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考え方2

مؤلف: 氷高 ノア
last update تاريخ النشر: 2025-12-23 20:42:26

 ひと駅向こうの百貨店に行くまでは、約二十分ほどだっただろうか。

 その間、私たちが会話をすることはなかった。

 私は最期になる全ての景色を噛み締めながら歩き、ナガトは一定の距離を保って後ろにつく。

 閑静な住宅街を抜け、並木道を通り、大きな橋を超えると、やがて商店街が見えてくる。

 人通りの多いこの場所は、私には眩しかった。

 買い物に来た客。生きるためにそれに声をかける店員。派手な服装をした人。笑っている人。食べ歩きをする人。最近流行りの飲み物を手に、嬉々とした表情で商店街を見渡す人。

 幸せそうでなにより。私も、今後のことを思い浮かべるだけで幸せだ。あなた達とは違う形のシアワセ。

 後ろを振り返ってみる。人の流れに呑まれながらも、ナガトは私について来ていた。

 変わった人だ。でも、彼だって私のことをそんな風に思っているだろう。

 いきなり見知らぬ相手に話しかけ、今日一日付き合えだなんて言う人間なのだから。

 そんな商店街を抜けると、もう目の前は駅だった。駅の中にある百貨店へ向かう。

 百貨店の商品はどれも高い。当たり前のことだが、それを買う客もお金を持っていそうな人ばかりだった。

 大粒の真珠のネックレスや、艶のいいカバン、オシャレに巻かれたパーマの人々が目に入る。

 場違い感はもちろんあった。

 だが今日は。今日だけはこの人たちと同じになれる。

「いらっしゃいませ」

 優しい声と微笑みが私たちを出迎える。目の前に広がるのは、当然ながらブランド物の服屋だ。

「ナガトもいいの選んでよ。私に似合うパーティドレス」

 掛かってあった白いドレスのスカートを、広げ見ながら呟く。

 横目で様子を見ると、ナガトは少し口を尖らせ、嫌そうな表情をしながらも店内を見回していた。

「何か、お探しでしょうか」

 高らかな声の女性店員が、美しい営業スマイルを浮かべている。私もその色を真似て、作り出してみた。

「可愛いパーティドレスを探してるんです。あとはカバンと靴も欲しいですね」

「それでしたら、こちらの白いドレスはいかがでしょうか。新作でして、今とても人気なんです」

 差し出されたドレスは、ウエディングドレスのような白さに、七分袖と襟元がレースというもの。スカート部分がふんわりと優しく落ちていて、逆さにするとブーケのようだ。

「綺麗ですね!うーん、でも、もう少し暗い色か赤めの色はありませんか?泥や血で汚れると、せっかくのドレスが台無しですから…」

 一瞬その人の頭に、はてなマークが浮かぶ。

 当たり前だ。パーティドレスを着て、一体どこに行くんだと思うだろう。でも、流石は百貨店の店員。顔色を変えず、丁寧に説明してきた。

「そうですね。こちらのモデルは最新のため、まだ白色しか発売されていません。申し訳ございません。ですが、旧型のモデルでしたら、紺やワインレッドなどがございます。少々お待ちください」

