Masuk鳴神山地──星降山。
空には暗雲が渦を巻き、時折閃く雷光が荘厳なる造りの社を照らす。昼間でさえ、本能的に死を連想してしまうその場所に、時刻が真夜中であるにも関わらず、中学生……或いは高校生くらいに見える、二人の少女の姿があった。 二人とも気を失っており、両の手首は後ろ手の状態で手錠により、両の足首は革製の丈夫なベルトによって念入りに拘束され、自力で立ち上がることが出来ぬようにされている。そんな状態で少女たちは丁度、社の目の前に横たえられていた。 何度目かの雷鳴が轟き、少女の一人が目を覚ます。 「ううっ……うぅん……」 寝惚けた様子で呑気な声を上げた彼女であったが、直ぐに自らの手足が拘束されていることに気付き、目に見えて慌て始める。 「えっ……? ええっ……!? 何、これ……?」 ポニーテールにした長い黒髪を振り乱しながら、困惑を隠せぬ様子で少女が取り乱していると、その声で目が覚めたか、気を失っていたもう一人の少女も呻き声を発した。 「うーん……えっ? 何これ……どうなってるの……?」 「その、声……葵《あおい》……? ねぇ、葵なの……?」 「……真由《まゆ》、ちゃん? 真由ちゃんだよね?」 互いに、自分の傍に居るのが親友だと気付き安堵したのも束の間、同時にそれだけでは自分たちの身に起きている異変が何ら改善されないことを認めたようで、少女たちは程なくして戸惑いと怯えから大きな声を出し、狂ったように身を捩る。 「い、いや……いやぁ……! 助けて、葵! 私、手足を縛られて動けないの!」 「無理だよ……! 私だって、両手両足を縛られてるし……そもそも、自分の身に何が起こっているのか、さっぱり分かんないんだから……!」 「そもそも……此処は何処なのよ! 私たち、鳴神山の旧軍施設跡地に肝試しに来た筈でしょ!? こんな場所、探索した時にはなかったのに……!」 「そんなの、知らないよ! 旧軍施設跡地の中を探索していたら、突然目の前に黒い影が──」 黒い影──そう、黒い影だ。しかしながら、私たちのやるべきことは変わりません。悲観してばかりいたら、それこそ生きて帰ることなど出来ないでしょう。 私は星を司る神・天津甕星と接触を試みるため、和さんを連れて星降山へ……金剛さんたちは車で鳴神山の旧軍施設へと、日没後それぞれ出発しました。 旧軍施設が残っている鳴神山……神隠しが頻発しているそこで、特務機関【敷島】は何かしているに違いない。それこそが神隠しの正体であり、"高天原計画"の儀式であると私と金剛さんは考えていました。 そのため、金剛さんは私に対し、周防さんや鈴木さんと共に、星降山の調査と鳴神香々星奇譚の読み込みで多忙な私の代わりに、鳴神山の旧軍施設とその周辺を探ってこようと思うが如何、と提案してきたのでした。 甚だ危険な役目ではありますが、どうやら金剛さん的には、私には天津甕星との接触、それから彼の神格の正体を突き止めることに注力して欲しいようで、私は決して無理をしないと約束させた上で、彼の行動を容認する他ありませんでした。 星降山への入口までの道中、和さんは【敷島】の手の者に尾行されていないか、何度も何度も入念に後ろを警戒していました。少しでも足音のような物音が聞こえると、手にした小銃を躊躇なく、背後の暗闇へと向け、誰何する……それを繰り返しました。 護衛任務はこれで二度目だという和さん……まだまだ動きがぎこちなく、金剛さんが纏っているような、余裕綽々、泰然自若といった雰囲気は、残念ながら未だ持ち合わせていないようでした。 物音や周囲の暗闇に対して過度に警戒するその様は、見ていて少し不安になります。こんな時、金剛さんなら……と変に比較してしまうのは、私が彼に安心感を覚えてしまったが故なのでしょう。 和さんと共に、徒歩で香々星神社を出発してから凡そ二十分が経過した頃──天津甕星を祀る神域・香々星之宮へと通ずる、星降山の入り口が私たちの前にその姿を現しました。 薄暗い木々が周囲を覆い尽くし、鬱蒼とした山林を形成している中にポツンと、まるでそこだけ空間が丸ごと抉り取られたかのように入り口は開かれており、巨大な鳥居が存在をこれでもかと誇示する様は、見る者を容赦なく萎縮させます。「うわ……何というか……雰囲気あるわね、ここ……」 和さんがごくりと、息を呑む音が耳に届きます。彼女はただただ、雰囲気に圧倒
