Share

第5話

Penulis: 閑雲
陽咲は足を止め、背後の車に乗る男を、露骨な警戒心を持って凝視した。

男の顔立ちは、息を呑むほどに整っていた。その眉の下に落ちる深い影が、彼の瞳をいっそうミステリアスに、そして官能的に縁取っていた。

底知れぬ泉に沈む黒曜石のような瞳は、冷たく澄み渡り、一切の揺らぎを見せない。だが、その静謐な眼差しに見据えられると、心の深淵までをも無遠慮に暴かれてしまうような、不思議な圧迫感があった。

男はシートにゆったりと身を預け、口元をわずかに綻ばせて彼女と視線を合わせた。

「……どなたですか?」

陽咲は悟られないよう、静かに半歩後ろへ下がった。淡々とした問いかけの中には、明確な拒絶と疎遠な響きが含まれている。

彼女の強い警戒心を見て取り、蒼空は低く笑った。

深い瞳にわずかな笑みが宿ると、張り詰めていた空気がふわりと和らぐ。

「こんな夜更けに、清水さんがお一人で歩いているとは。どうされたのですか?」

陽咲は唇を強く引き結び、答えなかった。

今ここで走り出したとして、逃げ切れる確率はどれくらいか――頭の中で必死に計算していたのだ。

その思考を読み透かしたように、蒼空は苦笑した。「変な勘違いはしないでください。僕は安部さんの取引先ですよ。

夜も遅い。女性の一人歩きは危険です。お送りしますよ、乗ってください」

陽咲は知る由もなかったが、この一連のやり取りは、偶然通りがかった悠里の友人によって盗撮され、即座に悠里の元へと送信されていた。

陽咲は動かなかった。彼女は大きく息を吸い込むと、突然、全力で前へと走り出した。

「怜央の取引先」だなんて。証拠もないのに、そんな言葉を鵜呑みにできるはずがないわ。

正雄の教えを、彼女は片時も忘れてはいなかった。

「外にいる時は、常に警戒心を怠るな。決して隙を見せるんじゃないぞ」

だが、いくらも走らないうちに、背後からクラクションが響いた。

蒼空は車を徐行させて彼女を追い、窓を開けた。「清水さん、なぜ逃げるんです?取って食ったりしませんよ」

陽咲は足を止め、さらに数歩後ずさった。

そして、自分が街灯のすぐ隣にある防犯カメラの死角に入っていないことを確認してようやく一息つくと、鋭い眼差しで彼を威嚇した。

「これ以上ついてくるなら、警察を呼びます」

スマホは怜央の車に置き忘れてきたため、単なるハッタリに過ぎなかったが、今の彼女にはそう言うしかなかった。

だが、その言葉を吐き出した直後、猛スピードでこちらへ向かってくる怜央の車が陽咲の視界に入った。

陽咲の前に停まる高級SUVを見て、怜央は反射的に「どこぞの御曹司が妻に絡んでいる」と勘違いした。

腐っても陽咲はまだ自分の妻だ。他人に汚されるのを見過ごすわけにはいかない。

彼は怒りに任せてシートベルトを外すと、ドアを叩きつけるように閉め、鬼の形相で蒼空へと詰め寄った。

しかし、運転席に座る蒼空の顔を見た瞬間、怜央の動きがピタリと止まった。陽咲に付き纏っていたのが、まさか蒼空だとは夢にも思わなかったからだ。

「やあ、安部さん。奇遇ですね」

蒼空は口元に微かな笑みを浮かべ、余裕たっぷりに挨拶を投げかけた。

