ログイン彩羽が振りかぶって投げた結婚指輪は、金城麗華の頬をかすめ、そのまま床へ転がった。
無機質な金属音が静かに響く。「……っ」
金城麗華の白い肌に細い赤い線が浮かび上がる。部屋の空気が一瞬で凍りついた。
金城麗華は驚いたように目を見開き、自分の頬へそっと触れる。
指先に滲んだ赤を見つめると、小さく首を振った。
「違うの……彩羽さん」
震える声だった。
「私と雅臣は、本当にただの同級生なの」
そう言いながら、テーブルの上にあったワイングラスを手に取り、ゆっくりと私へ歩み寄ってくる。
「誤解させてしまったなら、ごめんなさい」
その姿は、まるで本当に謝ろうとしているようだった。
私は何もできず、ただ静かに立ち尽くしていた。
「これで仲直りしましょう?」
金城麗華がグラスを差し出してくる。私は反射的に、それを受け取ろうと手を伸ばした。
その瞬間だった。
「きゃっ!」
パシッ、と乾いた音が響く。
私の指先へ触れた麗華の手が、大きく弾かれたように見えた。
グラスが宙を舞う。
赤いワインが私の胸元へ降りかかる。
ガシャンッ――。
割れたグラスが床へと散らばった。
麗華はその場へしゃがみ込み、小さく顔をしかめる。
「痛っ……」
「麗華!」
雅臣が真っ先に駆け寄ったのは、金城麗華だった。雅臣の大きな手が金城麗華の華奢な肩を包み、抱き起こす。
「大丈夫か?」
そう金城麗華に優しく問いかけながら、雅臣は私へと視線を向けた。その眉根が寄せられているのを見て、私は息を呑んだ。
雅臣は、私が金城麗華を振り払ったと思っているのだと、その目を見ただけで分かった。
違う、と首を横に振ろうとした。けれど、それを遮ったのは、
「私は平気……」
という、金城麗華の弱々しい声だった。
「だから、彩羽さんを責めないであげて」
涙を浮かべながら首を振る麗華のその姿に、その場にいた全員が麗華を囲みだす。
「怪我はないか?」
「血が出てるじゃないか!」
「救急箱!」
次々と飛び交う心配の声。
その一方で――。
「おい、謝れよ」
「さすがにやりすぎだろ」
「社長夫人だからって何してもいいわけじゃないぞ」
鋭い視線と責める声が一斉に私へと突き刺さった。
「……っ」
息が苦しい。
喉が締め付けられるように閉じていく。
違う。違うのに。
そう言いたいのに、声にならない。
視界が揺れる。痛みさえ感じるような耳鳴りがして、耳を手で押さえた。
(どうしたら、私じゃないって信じてもらえるの……?)
苦しい呼吸の中で、必至に思考を巡らせる。そこで私はハッとして、震える指でバッグの中からスマートフォンを取り出した。
録音アプリ。昨日残した、あの十八秒。
これを聞けば……きっと――。
再生ボタンへ指を伸ばす。
けれど、その指は途中で止まった。
「……」――こんなことをして、なんの意味があるの?
