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第一章 第11話 あの子との約束

Author: 輪廻
last update Last Updated: 2026-01-17 20:38:50

手荷物以外の荷造りを全て済ませて、此岸町にある平坂さんの神社宛に郵送をつつがなく終えると、私はほっと一つ溜め息を零しました。出発まで残り二十四時間を切り、時計の針や心臓の鼓動音が、心做しか大きく聞こえるような気がします。

「…………」

部屋の真ん中で横になり、何か忘れ物はないか、何か忘れていることはないか、考えを巡らせます。物資は過不足なく用意できたし、八雲ちゃんから内外に蠢く思惑や脅威についても教えてもらった。【敷島】との遭遇戦にも、ある程度は対応出来る筈です。

調査に赴く際の心構えについては、今日に至るまでの間、宗一さんや清さん、それから教官の清治さんから口酸っぱく言われてきましたし、調査のやり方も教育課程で清治さんの受けた調査任務に帯同し、相応に場数をこなしてきましたので、全く分からない訳ではありません。

他に何か、忘れていることと言えば──

「……あっ。あっ!?」

そこで一つ、肝心なことを忘れていることを思い出し、私はガバッと床から身を起こしました。ミコトです。あの子に、調査任務のため暫く御陵本家を留守にすることを伝え忘れています。

──··の機嫌を損ねるな。

ミコトを怒らせることだけは、絶対にあってはなりません。私は慌てて、ミコトに会いに行くことにしました。

道中、一族の巫女たちが当番制で管理している神社に立ち寄り、そこに保管してあった"口噛み酒"と呼ばれる特別な酒の入った小さな瓶を手土産に、ミコトの待つ··へと向かいました。

石で出来た階段を二、三段飛ばして駆け足で登る度、その両脇に建てられた無数の灯篭にボウッと青い炎が次々に灯ってゆきます。何とも幻想的な光景ですが、それはミコトが、私の急な来訪を認知した合図でした。

果たして、ミコトは··の中央──彼女を祀る社の前で、私を待っていました。その顔に笑みはなく、何時になく真剣な面持ちでした。

「──ごめん、ミコト……! どうしても、言っておかなければいけないことがあって……はぁ……はぁ……!」

息を切らしながらも、来訪の目的を告げる私を見て、ミコトは傀儡人形のような不気味な動きで、無表情のまま小首を傾げました。

「取り敢えず、これ……手ぶらじゃ……悪いと、思って……」

そう言って"口噛み酒"の詰まった小瓶を渡すと、ミコトは瓶の蓋を指先で器用に開け、私を見つめたままの状態を維持しつつ、中身をゆっくりと口に含みました。

"口噛み酒"とは神事で巫女が醸造する特別なお酒です。巫女が米、或いは穀物を口で噛み、唾液の中に含まれる酵素で以てデンプンを糖へと変えて発酵させ、自然酵母でアルコールを生成。そうして作られたお酒が、"口噛み酒"と呼ばれます。嫁入り前の若い女性が醸造に関わることから、"美人酒"と呼ばれることもあるそうです。

唾液で酒を醸造するなんて不衛生だ、あまりにも汚いと今を生きる人ならそう思われるかもしれませんが、昔は世界各地でこのような醸造方法が取られており、神社などでは神事で今も行われております。

ミコトは口に含んで味を楽しんでいるのか、時折小さく頷いていました。一先ず、持参した手土産は気に入って貰えたようです。流石は彼女のためだけに、清さんの唾液で醸造したお手製なだけはあります。

ミコトは水を司り、遍く罪穢れを祓い浄めるというその性質上、穢れたものが嫌いです。故に"口噛み酒"にもかなり五月蝿く、清さんが神事で醸造したものでないと口にしません。他の巫女さんによって醸造された"口噛み酒"だと、匂いを嗅いだだけで明確に拒否反応を示すのです。

故に、ミコトへの手土産用として、清さんがミコトのために神事で醸造した特別な"口噛み酒"が一定量、神社には保管されていました。

「────」

飲む手を止めて瓶から口を離し、ミコトは私に無言で問います。突然訪ねてきたのは、何か理由があってのことだろう。その理由は一体何か……と。

言葉を一切発することなく、目だけで雄弁に物事を語る彼女の姿は·としての威厳に満ち溢れています。

「……実はね、一族に奉仕する巫女として、·······に関する調査任務に赴くことになったの。それをミコトに、伝え忘れていて……それで、慌てて飛んできたの。友だちに、何も伝えずに行くのは違うかなって。そう思ったから」

──場所は?