二人が本当に知り合いだと分かり、陽咲は人知れず胸を撫で下ろした。

もし相手が正真正銘の不届き者やチンピラだったらと思うと、ぞっとしたからだ。

「周防さん、どうしてこんなところに?」

怜央はいぶかしげに尋ねた。

「通りがかりに偶然、清水さんを見かけたんですよ。夜道は危ないですから送っていこうと声をかけたのですが、どうやら僕は信用されなかったみたいですね」

蒼空は苦笑しながら首を振った。

怜央は顔を強張らせ、黙り込んだ。

先ほど、蒼空が陽咲に向けた、一瞬だけ目を奪われたような、ハッとした眼差し――それがどうしようもなく不快で、彼の独占欲を逆なでしていた。

視界の端で、陽咲が寒さに小刻みに震えているのが見えた。

怜央は無言で自分のコートを脱ぐと、彼女の肩に掛けた。

しかし、陽咲は彼の体面など微塵も気にかけず、そのコートを叩きつけるように彼に突き返した。

怜央に関するすべてのものに対し、彼女の体は条件反射的に吐き気を催していたのだ。

怜央の顔に気まずさが走った。彼はそれを無理やり押し隠し、蒼空に別れを告げた。「周防さん、夜も遅いですから。今日はこれで失礼します。妻を連れて帰ります」

蒼空の車が去っていくのを見送ると、怜央の表情から愛想笑いが消え失せた。彼は冷たく言い放った。「乗れ」

陽咲は一言も発さず、後部座席に乗り込んだ。

怜央はバックミラー越しに、彼女の目尻が赤くなっていることに気づき、「なぜ泣いていたのか」と問いかけたくなった。

だが、彼女の氷のような表情を見て、やぶへびになるのを恐れて口をつぐんだ。

車内は重苦しい沈黙に包まれたままだった。

家に着く間際になって、怜央がようやく口を開いた。「さっきは悪かったな。カッとなって、車から降りろなんて言って」

結婚して二年、怜央が自分に謝罪したのはこれが初めてだった。

だが、陽咲の心は少しも動かない。彼女はただ「ああ、そう」と気の抜けた声を返しただけで、それ以上は口を閉ざした。

帰宅後、シャワーを浴びた陽咲はソファに座り、栞奈から送られてきた陶芸のサンプル画像を開いた。

栞奈は陶芸デザイナーだ。芸術的なセンスと審美眼は抜群だが、実際にろくろを回して形にする技術はいまいちだった。

その欠点を完璧に補えるのが陽咲であり、だからこそ栞奈はずっと彼女を自分の陶房に誘い続けているのだ。

一つひとつ丁寧に画像を確認した後、陽咲はすぐに感想を送らず、代わりに彼女をからかうメッセージを送った。【ねえ、こんなデザイン画を私に見せて、勝手に保存して自分の作品として作っちゃうとは思わないの?】

すぐに返信が来た。

【ちょっと、からかわないでよ!陽咲を信頼してるから見せてるんだから……まあ、保存したければすればいいわ。それだけ私の実力を認めてくれたってことでしょ。ところで、どう?私の陶房に来る気になった?】

陽咲は小さくため息をつき、【もう少し考えさせて】とだけ返した。

スマホの画面を消し、二階へ上がって寝ようとした時だった。

ちょうどバスローブ姿の怜央が浴室から出てきた。滴る水が腹筋のラインをなぞるように滑り落ち、そのままバスローブの奥へと吸い込まれていく。歩く動作に合わせて、はだけた隙間から鍛え上げられた肉体が覗いていた。