 目で頭を下げ、その場を立ち去り探しに行く。

 私は、渡された白いドレスを元の位置に戻した。隣や向かい、奥にも様々なドレスが置かれている。

 綺麗だ。私の家にあったパイプハンガーとは月とすっぽんだな。

 昔はきっと、こんな場所に来たら目を輝かせて商品を見ていた。だが、どうしてだろう。綺麗だとは思っても、心がまるで反応しない。

 胸に手を当ててみる。

 踊っていたはずの鼓動は、もう酸素を送る機械でしかなかった。

 ああ、やはり死んでしまったんだな。

 冷たい目で、まだ暖かい手のひらを見る。こんな状態でも、果たして私は〝生きている〟のだろうか。

 人間とは不思議なものだ。

「ナガト、いいのあった?」

「…わかんね。だってどれもいい物じゃないか」

「……そっか」

 ナガトの言葉も不思議だ。それほど会話をしていないのに、一つ一つの言葉が前向きで、生きているという感じが伝わってくる。

 自分が生きるために子供を助けなかったのは、どうかと思うけれど、何故か私より正しい感じがして嫌だった。

「お客様、こちらのドレスはいかがでしょうか」

 先程の店員が、荷物を抱えて戻ってくる。その腕の中には、言った通り紺とワインレッド、そしてブラックのドレスがあった。

 鏡の前の私に、それを着てもらう。正直、旧型と新型の違いがわからなかった。色が違うのは明確だが、他のデザインの違いがわからない。

 少しだけ、旧型の方がレースの模様が詰まっている気がする。それだけの違いだった。

「いいですね!じゃあ、試着してもいいですか?」

「はい、わかりました。ご一緒にこちらの靴はいかがでしょう」

「あ、じゃあそれも。あと、このドレスに似合いそうな鞄も探して貰えますか」

「わかりました。では、あちらの試着室へどうぞ」

 案内してもらった試着室で、お気に入りだったワンピースを脱ぎ捨て、高級な黒いドレスに袖を通す。背中を真っ直ぐに割るチャックを、なんとか自分で引っ張りあげた。

 大きな鏡に映る私は、最近の私とは別人だった。

 悪魔だ。私の死を笑う悪魔がそこにいる。

 そして私自身も、それを喜んでいる。

 服を脱いでも乱れない、均等に巻かれた肩までの髪。整形級のメイク。さらに、袖の黒いレースから見える肌が妙な雰囲気を誇張していた。

「お疲れ様です」

 シャッとカーテンを開けると同時に、声が飛んでくる。その手には、また服に合わせた色合いの鞄があった。

「まあ!お客様はスタイルが良いので、よくお似合いです」

「本当ですか!ありがとうございます」

 褒められて、悪い気はしない。

 ストレスとお金の関係から、あまり食べられなくなったせいで、自分でも細くなったとは思う。綺麗とは言えないが。

「はい。靴と鞄も、こちらの三点ずつご用意致しました」

 左から順に、ブラック、ホワイト、シルバーが並ぶ。

 指先とかかとの部分だけが隠され、足首をパールのようなもので縛られる形のパンプスだった。

「ドレスの方が黒ですと、シルバーがいい感じにアクセントになるかもしれません」

「じゃあそうします。あと、鞄はその黒で」

 持っているものは、候補のドレスと同じ色の鞄だった。だったら、黒には黒で染め上げた方が美しいはずだ。それほどファッションに詳しくないが。

「かしこまりました。では、レジの方にお持ちしますので」

「あ、あと、このまま着て帰ってもいいですか。靴も、鞄も」

 珍しい客だと思ったのか、言葉に間が空く。そしてまた彼女は笑みを浮かべた。

 可哀想。営業スマイルで、延々と客に媚へつらわなければならないなんて。

 そうしなければお金が入らない。生活できないなんて。

 昨日までの私みたいで、本当にカワイソウ。

「わかりました。では、タグをお切りします。着ていた服を代わりに袋にお詰めしてもよろしいでしょうか」

「あーいえ、もし良ければ捨てておいて貰えますか?私、もう死ぬんで、要らないんですよ〜」

 営業スマイルに負けない、作り上げられた悪魔の微笑みを全面に出す。

 この服装の雰囲気を吸収した私の笑みは、さぞかし不気味だっただろう。

 後ろにいるナガトには、どう見えただろうか。私の背中は笑っていただろうか。今の私なら、背中にも顔を浮かばせることができそうだ。

 そこにきて初めて店員の顔色に変化が現れた。ゾッとしたような、驚いたような、怒っているような表情。

「お客様…失礼ですが、ご冗談ですか?」

「いいえ。本気ですよ?」