私たちが此岸町に現地入りしてから、早くも四日が経過しようとしています。 私は何時ものように夜明け前に起きてシャワーを浴び、姿見の前で和装下着を身につけて白足袋を履き、素早く襦袢、白の小袖、緋袴の順で素早く巫女装束に着替え、後ろ髪を和紙で一つに結わえた後、居室兼寝室へと向かい、まだ自力で巫女装束に着替えられない和さんの着付けを手伝います。その間に周防さんは国旗掲揚へ、金剛さんと鈴木さんは朝食の用意と昼食の下準備を始めます。 私は日没後に星降山へと赴いては、星神・天津甕星との接触を試みたり、下山後も鳴神香々星奇譚をじっくりと読み込み、気になった箇所に付箋をしては、調査ノートに該当箇所を箇条書きにして纏めるという作業を深夜二時まで行っていましたので、やや寝不足気味ではありますが、行動に何ら支障はありません。 御堂本家当主にして現人神・清治さんの下で八雲ちゃんと一緒に教育プログラムを受けた際、一緒に徹夜して提出レポートを仕上げたことが何度かありますので、脳や身体が慣れてしまったのかもしれません。尤も、徹夜という行為は決して褒められたものではありませんが……。 午前六時半頃に談話室に集合し、金剛さんと鈴木さんが作ってくれた朝食を摂ります。その際に、昨夜社務所内で起こった怪奇現象について和さんや周防さんが話すのは最早定番と化していました。 今朝は珍しく、金剛さんも参戦……とびきり意地悪そうな笑みを湛えつつ、彼は部下三人に対し言いました。 「──良いか、お前ら。怪異の話をしているとな……その怪異が近くまで寄ってくるぞ」 「……え?」 その言葉に和さんは青ざめ、周防さんは言葉を失い、鈴木さんはポカンとしていました。三者三様の驚き方は、見ていてとても面白かったです。 朝食後は各々歯磨きをし、朝拝まで敷地内とその周辺を皆で掃除します。ここまでの行動パターンが、すっかり香々星神社での朝の日常となっていました。 現状、私たちを取り巻く環境に、大きな変化は見られません。子供世代、若者世代が概ね友好的なのに対し、大人世代が冷ややかな反応を示すのも変わりません。 何か一つ、変わったことがあるとするならば── 「──おはよう御座います、巫女さま。今日も変わらず、お美しい」 朝の散歩中と思しき氏子総代の一人である老婦人が、愛想笑い
同時刻── 御陵 奏が嘗て教育プログラムを受けた、御堂本家。その屋敷内にある当主の執務室を訪れる、一人の見目麗しい巫女の姿があった。 「──失礼します、ご当主さま」 「ほぅ……誰かと思えば、叢雲《むらくも》じゃないか」 執務室の扉を開けて入ってきた巫女に背を向けたまま、御堂本家当主・御堂 清治はふっと笑みを零す。それにつられるかのように、叢雲と呼ばれた巫女の少女も、整った小さな口許に薄らと冷たい笑みを浮かべた。 裏御三家が誇る夢見鳥が一柱・御堂 叢雲。それが少女の名前だった。否……声も見た目も、そして立ち居振る舞いも、完璧に少女のそれであるが、実際は清と同年代の少年──即ち男であった。 線の細さ、そして見た目と声の清らかさを武器とすべく、転生する度に去勢手術を受けており、表向きは清たちと同じく女である。彼が男であることを知る者は、夢見鳥たちと彼の両親を除けば誰一人として存在しない。 夢見鳥としての実力は本物であり、総合的な強さでは、一族の最高傑作と謳われる清に次ぐとの評価を得ている。それ故に、"現人神の懐刀"と呼ばれ、内外から畏怖されていた。 「珍しいな。お前が自分から、私の元を訪れようとは」 「えぇ、まぁ。恐れながら、ご当主さまに具申したきことが御座いまして、ね」 「ほぅ……では、聞かせてもらおうか」 叢雲の方へ、清治はゆっくりと向き直る。