LOGIN私、御厨琴音(みくりや ことね)の家では、何より「公平」が重んじられている。双子の兄・御厨朔人(みくりや さくと)と姉・御厨彩葉(みくりや いろは)は、父と母が少しでもどちらかをひいきすると、すぐに張り合って喧嘩になるからだ。 そのため、家にあるものは何でもきっちり二人分。一つは兄へ、もう一つは姉へ。 幼いころ、何もわからず母に尋ねたことがある。「私の分は?」 返ってきたのは、怒鳴り声だった。「お兄ちゃんとお姉ちゃんだけでも大変なの!琴音まで面倒を増やさないでよ!」 やがて、家の車は7人乗りのミニバンに買い替えられた。家族は5人。 家族旅行に出かける日、空いた二席のうち、一つには姉の猫を入れたキャリー、もう一つには兄の犬。私は乗る場所もなく、雨の中、開いたドアの前に立ち尽くしていた。 兄は私を見るなり、犬をかばうように腕を回した。姉はあからさまに嫌そうな顔をする。「公平にするって決めたでしょ。誰も私の猫の席、取らないでよ」 父はまだ雨に濡れている私を、苛立たしげに見た。「琴音、何かほかに予定ないのか?」 寒さに震えながら、それでも私は笑って答えた。「あるよ。だから、私、行かない」 その場を離れた私は、大学の留学担当に海外交換留学の申請書を提出した。 20年待っても、私だけには一度も回ってこなかった「公平」もう、ここに立ち止まって待ち続ける必要はない。
View Moreそれでも、少しだけ心に引っかかっていた。そこで一晩かけて、これまで家で私にかかった食費や服代、生活用品などを、確認できる範囲ですべて整理した。最後に出たのは、思わず笑ってしまうほど少ない金額だった。100万円。通知を切っていた家族のLINEグループを開き、まとめた表を送った。すぐに母から返事が来た。『琴音、どうして急にこんな計算してるの?』続いて、父からも届いた。『100万円しかかかってないわけないだろ』私は淡々と返した。『急に計算し始めたのは、お父さんとお母さんの真似だよ』『小さいころから、家にあるものは何でも二人分に分けて、お兄ちゃんとお姉ちゃんに同じだけ渡してたでしょう』『でも、その中に私の分は一度もなかった』『この金額も、わざと少なく見積もったわけじゃないよ。二人にも、だいたい心当たりはあると思う』『だから、お兄ちゃんのためにドナーになるつもりはない』『この100万円は、できるだけ早く返すよ』すぐに母からボイスメッセージが届いた。声はかすれて震えていた。『そのお金を返したら……もう二度と帰ってこないつもりなの?』私は何も返さず、家族のLINEをもう一度通知オフにした。これ以上、答える必要はない。……一方、病院では、母が父にすがりついて泣いていた。「私たち……いったい何をしてきたの……琴音だって、私たちの実の娘なのに。どうしてあの子に、あんな思いばかりさせてきたの……もう完全に見放されちゃった。私、どうしたらいいの……」父は何も言わなかった。このところ白髪が増え、以前より背中も丸くなっていた。これまで自分がしてきたことを思い返し、父は自分の頬を何度も叩いた。母は止めようとしたが、力が入らなかった。琴音がずっと前から留学の準備をしていたと知ったあと、母はもう、琴音に腎臓の提供を頼むつもりはなかった。その後、母は自分がドナー候補になりたいと医師に申し出た。検査の結果、母は生体腎移植のドナーになれると判断された。手術は無事に終わった。術後、医師は母の検査結果を見ながら言った。「今のところ、経過に大きな問題はありません。ただ、生体腎移植は提供する側にも負担があります。これからも定期的に検査を受けて、ご自身の体調にも気をつけてく
母の顔から、みるみる血の気が引いていった。耳鳴りがして、手足まで冷たくなる。「今……何て?」留学担当者は戸惑ったように首をかしげた。「ですが、お母さまは、琴音さんの交換留学の書類に保証人として署名されていますよね?」「そんなもの、私は……」否定しかけた、そのときだった。母の頭に、あの日のことがよみがえった。琴音に、トロフィーと副賞を姉へ譲るよう迫った日。琴音は代わりに、1枚の書類へ署名してほしいと言った。母は、その書類をろくに見もしないまま署名した。母は青ざめたまま、震える声で尋ねた。「すみません……琴音が交換留学に申し込んだのは、いつですか?」担当者が日付を伝えると、母は目を閉じた。琴音はずっと前から、この家を出る準備をしていた。日付を聞けば、それは明らかだった。母は周りの目も気にせず、その場に膝をついた。「お願いします。どうか琴音に連絡してください。一度だけでいいんです。あの子と話をさせてください」母はそこで初めて、琴音がどれだけ我慢していたのかを思い知った。琴音は一時の怒りで家を飛び出したわけじゃない。ずっと我慢して、失望を重ね、その末に家を出たのだ。だから何度連絡しても、返事がなかった。そのころ私は、留学先でグループワークのミーティングを終えたばかりだった。大学の留学担当者からメッセージが届く。『今、お母さまが大学に来られています』『どうしても一度お話ししたいとのことですが、少しだけお時間をいただけますか?』少し考えてから、『少しだけなら大丈夫です』と返した。担当者が母に私の返事を伝えると、すぐに母からビデオ通話がかかってきた。画面に母の顔が映っても、驚きはしなかった。いつもどおり、少しだけ笑ってみせた。「お母さん、どうしたの?」声は自分でもわかるほど冷たかった。画面越しに、生き生きとしている私を見て、母はしばらく何も言わなかった。責めるつもりだった言葉も、喉の奥で止まったようだったやがて、かすれた声で聞く。「あなた、本当にこんな遠くまで行っちゃって……このまま一生、家に帰ってこないつもりなの?」少し考えて、答えた。「うん。そのつもりだよ。こっちのほうが、就職の選択肢も多いし。それに、お母さんもわかってる
