それとも夢見鳥が相手なら仕方ないと諦めているのか。その真意は誰にも分からなかった。

「……たかだか巫の一族如きに、誇り高き我ら日ノ本の防人が後れを取るとは──この恥辱、注ぎ難し……真に無念です、神代さま……」

「……因幡 経家と同じようなことを言うのだね、貴官は」

怒りと悔恨を滲ませる諜報員とは対照的に、神代は何処か醒めた様子だった。そればかりか諜報員に対し、嘲りからか冷笑すら浮かべる始末である。

「我が同胞《はらから》よ。努々、忘れる事勿れ。彼らは誇り高き日ノ本の防人だ──我らと同じく、愛する祖国を護ることに命を賭している。巫如きと相手を侮るのは、決して褒められた行為ではないな」

神代は因幡に愛想を尽かしていた。元々、馬鹿だとは思っていたがまさか、ここまで馬鹿だとは思わなかった。今だけ金だけ自分だけ……その癖プライドは異様に高く、権力欲は強い。自分をこの世で最も優れた生命体だと信じて疑わず、評価されないのは周囲の目が節穴だからだと思っている。何も考えてなさそうな、打ち上げられた河豚のような顔も相まって、とても同じ人とは思われなかった。

彼が保守本流を称しているのは、遍く保守層と、保守の思想を今日まで伝えてきた先人たちに対する冒涜である。因幡の愚行の数々を目の当たりにした神代は、そのように結論づけて彼に見切りをつけ、そしてそんな彼が総理になってしまう現代日本に見切りをつけた。

その点、敵対勢力の"日ノ本の裏御三家"には一定の敬意の念を抱いていた。因幡に泣きつかれたため渋々、裏御三家による·······の調査任務を妨害するべく人員を追加投入したが、内心では因幡の目論見が音を立てて崩れて欲しいとさえ願った程である。

「報告ご苦労──下がって宜しい」

「はっ……畏まりました」

諜報員が退室し、扉が閉まるのを確認すると、神代は顎に右手を軽く当てて思案し始める。

「────」

諜報員の言う通り、正直なところ状況は芳しくない。因幡が閣僚たちに"たかが巫の一族如きに、この因幡 経家が舐められてたまるか"と粋がったことは既に裏御三家の耳にも入っているようであるし、熊本・鹿児島に展開していた友軍を壊滅させた御堂 八雲の口から、【敷島】が各地に人員を追加投入している事実も齎《もたら》されたことだろう。

嘗て熊襲《クマソ》と呼ばれていた九州・熊本、及び鹿児島。大和朝廷との因縁浅からぬ彼の地に眠る·······が強大であることは容易に想像が付くし、実際"高天原計画"に於いても重要視はされていた。

彼の地に於ける"高天原計画"の進捗がリセットされ、振り出しに戻ったのは明確なる痛手だ。

しかし、それでも……神代は慌てていなかった。寧ろこの状況を楽しんでいる節すらあった。

何故なら──··は未だ健在だからだ。熊襲も確かに重要ではあったが、··──鳴神山地に封じられている彼の大いなる存在には遠く及ばない。

「熊襲では敗れた……が、鳴神山地ではどうかな?」

裏御三家にとって、鳴神山地は忌まわしい土地。経験も実力もある巫女が過去に何名も殉職しており、遺髪は疎か遺品すら回収出来ていない。

「如月《きさらぎ》君……鳴神山地の此岸町にて、"高天原計画"の重要プロジェクトを推し進めている責任者は誰か」

主君たる神代から如月君と呼ばれた黒髪の女性秘書は、慌てた様子で手にする名簿を開く。若くして【敷島】創設者の秘書になっただけあり、来客の接待や事務処理を始めとする書類仕事に関しては非常に優秀だった。銃火器の訓練も受けており、護衛は兎も角自衛は出来る。超常現象に対して異常に弱いのが玉に瑕だが。

「神代さま──鳴神山地に於けるプロジェクトの最高責任者は、此方の方になります」

如月から名簿を受け取り、開かれた頁に載っている個人情報を見るや否や、神代は凛々しいその顔にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

