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第3話

作者: 閑雲
陽咲は怜央を見上げ、何気ない風を装って尋ねた。「おじい……正雄先生を、どうして探しているの?」

怜央は電話を切ると、疲れ切った様子で眉間を揉んだ。「大口の取引先が厄介でね。今回の納品分が基準に満たないと難癖をつけてきたんだ。正雄先生の作風に合わせて作り直せ、と

だが正雄先生は三十年も前に表舞台を去り、今や消息不明だ。製作工程には誰も知らない『秘伝の工程』があるらしく、今の職人ではどうやっても再現できないんだよ」

彼は重いため息をついた。その表情には、拭い去れないほど深い疲労が滲み出していた。

陽咲は胸の奥がわずかに騒ぐのを感じ、探るように問いかけた。「その工程って、そんなに難しいの?

……ねえ、明日、私が一度現場を見てみようか?」

怜央は一瞬呆気に取られたように彼女を見つめたが、すぐに苛立ちを露わにした。「よしてくれ、陽咲。足手まといになるだけだ」

彼女に陶芸の心得があることは、怜央を含め、安部家の人間は誰一人として知らなかった。

怜央は、陽咲が単に自分を慰めようとしているだけだと思い、鼻で笑って聞き流した。

「これ以上、俺の手を焼かせないでくれ。今日はただでさえ余裕がないんだ。

君が見に行ったところで何が変わる?作れもしないくせに。俺の誕生日にくれたあの陶器だって、どうせどこかの店で買ってきた既製品だろう?」

仕事で立て続けに問題が起きていたせいか、彼の口調はいつになく刺々しかった。

実は今日、怜央は秘書の工藤琉生 (くどう るい)に命じて、昨日陽咲が割った陶器の破片を専門家の鑑定に出していた。鑑定士は「極めて精巧な造りで、到底素人に作れるものではない」と太鼓判を押した。