陽咲は無表情に視線を逸らした。かつての彼女なら、この姿に胸を高鳴らせていたかもしれない。けれど今は、心にさざ波一つ立たない。

それどころか、本能的な拒絶反応が、喉の奥からせり上がってくるような嫌悪感に変わっていた。

彼女が無視して階段を上がろうとすると、怜央が甘い声で呼び止めた。

「陽咲、髪を乾かしてくれないか?」

返事の代わりに響いたのは、拒絶を叩きつけるような激しいドアの音だけだった。

怜央は暗い眼差しで、固く閉ざされたドアを見つめた。

せっかく湧き上がった情欲も、陽咲の冷淡な態度の前に一瞬で霧散してしまった。

ベッドに横たわった陽咲は、怜央の瞳に宿っていた浅ましい欲の色を思い出し、吐き気を感じていた。

――汚れきった男なんて、もう二度と御免。

夜更けに怜央に何かされるのを警戒し、陽咲は起き上がると、布団一式を抱えてゲストルームへと向かった。

ちょうど水を飲み終えて階段を上がってきた怜央が、その様子を見て不機嫌そうに眉をひそめた。「……また何をしてるんだ?」

「しばらくの間、部屋を分けるわ」

陽咲は淡々と答え、そのままゲストルームへと入った。

怜央はその背中に冷ややかな視線を送り、鼻で笑った。

「勝手にしろ!」

陽咲がようやくまどろみ始めた頃、階下のインターホンが執拗に鳴り響いた。

防音のしっかりした家ではあったが、元々眠りの浅い彼女は、わずかな物音でも目が覚めてしまう。

階下へ降りた怜央が、こんな時間に何の用だと悠里を問い詰める声が聞こえてきた。

それから間もなく、ゲストルームのドアが激しく叩かれた。「陽咲、ちょっと来い」

リビングのソファに腰を下ろした陽咲は、疎ましげな視線を悠里に送った。

こんな夜更けに、今度は何の茶番を演じるつもり?

悠里は陽咲を盗み見ると、その瞳の奥に勝ち誇ったような光を宿していた。

見てなさいお姉さん。怜央さんはすぐにあなたと離婚するわ!

悠里は瞬時に悲痛な表情を作り、無表情な陽咲を恐る恐る見やりながら、ためらいがちに口を開いた。「怜央さん……お姉さんが……どうやら浮気をしているみたい……」

陽咲は慌てて弁解しようとはしなかった。

やましいことは何一つない。それに、結婚している身で不貞を働くような真似は、彼女の矜持が許さなかった。

怜央の顔が、瞬時に険しく沈んだ。

極端に世間体を重んじる彼は、たとえ形だけの契約結婚であっても、自分の妻が裏切ることなど到底許せなかった。

「……証拠は?」

怜央が低い声で問うと、悠里はスマホの画像を表示し、彼に差し出した。追い打ちをかけるように、いたわりの色を滲ませた声で付け加える。

「怜央さん、あまり気を落とさないで。きっとお姉さんは、悪い男にたぶらかされただけだと思うの」

Lanjutkan membaca buku ini secara gratis
Pindai kode untuk mengunduh Aplikasi

Bab terbaru

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第286話

    陽咲はきっぱりと首を横に振った。「無理よ」少し間を置き、彼女はさらに冷酷な言葉を継いだ。「たとえ死んでも、あなたとやり直すことなんて絶対にないから」そのあまりにも非情で決然とした言葉に、怜央は全身を震わせ、巨大な喪失感と絶望に飲み込まれた。彼は無意識に一歩踏み出し、陽咲の目を食い入るように見つめた。彼女の瞳の奥に、ほんのわずかでも、欠片ほどの躊躇いでも見つけ出そうと必死だった。だが、何も見出せなかった。陽咲の表情は最初から最後まで淡々としており、どこまでも冷ややかでよそよそしかった。今や怜央は、彼女にとって完全に赤の他人でしかなく、言葉を交わす気すら微塵も起こさせない存在なのだ。怜央は彼女と視線を交わし、その無言の拒絶を痛いほどに悟ると、力なく自嘲気味に笑った。「……わかった」陽咲は静かに視線を外し、振り返ることもなくエレベーターに乗り込んで上階へと向かった。夜になり、絃葉が陽咲の部屋へやってきて、彼女が荷造りをするのを見守っていた。「雲市は少し冷えるから、厚手の服を多めに持っていきなさいね。それから、もし向こうで何か嫌な思いをさせられたら、絶対に私に言うのよ。私がきっちり仕返ししてあげるから!」絃葉は心配のあまり、あれこれと口うるさくまくし立てる。「そうだ、雲市に着いたら私からもこまめに電話するわ。悠里が、またあなたに危害を加えないか心配で……」絃葉がここまで口やかましく世話を焼くのは初めてのことだ。陽咲は思わず吹き出し、「はいはい、わかったわ、絃葉。心配しないで」と笑い返した。荷造りを終えると、2人はベッドに腰を下ろした。陽咲はふと尋ねた。「そういえば絃葉、聡子たちはあなたがうちのお兄さんと付き合ってること、知ってるの?」絃葉は首を横に振った。「ううん、知らないわ。雅也もまだ話してないの。今はまだその時じゃないって」言葉を濁してはいたが、陽咲にはその真意がすぐに分かった。雅也は、聡子夫婦が事実を知ったら絃葉のところへ嫌がらせに行きかねないと案じ、だからこそずっと隠しているのだ。「でも、いつかは公にする日が来るじゃない。その時、もし聡子たちが反対したらどうするか、考えたことある?」陽咲は真剣な眼差しで尋ねた。絃葉は黙り込み、しばらくしてからぽつりとこぼした。「まだ考えてないわ。私にとっ

