この時、管理職の面々が続々と会議室に集まってきた。社長と副社長の二人がすでに会議室で待っているのを見て、彼らは緊張した面持ちになった。突然会議を開くと言われて、何か悪いことだろうと予感していた。理仁は、やはりあの凍えるほどの冷たい表情だった。ある人は辰巳を見て、彼からある種の安心感を得たいと思った。彼らに臨時の会議で一体何を話し合うのか教えてはくれるだろう。辰巳は落ち着いた様子をしていたが、実際は九条悟のほうを見ていた。彼と兄は同じ結城家の出身であることには間違いないが、兄と最も関係が良いのはやはり九条悟だ。悟は立ち上がった。「ちょっとトイレに行ってくる」彼はそう言った。そして辰巳に目配せをした。辰巳はその意味を理解し、みんながまだ揃っていないうちに、彼は立ち上がって悟の後に続いた。理仁は二人のその行動の意味を理解していたが、それを止めなかった。理仁はすでに会議室に入ってきた管理職たちを見ていた。悟は彼が一度怒ると、ここにいる彼らは死ぬほど苦しめられると言っていた。理仁は思った、彼らはどのように苦しむのかと。管理職たち「……」社長、そんなふうに我々を見つめてどうしたんですか?我々が何か悪いことをしたというなら、はっきり教えてくださいよ。やるならもう思いっきりやってください。辰巳は悟に続いて会議室を出て、急いで彼に追いついて尋ねた。「九条さん、俺の兄さんはまたどうしたんです?」悟は立ち止まり、振り返って小声で彼に尋ねた。「辰巳君、お兄さんのお嫁さんの電話番号を知ってるか?」「うん、知ってますよ」「それなら、急いで彼女に電話をして、何があっても会社まで来るように伝えてくれ。君の兄さんはまた嫉妬しているんだ。あのね、この臨時の会議はそもそも予定されていなかっただろ。彼は絶対にまだ終わっていないプロジェクトを持ち出して怒鳴り散らすぞ。あいつは今機嫌が悪くて、俺らに八つ当たりする気だ。今の俺たちを救えるのは彼女しかいない。辰巳君だって、この間みたいな地獄の日々を過ごしたくはないだろう。君は結城社長の弟だけど、あいつに叱られたら、反論することもできず、家に帰っても彼の顔色をうかがわなくちゃいけないよ」辰巳「……週末は兄さんと奥さんはイイ感じだったのに。昨晩だって、夫婦二人はすっごく甘々な雰囲気だ
唯花は車を結城グループの入り口付近に止め、再び理仁に電話をかけてみた。ここに到着するまで、彼女は二十回も彼に電話をかけていた。あの嫉妬野郎、どうしても彼女の電話に出なかった。本当にどうしようかと焦ってしまって狂いそうだ!しかし、幸い今回は電話に出た。「理仁さん、私、今会社の前にいるの。上司に頼んで三十分くらい休みをもらえない?ちょっと会ってお話したいの」理仁はそれを聞いて急いで立ち上がり、会議室の窓まで行くとカーテンを開けて下を見た。高層ビルなので、地上からの距離が遠すぎて彼の視力がもっと良かったとしても会社の入り口に止まっている車が唯花のものなのかはっきり確認できなかった。「理仁さん、聞いてるの?何か言ってよ」唯花は焦って言った。「下までおりて来てちょうだい。今出てこないっていうなら、仕事が終わる時間までここで待ってるからね」理仁は低い声で言った。「待ってて、今行くから」カーテンを閉め、彼は振り返り会議室の外へと向かっていった。電話を切った後、低い声で指示を出した。「悟、お前が会議を取り仕切ってくれ」悟はもはや爆笑しそうだった。彼の予想は的中だ。しかし、それを表情には出さずに「わかったよ」と答えた。理仁は管理職の面々を放っておいて、つむじ風のようにひゅーっと会議室を出て行った。彼がエレベーターで一階までおりて、オフィスビルを出ると、そこには唯花がいた。彼女はすでに車を降りて、彼が彼女の車のフロント部分に投げ捨てた傘を持っていた。彼は傘を持っていなかった。理仁は傘を差さず雨が降る中出て行こうとしたが、フロントは非常に観察力に鋭く、急いで雨傘を取って彼に渡した。「社長、雨が結構降っていますので、こちらをどうぞ」「ありがとう」理仁はフロントが渡した雨傘を持って、それを差し、どっしりとした大きな歩幅で外へ向かっていった。嫉妬心は、唯花が会社の前に立っているのを見たその瞬間に一瞬にして消え去ってしまった。理仁はまさか唯花が追いかけてくるとは思っていなかったのだ。それで彼の心は大雪から快晴へと変わった。彼女は、彼のことをとても気にしているということだ。金城琉生が彼女と十数年の仲だとしても、横に立って指をくわえて見ているしかないだろう。「理仁さん」唯花はこの憎たらしい男が