それを聞いた怜央は、「陶芸などできないはずの陽咲が、自分を喜ばせるために高級品を買い込み、自作だと偽ったのだ」と、身勝手な断定を下していたのだ。

その言葉を聞いて、陽咲の顔から血の気が引いた。

疲れ切った怜央の姿を前に、彼女は結局、何も言い返さなかった。

食後、陽咲が塞ぎ込んでいるのに気づいたのか、怜央は珍しく「腹ごなしに少し歩こうか」と誘ってきた。

彼と並んで歩くなんて、ここ半年で初めてのことだった。

月は淡く輝き、澄んだ月光が二人の肩に静かに降り注いでいる。

陽咲の胸の内に、ささやかな充足感が満ちていった。

これこそが、彼女の求めていた平穏な暮らしなのだ。

もし怜央が、以前のように悠里と一線を引いてくれるなら。自分の矜持を捨ててでも、すべてをなかったことにして、このまま彼と共に歩んでいけるかもしれない……

しかし、現実は無情にも、彼女の頬を激しく張り飛ばした。

散歩を始めて三十分も経たないうちに、彼は頻繁にスマホを気にし始めた。画面を見つめるその眼差しは慈しむように優しく、口元には無意識の笑みさえ浮かんでいる。

怜央のその姿を目の当たりにし、陽咲の中に芽生えたばかりの充足感は、跡形もなく霧散した。

その時、静まり返った小道に、悠里のためだけに設定された着信音が甲高く鳴り響いた。それはあまりに場違いで、残酷なほどに彼女の耳を刺した。

怜央は数歩先へ離れて電話に出た。

すぐ近くにいた陽咲の耳には、悠里の甘ったるい泣き声が届いていた。「お母さんが入院したの……お兄ちゃんもいないし、家に私一人しかいなくて……怖いの」

通話を終えた怜央の顔は、焦燥に染まっていた。

「陽咲、会社で急用ができた。すぐに向かわなきゃならない」

彼女の返事も待たず、怜央は足早に車の方へと歩き出した。

陽咲は彼に、逃さぬと言わんばかりの視線を真っ直ぐに突き刺し、問いかけた。

「私に手伝えることはある?」

その射抜くような眼差しに、憐央は一瞬、得体の知れない罪悪感に襲われた。

だが、悠里のことが気がかりでならない彼は、心の中で「すまない」と毒づき、その場を取り繕うことしか考えられなかった。

「いいや、何も。君が余計な真似をせず大人しくしていてくれるのが、俺にとっては一番の助けなんだ」

憐央はそう言い捨てると、一度も振り返ることなく走り去っていった。

遠ざかる背中を見送りながら、陽咲の心の中で、長い間張り詰めていた糸が、ぷつりと音を立てて切れた。

――もう、これ以上耐える必要なんてない。

彼女は、望月家が経営する病院へと向かった。

病室では、顔色ひとつ悪くない望月聡子 (もちづき さとこ)がベッドに横たわり、満足げな笑みを浮かべて憐央と悠里を眺めていた。

怜央がベッド脇の椅子に腰掛け、頭を垂れて、二人のために甲斐甲斐しくリンゴの皮を剥いていた。

「怜央さん、あなたと悠里が並んでいるのを見ると、本当にお似合いだわ。まさに絵になる二人ね。

ああ、お義父さんの遺言さえなければ……『望月家の実の娘を安部家に嫁がせる』なんて縛りがなければ、私は悠里をあなたに嫁がせたかったくらいよ。

あなたは私が小さい頃から見てきたし、家柄も素性もよく分かっているわ。陽咲みたいに、田舎でろくなしつけも受けずに育った子とは大違い」

陽咲の名が出た途端、聡子は口をへの字に曲げ、隠そうともしない嫌悪を露わにした。

陽咲が望月家に引き取られたばかりの頃、聡子の胸にも、わずかながら罪悪感はあった。十月十日、腹を痛めて産んだ我が子であることに違いはなかったからだ。

彼女は当初、陽咲と悠里の二人を共に手元に置き、陽咲に償いをしようと考えていたのだ。

だが、陽咲は冷ややかにこう問いかけた。「二十四年間も私の場所を奪い続けてきた人間を、なぜこのままこの家に置いておくのですか?

自分の本当の素性を知ったのなら、元いた場所へ、身の丈に合った場所へ引き揚げるのが筋でしょう?なぜ何食わぬ顔をして、このまま望月家の令嬢として居座ろうとするのですか?」

聡子は陽咲の正論に内心では頷きつつも、二十四年もの間、手塩にかけて育ててきた悠里への情を、どうしても断ち切ることができずにいた。

おまけに、陽咲が望月家に戻って間もなく「あの事件」が起きたことで、聡子は彼女を不吉な疫病神だと決めつけ、激しく忌み嫌うようになっていた。

病室の外で、自分を差し置いて二人をくっつけようとする聡子の言葉を耳にし、陽咲は鼻で笑うと、そのままドアを押し開けた。

室内は、水を打ったように静まり返った。

聡子は呆然と陽咲を見つめていたが、すぐに慌てて心配そうな表情を取り繕った。「あら陽咲、どうしたの?どこか具合でも悪いの」

陽咲を嫌っているとはいえ、怜央の前で、家の恥を晒すわけにはいかない。

それに、いずれは悠里を安部家に嫁がせることになるかもしれないのだ。今のうちに、彼には少しでも良い印象を与えておきたいという計算もあった。

陽咲は、聡子の浅ましい腹の内をとうに見抜いており、この白々しい演技にはもう慣れっこだった。

彼女は生返事でやり過ごすと、視線を怜央へと移した。「会社で急用があったんじゃなかったの?どうしてここにいるのかしら」

怜央はさすがにバツが悪そうに視線を彷徨わせ、即座に言葉を返すことができなかった。

「怜央さんは、お仕事を済ませてから、ついでにお母さんの様子を見に寄ってくださったのよ」

悠里はくすりと小さく笑い、助け舟を出すふりをして言葉を継いだ。「それよりお姉さんこそ、お母さんが入院されたというのに、実の娘でありながら今まで一度も顔を見せないなんて、少し薄情じゃないかしら?」

それを聞いた聡子は、我が意を得たりとばかりに陽咲を鋭く睨みつけたが、口は開かなかった。

陽咲は冷笑した。いつもは凪いでいる彼女の顔に、珍しく怒りの色が浮かんでいた。

悠里はいつもこうだ。自分に都合の良い正論を吐いて善人を気取り、最後には被害者面をしてこちらを悪者に仕立て上げる。

普段の陽咲なら、聡子の手前、その嫌味を飲み込んでいただろう。

だが、今の彼女にそんな殊勝なつもりは毛頭なかった。

陽咲はドスの利いた声で言い放った。「私は今、自分の夫と話しているの。部外者のあなたが口を挟む筋合いはないわ。それとも何かしら。そんなに必死になって、人の夫を略奪したいとでも公言しているのかしら?」

あまりに容赦のない一喝に、悠里は一瞬にして顔から血の気が引いた。唇を噛み締め、怒りと屈辱に震えながらも、図星を突かれたのか反論の言葉が出てこない。

陽咲は彼女の動揺を見逃さなかった。

しかし、大切にしている悠里がやり込められるのを見た怜央が、不快感を露わにして立ち上がった。

「陽咲、今の言い草は度が過ぎているぞ。

悠里は君の妹じゃないか。どうしてそんな酷い言いがかりをつけられるんだ」

傍らで様子を伺っていた聡子が、ここぞとばかりに声を荒らげた。「そうよ!全く、清水正雄とかいうあの頑固親父は、どんな教育をほどこしてきたんだか!

陽咲、お姉さんなんだから悠里に謝りなさい。そうすれば、今の無礼な物言いは水に流してあげるわ」

「正雄」という名を耳にした瞬間、怜央の動きがピタリと止まった。彼は雷に打たれたように呆然と立ち尽くし、信じられないものを見る目で聡子を振り返った。

「……今、何と言いましたか?陽咲が……あの、清水正雄先生の孫娘だというのは……本当なのですか?」

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