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考え方2

Author: 氷高 ノア
last update Last Updated: 2025-12-23 20:42:26

 ひと駅向こうの百貨店に行くまでは、約二十分ほどだっただろうか。

 その間、私たちが会話をすることはなかった。

 私は最期になる全ての景色を噛み締めながら歩き、ナガトは一定の距離を保って後ろにつく。

 閑静な住宅街を抜け、並木道を通り、大きな橋を超えると、やがて商店街が見えてくる。

 人通りの多いこの場所は、私には眩しかった。

 買い物に来た客。生きるためにそれに声をかける店員。派手な服装をした人。笑っている人。食べ歩きをする人。最近流行りの飲み物を手に、嬉々とした表情で商店街を見渡す人。

 幸せそうでなにより。私も、今後のことを思い浮かべるだけで幸せだ。あなた達とは違う形のシアワセ。

 後ろを振り返ってみる。人の流れに呑まれながらも、ナガトは私について来ていた。

 変わった人だ。でも、彼だって私のことをそんな風に思っているだろう。

 いきなり見知らぬ相手に話しかけ、今日一日付き合えだなんて言う人間なのだから。

 そんな商店街を抜けると、もう目の前は駅だった。駅の中にある百貨店へ向かう。

 百貨店の商品はどれも高い。当たり前のことだが、それを買う客もお金を持っていそうな人ばかりだった。

 大粒の真珠のネックレスや、艶のいいカバン、オシャレに巻かれたパーマの人々が目に入る。

 場違い感はもちろんあった。

 だが今日は。今日だけはこの人たちと同じになれる。

「いらっしゃいませ」

 優しい声と微笑みが私たちを出迎える。目の前に広がるのは、当然ながらブランド物の服屋だ。

「ナガトもいいの選んでよ。私に似合うパーティドレス」

 掛かってあった白いドレスのスカートを、広げ見ながら呟く。

 横目で様子を見ると、ナガトは少し口を尖らせ、嫌そうな表情をしながらも店内を見回していた。

「何か、お探しでしょうか」

 高らかな声の女性店員が、美しい営業スマイルを浮かべている。私もその色を真似て、作り出してみた。

「可愛いパーティドレスを探してるんです。あとはカバンと靴も欲しいですね」

「それでしたら、こちらの白いドレスはいかがでしょうか。新作でして、今とても人気なんです」

 差し出されたドレスは、ウエディングドレスのような白さに、七分袖と襟元がレースというもの。スカート部分がふんわりと優しく落ちていて、逆さにするとブーケのようだ。

「綺麗ですね!うーん、でも、もう少し暗い色か赤めの色はありませんか?泥や血で汚れると、せっかくのドレスが台無しですから…」

 一瞬その人の頭に、はてなマークが浮かぶ。

 当たり前だ。パーティドレスを着て、一体どこに行くんだと思うだろう。でも、流石は百貨店の店員。顔色を変えず、丁寧に説明してきた。

「そうですね。こちらのモデルは最新のため、まだ白色しか発売されていません。申し訳ございません。ですが、旧型のモデルでしたら、紺やワインレッドなどがございます。少々お待ちください」

