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28話

last update Fecha de publicación: 2026-10-06 21:28:29

「違うっ!」

途端、男が勢いよく身体を起こした。

「違うっ! 違うっ! オレはやっていない! 結局、あれは失敗したんだ! 春樹なら知っているだろう!? お前が止めに来たから──」

男はじりじりと膝行いざりながら後ずさる。

そして突然、もつれるように立ち上がると、背を向けて森の奥へ駆け込んだ。

春樹はるきはその後ろ姿を眺めながら、ゆったりとした足取りで自らも森へ入っていく。

──いくら逃げても無駄だ。

この森で、俺の知らないことなどないのだから。

前方では、男の巨体が木々の間をふらふらと逃げていく。

春樹はその背中へ、静かに言葉を投げかけた。

「俺はあの日、直樹なおきがいないことに気づいて、すぐこの森へ向かいました」

男の足が、わずかによろめく。

「貴方がいつも少年たちを連れてきていた、この場所に」

春樹は足を緩めない。

「俺がここへ着いた時、貴方は直樹に手をかける寸前だった。あの子は地

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  • 不惑の森   29話

    浩美の声が、風に乗って届く。「俺がわからないとでも思ったのかよ? 昨日も言ったよな、もう迷わないって」 浩美は真っ直ぐ直樹を見つめた。「お前は間違いなく直樹だ。他の誰でもない」そう言うと表情を和らげ、直樹の頭をぽんぽんと叩いた。 けれど、直樹は俯いたまま動かない。「……おい、直樹?」不審に思った浩美が顔を覗き込む。「お前、泣いてるのか?」 「バッ……そんなわけないし」直樹は慌てて顔を背けた。「それより、お前こそなんでここにいるんだよ。あの薬、結構効くやつなんだけど」ごしごしと目元を拭いながら、改めて浩美を見る。 その視線に気づいた浩美は、なぜか得意げに胸を張った。「まあ、コテージの台所にあったコーヒー、全部飲んだからな」 「……は?」 「飲んだっていうか、最後の方はもう食ったに近いけど」ぺろりと舌を出した彼に、直樹は言葉を失った。「嘘だろ。何その無茶苦茶な理屈。いくらカフェインが入ってるからって、そんなのでどうにかなるわけ──」 「いいんだよ。要は気持ちの問題だ。何事も気合いでどうにかなる」 「いや、ならないだろ」即座に突っ込んだものの、浩美の身体は言葉とは裏腹にふらふらと揺れている。 目も半分閉じかけていた。「お前、全然どうにかなってないじゃん」これではこいつも穴へ落ちかねない。 見ていられなくなった直樹は、浩美の腕を自分の肩へ回し、その身体を支えた。「さんきゅ」と浩美は眠たげに呟いた。 そのまま閉じかけていた目を開き、今度は真剣な顔で直樹を見つめる。「なあ、直樹」 「ん?」 「お前が直樹だってことは、もう疑ってない」一瞬、言葉が消える。「でも、どうしてだ?」浩美の黒い瞳が、直樹を真っ直ぐに見つめる。「どうしてお前は、あの日この森で起きたことを、あんなに詳しく知ってる? 春さん