「このバカ、説明もさせてくれないなんて。目で見たことがそのままの意味だとは限らないのよ」彼女は彼を抱きしめていた手を緩め、怒って彼の腕をぎゅうっとつねった。彼女は本当に死ぬほど心配していたのだ。彼らがまた以前のように冷戦に突入してしまうかもしれないと思った。理仁は黙って彼女におとなしくつねられていた。とても痛かったが、彼は気にしなかった。彼女が彼のことをとても気にしてくれているという事実だけで、十分だったのだ。「金城君が私に告白してきたけど、私は断ったの。私はあなたの奥さんだもの。私の残りの人生は、あなたが私をいらないって言わない限り、ずっとあなたと一緒にいるわ」「それは本当?」理仁は自分が正体を隠していることを考えていた。彼が長い間彼女のことを騙していると知ったとしても、彼女は彼から離れていかないのか?「それって、私のこと信じられないってこと?」理仁は軽く息を吐き、また彼女を自分の胸に抱きしめた。「唯花さん、さっき君と金城が一緒にいるのを見た時、すごく怒りが込み上げてきて、その場をすぐ離れてしまったんだ。君のせいじゃないってわかってるよ。金城の奴が君に付き纏ってるだけだって。実は、その……ヤキモチを焼いてしまって。俺はどうやらかなり嫉妬しているらしい。金城が君を深く愛していて、君たちが十数年も知り合いの仲だっていうのを思ったら、すごくモヤモヤしてきたんだ」彼と彼女は知り合ってからそんなに時間が経っていないから。だから、彼女と金城琉生の十数年来の仲には遠く及ばない。金城琉生は彼よりも先に彼女と知り合い、彼よりも先に彼女のことを好きになったのだ。どれをとっても彼のほうが金城琉生よりも遅れを取っている。「私と金城君は……この前もあなたに言ったと思うけど、私は彼のことを弟としてしか見ていないの。彼に対して全く恋心なんて抱いていないわ。もし私が彼にそんな気持ちを持っているなら、私たちは今頃結婚なんてしていないでしょ。それなら彼とさっさと偽装結婚でもしてお姉ちゃんを安心させてあげていたはずよ」理仁は彼女が言っていることは本当の話だとわかってはいても、心の中でものすごく気に食わなかった。唯花が言ったその、もし彼女が金城琉生のことを好きだったら、初めから理仁と結婚していなかったというその言葉だ。彼
「確かに君は空手ができるけど、それでも彼には近づかないほうがいい。夫の俺は心がかなり狭い男だ。君とあいつが一緒にいる姿は見たくない。あいつが一方的に君に執着してきたら、俺はまたヤキモチを焼くぞ」以前も彼はヤキモチを焼いていた。ただそれを決して認めようとしなかっただけだ。もし気にしていなかったら、彼も彼女が誰と一緒にいてもまったく気にならないはずだ。気になっているから、怒って、理性を失いこのような行動に出てしまったのだ。「彼が来たら、もちろん追い出すけど。彼の足を切り落として歩けなくすることなんかできないでしょ」理仁は冷たい表情になった。「俺があいつを二度と君の前に来られないようにしてやる」「何をするつもりなの?バカな真似はしないでよ」理仁は彼女の頬を軽くつねった。「安心して、君がいる限り、俺はバカな真似なんか絶対にしないから」彼はまだ残りの人生を彼女と一緒に歩いていくのだから。彼はすでに金城グループとのビジネス上の付き合いを切ってしまった。そして、金城グループが受けられるプロジェクトも横取りしてやるのだ。金城グループはこれで結城グループが彼らに敵対することがわかるだろう。彼は金城社長自ら彼のところにその理由を尋ねに来るのを待つだけだ。唯花に金城琉生の行動を止めることはできなくとも、彼の両親ならどうだ?「明凛の存在も忘れないで、金城君にあまりひどいようにしないでね」明凛の名前が出て、理仁は解せない様子で尋ねた。「牧野さんはどうして金城琉生を止めなかったんだ?」まさか、牧野明凛も従弟を応援しようとしているとか?「明凛は今日熱を出して病院に行ってるの。