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第5話

Penulis: 閑雲
陽咲は足を止め、背後の車に乗る男を、露骨な警戒心を持って凝視した。

男の顔立ちは、息を呑むほどに整っていた。その眉の下に落ちる深い影が、彼の瞳をいっそうミステリアスに、そして官能的に縁取っていた。

底知れぬ泉に沈む黒曜石のような瞳は、冷たく澄み渡り、一切の揺らぎを見せない。だが、その静謐な眼差しに見据えられると、心の深淵までをも無遠慮に暴かれてしまうような、不思議な圧迫感があった。

男はシートにゆったりと身を預け、口元をわずかに綻ばせて彼女と視線を合わせた。

「……どなたですか?」

陽咲は悟られないよう、静かに半歩後ろへ下がった。淡々とした問いかけの中には、明確な拒絶と疎遠な響きが含まれている。

彼女の強い警戒心を見て取り、蒼空は低く笑った。

深い瞳にわずかな笑みが宿ると、張り詰めていた空気がふわりと和らぐ。

「こんな夜更けに、清水さんがお一人で歩いているとは。どうされたのですか?」

陽咲は唇を強く引き結び、答えなかった。

今ここで走り出したとして、逃げ切れる確率はどれくらいか――頭の中で必死に計算していたのだ。

その思考を読み透かしたように、蒼空は苦笑した。「変な勘違いはしないでください。僕は安部さんの取引先ですよ。

夜も遅い。女性の一人歩きは危険です。お送りしますよ、乗ってください」

陽咲は知る由もなかったが、この一連のやり取りは、偶然通りがかった悠里の友人によって盗撮され、即座に悠里の元へと送信されていた。

陽咲は動かなかった。彼女は大きく息を吸い込むと、突然、全力で前へと走り出した。

「怜央の取引先」だなんて。証拠もないのに、そんな言葉を鵜呑みにできるはずがないわ。

正雄の教えを、彼女は片時も忘れてはいなかった。

「外にいる時は、常に警戒心を怠るな。決して隙を見せるんじゃないぞ」

だが、いくらも走らないうちに、背後からクラクションが響いた。

蒼空は車を徐行させて彼女を追い、窓を開けた。「清水さん、なぜ逃げるんです?取って食ったりしませんよ」

陽咲は足を止め、さらに数歩後ずさった。

そして、自分が街灯のすぐ隣にある防犯カメラの死角に入っていないことを確認してようやく一息つくと、鋭い眼差しで彼を威嚇した。

「これ以上ついてくるなら、警察を呼びます」

スマホは怜央の車に置き忘れてきたため、単なるハッタリに過ぎなかったが、今の彼女にはそう言うしかなかった。

だが、その言葉を吐き出した直後、猛スピードでこちらへ向かってくる怜央の車が陽咲の視界に入った。

陽咲の前に停まる高級SUVを見て、怜央は反射的に「どこぞの御曹司が妻に絡んでいる」と勘違いした。

腐っても陽咲はまだ自分の妻だ。他人に汚されるのを見過ごすわけにはいかない。

彼は怒りに任せてシートベルトを外すと、ドアを叩きつけるように閉め、鬼の形相で蒼空へと詰め寄った。

しかし、運転席に座る蒼空の顔を見た瞬間、怜央の動きがピタリと止まった。陽咲に付き纏っていたのが、まさか蒼空だとは夢にも思わなかったからだ。

「やあ、安部さん。奇遇ですね」

蒼空は口元に微かな笑みを浮かべ、余裕たっぷりに挨拶を投げかけた。

二人が本当に知り合いだと分かり、陽咲は人知れず胸を撫で下ろした。

もし相手が正真正銘の不届き者やチンピラだったらと思うと、ぞっとしたからだ。

「周防さん、どうしてこんなところに?」

怜央はいぶかしげに尋ねた。

「通りがかりに偶然、清水さんを見かけたんですよ。夜道は危ないですから送っていこうと声をかけたのですが、どうやら僕は信用されなかったみたいですね」

蒼空は苦笑しながら首を振った。

怜央は顔を強張らせ、黙り込んだ。

先ほど、蒼空が陽咲に向けた、一瞬だけ目を奪われたような、ハッとした眼差し――それがどうしようもなく不快で、彼の独占欲を逆なでしていた。

視界の端で、陽咲が寒さに小刻みに震えているのが見えた。

怜央は無言で自分のコートを脱ぐと、彼女の肩に掛けた。

しかし、陽咲は彼の体面など微塵も気にかけず、そのコートを叩きつけるように彼に突き返した。

怜央に関するすべてのものに対し、彼女の体は条件反射的に吐き気を催していたのだ。

怜央の顔に気まずさが走った。彼はそれを無理やり押し隠し、蒼空に別れを告げた。「周防さん、夜も遅いですから。今日はこれで失礼します。妻を連れて帰ります」

蒼空の車が去っていくのを見送ると、怜央の表情から愛想笑いが消え失せた。彼は冷たく言い放った。「乗れ」

陽咲は一言も発さず、後部座席に乗り込んだ。