  • 不惑の森   28話

    「違うっ!」途端、男が勢いよく身体を起こした。 「違うっ! 違うっ! オレはやっていない! 結局、あれは失敗したんだ! 春樹なら知っているだろう!? お前が止めに来たから──」男はじりじりと膝行りながら後ずさる。 そして突然、もつれるように立ち上がると、背を向けて森の奥へ駆け込んだ。春樹はその後ろ姿を眺めながら、ゆったりとした足取りで自らも森へ入っていく。──いくら逃げても無駄だ。 この森で、俺の知らないことなどないのだから。前方では、男の巨体が木々の間をふらふらと逃げていく。 春樹はその背中へ、静かに言葉を投げかけた。「俺はあの日、直樹がいないことに気づいて、すぐこの森へ向かいました」男の足が、わずかによろめく。「貴方がいつも少年たちを連れてきていた、この場所に」春樹は足を緩めない。「俺がここへ着いた時、貴方は直樹に手をかける寸前だった。あの子は地面に倒れて、頭から血を流していた」男の肩がびくりと揺れた。 足取りはよたよたとおぼつかなかったが、それでも前へ進もうとするように、両手だけが必死に宙を掻いていた。「暴れたから、殴ったんでしょう? そのせいで、直樹はあの日の記憶をすべて失った」そこで春樹は、わずかに目を伏せた。「……まあ、それは今はいい」再び男を見る。 神父の背中が、うす暗い木々の間をぬっていく。「あの時、血だらけの直樹を見た俺は、頭に血が上って貴方に掴みかかった。でも、体格の差には勝てなかった」淡々とした声が、濡れた森に響く。 鳥の声が遠くの空へと消えていく。「俺は貴方に首を絞められて──」 「埋めた!」男が突然振り返った。 立ち止まり、狂ったように両腕を広げる。「だって、そうするしかなかった! お前はオレの正体に気づいていたから!」男は後ずさった拍子に木の根へ足を取られ、ぬかるんだ地面へ派手に倒

  • 不惑の森   27話

    「さっきから、そう言っているじゃないですか?」春樹は前屈みになると、すっと男の顔を覗き込んだ。 途端、男は短い悲鳴を上げて身を引き、背後の木の幹に背中を打ちつけた。春樹は、その様子を笑顔のまま見つめていた。 この顔が、男を何よりも怯えさせている。 それをわかったうえで、さらに追い打ちをかける。「残念ですよ」 「……な、何が……」 「もし貴方が〝神父様〟なんて呼ばれていなければ、もっと早く正体に気づいた人がいたかもしれない」男の顔が強張った。「神戸で起こした事件の記事を偶然見つけて、問い合わせる人だっていたかもしれない。でも、誰もそうしなかった」春樹は静かに目を伏せる。「村の人たちは、誰一人として貴方の本名を知らなかったから。〝神父様〟なんて大層な呼び名だけを信じて、安心しきっていた」 「……」 「本当に、残念です」春樹が目を伏せた、その瞬間だった。 男は力任せに腕を振りほどくと、春樹の脇をすり抜けた。そのまま背後にぽっかりと口を開ける森へ駆け込もうとする。 だが、一歩も入れなかった。 春樹が素早く回り込み、その進路を塞いだからだ。「どこへ行くんです?」男が息を呑む。「この森に逃げ込んだら、終わりですよ」春樹は背後の暗い森へ、ちらりと視線を向けた。「貴方が拐した少年たちが、きっと逃がしてくれない」 「……っ」 「俺、何度か見ましたよ。この森で」春樹は微笑む。「貴方が連れてきた子供たちを」男の顔が、ぎくりと強張った。「バ、バカなっ!」突然、声を荒らげる。「そんなはずないだろう! オレはちゃんと、あの子らを生きて街へ帰している!」 「……」 「ただ……ただ、服を少し、記念にもらっていただけだ!」ぬかるみに膝をついた男は、背中を丸めて震え始めた。 春樹はゆっくりとそ