 目で頭を下げ、その場を立ち去り探しに行く。

 私は、渡された白いドレスを元の位置に戻した。隣や向かい、奥にも様々なドレスが置かれている。

 綺麗だ。私の家にあったパイプハンガーとは月とすっぽんだな。

 昔はきっと、こんな場所に来たら目を輝かせて商品を見ていた。だが、どうしてだろう。綺麗だとは思っても、心がまるで反応しない。

 胸に手を当ててみる。

 踊っていたはずの鼓動は、もう酸素を送る機械でしかなかった。

 ああ、やはり死んでしまったんだな。

 冷たい目で、まだ暖かい手のひらを見る。こんな状態でも、果たして私は〝生きている〟のだろうか。

 人間とは不思議なものだ。

「ナガト、いいのあった?」

「…わかんね。だってどれもいい物じゃないか」

「……そっか」

 ナガトの言葉も不思議だ。それほど会話をしていないのに、一つ一つの言葉が前向きで、生きているという感じが伝わってくる。

 自分が生きるために子供を助けなかったのは、どうかと思うけれど、何故か私より正しい感じがして嫌だった。

「お客様、こちらのドレスはいかがでしょうか」

 先程の店員が、荷物を抱えて戻ってくる。その腕の中には、言った通り紺とワインレッド、そしてブラックのドレスがあった。

 鏡の前の私に、それを着てもらう。正直、旧型と新型の違いがわからなかった。色が違うのは明確だが、他のデザインの違いがわからない。

 少しだけ、旧型の方がレースの模様が詰まっている気がする。それだけの違いだった。

「いいですね!じゃあ、試着してもいいですか?」

「はい、わかりました。ご一緒にこちらの靴はいかがでしょう」

「あ、じゃあそれも。あと、このドレスに似合いそうな鞄も探して貰えますか」

「わかりました。では、あちらの試着室へどうぞ」

 案内してもらった試着室で、お気に入りだったワンピースを脱ぎ捨て、高級な黒いドレスに袖を通す。背中を真っ直ぐに割るチャックを、なんとか自分で引っ張りあげた。

 大きな鏡に映る私は、最近の私とは別人だった。

 悪魔だ。私の死を笑う悪魔がそこにいる。

 そして私自身も、それを喜んでいる。

 服を脱いでも乱れない、均等に巻かれた肩までの髪。整形級のメイク。さらに、袖の黒いレースから見える肌が妙な雰囲気を誇張していた。

「お疲れ様です」

 シャッとカーテンを開けると同時に、声が飛んでくる。その手には、また服に合わせた色合いの鞄があった。

「まあ!お客様はスタイルが良いので、よくお似合いです」

「本当ですか!ありがとうございます」

 褒められて、悪い気はしない。

 ストレスとお金の関係から、あまり食べられなくなったせいで、自分でも細くなったとは思う。綺麗とは言えないが。

「はい。靴と鞄も、こちらの三点ずつご用意致しました」

 左から順に、ブラック、ホワイト、シルバーが並ぶ。

 指先とかかとの部分だけが隠され、足首をパールのようなもので縛られる形のパンプスだった。

「ドレスの方が黒ですと、シルバーがいい感じにアクセントになるかもしれません」

「じゃあそうします。あと、鞄はその黒で」

 持っているものは、候補のドレスと同じ色の鞄だった。だったら、黒には黒で染め上げた方が美しいはずだ。それほどファッションに詳しくないが。

「かしこまりました。では、レジの方にお持ちしますので」

「あ、あと、このまま着て帰ってもいいですか。靴も、鞄も」

 珍しい客だと思ったのか、言葉に間が空く。そしてまた彼女は笑みを浮かべた。

 可哀想。営業スマイルで、延々と客に媚へつらわなければならないなんて。

 そうしなければお金が入らない。生活できないなんて。

 昨日までの私みたいで、本当にカワイソウ。

「わかりました。では、タグをお切りします。着ていた服を代わりに袋にお詰めしてもよろしいでしょうか」

「あーいえ、もし良ければ捨てておいて貰えますか?私、もう死ぬんで、要らないんですよ〜」

 営業スマイルに負けない、作り上げられた悪魔の微笑みを全面に出す。

 この服装の雰囲気を吸収した私の笑みは、さぞかし不気味だっただろう。

 後ろにいるナガトには、どう見えただろうか。私の背中は笑っていただろうか。今の私なら、背中にも顔を浮かばせることができそうだ。

 そこにきて初めて店員の顔色に変化が現れた。ゾッとしたような、驚いたような、怒っているような表情。

「お客様…失礼ですが、ご冗談ですか?」

「いいえ。本気ですよ?」

 彼女の瞳が震えるのが分かった。どういう表情なのか、読み取れない。世の中には色んな反応をする人がいるものだ。

「駄目です…。絶対に死なないでください…。御家族が悲しみます」

 震える瞳が、私の目を貫く。私より奥の誰かを見ているようだった。

「家族も、もう居ないんです」

「それでも…!」

「え、どうして事情も知らずに、死ぬことを止めるんですか?」

 純粋に疑問だった。生きることが正しくて、死ぬことが間違っているなんて、誰が決めたんだ。どうして見ず知らずの人間を心配して、自殺を止めるのか。あなたにとって私なんて、赤の他人であり、どうでもいい人じゃないか。

 店員の瞳が正気を取り戻したように、私自身に戻る。

「大変失礼しました。つい…自殺した娘を思い出して…」

 そうだよ、思い出して。あなたは店員で私は客。それだけの関係に、深い話なんていらない。

「そうですか…さぞ辛かったでしょうね。事情はわかりませんが、きっと今、娘さんは幸せですよ」

 私は鞄の中身を詰め替え、元着ていた服と靴、それに鞄を渡し、会計をする。

 潤んだ瞳の彼女は、呆然とレジに数字を打ち込んだ。

 昨日までの私なら、手も出せないような額が表示される。それを軽々しく財布から出し、その上にトランプも置いた。

「お手数かけてすみませんが、このカードも一緒に処分しておいてください。あと、あなたは素敵な人ですね」

 少しだけ、昔の笑顔を思い出せた気がした。口角なんてそれほど上がらなくて、瞼だけが重く落ちるのがわかる。

「……わかりました。ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 テンプレートが背後から聞こえた。私はナガトと共に、店を出る。

 人には色々な事情や過去がある。だからこそ、あの人は私を止めたのだろう。彼女の善意だけは伝わった。

 トランプケースから消えたのは、ハートのジャックだった。

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