兄は何の前触れもなく倒れた。家族はすぐに救急車を呼び、そのまま病院へ向かった。検査のあと、医師は父と母に説明した。「腎機能がかなり低下しています。まずは透析で状態を安定させます。今後の経過によっては、腎移植も検討する必要があります」「移植」という言葉を聞いた途端、姉の顔が青ざめた。一歩下がり、首を横に振る。「無理。私、やらないから」医師は姉に落ち着いた口調で説明した。「患者さんとは双子のごきょうだいなんですね?双子でも必ず適合するわけではありません。提供できるかどうかは、血液型などの検査をしたうえで判断します」母は姉の手をつかんだ。「お願い。まず検査だけでも受けて。朔人がこんな状態なのよ。家族でしょう?」姉はその手を振り払った。「なんで私なの!?自分の腎臓をあげることになるかもしれないんだよ?そんなの全然公平じゃないじゃん!」こんなときまで公平を口にする姉に、母は言葉を失った。父は我慢できず、姉の頬を強く叩いた。「お前は、こんなときまで自分のことしか考えられないのか!」姉は頬を押さえ、信じられないように二人を見た。父に叩かれたのは、これが初めてだった。怒りに任せて言い返す。「私の何が悪いの?そういうふうにしたの、お父さんとお母さんでしょ?うちではずっと、何でも公平に二つに分けてきたじゃん。私と朔人の分を、同じだけ。なのに朔人が病気になった途端、今度は私の体まで出せって言うの?だったら、お父さんかお母さんがやればいいじゃん。それが無理なら、琴音を呼び戻せばいいでしょ!」そう言い捨てて、姉は病院を出ていった。父と母は、その場に立ち尽くした。しばらくして、母が震える声で言う。「私たちがあんなに大事に育ててきたのに……どうして、あの子はあんなふうになったの?私たちの育て方、本当に間違ってたのかな……」父は何も答えられなかった。医師が二人に声をかけた。「ご両親も、条件を満たせばドナー候補にはなれます。ただ、年齢や持病、腎機能などを調べる必要がありますし、提供する側にも負担があります」母はしばらく黙り込んだあと、口を開いた。「琴音なら……あの子、ほかに行くところなんてないでしょう。きっと大学にいるのよ。昔から頼まれる
納戸の中は、がらんとしていた。琴音の服や本を入れていた古い段ボール箱もなくなっている。そこにはもう、琴音が暮らしていた気配さえほとんど残っていなかった。そこでようやく、父と母は気づいた。琴音はあの日、食事会から帰ってきていなかった。ここ数日、ずっと家にいなかったのだ。不安がこみ上げ、母は震える手でスマホを取り出した。『琴音、いったいどこにいるの!?』『あんなことで家まで出ていくなんて、何考えてるの!』父も顔を険しくしたまま、何も言わずタバコを吸い続けていた。いくら待っても、返事は来なかった。母はとうとう慌て、父の服の袖をつかむ。「どうしよう……何とかしてよ。琴音って、今までこんなことする子じゃなかったでしょう?家を出るなんて初めてよ。近くに頼れる親戚もいないし、泊めてもらえるような友達だって聞いたことないのに……どこへ行ったの?」父は不満そうに言った。「どこへ行こうが知るか。勝手に家を出て親に心配かけるような娘なんか、こっちから捜してやる必要ない。育てた甲斐もないだろ」そう言いながらも、父はスマホで連絡先を探し始めた。やがて大学の代表番号を調べ、電話をかけようとする。そのとき、リビングから兄と姉の言い争う声が聞こえた。「そうだよ。黒い服入れたの、俺だけど。それが何?彩葉が洗濯するなんて知らなかったし。だいたい、なんで母さんは彩葉にだけ服買って、俺には何もないんだよ。不公平だろ」姉の泣き声がさらに大きくなる。「知らない!だったらこのワンピース弁償してよ!買ったばっかりだったのに!」二人がまた揉め始め、父と母は疲れきった顔で目を合わせた。そして、琴音を捜すことを後回しにした。父は兄を連れてその場を離れ、母は姉をソファに座らせる。結局、その日も手間もお金もかけて、ようやく二人をなだめた。姉が泣き止むと、母に尋ねる。「お母さん、本当に琴音を捜すつもりなの?」母は少し黙ってから、うなずいた。「何だかんだ言っても、あなたの妹でしょう」姉はすぐに声を荒らげた。「妹って何?最初から私と朔人の二人だけでよかったじゃん。なのに、なんで琴音まで産んだの?今さら家出なんかして、私と朔人の真似してるだけでしょ。そのうち、何でも私たちと同じ