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第285話

    「何が足りないの?」陽咲がまだ言葉の意図を飲み込めないでいるうちに、蒼空がすっと身を乗り出して彼女の頬を両手で包み込み、その唇に大切そうにキスを落とした。唇が離れると、蒼空はゆっくりと体を離して元の姿勢に戻った。「君と離れるのが名残惜しいんだよ。他の男に言い寄られて、連れ去られちゃうんじゃないかって心配で仕方ないんだ」陽咲は少しおかしそうに笑った。「私、今はあなたしか好きじゃないわ」蒼空はその言葉のわずかな隙を鋭く突いて、執拗に食い下がった。「じゃあ、これからは?陽咲、僕にとってこれが初めての恋で……そして最後の恋だ。だから、すごく不安になるんだよ」彼は掠れた声で、真剣な眼差しを向けて言った。陽咲は小首を傾げて尋ねた。「どうして、最後なの?」「君と結婚したいと思っているからだよ」蒼空は静かに囁いた。陽咲は一瞬言葉を失ったが、やがて優しく微笑んだ。「……わかった。雲市に行ったら、毎日必ずあなたに電話するって約束する。ね?」蒼空は「うん」と短く頷いてエンジンをかけ、まずは陽咲を連れて食事へと向かった。食事を終えると蒼空は陽咲を家まで送り届け、2人は名残惜しそうに別れを告げた。翌朝、朝食の席で、陽咲は雲市へ行く件を絃葉に切り出した。絃葉はどのくらい行くのかと尋ねた。「すぐよ。1ヶ月くらい」と陽咲は答えた。絃葉はこくりと頷いた。「あなた1人で?」陽咲は笑って言った。「工房の女の子を1人連れていくつもりよ」「いつ出発するの?」「明日には行くわ」「わかった。帰る時は連絡してね、迎えに行くから」絃葉は穏やかな声で言った。陽咲は頷いた。朝はいつものように絃葉が車で海棠陶房まで送ってくれた。陽咲は中に入ると、まっすぐ2階の栞奈のところへ向かった。「栞奈、凛夢も一緒に雲市へ連れて行って、弟子入りさせたいの」栞奈は顔を上げ、不思議そうに彼女を見た。「凛夢は真面目でコツコツ頑張る子だし、陶芸にかける思いもすごく本気でしょ?だから、彼女も一緒に連れて行って成長させてあげたいの。ついでに少し指導もしてあげたいし」陽咲は真摯に語った。このところの凛夢の努力を、陽咲はしっかりと見ていたのだ。工房の中で、陽咲を除けば、彼女が一番真剣に陶芸と向き合っている人間だった。陽咲も祖父と同じく、

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第284話

    栞奈はこくりと頷いた。「蒼空と付き合うことになったのね。うん、それはいいことじゃない」少し間を置いてから、彼女はハッと我に返ったように声を上げた。「えっ、ちょっと待って。あなたが、あの周防蒼空と付き合うことになったの!?」驚きのあまり思わず声を張り上げ、目を丸くした。その驚愕ぶりとは対照的に、陽咲はどこまでも落ち着き払っていた。「うん、そうよ」「いつの話なの?」「つい昨日の午後よ」栞奈はパチパチと瞬きを繰り返し、明らかにまだ頭が追いついていない様子だった。「栞奈、この事はまだ他の人には内緒にしておいてね」陽咲は念を押した。栞奈も、陽咲が周防グループに悪影響が及ぶのを案じているのだと察し、頷いて了承した。ここ最近は工房への注文が激減しているとはいえ、陽咲は決して気を抜こうとはしなかった。一度怠けてしまえば、せっかく磨いてきた作陶の感覚が鈍ってしまうのが怖かったのだ。手が空いた時間に、以前絃葉と一緒に雲市で買った皿を思い出し、手持ち無沙汰のついでに6枚ほど成形してみた。綺麗に焼き上がったら家に持って帰るつもりだった。昼時になり、蒼空からメッセージが届いた。【志保に弁当を作ってもらったから、後で君のところへ届けるよ】陽咲は返信を打った。【ありがとう。蒼空はもうお昼食べたの?】蒼空は会議を終えて社長室に戻ったばかりで、音声メッセージを送ってきた。「今、会議が終わったところ。これから食べるところだよ」メッセージを再生すると、心地よい声が耳元に響き、陽咲はふわりと頬を染めて【わかった】と返した。昼食を終えると、陽咲は蒼空の顔を思い浮かべながら、彼のために赤い小魚の陶器の置物をひとつ作り上げた。夜になり、蒼空が車で迎えに来た。陽咲は目をきらきらと輝かせながら助手席に乗り込むと、意味ありげな笑みを浮かべて言った。「私があなたに何を作ったか、当ててみて」蒼空はくすりと笑った。「何を作ってくれたの?」陽咲は先ほどの小魚の置物を取り出し、少し得意げな視線を向けた。「あなたに作ったのよ」蒼空はそれを受け取ると、彼女の手の温もりが微かに残るその小さな置物を指の腹でゆっくりと撫で、ひどく優しい笑みを浮かべた。「可愛い小魚だね。でも僕は、小魚を愛でるだけじゃなく……『いただく』のも大好きなんだ」なんてことのな