我々の勝利だ──まるで、そう言いたげに。

「ご苦労、如月君。早速、·に連絡するとしよう」

裏御三家は間違いなく、·······の調査のために巫女或いは覡を鳴神山地へと寄越す。熊襲で勝利した勢いそのままに。夢見鳥か、或いはそれに準ずる実力の持ち主を送り込んでくることだろう。

しかしながら、地の利は【敷島】側にある。そして、鳴神山地に於けるプロジェクトの責任者は、···の異名を欲しいままにする、【敷島】が誇る最強の戦士。

彼の者は、神代にとって長らく苦楽を共にしてきた··であり、共に"高天原計画"による思わぬ副産物によって後天的に···と化した唯一無二の··である。必ずや期待に応え、【敷島】に勝利を──そして、腐敗した日本国に再び、在りし日の栄華を齎してくれることだろう。

「────」

スマートフォンを起動し、戦友に電話を掛ける神代。

コール音を響かせるスマートフォンの画面には、彼の者の名が……神をも殺す実力を有する、特務機関【敷島】の誇る最高戦力の名が表示されていた。

そう──"秋津 日向"と。

استمر في قراءة هذا الكتاب مجانا
امسح الكود لتنزيل التطبيق

أحدث فصل

  • 万有禊ぐ天津甕星   幕間 第41話 怪物にも人の心ありて

    血と脳漿を撒き散らし、痙攣を繰り返す周防の遺体に対し、秋津は静かに哀悼の意を捧げた。遺体の胸と額には銃弾による穴が穿たれ、今も尚じわじわと血が溢れ出しているのが確認出来る。 数秒ほどすると、周防の動きは完全に止まった。 「──特務一佐殿」 秋津の背後──射干玉の闇の中より、若い士官が姿を現したかと思うと、切れのある動きで敬礼する。 秋津はくるりと向き直ると、士官の顔を見つめ、白い歯を見せてニヤッと嗤う。その双眸には一切の光がなく、底なしの沼を想起させた。 「──金城 剛彦の実力を甘く見たようだね、貴官は。お陰で替えのきかない尊い命が、複数喪われた」 「……はっ。申し訳、御座いません……」 士官は、秋津率いる実働部隊の参謀の一人であった。普段は香々星神社の神主として潜入しており、氏子総代の一人に成り済ました古参の参謀と共に、宮司の平坂 守、並びに禰宜の鬼塚 優の動向を監視していた。奏や金城たちが、新人の巫女、或いはアルバイトとして平坂に雇われたことを秋津に報せたのも彼と、秋津の信任厚い古参の参謀である。 如何せん才能はあるが、致命的に実戦経験が足りておらず、それ故に結果として上官たる秋津の命に従わず、秋津が想定した以上の犠牲者を出すという大失態を犯した。 秋津の言う通り、【彼岸】第五小隊の指揮官・金城の実力を過小評価したことによって。幾多もの死線を潜り抜けた古強者たちが、金城の手により殺されたのだ。 これは明確な軍規違反。上官たる秋津の命に背いたという事実は、決して消えることなどない。本来であれば軍法会議での処罰対象である。 「──貴官の失態のお陰で、最小限の被害で裏御三家の手の者たちを無力化する最初で最後の機会を逸した。礼を言おう、面倒な手間を増やしてくれてありがとう、と」 辛くも難を逃れ、生き残った金城たちはまず間違いなく、増援を本家に要請する筈。この次はきっと、大規模な増援が来るぞ。煙草に火を点けながら、秋津は鋭い目付きで士官の顔を睨め付ける。 「……お言葉ですが、特務一佐殿。裏御三家は現在、一枚岩では御座いません。御門本家が不和を齎し、巫女や覡を送り込むのにすら時間が掛かっております。金城たちが増援を要請したとて、必ずや御門の邪魔が入ることでしょう」 「──それを、御堂と御陵が黙って見ているとでも? 御陵本家の若き当