だからお店には来ていないのよ」そう言い終わると、唯花はハッと何かに気づき、おかしくなってヤキモチ焼き男に言った。「あなたまさか明凛が金城君を応援しているとでも思ったんじゃないでしょうね?彼女はそんな人間じゃないわ、彼女こそ一番、彼を諦めさせようとしている人なのよ」明凛は唯花の一番の親友だ。だから唯花がどのような人間なのか一番理解している。唯花が金城琉生を好きでないと言ったら、好きではないのだ。彼がいくら頑張って何をしても、彼女が好きになることは絶対にありえない。琉生が彼女に執着しても、ただ彼自身が傷つくだけだ。明凛は琉生の従姉だから、自分の従弟を
「私はあなたほど心は狭くないわよ」理仁「……怒ってるでしょ」「ええ、そうそう、そうよ、怒ってますよ。あなたにあんなにメッセージを送ったのに、頑として返事しないんだもの」唯花は車を降り、同時に彼も車から引っ張り出すと、傘を彼に突き出して持たせた。「早く仕事に戻った、戻った。私、本当にもう行かなきゃ」彼女はお腹も空いているんだから。彼は今朝早く起きて彼女のためにジンジャーティーも入れてくれた。彼女はそれすらまだ口にしていない。今、少しお腹がキリキリと痛む。「俺はここで君を見送るよ」神崎姫華たち親子が彼女に会いに来ている。きっと神崎夫人の妹の件でだろう。理仁は彼女をここに引き留めておくわけにはいかない。唯花は運転席に戻り、彼に手を振って言った。「昼、ご飯を食べに来るなら一声かけてね。じゃないと、来ても皿洗いしかできないわよ」「わかったよ」神崎夫人とその娘が彼女の店に来ているから、彼は行くことはない。唯花はすぐにエンジンをかけ、運転して行ってしまった。理仁はそこに立って、彼女の車が遠くなり見えなくなるまで見送ると、ようやく振り返って会社へと戻っていった。この時、悟が望遠鏡を持って、辰巳と順番に会社の入り口にいたこの夫婦を見届けていたことなど、理仁は知る由もなかった。さっき緊急で会議を開くと言われ、呼ばれた管理職たちは、悟が彼らに少し仕事上の話をしてから、すぐに解散となった。「盗聴器でもあればよかったのに、悔しいなぁ」悟は望遠鏡を下ろした。様子を見ることはできるが、話し声は聞こえない。あの口下手な唐変木は一体社長夫人と何を話していたのだろうか。車で、あの夫婦は子供には見せられないようなことでもしていたのだろう。理仁のあのクソ真面目で、いつも難しい表情をした冷たい人間が、まさかあのようなことをするとは思ってもいなかった。愛の力というのは本当に偉大だ。いや、嫉妬の力と言うべきか。理仁がヤキモチを焼いたおかげで、なりふり構ずにこのような行動に出たのだから。辰巳は笑って言った。「兄さんが戻ってきた。俺はもう行きますよ。その望遠鏡を引き出しに戻しておいてくださいね。兄に見つかったら、自分でどうにかしてくださいよ」そう言うと、彼は先に退散した。悟はそれを聞いてすぐに望遠鏡を持って会議室
明凛は周りからうるさく言われたくないので、大塚夫人の誕生日パーティーで臆すことなく床に寝転がってやったのだった。つまり彼女は結婚しろとかなり催促されていたということだ。この時、もし彼が明凛の見舞いにでも行ったら、彼女の母親に見られて、もう逃れようがなくなるかもしれない。確かに牧野明凛はかなり彼のタイプではあった。しかし、この二人はまだ何も始まっていないから、親に会うのはまだ早すぎるのだ。彼のほうはと言うと、ただ九条家の当主のみがこのことを知っているだけで、他の家族や親戚には言えなかった。彼らが知って、何台も車を連ねてやって来たら、明凛を驚かせてしまうだろう。明凛は悟が自分を気にかけてくれる気持ちに電話越しにお礼を言った。二人はあまり多くは話さず、電話を切った。……神崎姫華たち親子は唯花の本屋で彼女が戻ってくるのを待っていた。金城琉生は彼女たちが来た後、去っていった。琉生の母親は彼に神崎姫華に会ったら、なるべく関わらないようにと注意していた。この神崎家のおてんば娘は彼らの手に負えないのだ。神崎夫人はすでに唯花姉妹が自分の姪っ子であると確信していた。彼女は唯花のお店の中を隅々まで見歩いた。それに本以外の物もたくさんあったのでそれも見ていた。彼女は怪訝そうに娘に尋ねた。