頭の中で私が、私を引き止める。
……もう、意味なんて、ない。
たとえ真実を聞かせても、この人たちは、きっと誰も私を信じない。
この人たちにとって私は、雅臣を五年間も無意味に縛り付けるだけの邪魔者。
そして、優しくて美しい金城麗華を感情的になって傷つけただけの女――。
視線を落とす。雅臣が、麗華の頬に優しくハンカチを当てていた。心配そうに下がる眉を見て、雅臣だって、きっと同じことを思っていると確信した。
私は静かにスマートフォンの画面を閉じた。
誰にも何も告げず、部屋をあとにする。もう誰も、私のことなんて見ていなかった。
頬を伝う涙だけが、止まらなかった。
◇
「麗華、本当に大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
雅臣はハンカチで麗華の頬を押さえながら、小さく息を吐いた。
「病院へ行こう」
「そんな大げさだよ。少しかすり傷ができた程度だわ」
麗華は困ったように笑う。
「それより彩羽さんを……」
その名前を聞いて、雅臣ははっと顔を上げた。
「……彩羽は?」
部屋を見回す。そこに彩羽の姿はなかった。
開いた扉の奥にいた秘書が静かに頭を下げる。
「先ほど、お送りすると申し上げましたが、お断りになりました」
雅臣は眉を寄せる。
「どうして引き止めなかった」
一度麗華を見てから、そっとその肩から手を離し立ち上がる。そして低い声で続けながら秘書に詰め寄った。
「あれでも俺の妻なんだ。感情的になっている時ほど、一人にしちゃいけないだろ」
「……申し訳ありません」
雅臣はすぐにジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出す。焦る指で画面をタップし、連絡先の一番上に固定している彩羽へと電話をかけた。
呼び出し音がスピーカー越しに雅臣の鼓膜を揺らした。
一回。二回。三回。
いつもはこれくらいのタイミングで通話が繋がるのに、今日は無常にコール音だけが鳴り響く。
そして、やがて――。
『おかけになった電話は、電源が入っていないか――』
無機質な音声だけが流れた。
雅臣は眉をひそめ、すぐに今度は位置情報共有アプリを開く。声の出ない彩羽に何かあったときのために、いつでも居場所を知ることができるようにと入れていたものだ。
しかしそこには、灰色になった彩羽のアイコンが表示されているだけだった。
それは、スマートフォンの電源が切られていることを意味している。
彩羽がスマートフォンの電源を切ることなんて一度もなかった。いや、雅臣が「繋がらないと心配だから」と言って、電源は切らないようにと指示していた。それなのに、彩羽はここを出て、すぐに電源を切ったのだ。
意味はないと分かりながら、何度もかけ直す。けれど、結果は同じだった。
雅臣は仕方なく、留守番電話サービスに「どこにいる?」「すぐに掛け直して」と吹き込んだ。
「雅臣」
麗華が静かに近付いてくる。
「お願い。彩羽さんを責めないであげて? きっと昔の事故のこともあって、気持ちが追いつかなかっただけなの」
その言葉に周囲も頷く。
「麗華は悪くないのに」
「それなのに最後まで彩羽さんを気遣うなんて……」
「雅臣、お前はもう充分だろ」
その場にいた、雅臣よりも年上の男性が静かにグラスを置きながら、口を開いた。
「あの事故の恩は、この五年で返しきっただろう。もう過去に縛られる必要なんてない」
その言葉は、彩羽とは別れて、本当に愛している人と一緒になるべきだと言っているようだった。
雅臣は何も答えず、ただもう一度だけ彩羽へ電話をかける。
やはり、それは繋がらない。
雅臣の胸の奥は、ざわついていた。けれど、どうしてこんなにも焦っているのか、その感情の正体までは分からなかった。
(また少し時間を置けばいい。そしたら、彩羽はきっと落ち着く)
これまでもそうだった。時々気まずい空気になることはあった、少し時間が経てばいつだって笑って自分を出迎えてくれた。