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第283話

    静香は少し寂しそうに口を尖らせた。「蒼空ったら、碧海荘にマンションを一部屋持っているのよ。ちょうどあなたたちの上の階だから、明日から私がそこに引っ越してもいいかしら?家で暇を持て余しているし、あなたや陽咲ちゃんにご飯を作って持っていってあげられるじゃない」静香の瞳は期待に満ちていた。清子は考える間もなく即座に却下した。「駄目よ。あなたの精神状態はいくらか良くなったとはいえ、決して油断はできないんだから」静香は不服そうに唇を噛んだ。2人が言い争いになりそうなのを見て、絃葉は慌てて割って入った。「お母さん、まずはおばあちゃんの言うことを聞いて。前にお兄さんにも話したんだけど、私、精神疾患の治療でとても腕の立つ先輩医師がいるの。今度、私がお母さんをそこに連れて行くから」清子は「わかったわ」と頷いた。陽咲は絃葉の胸元に寄りかかりながら、3人のやり取りを聞いていた。絃葉の穏やかな声を聞いているうちに、だんだんと眠気が差してきた。まどろみの中で、ふと清子が自分の名前を呼ぶのが聞こえ、陽咲はハッと目を開けて画面を見つめた。「今村おばあさん」陽咲は素直に返事をした。清子は微笑んで彼女を見ると、単刀直入に尋ねた。「陽咲ちゃん、うちの蒼空とは今どういう関係なの?」陽咲は、蒼空と付き合い始めたことを2人に打ち明けるべきか迷い、どう返事をすればいいか言葉に詰まった。清子はさらに言葉を続けた。「三浦家のあのお嬢さんが蒼空のことが大好きでたまらないみたいなのよ。陽咲ちゃん、うかうかしてないでちゃんとチャンスを掴まないと駄目よ」陽咲はこほんと咳払いし、少し考えた末、思い切って清子に伝えることにした。彼女は背筋を伸ばし、照れくさそうに言った。「今村おばあさん、あの……私、蒼空とお付き合いすることになったんです」その言葉を聞いた瞬間、清子は口元を綻ばせた。たった1日のうちに、生き別れだった愛しい孫娘が戻ってきただけでなく、孫の嫁までできたのだ。まだ籍を入れたわけではないにしても、これほど喜ばしいことはない。静香も驚きと喜びに満ちた声を上げた。「初めて会った時から、あなたと蒼空はお似合いだと思ってたのよ。まさか本当に結ばれるなんて!陽咲ちゃん、もし蒼空があなたをいじめるようなことがあったら、遠慮なく私に言いなさい。私がきっ