 彼女の瞳が震えるのが分かった。どういう表情なのか、読み取れない。世の中には色んな反応をする人がいるものだ。

「駄目です…。絶対に死なないでください…。御家族が悲しみます」

 震える瞳が、私の目を貫く。私より奥の誰かを見ているようだった。

「家族も、もう居ないんです」

「それでも…!」

「え、どうして事情も知らずに、死ぬことを止めるんですか?」

 純粋に疑問だった。生きることが正しくて、死ぬことが間違っているなんて、誰が決めたんだ。どうして見ず知らずの人間を心配して、自殺を止めるのか。あなたにとって私なんて、赤の他人であり、どうでもいい人じゃないか。

 店員の瞳が正気を取り戻したように、私自身に戻る。

「大変失礼しました。つい…自殺した娘を思い出して…」

 そうだよ、思い出して。あなたは店員で私は客。それだけの関係に、深い話なんていらない。

「そうですか…さぞ辛かったでしょうね。事情はわかりませんが、きっと今、娘さんは幸せですよ」

 私は鞄の中身を詰め替え、元着ていた服と靴、それに鞄を渡し、会計をする。

 潤んだ瞳の彼女は、呆然とレジに数字を打ち込んだ。

 昨日までの私なら、手も出せないような額が表示される。それを軽々しく財布から出し、その上にトランプも置いた。

「お手数かけてすみませんが、このカードも一緒に処分しておいてください。あと、あなたは素敵な人ですね」

 少しだけ、昔の笑顔を思い出せた気がした。口角なんてそれほど上がらなくて、瞼だけが重く落ちるのがわかる。

「……わかりました。ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 テンプレートが背後から聞こえた。私はナガトと共に、店を出る。

 人には色々な事情や過去がある。だからこそ、あの人は私を止めたのだろう。彼女の善意だけは伝わった。

 トランプケースから消えたのは、ハートのジャックだった。

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أحدث فصل

  • 優しい三途の川の渡り方   あとがき

    皆様、最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。 今回、私の中では新しいジャンルに挑戦したつもりです。 今までは、生死に関する物語でも、最後には『生きて』ということを主張する物語ばかりでした。 ですが今回、『本当に死にたいと思っている人は、そんな夢物語で変われるのか』ナガトの言うように、『死にたいと思っているほど辛い思いをしている人に、生きろと言う方が酷なのではないか』と思い、このお話が生まれました。 もちろん、読者様には死を選んで欲しくはありません。ただ少し、その辺の感情を出し、極限状態まで追い込まれた人が、狂った先にあるものを書きたかったのです。 そして、若村有利と真逆の考え方を持つナガト。 有利よりも、ナガトの考え方のほうが私寄りです。 私も、苦しみの次は幸せが来るし、その次はまた不幸が訪れ、また幸せがくるというサイクルを信じています。 それが生きている人の特権であるとも思っています。 この作品は、正反対の二人が描く、〝考え方〟の物語だと私は思っています。 物事は、捉えようによって、人生が変わります。 前向きに考えれば考えるほど、人生は豊かになると信じています。 もちろん、それにも欠点は付き物ですが。 私は、全てを前向きに捉えていきたいと思っています。そしてそのまま、私という人生の道の先へと進んでいきたい。 読者様にも、色々な〝考え方〟や〝捉え方〟があることを、心に刻んで、これからの人生を歩んでいって欲しいと思います。 苦しい時は、「あ、これは、もう少ししたら凄くいい事があるかも!」というように、考えて頂きたいです。 とは言っても、やはり辛い時は、そんなことを考える余裕もなくなるかもしれませんが。 それでも私は、読者様や全世界に生きる全ての人の幸せを願っています。 無理なことは承知の上ですが、全ての人々が幸せになって欲しい。 これは私の願いです。 このお話によって、少しでも新しい考え方を知ることが出来たり、それによって心が楽になった方がいらっしゃったら幸いです。 ここまであとがきを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。 私もまた先へ進みます。 また別の作品でお会い出来ると幸いです。 ありがとうございました。2020.03.21. 氷高 ノア