  • 万有禊ぐ天津甕星   幕間 第40話 花は散るからこそ美しい

    身体を地面へと落とされるような強い衝撃と、鈍い痛みを感じ、【彼岸】第五小隊所属の三曹・周防 誠は意識を取り戻した。 「ここ、は……?」 自分は確か、鳴神山で落とし穴に嵌り、そして── ズキズキと鈍痛を発し続ける頭を軽く振りながら、周防は周囲に視線を配る。 どうやら今いる場所は、星降山の中腹に建立された、天津甕星を祀る神域・香々星之宮のようだ。先日、天津甕星との接触を試みるために護衛対象たる御陵 奏と共に訪れたので、建物の配置などに見覚えがある。 自分の直ぐ傍には、OLと思しきスーツ姿の若い女性や、その同僚と思われるスーツ姿の男性、そして見るからに胡散臭そうな格好の若い男女など複数名が手足を拘束された状態で横たえられており、それを囲むように小銃などで武装した黒ずくめの集団が、無表情のまま佇んでいた。 黒で統一された武装に隊員服。 特務機関【敷島】……間違いない、彼らだ。 もしや自分も、と確認してみると、傍らに横たえられた若者たちと同様手足を拘束されており、精々身を捩るか顔を動かすことしか出来ない状態であった。 よく見ると足を貫いていた杭は抜かれ、代わりに応急処置が施されている。どのみち、現状では身動きはまともに取れないので、大して意味はないのだが。 「──おや、お目覚めのようだね? 【彼岸】第五小隊所属の三曹・周防 誠君?」 ふと、穏やかな声が聞こえたかと思うと、仰向けの状態の周防の顔を、一人の若い男が覗き込んできた。 歳の頃は周防よりも上で、小隊長の金城よりは下だろうか。目付きこそ異様に鋭かったが、それを差し引けばかなりの美男子である。 何故、自分の名と所属を知っている……とは、不思議と疑問には思わなかった。【敷島】が、背乗りして香々星神社の関係者たちの中に紛れ込んでいると、事前に金城から知らされていたからだろうか。 「君には幾つか、訊きたいことがあってね──あぁ、勘違いしないでくれ給えよ。鳴神山地へ潜入している仲間の数を言えだとか、仲間の詳細な情報を吐けなどと言うつもりは微塵もない」 周防は微動だにせず、相手の顔を睨みつける。こいつは何を言っているのだろう、と。 そんな周防の胸中を読み取ったかの如く、相手は詩でも諳んじるかのように言葉を続ける。 「何を言っているのかよく分からない、そう言いたげだね

  • 万有禊ぐ天津甕星   第四章 第39話 一人目の犠牲者

    金剛さんたちが社務所へと戻ってきたのは、私が入浴と着替えを済ませて廊下へと出て、談話室で休憩中の和さんにちょうど声を掛けようとしたタイミングでした。 「──奏さま。只今、鳴神山より戻りました」 眉一つ動かさず、淡々と帰還を告げた金剛さん、それから鈴木さん……ですが二人とも心做しか表情が暗く、全身から噎せ返る様な血の匂いと硝煙の香りを漂わせています。 鳴神山で彼らが戦闘に巻き込まれたのは、素人の私から見ても一目瞭然でした。特に金剛さんは大量の返り血を浴びており、疲労の色が濃いように見受けられます。 「……やはり、特務機関【敷島】ですか」 私が尋ねると、金剛さんは小さく頷きながら、 「えぇ……何とか追撃を振り切って、此処まで戻ってくることが出来ました。紙一重、でしたがね……」 そこで──ふと、私は違和感を覚えました。 周防さんの姿が、何処にも見当たらないのです。 彼は金剛さんたちと共に、鳴神山へと赴きました。金剛さんたちが何とか無事に戻ったのであれば、彼もこの場に居なければ可笑しい筈。 それとなく目線で訊いてみるも、金剛さんたちは嫌そうな顔をして目を逸らします。まるで、彼のことを話題に挙げて欲しくないと言わんばかりに。 「────」 途轍もなく、嫌な予感がしました。風呂から出て間もないというのに身体が震え、冷や汗が背筋を伝います。 私の予想が正しければ、恐らく周防さんは── ──その時、私の思考を遮るように談話室の扉が開き、和さんがそこから顔を出しました。 「……和、か」 「し、小隊長殿……?」 夥しい程の返り血に塗れた金剛さんと鈴木さんを見て、和さんは表情を強ばらせます。 「そ、その血……何処かお怪我を……?」 「……いや、大したことはない。私に構うな」 少し煩わしそうに和さんの手を振り払うと、金剛さんは大きな溜息混じりに談話室へと入り、適当な椅子へとやや乱暴に腰掛けました。 「…………」 「小隊長殿……? 一体、鳴神山で何が……」 そこまで言いかけた和さんでしたが、直ぐに周防さんが見当たらないことに気が付いたようでした。 「……周防君は? 周防君は何処にいるんですか?」 声や身を小さく震わせながら、和さんは金剛さんと鈴木さんの顔を交互に見やりつつ問いを発します。何となく事情を察することが