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第282話

    絃葉は手を止め、一瞬言葉の意味を飲み込めなかった。彼女は陽咲の元へ歩み寄り、ひどく真剣な眼差しで彼女を見つめた。「陽咲、あなたの恋愛に口出しするつもりはないわ。私はただ、あなたに幸せになってほしいだけよ」絃葉は一言一言、念を押すように言い聞かせた。自分がまた怜央の時のような惨めな結末を迎えて傷つくのではないかと、絃葉が本気で心配してくれているのが陽咲には痛いほど分かった。彼女はこほんと喉を鳴らし、真っ直ぐに絃葉を見つめ返した。「絃葉、わかってるよ」絃葉は、陽咲が決して恋愛を遊び半分で扱う人間ではないことを知っている。彼女が本気で考えた末の結論なのだと悟り、ふっと安堵の息をついた。パジャマに着替えた後、絃葉は陽咲の隣に腰を下ろした。「静香おばさんたちとのお話、どうだった?」陽咲は絃葉の肩に頭を預け、そっと尋ねた。絃葉は答えた。「とても良くしてくれたわ。帰る時には、一緒に住まないかって聞かれたくらい」それを聞いて、陽咲は弾かれたように体を起こし、少し不安げに彼女を見た。「それで、どう答えたの?」絃葉はくすっと笑い、彼女を安心させるように言った。「断ったわ。陽咲、私はあなたと一緒に暮らしたいの」陽咲は口元を綻ばせ、甘えるように彼女の胸元へすり寄った。絃葉は手で彼女の頭を軽く押さえて笑った。「ねえ、蒼空と付き合うことになったなら、公表することは考えてるの?」その質問は、まさに陽咲の悩みの種だった。彼女は姿勢を正し、ため息をついた。「しばらくは公表しないつもり」「どうして?」絃葉は不思議そうに彼女を見た。「今日の昼間、おばあちゃんから言われたのよ。あの三浦紗菜が蒼空に気があるみたいだから、うかうかして先を越されないように、陽咲も早く手を打ちなさいって、遠回しに私をけしかけてきたのよ。それに、最近ずっと怜央があなたにつきまとっているじゃない。蒼空との関係を公にすれば、怜央にキッパリと諦めさせることもできて一石二鳥よ」と、絃葉は言葉を続けた。陽咲も頷いた。絃葉の言うことには賛成だった。彼女はため息をついて言った。「でも、私、今盗作の疑いをかけられてるでしょ。もし公表したら蒼空の名誉を傷つけてしまうかもしれない。彼に迷惑をかけたくないの。それに、もし関係を公表した後に私の潔白が証明されたとしても、世

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第281話

    脳裏で数々の光景が鮮やかに交錯し、やがてそれらが一つに重なり合って、蒼空の顔を形作った。陽咲は美しい顔から首筋まで真っ赤に染まっており、その姿は、甘い色香を放っていた。彼女は高鳴る胸を落ち着かせ、一歩前へ踏み出した。わずかに見開かれた蒼空の驚きの眼差しを受け止めながら、背伸びをして、その唇にそっとキスを落とした。それは、触れてすぐに離れる、ごく短い口付けだった。蒼空は呆然と彼女を見つめていたが、やがてその頬にもうっすらと赤みが差した。「じゃあ……私と付き合ってくれる?恋人としてだよ、蒼空」陽咲は一歩下がり、恥ずかしそうに彼を見上げた。蒼空はふっと微笑んだ。言葉を返す代わりに、実際の行動で彼女の告白に答えた。ドアを閉めると、その手で彼女の細い腰を引き寄せた。頭を下げ、赤い唇を塞ぐと、激しくそのキスを深めていく。陽咲は周囲の空気が薄くなっていくように感じた。キスに関して言えば、彼女は何の術も心得も知らなかった。唇を塞がれた瞬間から腰の力がすっかり抜けてしまい、崩れ落ちそうになる体を支えようと、無意識に彼の首に腕を回していた。その瞳はとろんと潤んでいた。蒼空の喉の奥から、低く満足げなくぐもった笑い声が漏れた。それを合図にするかのように、抱きしめる腕にもキスの深さにも、さらに容赦のない力がこもっていく。いよいよ息が続かなくなり、陽咲は首に回していた手を離して、彼の胸元をぽかぽかと叩いた。蒼空はようやく彼女を解放した。陽咲の顔の赤みはまだ引かず、小さく肩で息をしている。潤んだ瞳にはうっすらと涙が滲み、まるで酷く苛められたかのように、少し恨めしげな視線を蒼空に向けた。蒼空は目を細め、心底満たされた表情を浮かべていた。彼女の呼吸が落ち着いたのを見計らい、彼は再び一歩距離を詰め、ドアに両手をついて彼女をその腕の中に閉じ込めた。「……もう一回?」蒼空の声は微かに掠れていた。先ほどのキスだけでは満足しきれなかったのだ。全身に火がついたようにカッと熱くなり、陽咲はうつむいて視線を泳がせながら、自分の唇をペロリと舐めた。その無防備な仕草が、蒼空の胸の奥底にある熱狂に火をつけた。力強い指先が陽咲の顎を持ち上げ、視線を絡ませる。「陽咲、信じて。僕は君を幸せにできる。気持ちだけじゃなく……ベッドの上でもね