「内海さんのお店って、どうしてこんなにスキンケアや化粧品まで置いてあるのかしら?」唯花はさらにネットショップも開いている。その店で売っているのは彼女が自分で作ったビーズ細工だ。それは神崎夫人も知っている。彼女は娘が持って帰ってきたハンドメイドの鶴を見たことがあり、とてもよくできていた。娘はそれをとても気に入っていて、放そうとしない。姫華の顔がすぐに赤くなった。彼女はぎこちなく言った。「お母さん、そこにある物は全部私が買ったものよ。ちょっと気分が悪い時にショッピングに行って、なんでもかんでもカートに入れて買ったやつなのよ。いろいろ買ってから、ようやく気持ちが落ち着いたんだけど、私使わないし、お母さんに怒られるかなって思って、それで、唯花のお店に持ってきちゃった」神崎夫人「……あなた、それって内海さんの店をリサイクルショップにしてるじゃないの」姫華は舌をべえーと出した。急いで母親に近づき、腕を掴んで甘えたように言った。「唯花は従妹かもし
「あなた、内海さんのその旦那さんとは会ったことあるの?」神崎夫人は娘にそう尋ねた。唯花姉妹が本当に彼女の姪っ子なら、神崎夫人はその二人の伯母にあたる。だから、姪っ子のためにもしっかり責任を持たなければならないのだ。「まだ会ったことはないわ。旦那さんは仕事がとても忙しいらしいし。お母さんも結城グループで働ける人はみんなエリートだって知ってるよね。仕事もとっても忙しいでしょう。唯花の旦那さんは管理職をしているみたいだし、普通の社員よりももっと忙しいわよ。唯花がたまに旦那さんのことを話してくれるけど、その時の表情ってだんだん柔らかくなっていってるの。きっと、夫婦二人はだんだんお互いに惹かれていっているんだわ」姫華は今まで唯花の結婚については深く興味を持ったことはなかった。彼女は男性を深く愛した経験があるから、唯花のスピード結婚相手に対する気持ちの変化に気づけたのだった。少し考えて、姫華はさらに付け加えた。「でも、二人はまだ愛し合っているわけじゃないから、本当の夫婦になってはいないわ。ただ名ばかりの夫婦ね。スピード結婚って、お互い愛し合う前に法律上の夫婦になっただけよね。ゆっくりお互いに愛を育てていって、後から本当の夫婦になるのよ。珍しいことに二人はすぐに関係を持ったりせずに、どっちも理性的なのよねぇ」まだ会ってもいないのに、神崎夫人はすでに唯花に思い入れをし始めていた。唯花のその理知的で、自立心があり、独り立ちしていて、強いところ、それが彼女にとても似ているからだ。この時、外から車の音が聞こえてきた。「きっと唯花よ」姫華が店から出ると、思ったとおり唯花が戻ってきたところだった。外はまだ雨が降りしきっていた。姫華は店の入り口に立ち、ニコニコと笑って唯花が車を降り、傘を差してやって来るのを見ていた。「姫華、ごめんね、すっかりお待たせしちゃって」理仁にしっかりと説明をして、あのすぐ頭に血が上る男とこの間の冷戦状態になるのを避けることができ、唯花は心が晴れやかだった。店に戻って姫華がニコニコとしているのを見て、彼女も思わずつられて笑ってしまった。店の入り口で傘を振るって水滴を落とし、それを畳むと姫華と一緒に店の中へと入っていった。「今日は一気に気温が下がったわね」姫華は「私は寒くは感じないけど」と言った。
「そのお弁当はもう冷めちゃってるだろうから、キッチンで温めてくるわ。姫華、あなたはこの店の常連客でしょう。おば様をしっかりおもてなししてね」姫華は笑って言った。「安心して、私たち親子は遠慮なんかしないのよ。この店は自分の家だと思ってるくらいよ」唯花は思った。あなたの家の財力なら、こんな大したことない店を家にするなんて、とんでもない。彼女は理仁が買って来てくれた朝食を持ってキッチンへと行き、温めなおしてからそこで食べた。理仁は彼女にジンジャーティーも用意してくれた。タンブラーに入れてくれたから、まだ温かかった。気温は下がったし、彼女はちょうど生理中だ。手足がとても冷えていて、タンブラーを持ちながらジンジャーティーを飲んでいると、お腹の痛みがかなり緩和されていった。「プルプルプル……」その時、携帯が鳴りだした。彼女はジンジャーティーを飲みながら、携帯を取り出して見てみた。