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光の主役、影の懺悔
光の主役、影の懺悔
Author: リリィ

第1話

Author: リリィ
世界一の富豪である高橋景介(たかはし けいすけ)は、有名なワーカホリックだった。浅見奈緒(あさみ なお)は彼と結婚して五年になるが、仕事のために何度も置き去りにされてきた。

一度目は、奈緒の誕生日だった。彼女が心を込めてレストランを予約したというのに、景介は買収案件のために急遽海外へ飛び、彼女が昼から夜まで待ち続けるのを気にも留めなかった。

二度目は、彼女が交通事故に遭った時だった。生死の境を彷徨い、緊急手術のために家族の同意署名が必要だった彼女は、途切れそうな意識の中で最後の一振りの力を振り絞り、彼にメッセージを送った。

しかし、返ってきたのは【取り込み中だ。重要な件だから、自分で処理しろ】という冷淡な一言だけだった。

三度目は、彼女の父親が危篤になった時だった。父は景介の顔を一目見たいと願っていたが、彼は数兆円規模のプロジェクトの調印式に忙殺され、ついに姿を見せることはなかった。

奈緒は次第に冷たくなっていく父の手を握りながら、電話の向こうから流れる「ただいま電話に出ることができません」という無機質なガイダンスの声を、ただ呆然と聞き続けていた。

その瞬間、彼女の心は底知れぬ絶望に染まり、完全に冷え切った。

何度も、何度も。彼女はようやく悟った。景介の心の中では、どんな出来事も、どんな人間も、自身の築き上げたビジネス帝国には及ばないのだということを。

これは政略結婚の代償なのだと、奈緒は自分に言い聞かせた。最初から、彼は愛することはないと言っていた。だが、彼が他の誰も愛していないことが、せめてもの救いだった。

しかし、その絶望に慣れかけていた頃、社交界に驚くべきニュースが飛び込んできた。

あの女っ気がなく、仕事のことしか頭にないはずの景介が、あろうことか一人の女性と交際し、手のつけられないほど甘やかしているというのだ。

噂によれば、彼はその女の子と海外の雪山へスキーに行くために、調印を控えた数兆円のプロジェクトを反故にしたという。

またある噂では、彼女が飼っている子猫の看病に付き添うため、一週間連続ですべての会議をキャンセルしたとも言われている。

さらに、彼はその女の子が数億円の価値がある契約書に落書きをするのを許し、彼女が「つまらない」と言っただけで、創業以来の重鎮たちとの会談を即座に打ち切ったという……

奈緒はこれらを聞いた時、最初は信じられなかった。

そんなはずがない。相手はあの景介なのだ。時間を命よりも尊び、常に理性的な、あの景介がそんな痴態をさらすはずがない!

奈緒は突き動かされるように、自身のあらゆる人脈と貯金を使い、密かにその女の子を調べた。

しかし、景介はその女の子を鉄壁の守りで隠し通していた。奈緒が多大な労力と大金を投じてようやく手に入れたのは、極めて不鮮明な横顔の盗撮写真一枚だけだった。

写真の中の女の子は若く愛くるしい様子で、景介に大切に抱き抱えられていた。その慈しむような仕草は、結婚して五年の間、奈緒が一度も得られなかったものだった。

その写真を手に入れた当日の午後、奈緒は心ここにあらずの状態で外出したが、道端に出た瞬間、一台の黒い高級車が制御を失ったかのように猛スピードで彼女に向かって突っ込んできた。

奈緒は車の中の人物を確認することさえできず、体が宙に浮き、激しく地面に叩きつけられるのを感じた。激痛が全身を駆け抜け、意識は急速に闇に飲み込まれていった。

再び目を覚ましたのは、消毒液の鼻を突く匂いが漂う病院の中だった。

視界に入ったのは、景介の第一秘書の事務的な顔だった。

「奥様、お目覚めですか」秘書の声には何の感情もこもっていなかった。

「高橋会長からの伝言です。『不必要な詮索はするな。さもなくば、次はただの事故では済まないぞ』とのことです」

奈緒はカッと目を見開いた。あまりの衝撃に、胸の奥を抉られるような痛みが走り、呼吸さえままならない。

彼だったのか?

あろうことか、本当に彼が仕組んだというのか!

たかが、あの女の子の横顔を調べたというだけで。彼は自分を黙らせるための「警告」として、妻である自分に交通事故を仕掛けることすら厭わなかった。

巨大な衝撃と心の痛みが、津波のように奈緒を飲み込んだ。

長年愛し続けてきた男、仕事にしか情熱を持たないと思っていた男が、別の女のためにこれほどまでに狂気じみた、残忍な真似ができるなんて。

信じたくなかったが、信じざるを得なかった。

あの女の子の素顔を拝むことなど、一生叶わないだろうと彼女は思った。

しかし一週間後、思いもよらない場所から一本の電話が彼女の元に入った。

警察署からだった。

「……高橋景介さんのご家族でしょうか?実は通報がありまして……高橋さんに買春の疑いがかけられています。至急、署までお越しいただけますか……」

奈緒の頭の中でゴンと大きな音が響いた。思考が真っ白に染まる。

買春?あの景介が?