  • 万有禊ぐ天津甕星   第四章 第38話 独り、思いを馳せる

    私と和さんが、星降山から下山してから程なくして、鳴神山へと赴いていた金剛さんから、"現在帰投中"との連絡がありました。 戻るまで凡そ一時間程掛かるとのことでしたので、金剛さんたちが帰ってくるまでの空き時間に入浴を済ませてしまおうと思った私は、休憩中の和さんに声を掛けてから浴室へと向かいました。 後ろ髪を結わえていた和紙を取り、何時ものように緋袴を壁際のハンガーにかけて、白の小袖はクリーニングに出してもらう為に畳んでおき、襦袢は洗濯ネットに入れ、和装下着と共に洗濯籠へ……替えの巫女装束とバスタオルを用意して脱衣所の棚へと置くと、私は浴室へと足を踏み入れました。 蛇口を捻り、シャワーヘッドから噴き出した冷水が徐々にお湯へと変わってゆくのを指先で確認すると、私は頭から身体、髪の毛一本一本や手の指先や爪先に至るまで、お湯とシャンプー、それからボディーソープでくまなく身を清めます。 髪や身体を清め終えたら、洗面器にお湯を張り、そこに中性洗剤を入れて、今日一日中履いていた白足袋を浸けます。足袋を長持ちさせるには、二、三分ほどこうして浸した後に自分の手で揉み洗いすると良いと、清さんや御陵本家が管理するお社に務める巫女さんが言っていました。ですので私も、何時も入浴時にその日履いていた足袋を自分で洗うことにしていました。 そうして足袋も洗い終え、もう一度シャワーで髪や身体を軽く清めた私は、背中まで伸ばした後ろ髪が湯に浸らないようヘアゴムで一つに纏め、浴槽にゆっくりと身を浸しながら、浴室の天井を見つめて、ほっと一つ溜め息を吐きました。 脳裏を次々と、無数の言葉が駆け抜けてゆきます。巫女長さんや禰宜の鬼塚さん、依頼人にして宮司の平坂さん等と交わした何気ない日常会話から、鈴木さんと金剛さんから告げられた、特務機関【敷島】が神社関係者を背乗りしているという情報。 それから──天津甕星が、私との意思の疎通を試みる中で紡いだ、呪詛にも似た言葉の数々。 ──"我が成すべきは、只一つ。憂世を絶ち、天地を絶つ"。 ──"この世は辛く、残酷。人という種が存在する故。故に遍く生命を祓い浄め、人という獣が創りし全てをなかったことにする。それこそが我が悲願、我が誓い。この願いは、誓いは……何者にも邪魔立てさせぬ"。 ──"あぁ……憎い。憎くて憎くて、仕方がない"。