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第6話

    写真に写っているのが蒼空だと分かると、怜央は安堵の息を吐き、悠里に事情を説明した。悠里の瞳の奥に、一瞬だけ落胆の色がよぎった。だが彼女はすぐに白々しいほど安堵した表情を作り、陽咲を気遣うふりをした。「よかった、ただの誤解だったのね。でも、もしお姉さんが本当に質の悪い男に絡まれてたらと思うと、ぞっとするわ」その言葉に含まれた「不幸になればよかったのに」という本音を敏感に察知し、陽咲は冷ややかに鼻で笑った。「余計なお世話……それより、自分の心配でもしたら?こんな夜更けに姉の夫の家へ上がり込むなんて。世間に知られたら、『お里が知れる』って後ろ指を指されるだけよ」悠里の顔から血

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第4話

    陽咲は静かに怜央を一瞥しただけで、何も答えなかった。代わりに口を開いたのは、聡子だった。その声には、隠しきれない嘲笑が混じっている。「ええ、あの子の祖父は確かに清水正雄という名前だったわ。でも、ただの田舎者よ。土いじり以外に何の取り柄もない男で、二年も前に死んだわ」二年前――それはちょうど、陽咲が望月家に引き取られた年だった。そこまで言うと、聡子は忌々しげに陽咲を睨み、ため息をついた。望月家に引き取られて以来、陽咲は頑なに「清水」の名字を変えようとしなかった。「血の繋がりは、名字ひとつで証明するような薄っぺらいものではないでしょう」というのが彼女の言い分だった。聡子も頭

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第3話

    陽咲は怜央を見上げ、何気ない風を装って尋ねた。「おじい……正雄先生を、どうして探しているの?」怜央は電話を切ると、疲れ切った様子で眉間を揉んだ。「大口の取引先が厄介でね。今回の納品分が基準に満たないと難癖をつけてきたんだ。正雄先生の作風に合わせて作り直せ、とだが正雄先生は三十年も前に表舞台を去り、今や消息不明だ。製作工程には誰も知らない『秘伝の工程』があるらしく、今の職人ではどうやっても再現できないんだよ」彼は重いため息をついた。その表情には、拭い去れないほど深い疲労が滲み出していた。陽咲は胸の奥がわずかに騒ぐのを感じ、探るように問いかけた。「その工程って、そんなに難しいの?

  • 三年の冷遇、離婚の夜に夫は狂う   第2話

    陽咲は、聞こえないふりを突き通した。どれほどの時間が過ぎた頃だろうか。怜央のスマホが震え、彼はベッドを抜け出すと、ドアの外で通話に応じた。ドア越しに、彼が相手を慈しむような甘い声が漏れてくる。「悠里、大丈夫だ。ただの悪夢だよ、怖がることはない。そこで待っていてくれ。すぐに行くから」ベッドに横たわったまま、陽咲は鼻の奥がツンとし、熱いものが込み上げてくるのを感じた。結婚して二年。自分に対しては常に冷ややかな態度だった彼が、これほどまでに優しい声を出すことがあっただろうか。唯一の例外は、一年前、彼女が妊娠した時に彼が放った言葉だけだった。当時の怜央は、妊娠の事実を知

Bab Lainnya
Jelajahi dan baca novel bagus secara gratis
Akses gratis ke berbagai novel bagus di aplikasi GoodNovel. Unduh buku yang kamu suka dan baca di mana saja & kapan saja.
Baca buku gratis di Aplikasi
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status