  • 不惑の森   26話

    あの日は、雨だったのだろうか。 それとも、晴れていたのだろうか。それすら、もう思い出せない。 だから今は、柔らかな春の小雨に濡れる森の姿を、目に焼きつけておくことにした。 細い雨が枝葉を濡らし、森全体をしっとりと沈ませている。「何をしているんですか? 〝神父様〟」声を掛けると、目の前の大きな背中がびくりと揺れた。 ゆっくりと振り返った〝神父様〟は、まるで迷子になった子供のような目をしていた。彼がいたのは、林道を進んだ先にある空き地の隅だった。 しゃがみ込み、地面に掘った小さな穴へ何かを埋めようとしている。「それ……子供の服、ですか?」 「直樹──どうして、こんなところに……」〝神父様〟は弁解するように両手を上げた。 その拍子に、手にしていた布がぽとりと地面へ落ちる。「直樹、これはね、故国にいる年老いた母が送ってきたものなんだ。彼女はいまだに、私に子供がいると思い込んでいてね。少し惚けているんだろう。私に息子なんていないのに……」そして、逃げるように話題を変える。「それより直樹、君こそどうしてここにいるんだい? 傘も差さずに。こんなに濡れているじゃないか!」そう言って伸ばされた手を、直樹はがしりと掴んだ。「……っ!」〝神父様〟が息を呑む。 あまりにも冷たい手に驚いたのだろう。「直樹!? こんなに冷えて……まるで幽霊みたいじゃないか」男は慌ててその手を擦ろうとした。けれど直樹は、それを許さなかった。 掴んだ手首を離さないまま、静かに言う。「その通りですよ、〝神父様〟」 「……え?」 「実は俺、直樹じゃないんです」男の顔から、表情が消えた。 直樹は微笑んだ。「俺は、春樹なんですよ」 「──っ!?」男の顔に、ありありと悪寒が走った。 掴まれた腕を振りほどこうとする。 だが、びくともしない。

  • 不惑の森   25話

    「で、今日はどうするんだ?」浩美の問いに、直樹は少し考えてから答えた。「んー……とりあえず、森の外を回ってみるよ。昔行ったところを見れば、何か思い出すかもしれないし」 「……あの日のこと、やっぱりまだ何も思い出せないのか?」自然と声が低くなった。直樹の笑顔も硬くなる。「兄貴が消えた日のこと、だよね」 「ああ」 「そうだな。そこだけは、さっぱり」直樹はしばらく黙り込んだ。 やがて何かを思い出したように、わずかに眉を寄せる。「……でも、一つだけある」浩美が首を傾げると、直樹は小さく頷いた。「兄貴のことで、妙に記憶に残ってること」その表情に緊張が滲む。「……兄貴の目が」 「……目?」 「そう」直樹は窓の向こうへ視線を向けた。差し込む朝の陽ざしは燦々と明るく、暗い森の影など、一片も見当たらなかった。直樹がゆっくりと口を開く。「あの頃の春樹、時々変な目をしてたんだ」窓の外で葉が擦れ合う。 その音に呼応するように、直樹のまつ毛がかすかに揺れた。「普段の兄貴なら、絶対に見せないような目」しばしの沈黙。「まるで──誰かを憎んでるみたいな」浩美は眉をひそめた。「憎むって、あの春さんが? 一体、誰を」 「それがわかれば苦労しないよ」直樹は肩をすくめ、マグカップを持って席を立った。 浩美もそれに続こうとする。その瞬間だった。 ぐらり、と視界が揺れた。「……あれ?」反射的にテーブルへ手をつく。 急激な眠気が、頭の芯まで一気に押し寄せてきた。 身体から力が抜ける。「なんだ、これ……?」どうにか踏ん張ろうとしたが、膝が言うことをきかない。 そのまま床へ膝をついた。頭が重い。 視界が滲む。