翡翠色の瞳の奥底に、仄暗い焔が灯っているのが見えた。 普通の人間なら萎縮してしまうであろう、清治の全身から放たれる圧倒的なプレッシャーを受けても尚、叢雲は平然としている。寧ろ、余裕綽々たる態度であった。 「──ご当主さま。今こそ正しく、機を見るに敏。裏御三家内に不和をもたらす元凶・御門本家……その当主代理をこの世から抹殺するべきかと存じます」 「ふむ……続きを聞こう」 「はっ──特務機関【敷島】との争いは現状、我々裏御三家が優位に立っております。八雲が熊襲で暴れ回り、彼の地に展開していた【敷島】の精鋭を蹴散らしたことが大きいでしょう。我らは今、勢いに乗っております」 しかしながら──"月に叢雲、花に風"と言われるように、良いことにはとかく邪魔が入りやすく、長続きしないものである。熊襲での敗北を受け、【敷島】が反撃の狼煙を上げるのは時間の問題であるし、何より御
御陵 宗一は、憂えていた。 鳴神山地の此岸町へと、まつろわぬ神々に関する調査のため送り出した巫女、御陵 奏の精神状態を。そして、彼女の安否を憂えていた。 早川の瀬に坐す姫君──ミコトによって齎された、奏が鳴神山地に眠るまつろわぬ神々の王・天津甕星に魅入られたとの報せ。それは、奏の特異体質を知る宗一を不安にさせるには、十分であった。 その報せから程なくして、奏の護衛である【彼岸】第五小隊長・金城 剛彦から、天津甕星に印を刻まれたことで彼女は強いショックを受けて泣き出してしまったので、心の整理をさせるため部屋の中で一人にしてあるとの連絡も受けていたので、尚更である。 やはり、奏を送り出すべきではなかったか。遍く神々を惹き付ける特異体質、それは強みであると同時に致命的な弱点でもある。 神々と心を通わせることが出来る代わりに、障りによって心身を蝕まれる。非常に便利だが、相手次第では心身を侵食されて衰弱し、最悪の場合は命を落としかねない。 正に諸刃の剣……況してや、相手は最強と謳われる、まつろわぬ神々の王にして、星を司る神。魅入られたが最後、奏が廃人となってしまう可能性、危険性が常に付き纏うことは薄々分かっていたことだ。 薄々分かっていたのに、自分は彼女を── 「……お兄さま」 鈴を転がすような、透き通った声が耳に届き、宗一は考えるのを止めて、ふと顔を上げた。見ると、純白の寝間着浴衣に身を包んだ清が、執務室の扉を開けて入ってくるところだった。 「……清。まだ、寝ていないと駄目だろう?」 宗一が咎めると、清は血の気の失せた青白い顔を僅かに綻ばせて、ぴったりとした白足袋に包まれた小さな爪先を優雅に滑らせながら、宗一の傍らまで歩み寄り、彼の右手をそっと握り締めた。 「……いえ、お兄さま。私には分かります。お兄さまは今、何かを憂えていらっしゃいます。そして恐らく、それは私が抱くものと同じ憂い」 「……そうか。お前も、鳴神山地へと赴いた奏のことが心配なんだな」 「……はい、お兄さま。故に、お兄さまの元へと馳せ参じました。お兄さまが、独りで抱え込むことのないように」 特務機関【敷島】に全てを奪われた奏……天涯孤独の身の上となってしまった彼女を、宗一と清は今日に至るまで本当の妹のように可愛がってきた。文字通り
氏子総代の加賀さんの去り際の言葉に、言い表しようのない恐れを抱きつつも、私は巫女長さんと共に社務所内の談話室で一時間ほど昼食を兼ねたお昼休憩をとり、その後またお務めに戻りました。 金剛さんが作った昼食は、神主さんや巫女さんたちからはとても美味しいと絶賛されており、健啖家ではなく食欲のない私でも、少々時間こそ掛かれども綺麗に完食する程に絶品でした。 さて、午後に入って私が最初に取り組んだのは、午前中ずっと和さんがしていた御朱印の練習でした。が、数回ほどで練習の必要なしと合格を言い渡され、その後は午前中と同様に、授与所で巫女長さんや和さんと共に、御守りやお札の授与に携わりました。 