だから今回も、きっと同じ。
雅臣は、心からそう思っていた。
「送るよ」
雅臣はスマートフォンをまた内ポケットへと仕舞いながら麗華の背中にそっと手を添える。
ゆっくりと店の外に出て、店の前に停めていた車のドアを開けた。
彼はまだ知らない。
彩羽の気持ちがもう既に取り返しのつかない場所へと離れてしまっていることを――。
――私、妊娠してるの。 麗華から告げられたその言葉が、雅臣の頭の中で何度も繰り返されていた。「妊娠……?」 雅臣は、麗華の細いお腹へと視線を向けたきり、黙り込んでしまっている。「……雅臣?」 不安そうに名前を呼ばれ、雅臣はハッと我に返った。「……ああ。すまない。とにかく、ここを出よう」 麗華の背中を支えながら、マンションの廊下へと出る。 彩羽の部屋の扉は、固く閉ざされたままだった。その向こうに、彩羽と白鳥奏介がいる。 先ほど見た光景が、脳裏をよぎる。白鳥の腕に抱き上げられた彩羽。自分には見せたことのないほど、無防備に身を預けていた姿。 麗華のお腹に宿っている小さな命よりもなぜか彩羽のほうが気になり、胸の奥がひどくざわついた。「雅臣……。お腹が、まだ少し痛いの」 麗華が小さく呟き、雅臣に体を預けるように寄りかかった。「病院へ行かなくて大丈夫なのか?」「大丈夫よ。少し休めば落ち着くと思うから」「……分かった。すぐに車を回す。今日は俺の家で休もう」 雅臣は、扉が開けられることのない彩羽の部屋をもう一度振り返ったが、すぐに麗華へと視線を戻し、彼女の体を支えながらマンションを後にした。◇ 自宅へ戻ると、雅臣は麗華をリビングのソファへ座らせた。「少し待っていろ。温かいものを持ってくる」「ありがとう」 麗華は嬉しそうに微笑んだ。 その笑顔に見送られながら、雅臣はキッチンへと向かう。 しかし、そこで足が止まった。「……どこだ?」 戸棚を開ける。皿やグラスは整然と並んでいる。別の引き出しには、調理器具が収められていた。 だが、茶葉が見当たらない。 紅茶くらい、どこかにあるはずだ。 雅臣は次々と戸棚を開けていくけれど、それでも、見つからない。「……ちっ」 小さく舌打ちが漏れた。 こんなとき、彩羽がいれば。 いつもなら、帰宅してソファへ腰掛ける頃には、温かい飲み物が用意されていた。 胃が弱い雅臣のために、刺激の少ないものを選んで。 仕事で疲れているときには、蜂蜜を入れた飲み物を出してくれたこともある。 だが、それがどこにしまわれているのか、雅臣は知らなかった。「……まったく。彩羽はいつまで意地を張るつもりなんだ」 彩羽が家を出てから、何もかもが面倒になった。 食事も、洗濯も、身の回りの細かなことも、今まで気にす
扉を開けた先に立っていたのは、雅臣と金城麗華だった。 心臓が大きく脈打つ。「……どうして」 掠れた声が漏れる。雅臣は私を見るなり、小さく息を吐いた。「彩羽、迎えに来たぞ。そろそろいいだろう。一緒に帰ろう」 その声は、まるで何事もなかったかのようだった。「麗華も彩羽と仲直りしたいそうだ。だからこうやって一緒に来てくれた」雅臣が麗華を見て微笑む。私は二人を交互に見てから、ゆっくり首を横に振った。「……帰らないわ」 掠れた声で短くそう答えた、そのときだった。「彩羽先輩?」 部屋の奥から奏介くんの声が響く。 その声が聞こえた瞬間、雅臣の表情が一瞬にして険しくなる。 リビングから姿を現した奏介くんは、玄関先に立つ雅臣と金城麗華を見ると、一瞬だけ目を見開いた。「……桜小路さん」 雅臣は奏介くんを見据えたまま、低く呟く。「……どうして、お前がここにいるんだ」 その場の空気が、一瞬で張り詰めた。奏介くんは落ち着いた様子で私の隣に立つと、「今日は、リハビリセンターから彩羽先輩を送ってきただけです」 それだけを淡々と告げる。雅臣は眉間に深い皺を寄せた。「送る?」「はい」「送るだけで、部屋の中まで上がるのか?」 その言葉には、あからさまな疑念が滲んでいた。 私は慌てて首を振る。「……私が、お礼に、お茶を……」 けれど、うまく声にならない。 その様子を見て、麗華が口元へ手を添え、小さく笑った。「あら……ごめんなさい」 申し訳なさそうな表情。しかし、その瞳だけはどこか楽しそうに弧を描いていた。「雅臣。どうやら私たち、お邪魔し