怜央はバックミラー越しに、彼女の目尻が赤くなっていることに気づき、「なぜ泣いていたのか」と問いかけたくなった。

だが、彼女の氷のような表情を見て、やぶへびになるのを恐れて口をつぐんだ。

車内は重苦しい沈黙に包まれたままだった。

家に着く間際になって、怜央がようやく口を開いた。「さっきは悪かったな。カッとなって、車から降りろなんて言って」

結婚して二年、怜央が自分に謝罪したのはこれが初めてだった。

だが、陽咲の心は少しも動かない。彼女はただ「ああ、そう」と気の抜けた声を返しただけで、それ以上は口を閉ざした。

帰宅後、シャワーを浴びた陽咲はソファに座り、栞奈から送られてきた陶芸のサンプル画像を開いた。

栞奈は陶芸デザイナーだ。芸術的なセンスと審美眼は抜群だが、実際にろくろを回して形にする技術はいまいちだった。

その欠点を完璧に補えるのが陽咲であり、だからこそ栞奈はずっと彼女を自分の陶房に誘い続けているのだ。

一つひとつ丁寧に画像を確認した後、陽咲はすぐに感想を送らず、代わりに彼女をからかうメッセージを送った。【ねえ、こんなデザイン画を私に見せて、勝手に保存して自分の作品として作っちゃうとは思わないの?】

すぐに返信が来た。

【ちょっと、からかわないでよ!陽咲を信頼してるから見せてるんだから……まあ、保存したければすればいいわ。それだけ私の実力を認めてくれたってことでしょ。ところで、どう?私の陶房に来る気になった?】

陽咲は小さくため息をつき、【もう少し考えさせて】とだけ返した。

スマホの画面を消し、二階へ上がって寝ようとした時だった。

ちょうどバスローブ姿の怜央が浴室から出てきた。滴る水が腹筋のラインをなぞるように滑り落ち、そのままバスローブの奥へと吸い込まれていく。歩く動作に合わせて、はだけた隙間から鍛え上げられた肉体が覗いていた。

陽咲は無表情に視線を逸らした。かつての彼女なら、この姿に胸を高鳴らせていたかもしれない。けれど今は、心にさざ波一つ立たない。

それどころか、本能的な拒絶反応が、喉の奥からせり上がってくるような嫌悪感に変わっていた。

彼女が無視して階段を上がろうとすると、怜央が甘い声で呼び止めた。

「陽咲、髪を乾かしてくれないか?」

返事の代わりに響いたのは、拒絶を叩きつけるような激しいドアの音だけだった。

怜央は暗い眼差しで、固く閉ざされたドアを見つめた。

せっかく湧き上がった情欲も、陽咲の冷淡な態度の前に一瞬で霧散してしまった。

ベッドに横たわった陽咲は、怜央の瞳に宿っていた浅ましい欲の色を思い出し、吐き気を感じていた。

――汚れきった男なんて、もう二度と御免。

夜更けに怜央に何かされるのを警戒し、陽咲は起き上がると、布団一式を抱えてゲストルームへと向かった。

ちょうど水を飲み終えて階段を上がってきた怜央が、その様子を見て不機嫌そうに眉をひそめた。「……また何をしてるんだ?」

「しばらくの間、部屋を分けるわ」

陽咲は淡々と答え、そのままゲストルームへと入った。

怜央はその背中に冷ややかな視線を送り、鼻で笑った。

「勝手にしろ!」

陽咲がようやくまどろみ始めた頃、階下のインターホンが執拗に鳴り響いた。

防音のしっかりした家ではあったが、元々眠りの浅い彼女は、わずかな物音でも目が覚めてしまう。

階下へ降りた怜央が、こんな時間に何の用だと悠里を問い詰める声が聞こえてきた。

それから間もなく、ゲストルームのドアが激しく叩かれた。「陽咲、ちょっと来い」

リビングのソファに腰を下ろした陽咲は、疎ましげな視線を悠里に送った。

こんな夜更けに、今度は何の茶番を演じるつもり?

悠里は陽咲を盗み見ると、その瞳の奥に勝ち誇ったような光を宿していた。

見てなさいお姉さん。怜央さんはすぐにあなたと離婚するわ!

悠里は瞬時に悲痛な表情を作り、無表情な陽咲を恐る恐る見やりながら、ためらいがちに口を開いた。「怜央さん……お姉さんが……どうやら浮気をしているみたい……」

陽咲は慌てて弁解しようとはしなかった。

やましいことは何一つない。それに、結婚している身で不貞を働くような真似は、彼女の矜持が許さなかった。

怜央の顔が、瞬時に険しく沈んだ。

極端に世間体を重んじる彼は、たとえ形だけの契約結婚であっても、自分の妻が裏切ることなど到底許せなかった。

「……証拠は?」

怜央が低い声で問うと、悠里はスマホの画像を表示し、彼に差し出した。追い打ちをかけるように、いたわりの色を滲ませた声で付け加える。

「怜央さん、あまり気を落とさないで。きっとお姉さんは、悪い男にたぶらかされただけだと思うの」
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