彼女は魂が抜けたような足取りで警察署へと駆けつけた。

署内に入ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、仕立ての良い華やかなドレスを纏った、まだ二十歳そこそこにしか見えない若々しい女の子だった。彼女は受付の椅子にふんぞり返り、傲慢な態度で不満をぶちまけていた。

「どうしてまだ彼を呼んでないのよ!私は彼を買春で訴えるって言ってるの。言葉が通じないわけ?それとも、彼が世界一の大富豪だからって、怖くて手が出せないってこと?」

周囲の警官たちは顔を引きつらせ、冷や汗を流しながら必死に言い繕っていた。「何かの誤解ではありませんか?高橋さんがそのような……」

「何が誤解よ!」女の子は不機嫌そうに床を蹴った。「あんたたちが動かないっていうなら、別の署に行って訴えるまでよ!」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、署の外で激しい急ブレーキの音が響いた。

一台の黒い高級車が止まり、完璧に仕立てられた黒のスーツに身を包んだ景介が現れた。彫刻のように整った冷徹な顔立ち、そして周囲を圧する圧倒的なオーラに、騒がしかった署が一瞬で静まり返る。

彼は真っ先に奈緒の姿を捉えると、即座に不快そうに眉をひそめ、氷のように冷たい声を投げた。「……なぜお前がここにいる」

奈緒は喉が固く締まり、かろうじて掠れた声を絞り出した。「警察から……電話があったから……」

景介の表情はさらに険しくなり、有無を言わせぬ口調で切り捨てた。「お前の出る幕などない。さっさと帰れ」

言い捨てると、彼は二度と彼女を振り返ることなく、騒ぎの主である女の子の方へ歩み寄った。

そこで繰り広げられた光景に、奈緒は雷に打たれたような衝撃を受け、全身の血が凍りつくのを感じた。

あの、常に高潔で、他者に媚びることなど決してなかった景介が、あろうことかその女の子の前に跪いたのだ。彼は彼女を見上げ、奈緒が五年間の結婚生活で一度も耳にしたことのない、とろけるほど甘く優しい声で、機嫌を伺うように囁いた。

「一葉。誰が俺の愛しい人を泣かせたんだい?ん?」

佐々木一葉(ささき かずは)は目尻を赤く染め、不満げにぷいっと唇を尖らせた。その態度は、これほど理不尽なわがままを言うのがさも当然の権利であるかのようだった。

「あなたよ!メッセージを送ってから三秒以内に返信しなかったでしょ!それが許せなくて、腹いせに買春だって通報してやったのよ!」

あまりに身勝手で荒唐無稽な理由に、その場にいた者たちは一様に絶句し、冷たい沈黙の中で息を呑んだ。

しかし景介は怒るどころか、低く愉しげに笑い声を漏らした。彼は一葉の頬を愛おしげに撫で、信じられないほど寛大な口調で言った。

「いいよ、俺が悪かった。君が俺を通報して捕まえたいと言うなら、本当に数日間留置所にでも入って、君の気が晴れるまで反省しようか?」

そう言いながら、彼は本当に隣の警官に手を差し出し、手錠をかけるよう促した。警官たちは景介の振る舞いに、顔を青くして後ずさりする。

秘書が慌てて割って入った。「一葉様、誤解です!会長は今日の午前中、不運な事故に遭い、腕を負傷されたのです。ずっと病院で処置を受けていて、スマホも充電が切れていました。だから返信が遅れてしまったんです。どうか、怒らないでやってください!」

一葉はそれを聞くと急に慌て出し、景介の手をひったくるように掴んだ。果たして、スーツの袖口から白い包帯が覗いている。

彼女の目から一気に涙が溢れ出した。「……怪我してたの?どうして早く言わないのよ!」

景介はただ優しく、指先で彼女の涙を拭った。「理由がどうあれ、即座に返信すると約束したのに守れなかったのは俺の落ち度だ。罰を受けるのは当然だよ」

一葉はさらに激しく泣きじゃくり、彼の胸に飛び込んだ。「どうしてそんなに優しいのよ……」

景介は彼女を抱き寄せ、耳元で愛を囁いた。「愛しているからだよ。俺が悪かったんだ、一葉。どんな罰がいいかな?」

一葉は泣き笑いの表情を浮かべ、瞳をくるりと動かすと、署内の床を指差した。「じゃあ……ここで『お馬さんごっこ』をして!」

秘書の顔色が変わり、慌てて止めようとしたが、景介が片手でそれを制した。

彼は彼女を慈しむような眼差しで見つめ、尋ねた。「どうしても、ここでか?」

「絶対、ここで!」

「わかった」景介は躊躇することなく、みんなの前で、その高貴な膝を汚れを厭わず地につけた。四つん這いになり、穏やかな声で言った。「おいで」

一葉は歓声を上げて笑い、慣れた様子で彼の背中に跨がった。誇り高いお姫様のようだった。

世界の経済ニュースを席巻し、一言で市場を揺るがすあのビジネス界の帝王が、今、愛する女の子を背に乗せて警察署の床を這い進んでいる。その顔に不快感や屈辱の色など微塵もなく、あるのは際限のない寛容と溺愛だけだった。

警察署内は水を打ったように静まり返り、誰もが生唾を呑み込むことさえ憚られるような静寂に包まれている。

ただ奈緒だけが、必死に口を覆い、決壊したダムのように涙を流し続けていた。

この目で見なければ、死んでも信じなかっただろう。あの冷酷無情で、仕事こそがすべてだと思っていた景介に、こんな一面があったなんて……
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