  • 万有禊ぐ天津甕星   第四章 第37話 星神との語らいがもたらすもの

    少女の先導の下、香々星之宮へと立ち入ると、大きな正五芒星がぼうっと、紫色の光を放ちながら宙に……ちょうど私の目線と同じくらいの高さに浮かび上がりました。 その中央より、腰から下のない黒い人影のようなものが音もなく姿を現し、此方へとゆっくりと顔を向けてきます。 「…………!」 「──迂闊に銃を向けては駄目です、和さん……! 此方に敵意があると、相手に認識されかねません……!」 即座に小銃の銃口を相手に向けて臨戦態勢に入る和さんを素早く制しつつ、私もまたソレへと顔を向け、胸に手を当てながら丁寧に一礼しました。 「────」 人影がそのまま実体を得たかのような姿のその相手は、尚も警戒を解かない和さんには目もくれず、ただじっと私のことを観察してきます。 ソレは全体的に華奢な体躯で、腰まで伸びた長い黒髪、慎ましやかな胸の膨らみ、そしてくっきりとした腰のくびれなどが確認出来ます。下半身は正五芒星に呑まれており、残念ながら目視で確認することは出来ません。 或いは、元から下半身などない可能性も……ですが、眼前に現れたソレは、華奢なその体躯から私と同年代くらいの少女ではないかと思われました。 断定を避けたのには、理由があります。ソレの顔には、鼻らしき微かな突起はあっても鼻の穴は見当たらず、口に至ってはそもそも存在すらしていなかったため、外見的な年齢を推測するのが困難だったからです。 虚ろな切れ長の目……白目の部分が一切存在しない真っ黒な双眸のみが、ソレの顔に明確に存在している唯一のパーツでした。 刹那── 影法師の額と胸の中央に、正五芒星が音もなく浮かび上がります。 ソレは天津甕星の分身体──上空にて渦を巻く暗雲の中に潜む影とは別に、私と意思疎通をするために生み出された、云わばもう一つの影とでも言うべき存在でした。 初日の夜──金剛さんと香々星之宮を訪れた際、天津甕星は眷属となった少女たちを通して私という存在を認めたこと、香々星之宮まで導いたことを告げた後、暗雲の中に潜む影を用いて、言葉で直接私に立ち入りを赦す旨を伝えてきました。 ですが、神との安直な意思疎通は障りを齎し、対象の心身を蝕みます。私があの時、側頭部を鈍器で勢い良く殴られたような激しい頭痛に見舞われ、目や

  • 万有禊ぐ天津甕星   第四章 第36話 星降る山へと向かいて

    しかしながら、私たちのやるべきことは変わりません。悲観してばかりいたら、それこそ生きて帰ることなど出来ないでしょう。 私は星を司る神・天津甕星と接触を試みるため、和さんを連れて星降山へ……金剛さんたちは車で鳴神山の旧軍施設へと、日没後それぞれ出発しました。 旧軍施設が幾つも残されている鳴神山……神隠しが頻発しているそこで、特務機関【敷島】は何かしているに違いない。それこそが神隠しの正体であり、"高天原計画"の儀式であると私と金剛さんは考えていました。 そのため、金剛さんは私に対し、周防さんや鈴木さんと共に、星降山の調査と鳴神香々星奇譚の読み込みで多忙な私の代わりに、鳴神山の旧軍施設とその周辺を探ってこようと思うが如何、と提案してきたのでした。 甚だ危険な役目ではありますが、どうやら金剛さん的には、私には天津甕星との接触、それから彼の神格の正体を突き止めることに注力して欲しいようで、私は決して無理をしないと約束させた上で、彼の行動を容認する他ありませんでした。 星降山への入口までの道中、和さんは【敷島】の手の者に尾行されていないか、何度も何度も入念に後ろを警戒していました。少しでも足音のような物音が聞こえると、手にした小銃を躊躇なく、背後の暗闇へと向け、誰何する……それを繰り返しました。 護衛任務はこれで二度目だという和さん……まだまだ動きがぎこちなく、金剛さんが纏っているような、余裕綽々、泰然自若といった雰囲気は、残念ながら未だ持ち合わせていないようでした。 物音や周囲の暗闇に対して過度に警戒するその様は、見ていて少し不安になります。こんな時、金剛さんなら……と変に比較してしまうのは、私が彼に安心感を覚えてしまったが故なのでしょう。 和さんと共に、徒歩で香々星神社を出発してから凡そ二十分が経過した頃──天津甕星を祀る神域・香々星之宮へと通ずる、星降山の入り口が私たちの前にその姿を現しました。 薄暗い木々が周囲を覆い尽くし、鬱蒼とした山林を形成している中にポツンと、まるでそこだけ空間が丸ごと抉り取られたかのように入り口は開かれており、巨大な鳥居が存在をこれでもかと誇示する様は、見る者を容赦なく萎縮させます。 「うわ……何というか……雰囲気あるわね、ここ……」 和さんがごくりと、息を呑む音が耳に届きます。彼女はただただ、雰囲気に

فصول أخرى
استكشاف وقراءة روايات جيدة مجانية
الوصول المجاني إلى عدد كبير من الروايات الجيدة على تطبيق GoodNovel. تنزيل الكتب التي تحبها وقراءتها كلما وأينما أردت
اقرأ الكتب مجانا في التطبيق
امسح الكود للقراءة على التطبيق
DMCA.com Protection Status