  • 不惑の森   24話

    「はい、どうぞ」 「ん、ありがとう」差し出されたカップを受け取ると、浩美はダイニングテーブルの向かいに座る直樹をちらりと見た。 ぼんやりとコーヒーを啜る姿は、一見いつも通りだ。 けれど、首筋に点々と残った赤い痕が、昨夜ベッドの中で起きたことをありありと物語っている。そこから色々と思い出してしまい、浩美は慌てて手元のコーヒーに口をつけた。「あ、うまい。……あれ? でも、ここってインスタントしかなかったよな?」何気なく聞くと、直樹は少し居心地悪そうに視線を逸らした。「ああ。置いてあるやつ使った。インスタントでも、それなりに美味しく淹れる方法があるんだよ」 「へえ」 「俺、一応バリスタの資格持ってるから」 「えっ!?」危うくカップを取り落としそうになった。「お前、そんなにコーヒー好きだったっけ?」こくりと頷いた直樹は、照れくさいのか、妙にかしこまった顔で答えた。「大学受験の勉強してた頃にハマったんだ。それで結局、大学には行かずに専門学校へ通って、店で見習いしながら資格を取った。将来はマイスターの資格も取りたいと思ってる」その口調には、静かながらも確かな意思があった。 浩美は、なんだか不思議な気持ちで直樹を見つめた。──そうか。 当たり前のことなのに、今さら気づいた。 こいつは、昔の直樹でもなければ、春樹でもない。十年という時間を生きてきた、今の直樹なのだ。 いくら幼なじみとはいえ、浩美は村を去ってからの彼を何も知らない。 誰と出会い、どんな場所で暮らし、何を好きになって、何を目指して生きてきたのか。自分の知らない十年間が、直樹にはある。 それなのに浩美は、目の前の彼を十年前の直樹や春樹に当てはめようとしていた。それなのに今の彼を、昔の春樹や直樹に当てはめようとしていた自分が恥ずかしかった。そう思うと、少し恥ずかしくなる。 同時に、嬉しくもあった。彼は森の〝魔〟でも

  • 不惑の森   7話

    直樹は思わず足を止めた。 振り返った影の顔は、兄にしては幼すぎた。(あれは──)「……直、樹?」足を緩めた隙に、子どもは木立の奥へ消えていた。 葉をかき分ける音だけが、徐々に小さくなっていく。自分の粗い呼吸音だけが鼓膜に響く。あの子は誰だ? なぜ、昔の自分と同じ顔をしていた?直樹は、泥と血で汚れた手で髪を掻きむしる。──じゃあ、ここにいる俺は誰なんだ?叫びが喉元までせり上がった、その時だった。「おいっ!」

  • 不惑の森   3話

    どれほどそうしていたのか、自分でもわからなかった。「直樹」不意に名を呼ばれる。 ハッと振り返ると、すぐ目の前に浩美がいた。知らないうちに、直樹は窓際まで近づいていた。 背中がひやりとガラスに触れる。すっと浩美の手が伸びてくる。一瞬身構える。 だが、その手は直樹の腕を軽く掴み、もう片方の手でカーテンを閉めただけだった。 まるで森の気配を遮るように。「直、って呼んでいいんだよな? お前はちゃんと直樹──高谷家の弟の方なんだよな?」浩美は真正面から直樹の顔をじっと見つめてくる。「……あ、あぁ」夢から引き戻されたような気分のまま

  • 不惑の森   2話

    沈黙が車内を支配する。「……俺は直樹だよ」そう言ったあと、直樹はたまらず吹き出した。 こんな質問をされるとは思わなかった。「当たり前だろ。兄貴──春樹は、あの日からずっと行方不明なんだから。残ってるのは俺しかいない」はははと笑うと、浩美もつられるように笑った。「そう、だよな……」けれど、その声はどこか弱々しかった。「それより、ちょっと仮眠していい? ここまで歩いてきたから、もうへとへとなんだ」答えを待たず、直樹は窓に頭を預ける。 どこまで行っても変わり映えのしない森が、車窓の向こうを流れていった。故郷の村は、市街地から車で一時間ほど走

  • 不惑の森   1話

    ──暗い森には悪魔が住んでいる。子どもの頃、村の大人たちは本気でそう言っていた。 ※「そこのお兄さん、乗っていかない?」村へと続く林道を歩いていると、横を通り過ぎていったはずの車がバックし、すぐ脇に止まった。メタリックなカマキリ色。 奇抜な車から顔を出したのは、見覚えのある男だった。「──浩美ちゃん」 「おい。いい加減、その呼び方やめろ」ずっこける真似をした西原浩美は、気を取り直したようにサングラスを鼻先までずらした。「で、どうする?」まるで洋画のワンシーンみたいな気障な仕草。 だが華やかな顔立ちの浩美がやると、不思議

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