神社の敷地内の至る所で作業している氏子の方々と私が極力接することのないよう、どうやら優さんが配慮して下さったようで、今後も基本的には巫女長さんが、可能な限り私と一緒に行動して下さるとのことでした。 幸いにも加賀さんのような奇人変人は現れず、参拝客から変に絡まれることはありませんでした。目を合わせて貰えない、此方から声を掛けても基本無視という反応は相変わらずでしたが、加賀さんを目の当たりにした後だと、そのような参拝客たちの反応が却ってありがたいと思えるのですから、人間の感情というのは不思議なものです。 比較的平穏に時間は流れ、気が付けば午後四時半を回っていました。香々星神社は午後四時半を終業時間としていますので、一日のお務めはこれで終了です。 授与所を閉めると、巫女長さんと和さんは着替えのために更衣室へと向かいます。私は着替えには向かわず、巫女装束のまま事務室でお茶を飲みながら、皆さんが着替えを終えて降りてくるのを待ちます。 正直気は進みませんが、今夜も星降山に立ち入って天津甕星と接触を試みるつもりでしたから、洋服に着替えるのは二度手間になってしまいます。故に、表向きは優さんたちを見送ってから着替える、ということにして、彼らが神社から立ち去るのを待っていたのでした。「そろそろ、かな……」 帰宅する神主さんや巫女さんたちを見送るため、私は社務所を出て鳥居前へと向かいます。平坂さんに調査の進捗状況などを報告するには、彼らが全員帰宅するのをこの目で直に見届けなければなりません。 若し仮に、彼らの中に特務機関【敷島】の息がかかった者がいて、話を盗み聞きでもされ
拝殿を後にした私はその後、優さんの指示通り巫女長さんの元へと向かい、彼女と共に授与所で参拝客にお守りやお札の授与をすることになりました。 「努めて笑顔で、愛想良く。分かった?」 「はい──分かりました、巫女長さま」 こくりと頷く私を見て、巫女長さんはたいへん満足した様子でくすっと微笑みます。 「うん、良い返事ね──県外から来たって言うから、正直不安だったのだけれど……思っていたよりも、しっかりしてそうで安心したわ。こんな風に考えてしまうなんて、私も結局は、鳴神山地に生きる人間なのね……」 どうやら、巫女長さんは村社会さながらの陰湿さを持つ地元に対し、何か思うところがあるようでした。二十代後半と立派な大人世代ではありますが、それはそれとして、若者世代と非常に近しい感覚をお持ちのようです。 積もり積もった雪が何れは解けて消えてゆくように、鳴神山地に蔓延る村社会的風潮も、少しずつ変わってゆくのだろう。巫女長さんに横髪を優しく撫でてもらいながら、私はそのようなことを考えました。 授与所に居るのは、私と巫女長さんの二人。和さんは御朱印の練習をしており、この場には居ません。巫女長さんが特務機関【敷島】の工作員である可能性も、現状ゼロではありませんが、そこまで高くもありません。適度な距離感を維持して接すれば、仮に【敷島】の工作員だったとしても、不意打ちを受けることはないでしょう。 背乗りは【敷島】の十八番《おはこ》ですから、勿論参拝客や敷地内で作業している氏子の方々にも要注意です。何処にでもいて、何処にもいない蜃気楼のようなもの……それが、彼ら【敷島】の在り方ですから。 昼間でも太陽が大地を照らす時間より、雲に覆われている時間の方が多い此岸町……ちらほらといらっしゃる参拝客の殆どが、陰鬱なる空模様と瓜二つのどんよりとした表情をした、中高年の方々です。 彼らは、此岸町出身者である巫女長さんには愛想良く接するのですが……見慣れぬ余所者である私とは、頑なに目を合わせようとすらしません。私がお守りやお札を授与しても唇を尖らせて小さく頷くだけで、後は巫女長さんと他愛もない世間話をしていました。 若し、授与所にいるのが私一人だったなら、彼らは息をするように陰湿な嫌がらせをしてきたことでしょう。今の私は、巫女長さんという抑止力がいて下さるお陰で、精々無視さ