晩餐会から一週間が過ぎた。 桜小路家のリビングは、今日も静まり返っていた。 広い部屋に整えられた家具。 高級感のあるインテリア。 けれど、そこには人の気配がなかった。「……彩羽」 仕事から帰宅した雅臣は、ネクタイを緩めながらリビングを見回す。 当然のように返ってくると思っていた「おかえりなさい」の声はない。 キッチンにも、ダイニングにも、どこにも彩羽はいなかった。「あいつは……まだ帰っていないのか」 小さく息を吐く。 彩羽が荷物をまとめ家を飛び出してからもう何日も経っている。 そろそろ頭も冷えただろうと、晩餐会の後に彼女がいる場所を突き止めて連れ帰ろうとしたけれど、「帰らない」と言われたことを思い出し、雅臣は顔を苦々しく歪めた。「まったく……今回は意地になりすぎだ」 額へ手を当てる。 離婚だなんだと言っていたが、あれは感情的になっているだけだ。 今までは何があったって大人しく自分の傍にいてくれたじゃないか。 友人たちは軽い冗談を言っただけだし、麗華とのことだって……。 雅臣はもう一度、深くため息を吐く。 彩羽は自分の妻で、何不自由なく過ごさせてきたはずだ。それなのに、麗華に嫉妬して当たるなんてどうかしている。 けれど、それももう少し時間を置けば落ち着くだろう。 雅臣はそんなことを考えながら、ジャケットを脱いでクローゼットのある寝室へと入った。 本棚の横にある大きな棚。そこには、小さなジュエリーケースが整然と並んでいる。 一つ。また一つ。彩羽へ贈ってきた九十九個のサファイヤの贈り物。 雅臣は一番新しいベルベットのケースを取り出した。 蓋を開く。中には、深い青色のサファイア。 けれど、その表面には小さな欠けがあった。 あの日、彩
研究センターでの初めてのリハビリを終え、夕暮れの街を奏介くんの車がゆっくりと走っていた。 車内には上品で穏やかなクラシックが小さく流れている。 私は窓の外へ視線を向けながら、今日一日の出来事を思い返していた。 歌えなかったけれど、不思議と心は軽かった。 音楽はまだ、自分の中に残っている。そう教えてもらえたから。「今日は、お疲れさまでした」 信号で車が止まる。ハンドルを握る奏介くんが私のほうを見た。「初日としては、本当に良かったと思います」 私は少しだけ眉を下げながら笑って頷いた。【歌えなかったけどね】 手話でそう返すと、奏介くんは小さく首を横へ振る。「歌えなかった、じゃありません」 一拍置いて続ける。「今日は音楽に戻れた日です」 その言葉に、私は静かに目を伏せた。胸の奥が、また少しだけ温かくなる。とくとくと心臓が高鳴っている。瞼の裏に、学生時代、大きなホールで歌った日のことが昨日のことのように思い浮かんだ。◇ 車は住宅街へ入り、やがて私のマンションの前で停まった。「着きましたよ」 奏介くんは車を降りると、助手席のドアを開けてくれる。 私は「ありがとう」と唇を動かしながら車を降りた。けれど奏介くんは、すぐには歩き出さなかった。 周囲を静かに見回している。 道路の向こう。 駐車場。 建物の影。 まるで誰かがいないか確認するように視線を巡らせている。 私は不思議に思って首を傾げた。しばらくして、奏介くんはようやく安心したように小さく息を吐き出した。「……今日は、大丈夫そうですね」 私はその言葉の意味を理解して、胸が少し締めつけられた。 奏介くんは、晩餐会の後にあった出来事を考えてくれていたのだ。 雅臣が突然現れた、あの日のことを――。 奏介くんはその