  • 優しい三途の川の渡り方   渡り方

    いつの間にか、辺り一面が闇に染まっていた。 橋の下で小さく座る私たちは、流れ方の違う時間を共有している。 水の囁きと、傍を通る車のエンジン音が、言葉のない私たちの間を駆け抜けていった。 まなみさんの過去を話すと、ナガトは次第に落ち着いていき、最後は静かに泣いていた。 ナガトの涙を目にするのは初めてだった。 といっても、まだ出会ってから二十四時間も経っていない。それにも関わらず、私はナガトに素を見せることができていた。感情を解放し、新しい考え方を知ることが出来た。 今日初めて出会った人なのに、これほど自分が自分でいられるのは、きっとナガトだからなのだろう。 幽霊かなんて、関係ない。 何故、私にだけ見えるのかを考えてみた。どうして私がナガトに出会ったのか。 一つの答えとして、私の死期が近づいているからなのかもしれない。 もしくは、ナガトと私が正反対だからか。 死ぬことを望んでいる私と、生きることを望んでいるナガト。 お互いに見える世界が違って、でも苦しんでいて。だからこそ、二人で支え合えると神様が結んでくれた縁なのかもしれない。 ナガトのおかげで、私は異なる視点から物事を捉えられることを知った。 私は、ナガトとまなみさんを多少なりとも救えたのではと思う。 ナガトはあれから何も言わない。 これからどうするのだろうか。死んだという事実を受け入れかけている今、このままこの世を彷徨うのか、あの世と言われる世界へ向かうのか。「ナガトは、これからどうするの?」 道路を走る、車の光に照らされた川を見つめて呟いた。 その上にかかる橋は、随分と遠くまで伸びており、川は相当深いと思われる。 ナガトも同じ方向を見つめていた。「どうすればいいんだろうな。鉄骨が落ちてきた時、『あ、死ぬかも』と思って記憶が途切れて、別に神様に会うこともなくここにいる。目覚めたのは、事故から多分数ヶ月は経ってたんだよな。何が起こったのかもわからず、でも死んだと思いたくなくて、無理やり生きてた。生きてる証拠を探して。でも本当は最初からわかってたんだよ。腹も空かねぇ、話しかけても答えてくれねぇ、時々ふわっと飛んでいきそうな瞬間がある。認めたくなくて、この世にやり残したことが多すぎて、死ぬに死にきれなかったのが俺だよ」 神様なんて、本当にいるのだろうか。いるのならいっその事

  • 優しい三途の川の渡り方   傷の在り方

    ナガトとまなみさんが出会ったのは、大学に入学してすぐだったと、彼女は言った。 学部や学科、更には偶然アルバイト先までも同じで、話す機会が増えていったという。 まなみさんはナガトが人生を謳歌している姿や、どんなに困難なことに直面しても、前向きに進む姿に、次第に惹かれていったらしい。 一回生の終わりごろ、二人は付き合うことになった。 ナガトとは趣味も話も合い、まさに運命を感じていたのだそう。 社会人になってからも、二人の縁は切れることがなかった。 二十四歳の冬、まなみさんは上から転勤を命じられた。かなり離れた土地のため、遠距離恋愛になるかもしれないと告げると、ナガトからプロポーズされたと。 ナガト自身も、なんとか近くに住めるようにしようと言ってくれたらしい。 そして、まだどこに住むかを決める手前、ナガトは死んだ。 工事現場の近くを歩いていたところ、上から鉄骨が落ちてきて、即死だったそう。 神様がナガトの命はここまでだと言わんばかりに。 まなみさんはナガトのことを心から愛していた。 そのため、その傷はずっと癒えなかった。 一人闇の中に取り残され、孤独でたまらなかったと。 周囲の人に支えられ、なんとか仕事は行くことができたらしいが、常に上の空で、転勤先でも失敗ばかりだったという。 もう一生好きな人も恋人も夫もいらないと、固く心を閉ざしていた。失った悲しみは、日に日に増すばかり。 そんな中で、一際まなみさんを支えたのが、今の旦那さんだったそう。 旦那さんは転勤してきたまなみさんに一目惚れし、噂で聞いた彼女の辛い過去を知った。 それからは全力でまなみさんを励ましてくれ、時間をかけて心の扉を開けてくれたらしい。 それでも、やはり傷跡は残っている。今はもう三十代半ばに差し掛かるらしいが、ふとした時に思い出しては辛くなるのだそう。 旦那さんのことを愛してはいても、あの頃の最大の愛と傷を、忘れられない。今もずっと、心のどこかで探していると、彼女は言った。 まなみさんの痛みは、計り知れない。両親を亡くした私でも、同情していいものとは思えなかった。 辛くて苦しくて、どうしようもない思いに襲われる。どこに行っても失ったものは帰ってきてはくれなくて、残された自分は、一人で孤独に生きているのだ。 私はここで諦めてしまった。死を選んだ。 けれど、

