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三年の想いは小瓶の中に
三年の想いは小瓶の中に
Author: 月山 歩

1.帰らない夫

Author: 月山 歩
last update Last Updated: 2025-05-29 09:41:50

「アレシア様、旦那様から本日のお食事には忙しくて、間に合いそうもないから、先に食べていてほしいと早馬が届いております。」

 執事のヨルダンは、顔を伏せ、落胆した表情を浮かべる。

 アレシアは、食堂で夫と結婚三周年を祝おうと、料理人が心を込めて用意してくれた料理を前に、ため息を漏らした。

 私の夫であるトラヴィス・オフリー公爵の瞳の色である濃い青色に統一された室内の装飾品やムード作りのために灯された蝋燭達。

 そのすべてが、広い食堂の中心で一人、ぼんやりと椅子に座る私を静かに見守っている。

 どうして邸の者達が、私達夫婦の記念日を心を込めて祝おうとしてくれているかわかっている。

 誰しもが気づいているのだ。

 トラヴィス様と私の関係が決して順調ではないことを。

 だから、何とか二人の仲をとり持とうと皆が準備してくれたこの記念日の会は、トラヴィス様が帰らないことで、すでに破綻している。

「残念だけど、先に食べようかしら。」

 私が少し冷め始めた料理を前にそう言うと、ヨルダンや侍女達の顔に明らかに安堵の表情が浮かぶ。

「皆さんも一緒に召し上がって。

 きっとトラヴィス様は今日はもう食事を取らないでしょうから。

 一人で食べるより、みんなで食べた方が私も楽しいもの。」

 私のその言葉を受けて、使用人達はそれぞれ料理を運び込み、みんなで食事を始める。

 テーブルには、皆が食べる分のたくさんの料理が並べられていて、それを隔てなく食べるのが、私達の常だった。

「これ、とても美味しいわ。」

 私が特にお気に入りのミルクを使ったスープに満足していると、その言葉に長年公爵家に勤める料理人は、にっこりと笑みを浮かべる。

「アレシア様の好きな味付けは心得ておりますので。」

「ふふ、ありがとう。」

 トラヴィス様の帰りはいつも遅く、私は普段、このように使用人達と夕食を共にしている。

 最初は女主人と一緒に食事をすることに恐縮していた使用人達であったが、私と特に一緒の時間を過ごす侍女のエイダが躊躇うことなく食事を取るのを見て、次第に一人、又一人と加わるようになったのだ。

 エイダは、年若いが、母親も長らく侍女を勤め、この邸で一目置かれる存在だ。

 そのため、結婚して三年が経った今では、ほぼ全員と食事を共にするようになった。

 それは、トラヴィス様があまりにも私をかえりみることなく、毎日帰宅が遅いため、しだいに私を気の毒に思っていたのもあるだろう。

「この深い青色のカーテンやテーブルクロスが素敵ですね。

 どちらのお店で購入されたのですか?」

「それは、王都の他にいくつもの支店がある人気の生地屋の物です。

 エイダの友人の紹介で。」

 皆、それぞれに会話を楽しみながら、食事をしている。

 私はその光景を眺めながら、ふと私がここにいる意味はなんだろうと自答する。

 トラヴィス様にとって、私達の結婚はさして意味をなさないものなのだろう。

 祝う必要もない相手との結婚記念日。

 なんて、空虚で寂しい響きだろう。

 私はただ、トラヴィス様と夫婦として日々の出来事を語り、一緒にたわいのない楽しみを見つけて、二人で穏やかに生きていけたらと思っていた。

 けれども、その願いすら叶わない。

 彼にとって私はもう必要のない存在なのだろう。

 今、こうしてこの邸の使用人達だけが私を気遣ってくれている。

「アレシア様、以前よりお話していた通り、友人と一緒にドレスを作る夢があったのですが、その友人が経営するお店が資金繰りに困っていて、閉店の危機らしいんです。」

 エイダは、考え込む表情をすると、食事の手を止める。

「それは大変ね。」

「友人が心配なので、明日、そのお店を訪ねてきても良いでしょうか?」

「もちろんよ。

 私のことは気にしないで。

 …いえ、私も行っていいかしら?」

「えっ、アレシア様もですか?」

「ええ、何度もそのお店の話を聞いていたから、私も気になるの。

 私はここにいてもいなくても、変わりないし。」

 このオフリー公爵家に来てから三年が経つけれど、公爵家の執務などはすべてトラヴィス様が担っているし、邸の運営はヨルダンがしている。

 なので、私の役割は夜会にトラヴィス様と出席したり、お茶会に参加したりと、社交の部分だけであった。

 よく考えれば、私はここに必要とされていない。

 まるでお飾りのような存在だわ。

 私の言葉に使用人達は顔を見合わせ、視線で何かを伝え合っている。

 彼らにとって恐れていた事態が、いよいよ現実になろうとしているのがわかるのね。

 旦那様に大切にされない私が、ついに動き出そうとしているのではないかと。

 十中八九、この先、私は若い遊び人の男と付き合うようになり、邸での夫婦仲は険悪になる。

 政略結婚の二人が陥るありがちな展開だ。

 だからこそ、そうならないようにと使用人達は心を尽くし、今日の会を提案した。

 けれども、その気遣いが私を追い詰め、ついには私が外に目を向けるきっかけになってしまうとは、誰も想像し得なかったのかしら。

 ただ一つ間違っているのは、私には新しい男性を作るつもりが全くないということ。

 でも、ここで「私は新しい男性など作らないわ。」と邸の者達に宣言するのもどうかと思うから、あえて説明しないけれど。

「では、アレシア様、明日昼頃に参りましょう

 。」

「わかったわ。」

 私はこの無意味な日常から、ほんの少しだけでも解放されたいと思った。

 結婚してから、トラヴィス様との間にまだ子供はできていない。

 もし、二人の間に子供ができていれば、彼の気持ちが少しでも私に向いたのだろうか。

 そんなことを考えても仕方がないのだけれど。

 もう、彼に何かを期待するのはやめよう。

 彼に私を思って欲しいと思い実行してきた数々の努力は無駄に終わって。

 もう、新たな策など湧いて来ないほどにやり尽くした私は、抜け殻のよう。

 王都での食事や買い物、観劇やハイキングなど色々と誘ってみたけれど、時が経つにつれて、彼の私への関心はどんどん薄れていった。

 ここ二年は彼と過ごすことなど、ほぼなかった。

 新婚当初は幸せを感じていたけれど、今では彼は私を全く気にかけなくなってしまった。

 私はただ、夫婦二人で時を重ね、旅行に行ったりして穏やかな幸せを感じたかっただけなのに。

 でも、もうトラヴィス様のことは諦めよう。

 彼がこの先私を想うことなどないのだから。

 トラヴィス様を中心にして過ごしてきた三年間はついに終わりを迎えた。

 明日からは自分を大切にし、思いのままに生きてみよう。

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