翌朝。スマートフォンの通知音で目を覚ますと、画面には奏介くんからのメッセージが届いていた。『おはようございます。研究センターでの初回面談ですが、来週の月曜日、午前十時で母が予約を取っているようです。』 その下には、住所と当日のスケジュールが添えられている。『迎えに行きますので、ご安心ください』 私は画面を見つめ、小さく微笑んだ。 いよいよ始まる。私が歌の世界へと戻る、本当の意味での第一歩が。◇ 翌週の月曜日。 奏介くんに連れられて研究センターの前までやって来た私は、一度足を止めた。 白を基調とした近代的な建物を見上げる。 病院というより、小さな音楽ホールのような落ち着いた雰囲気だった。 奏介くんに案内されてロビー入ると、グランドピアノが置かれ、壁には学生たちの演奏会の写真や海外の音楽祭のポスターが飾られている。(素敵……) 思わず見惚れていると、隣に立つ奏介くんが優しく笑った。「緊張しますか?」 私は少しだけ考えてから頷く。「大丈夫です。ここには、先輩の味方しかいません」 柔らかい声とそっと私の背中を押してくれるような奏介くんの微笑みに、不思議と肩の力が抜けた。私はゆっくりと深呼吸をしてから、もう一度奏介くんに頷き返した。◇ 案内された診察室には、奏介くんのお母さまと、言語聴覚士の女性が待っていた。「彩羽さん、来てくださってありがとう」 柔らかな笑顔で迎えられ、私は頭を下げる。 向かい合って座り面談が始まると、お母さまは一冊のファイルを開いた。「彩羽さんが入院されていた病院から、カルテを見せてもらったの」 私は静かに頷く。「劇薬による化学熱傷だったのね……」 お母さまはカルテのコピーに視線を落としながら、慎重にページをめくる。「喉の粘膜がかなり傷ついていたみたいね。痛みも相当強かったでしょう」 私は当時を思い出すように目を伏せた。 唾を飲み込むことも苦しかった。 常温の水さえ痛かった。あの頃は、生きているだけで精一杯だった。「でも、今は少しだけ声が出ているのよね?」 お母さまはカルテを閉じ、私を真っ直ぐ見つめた。 私はゆっくり頷き、掠れた声で答える。「……少しだけ、です。ほとんど掠れてしまっていて、声になっているといいのかどうか……」 一言、そう話しただけで喉がひりつく。「それに……たくさん
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたような気がした。 奏介くんの「大丈夫ですか」という一言が、胸の奥に静かに染み込んでいく。 私は何度も小さく頷いた。 大丈夫。 そう伝えたいのに、涙が溢れてしまってうまくいかない。 奏介くんは何も急かさなかった。 ただ、私が落ち着くまで静かに待っていてくれる。 しばらく涙を流したあと、私は手の甲で目元を拭い、深く息を吸い込んでから、安心させるために笑顔を作って奏介くんを見る。【……よかったら、お茶でも飲んでいかない?】 手話でそう伝えると、一瞬だけ目を丸くした奏介くんは、すぐに柔らかく微笑む。「……ご迷惑じゃなければ」 私は首を横に振り、鍵を開けた。◇ 部屋に入ると、まだ片付けきれていない段ボール箱が壁際に積まれている。 生活感の少ない室内。けれど、不思議とこの場所は落ち着いた。部屋の中にあるすべてものが……そして、空気が、ここは私の場所だと言ってくれているような気がする。「お邪魔します」 奏介くんは靴を揃えて部屋へと上がる。 私はキッチンに向かい、お湯を沸かした。 部屋には電気ケトルの湯が沸く音だけが静かに響く。 二人分の紅茶をテーブルへ運ぶと、奏介くんが「ありがとうございます」と頭を下げた。 私は向かい側へ腰を下ろし、奏介くんに向かって手を動かした。【どうして戻ってきてくれたの?】 さっそく紅茶に口をつけていた奏介くんは、ゆっくりとティーカップをソーサーへと戻した。そしてそのまま、カップへ視線を落とす。「実は……彩羽先輩と別れて帰る途中、桜小路さんとすれ違った気がしたんです」 私は目を瞬かせる。「最初は気のせいかなって思ったんですけど……なんだか嫌な予感がして」 一拍置いて、奏