  • 優しい三途の川の渡り方   受け入れ方

    その真実に瞳が揺れた。 やり場のない感情は、まるで誰かに心臓をねじ曲げられたようで、背筋に冷気が襲った。 娘の相手に一段落した男が家から出て来て、まなみさんを優しく連れ帰る。 その後ろ姿を呆然と眺めながら、私はナガトが去っていった道につま先を向けた。「ナガト……」 思わずその名を口にする。次の瞬間、私は走り出していた。 ドレスを着て、髪型も整えられた女が、服装を間違えた陸上選手のように全力疾走する。 パンプスのヒールが弾け飛ぶように、コンクリートを殴った。「待って……。待ってナガト!」 どこに行ったのかもわからないナガトを、無我夢中で探す。 ナガトが行ったであろう曲がり角のずっと先には、開けた道があった。 車が往来し、先程の閑静な住宅街とはまるで違う雰囲気を醸し出す。 まだ夏の蒸し暑さが残る日の元で、道路の先に見えるものを確認しに走る。 体も心も、何も感じなくなっていたはずのに、やはり私は生きているようで、公共機関も使わずに歩いた足が悲鳴をあげていた。 久々に走ったことにより、呼吸が激しく乱れる。息をする度に、横腹が痛くてたまらない。 道路の端に立つと、横断歩道の向こう側に何があるかハッキリとわかった。 赤くなった太陽の光を、これでもかというほど反射させ、それ自身の流れも加わり、煌びやかな情景を作り出していた。「……川だ」 何故だかそこに進んだ。 子供が信号待ちをする前を、堂々と渡る。 赤信号にゆっくりと死にかけの足を進める私に、クラクションと脅威の視線が刺さる。 なんとか止まった車から、罵声が浴びせられるも、私の脳内には響かなかった。 ただひたすらに、行かなければという最後の信念で、息を切らした私は歩いた。 川のほとりに彼はいた。橋の下ということもあり、他より少し暗い中に佇む姿は、私に真実を告げているよう。 小さな堤防のように斜めったコンクリート上で、ナガトは私に気がついた。 瞬間、視線と体の向きを反対に移動させ、赤の他人であるように歩き出す。「ま、待って……!」 二人の間にある数メートルの距離を走り、私は手を伸ばした。 ナガトの黒いジャケットから出た、骨ばった手を目掛けて掴む。 ───はずだったのに。 その時だけ時間が止まったようだった。 私の指先は、確かにナガトの手に届き、ナガトがその瞬間を横