それは理仁からかかってきた電話で、彼女は電話に出た。「店には着いた?」理仁は店に着く時間を計算して電話をかけてきた。「着いてるよ」「何を食べているの?」「さっきあなたが朝買って来てくれた愛情弁当を食べ終わったところよ。今は作ってくれたジンジャーティーを飲んでいるの。ショウガの味が効いていて、ちょっと辛いわ。でも、飲んでみたら、とっても甘かったわ」理仁は彼女に「もうこんな時間なのに、今頃朝ごはんを食べたの?」と言った。「某怒りん坊が、朝何も言わず、すぐ逃げだしたりしてなけりゃ、私が今頃朝食を食べるはめにはならなかったと思うけど?」理仁「……それは俺が間違ってたよ。これからは絶対にあんなことはしないって約束する」「約束なんかしないでよ。あなたのその性格なんだもの、変えられっこないでしょ」そして、唯花はケラケラ笑って言った。「そんな簡単に約束しといて自分から破ったら、恥をかくのはあなたのほうよ。そんなカッコイイ顔してるくせに、面目を潰すとそのイケメンがもったいないでしょ」理仁「……」彼にそんなことを言えるのはおばあさんを除いて、この世で内海唯花だけだ。「お昼はこっちに食べに来る?でも、昼ご飯を作る時間はなさそうだから、たぶん外で食べることになるけど」彼女は姫華たち親子にご馳走するつもりだった。「神崎さんはまだお店にいるの?
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨
一行が人だかりの中に入っていった時、唯花が「お姉ちゃん」と叫ぶ声が聞こえた。陽も「ママ!」と叫んでいた。唯花は英子たち親子が一緒にいるのと、姉がボロボロになっている様子を見て、どういうわけかすぐに理解した。彼女はそれで相当に怒りを爆発させた。陽を姉に渡し、すぐに後ろを振り向き、歩きながら袖を捲り上げて、殴る態勢に移った。「唯花ちゃん」詩乃の動作は早かった。素早く唯花のところまで行き、姉に代わってあの親子を懲らしめようとした彼女を止めた。「唯花ちゃん、警察の方にお任せしましょう」すでに警察に通報しているのだから、警察の前で手を出すのはよくない。「神崎さん、奥様、どうも」隼翔は神崎夫婦が来たのを見て、とても驚いた。失礼にならないように隼翔は彼らのところまでやって来て、挨拶をした。夫婦二人は隼翔に挨拶を返した。詩乃は彼に尋ねた。「東社長、これは一体どうしたんですか?」隼翔は答えた。「神崎夫人、彼女たちに警察署に行ってどういうことか詳しく話してもらいましょう」そして警察に向かって言った。「うちの社員が被害者です。彼女は離婚したのに、その元夫の家族がここまで来て騒ぎを起こしたんです。まだ離婚する前も家族からいじめられて、夫からは家庭内暴力を受けていました。だから警察の方にはうちの社員に代わって、こいつらを処分してやってください」警察は隼翔が和解をする気はないことを悟り、それで唯月とあの親子二人を警察署まで連れていくことにした。隼翔と神崎夫人一家ももちろんそれに同行した。唯花は姉を連れて警察署に向かう途中、どういうことなのか状況を理解して、腹を立てて怒鳴った。「あのクズ一家、本当に最低ね。もしもっと早く到着してたら、絶対に歯も折れるくらい殴ってやったのに。お姉ちゃん、あいつらの謝罪や賠償なんか受け取らないで、直接警察にあいつらを捕まえてもらいましょ」唯月はしっかりと息子を抱いて、きつい口調で言った。「もちろん、謝罪とか受け取る気はないわよ。あまりに人を馬鹿にしているわ!おじいさんが彼女たちを恐喝してお金を取ったから、それを私に返せって言ってきたのよ」唯花は説明した。「あの元義母が頭悪すぎるのよ。うちのおじいさんのところに行って、お姉ちゃんが離婚を止めるよう説得してほしいって言いに行ったせいでしょ。あ