ミコトはすっと目を細めながら、目線だけで重ねて問うてきました。長らく交流を深めてきた仲です。目線だけでのやり取りでも大体、相手の考えていることを察することが出来ます。

多分、ミコトは怒るだろうなと思いつつ……私は正直に答えました。嘘を吐けば、余計怒るでしょうから。

「……鳴神山地の、此岸町。"高天原計画"の中でも、特に大規模なプロジェクトが推し進められたっていう、曰く付きの土地だよ」

「…………」

刹那──

鬼灯を思わせるミコトの真っ赤な瞳の奥底に、仄暗い光が宿るのが見えました。氷を思わせる、冷たい光。間違いなく彼女は、怒っていました。

「生きて帰って来られるかは、正直分からない。一族は過去に何度も、実力のある巫女さんたちを送り込んで、結果その巫女さんたちは全員、何らかの理由で命を散らし殉職した。遺髪も、遺品も……彼女たちに纏わるものを何一つ回収出来なかったっていう、呪われた場所だから」

そこにまだ、新米巫女である私自身が適任者として送り込まれる。御門本家を牛耳る当主代理の目論見により。

ただでさえ、死地が過ぎると言うのに、歴代最低最悪の内閣総理大臣・因幡が宗一さんに泣かされた腹いせに"御上"へと泣きついて、"御上"は各地に【敷島】の人員を追加投入しています。

生きて帰ってこられたら奇跡──そう言っても過言ではない状況に、私は追いやられていました。それでも、適任者として赤紙で召集された以上、使命を果たさなければなりません。それが、一族に奉仕する巫女の役目です。

「……だから、怒らないで。私が戻ってくるまで、どうか清さんたちを困らせないで」

ミコトは全身から冷気を発し、静かながらも怒りを露わにしていました。私に向けられた怒りではありません。神である彼女には、私が死地へと赴くに至った過程など、全てお見通しなのですから。

──穢らわしい。何と穢らわしい。御門の者でありながら要らぬ野心を抱き、俗世の考えに染まるとは。

言葉にこそ出しませんでしたが、ミコトのそのような想いがひしひしと伝わってきました。八雲ちゃんから仔細を教えてもらった時の私も多分、目の前の彼女と似たような表情をしていたのだろうと、容易に想像が付きます。

しかし、今更白紙撤回など出来る筈もありません。ミコトもそれを理解しているからこそ、余計に怒れたのだと思われます。私を鳴神山地という伏魔殿、魔境、死地に放り込むのは最早、決定事項なのですから。決まった以上は、結末という名の終着駅まで敷かれた一本のレールの上を、ただ黙々と過程という名の列車に乗って進むのみなのです。

先刻まで晴れていた空が瞬く間に曇り、雷鳴が立て続けに轟きました。暗雲が渦巻き、俄に大粒の雨が降り始め、風が金切り声にも似た音で哭き出します。自然的なものではありません。ミコトの怒りに呼応し、御陵本家とその周辺地域の天候が変化したのです。

科学に頼りきった現代社会では、その不可解な事象を説明出来ません。日本列島に突然、何の前触れもなく巨大台風が出現したようにしか、気象レーダーや人工衛星などの文明の利器には映らないことでしょう。

ミコトの怒りが増幅すれば、最寄りの人里にも甚大な被害をもたらしかねません。それだけは何としても、阻止しなければなりませんでした。

「……ミコト。分かるよ……流石に、怒れるよね。私も八雲ちゃんから事の仔細を教えてもらった時、今のミコトと全く同じ反応をしたから」

「────」

「でも、お願い……どうか、その怒りを鎮めて。私は必ず帰ってくるから。たとえ手足がもがれようとも、虫のように這ってでも必ず生きて帰ってくるから。約束するから」

約束、するから──

その言葉を耳にするや否や、ミコトの瞳に理性の光が戻りました。それとほぼ同時、荒れていた天気は瞬く間に回復し、雲の隙間からは陽光が優しく射し込んで、私たちをそっと照らしました。

「……ありがとう、ミコト。分かってくれたんだね」

「…………」

ミコトは何も言わず、とことこと私の元へと歩み寄ってくると、白の小袖の袖口から何かを取り出し、半ば強引に私の手に握らせました。

それは鮮やかな緑色の勾玉でした。翡翠でしょうか。吸い込まれてしまいそうな綺麗さです。ミコトが渡すくらいですから、何らかの力が込められた御守りのような、特別なものなのでしょう。ネックレスとして首から提げられるよう、ご丁寧に紐まで括り付けてありました。

──生きて帰ってきて。私との約束。

声には出さず、唇の動きだけで、ミコトは私に対しそう言います。雨上がりのそよ風が吹く度、お香のような甘い匂いが、彼女の髪や吐息、装束から香ってきます。

「……うん。約束だよ、ミコト。絶対に、鳴神山地から生きて帰ってくる。そして、ミコトに沢山向こうでの思い出話をする。楽しかったことから辛かったことまで」

それを聞くと、ミコトは漸く表情を和らげ、私の額にそっとキスをしてくれました。

──貴方に、加護と祝福を。御陵 奏……遍く神々に愛されし巫女よ。

ミコトと熱く抱擁を交わし、私はより一層身を引き締めました。必ず生きて帰る。必ず使命を全うする。

出発の時は──もう直ぐそこです。

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