  • 優しい三途の川の渡り方   語り方2

    車一台がようやく通れるほどの道が続く。その上で、スニーカーの地面を弾く音と、パンプスのコツコツと鳴く深い音だけが響いていた。 もう随分と歩いている気がする。空が少し赤く染まりだしてきた。 足がびりびりと痛む。血の巡りが悪いせいだろう。なぜだか笑えてきた。弱々しい最期を迎えている自分に酔っていたのだ。「ナガト、どこに向かってるの?探してる人の家?」 ナガトは少し間をあけた後、木の葉が揺れる音と重ねて口を開いた。「探してる……人の実家かな。今日のはずなんだ」 そこでナガトは足を止めた。つられて高く深い足音も消える。「……やっぱり、人ってどうしようもなくなると、誰かに縋りたくなるんだよな」 ナガトの背中は小さかった。あんなにも堂々としていた彼はどこに行ってしまったのだろう。「ナガトでもそんな時があるの?」「あった。今だな。俺は俺だから、別にお前に話す必要なんてないだろうし、結局どうにもならないことなんだろうけど…。それでも、吐き出していいか?」 ゆっくりと体をこちらに向けるナガト。その姿は逆光に包まれ、まるでナガト自身から光が漏れ出しているかのようだった。 話すとはなんのことだろう。今探しているものなのか、探す原因になった過去か。いずれにせよ、それはきっとナガトにとって一番重荷であり、辛い事なのだろう。もうすぐ死んでしまう私に話したくなるくらいに。「いいよ。私もう死ぬし、今後に影響は出ないから大丈夫。それに、こんな私でも一応まだ生きてるらしいから、愚痴をこぼす相手くらいはできるよ」 風に踊らされた木の葉が、私たちの足元で舞い、去っていく。 ナガトは、深く息を吐いた。そして、「よし」と小さく呟く。「ずっと、婚約者を探してるんだ。もう何年も。大学で出会って、付き合って、卒業して仕事も少しずつ慣れてきて、婚約した。まなみって言うんだ。式の予定もあった。だけど、突然連絡が取れなくなった。多分あれは二月頃だ。四月からまなみが転勤するのは知ってたけど、まだどこに住むのかは決まっていなかった」 何年も婚約者を探しているだなんて。そんなのもう結婚詐欺か浮気か何かでしょ、と言いそうになって止める。 ナガトは否定しなかった。だから私も否定はしない。「一度だけ、まなみの実家に行ったことがあるんだ。まなみは大学から一人暮らしをしていたから、かなり遠出だっ

  • 優しい三途の川の渡り方   語り方1

    商店街を抜けて脇道に進むと、一気に人通りが少なくなった。 家々が立ち並び、雨風で汚れたコンクリート製の壁が、細い道を歩く私達に圧迫感を強いる。 庭から見える木は、多少色素が変化してきていた。 まだ日は高く昇っている。 前を歩くナガトは、歩幅を合わせてくれていて、新品のパンプスを履いていてもそれほど辛くはなかった。 風が前から吹き荒れる。まだ生暖かい風は、少しずつ秋の香りを運んでいた。 人間の記憶と嗅覚は繋がっていて、しばしばその記憶は強く鮮明だという。 そのせいだろうか。あの頃の記憶が脳裏に浮かぶ。「このくらいだったかなぁ」 本当は言うつもりなんてなかった。でも、ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。 足はそのまま動かすも、ナガトは「ん?」と呟いて振り向いた。「両親がね、去年死んだの。交通事故。最初は意味がわからなくて、ずっと夢だと思ってた。何が起こったのか理解できないまま、葬式を終えて、仕事に戻って…」 人は、嫌な記憶を忘れるように出来ているらしい。記憶上の私は、ぼんやりとしている。「今年で二年目だから、去年は新入社員だったの。しかもブラック企業の。だから本当に辛くて、たまに実家に電話してたのよね。ある時、上司に理不尽に怒られたんだったかな。家に帰って思わず電話しちゃったの。出るわけがないのに。そこで気がついちゃった。もうこの世界のどこにも居ないんだって」 スマートフォンを握りしめて泣いた。もう「大丈夫だよ」と言ってくれる存在がいないことを知った。 一人っ子の私を、ここまで立派に育ててくれて、大学も就職も、自分の好きなところに進みなさいと、温かく見守ってくれた。 間違っていたら叱ってくれた。発表会で失敗して泣いていたら、慰めてくれた。試合で負けて悔しがっていたら、次はいけると応援してくれた。友人関係で苦しんでいたら、隣で静かに頷いて話を聞いてくれた。嬉しいことがあれば、一緒に喜んでくれた。 それは今まで、当たり前だったんだ。 これから先、永遠に続くと思い込んでいた。 でも、それはとんでもなく特別なことで、そんな日々が存在すること自体、奇跡だったのだ。 失ってから気がついたところで遅かった。 何も言えなかった。 就職して一人暮らしをする時だって、気恥ずかしくて、ここまで育ててくれてありがとうなんて言えなかった。