佐々木親子二人は逃げようとした。しかし、そこへちょうど警察が駆けつけた。「あの二人を取り押さえろ!」隼翔は親子二人が逃げようとしたので、そう命令し、周りにいた社員たちが二人に向かって飛びかかり、佐々木母と英子は捕まってしまった。「東社長、あなた方が通報されたんですか?どうしたんです?みなさん集まって」警察は東隼翔と知り合いだった。それはこの東家の四番目の坊ちゃんが以前、暴走族や不良グループに混ざり、よく喧嘩沙汰を起こしていたからだ。それから足を洗った後、真面目に会社の経営をし、たった数年だけで東グループを星城でも有数の大企業へと成長させ、億万長者の仲間入りをしたのだった。ここら一帯で、東隼翔を知らない者はいない。いや、星城のビジネス界において、東隼翔を知らない者などいないと言ったほうがいいか。「こいつらがうちまで来て社員を殴ったんです。社員をこんなになるまで殴ったんですよ」隼翔は唯月を引っ張って来て、唯月のボロボロになった姿を警察に見てもらった。警察はそれを見て黙っていた。女の喧嘩か!彼らはボロボロになった唯月を見て、また佐々木家親子を見た。佐々木母はまだマシだった。彼女は年を取っているし、唯月はただ彼女を押しただけで、殴ったり手を出すことはしなかったのだ。彼女はただ英子を捕まえて手を出しただけで、英子はひどい有り様になっていた。一目でどっちが勝ってどっちが負けたのかわかった。しかし、警察はどちらが勝ったか負けたかは関係なく、どちらに筋道が立っているかだけを見た。「警察の方、これは家庭内で起きたことです。彼女は弟の嫁で、ちょっと家庭内で衝突があってもめているだけなんです」英子はすぐに説明した。もし彼女が拘留されて、それを会社に知られたら、仕事を失うことになるに決まっているのだ。彼女の会社は今順調に行ってはいないが、彼女はやはり自分の仕事のことを気にしていて、職を失いたくなかったのだ。「私はこの子の義母です。これは本当にただの家庭内のもめごとですよ。それも大したことじゃなくて、ちょっとしたことなんです。少し手を出しただけなんですよ。警察の方、信じてください」佐々木母はこの時弱気だった。警察に連れて行かれるかもしれないと恐れていたのだ。市内で年越ししようとしていたのに、警察に捕ま
東隼翔は顔を曇らせて尋ねた。「これはどういうことだ?」英子は地面から起き上がり、まだ唯月に飛びかかって行こうとしていたが、隼翔に片手で押された。そして彼女は後ろに数歩よろけてから、倒れず立ち止まった。頭がはっきりとしてから見てみると、巨大な男が暗い顔をして唯月を守るように彼女の前に立っていた。その男の顔にはナイフで切られたような傷があり非常に恐ろしかった。ずっと見ていたら夜寝る時に悪夢になって出てきそうなくらいだ。英子は震え上がってしまい、これ以上唯月に突っかかっていく勇気はなかった。佐々木母はすぐに娘の傍へと戻り、親子二人は非常に狼狽した様子だった。それはそうだろう。そして唯月も同じく散々な有様だった。喧嘩を止めようとした警備員と数人の女性社員も乱れた様子だった。彼らもまさかこの三人の女性たちが殴り合いの喧嘩を始めてあんな狂気の沙汰になるとは思ってもいなかったのだ。やめさせようにもやめさせることができない。「あんたは誰よ」英子は荒い息を吐き出し、責めるように隼翔に尋ねた。「俺はこの会社の社長だ。お前らこそ何者だ?俺の会社まで来てうちの社員を傷つけるとは」隼翔はまた後ろを向いて唯月のみじめな様子を見た。唯月の髪は乱れ、全身汚れていた。それは英子が彼女を地面に倒し殴ったせいだ。手や首、顔には引っ掻き傷があり、傷からは少し血が滲み出ていた。「警察に通報しろ」隼翔は一緒に出てきた秘書にそう指示を出した。「東社長、もう通報いたしました」隼翔が会社の社長だと聞いて、佐々木家の親子二人の勢いはすっかり萎えた。しかし、英子はやはり強硬姿勢を保っていた。「あなたが唯月んとこの社長さん?なら、ちょうどよかった。聞いてくださいよ、どっちが悪いか判定してください。唯月のじいさんが私の母を恐喝して百二十万取っていったんです。それなのに返そうとしないものだから、唯月に言うのは当然のことでしょう?唯月とうちの弟が離婚して財産分与をしたのは、まあ良いとして、どうして弟が結婚前に買った家の内装を壊されなきゃならないんです?」隼翔は眉をひそめて言った。「内海さんのおじいさんがあんたらを脅して金を取ったから、それを取り返したいのなら警察に通報すればいいだけの話だろう。内海さんに何の関係がある?内海さんと親戚がどんな状況なの
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