  • 優しい三途の川の渡り方   考え方3

    「さっきの、聞いてたでしょ?どう思った?」 反応を見ることが楽しくなってきた私は、ナガトに聞いてみる。ナガトは相変わらずで、「別に」と吐き捨てた。「別にってなによ、面白くないなぁ。私今日死ぬんだよ?」 周りの視線が、こちらに向いているのを感じた。わかってる。あなた達にとって死ぬことが間違っていることくらい。「死にたいなら死ねば?」 ナガトの言葉が私を締め付ける。なんだろうこれは。当たり前のことを言っているのはわかっているし、別に傷ついたわけでもない。 それなのに何故かその言葉は、私の中でパワーワードだった。「死にたいと思うやつは、死ぬ事が唯一の幸せなんだろ。だったら、そいつに

  • 優しい三途の川の渡り方   考え方1

    時計を見ると、まだ午前十時だった。 学生時代の私なら、まだ夢の世界にいる時間だ。 都会とも田舎とも言えないこの街の平日は、非常に穏やかなものだった。 それなりの人数がどこかへ向かって歩き、すれ違い、車の音や誰かの話し声が空気を泳ぐ。 次はどこへ行こうか。そうだ、一駅向こうの百貨店にでも行こう。 ただ漠然とそう思って、足を動かした。「危ないぞー」 耳元で息を吹きかけられたような気がして、勢いよく振り返る。 でも、その言葉を発した人間は誰もいなかった。 その代わりに、横断歩道の向こう側にいる若い男性が、真っ直ぐ先を見つめている。「あー!ぼーう、ぼーう!」 まだ発音がしっか

  • 優しい三途の川の渡り方   評価の仕方2

    大分日が昇った。シャッターを閉めていた店が次々と顔を出し始める。 その中でも、少し早くから開いた美容院に足を踏み入れた。 「すみません。予約してないんですが、いけますか?」 ヒノキの香りが鼻腔を引っ掻き回す空間に、綺麗なスタイルの女性スタッフが二人。 もちろんと言うように笑顔で受け入れてくれた。 「今日はどういったようにしましょう」 私の髪を櫛で整えながら、金色に艶めく髪を巻いた女性が言った。 手入れされてないことが一目でわかる私の髪とは大違いだ。 「うーん、そうですね。ちょっとね、人生の晴れ舞台に似合うような髪型にしてほしいんですよ」 「あら、それでしたら、可

  • 優しい三途の川の渡り方   評価の仕方1

    学生の時に頑張ってアルバイトをして買った、上等の白い革製の肩掛けの鞄に、財布とスマートフォン、それに通帳と保険証、あとは数の足りないトランプを詰めて狭い家に別れを告げた。 鍵はかけないでおいた。死体で見つかった時に自宅を捜索されるかもしれない。だから『どうぞ見てください』と言わんばかりに、入口の床に鍵を寝かせた。 「さようなら」 口角だけを最高に引き上げ、心の中で扉の向こうに挨拶し、錆びついた鉄製の階段を下りた。 まずは銀行。 明日払う予定だった家賃代と、無に近い預金、合わせて数万円。 返ってきた通帳に記載されていた数字は0。 久々に財布が潤った。 今日一日、こ

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