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第6話:最後の一枚が眠る町

Author: Sunny
last update publish date: 2026-08-02 12:44:15

八年後。

神崎玲のもとへ届く依頼の大半は、加瀬の手元で選別される。

投資案件。

財団への寄付依頼。

美術館との共同事業。

玲が直接確認する必要のないものは、担当部署へ回される。

その日、会議を終えた玲の前へ置かれたのは、地方の港町で開催される国際アートフェスティバルの企画書だった。

「現時点では、小規模な地域芸術祭です」

加瀬が資料を開く。

国内外の若手作家を招き、町全体を展示会場として利用する計画だった。

開催は三か月後。

企画自体は悪くない。

しかし、玲の財団へ持ち込まれる案件としては珍しくなかった。

「僕へ回した理由は何ですか」

加瀬が参加予定者の一覧を表示する。

玲の視線が、一つの名前で止まった。

ジャン・モロー。

「ジャンさんが関わるんですか」

「後援を検討しています。当初は財団名義を貸す程度の依頼でしたが、本人が出資まで考えているようです」

玲は企画書を見直した。

欧州の貴族出身で、複数の美術財団に強い影響力を持つジャンが、自らこの規模の芸術祭を調べている。

不自然だった。

エレナが亡くなって以降、玲とジャンはコレクターとして競い続けてきた。

市場へ作品が出れば、どちらが先に情報を得るか。

誰が所有者へ接触するか。

ジャンには欧州美術界との人脈があり、玲には資金と独自の調査網がある。

実際に彼は非公式のエレナの作品を何枚か所有している。

公式に公表された四十六枚を玲が執念で手に入れた一方で、ジャンも最後の一枚だけは諦めていなかった。

「ジャンさんがメインスポンサーになれば、規模は変わりますね」

「はい。すでに欧州や北米のキュレーターから問い合わせが入っています」

ジャンの名が加われば、小さな地域芸術祭は、世界の美術関係者が集まる場へ変わる。

だからこそ。

彼がここへ関心を持った理由を、玲は知る必要があった。

「ほかにもあります」

加瀬が古い輸送記録を表示した。

国外から日本へ運ばれた大型美術品。

作品名は記されていない。

複数の保税倉庫を経由し、三年前に、この港町の保管施設へ入った形跡が残されていた。

「寸法が、エレナのアトリエから消えたキャンバスとほぼ一致しています」

玲の指が止まる。

「輸送時期は」

「エレナが亡くなる直前です」

作品はフランスから横浜へ入り、その後、複数の倉庫を移動していた。

最後の保管先は、二年前に閉鎖されている。

所有者として記録された海外法人にも、実体はなかった。

確証はない。

これまでも、最後の一枚に関する情報は何度も現れ、途中で消えた。

偽物。

別作品との取り違え。

玲へ高く売るために作られた記録。

今回も同じ可能性はある。

それでも。

ジャンが、この町へ動いている。

偶然とは思えなかった。

「現地の調査を続けてください」

「フェスティバルへの出資はいかがしますか」

玲は資料に映る港町を見た。

エレナがこの町を訪れた記録はない。

それでも、作品だけが流れ着いた可能性がある。

「まず、現地を見ます」

「神崎さんご自身が?」

「はい」

最後の一枚に関することだけは、人任せにできなかった。

***

数日後。

玲は、財団が支援する映画祭の記者会見へ出席していた。

隣には、主演女優の宮永結衣が立っている。

二人が並ぶと、カメラのフラッシュが一斉に光った。

仕事で顔を合わせる機会が多いため、世間では何度も交際を噂されている。

結衣も強く否定せず、玲も必要がなければ触れない。

それが、憶測を長引かせていた。

「宮永さんとのご関係について、改めて伺ってもよろしいでしょうか」

記者の問いに、玲は落ち着いて答えた。

「仕事を通じて信頼している方です」

「交際の事実は」

「ありません」

会場がざわめく。

結衣は笑顔を崩さず、マイクへ顔を向けた。

「神崎さんは、私が頑張っても全然振り向いてくれないので」

冗談として場を整え、会見はそのまま進んだ。

***

食事会で隣に座った結衣が、小さく笑う。

「ずいぶん、はっきり否定しましたね」

「事実ですから」

「本当に、誰にも興味がないんですね」

玲は答えなかった。

美しいと思うことはある。

才能を評価することもできる。

けれど。

もっと知りたい。

次も会いたい。

そばに置きたい。

そう思う相手は、八年間いなかった。

「エレナさんの最後の一枚を、まだ探しているんですか」

「はい」

「港町のフェスティバルも、それが理由?」

玲が視線を向けると、結衣はグラスへ口をつけた。

「ジャン・モローが関わるんでしょう?」

「あの人が小さなフェスティバルへ、自分から出資を考えるなんて不自然です」

アート業界の専門家ではない結衣にも、ジャンの動きは異様に見えるらしい。

「彼がメインスポンサーになれば、キュレーターが一気に集まると聞きました」

「その可能性はあります」

「だから、神崎さんも行く」

玲は否定しなかった。

結衣はそれ以上追及せず、話題を変えた。

「現地で、一か所だけ付き合ってください」

「どこですか」

「海沿いのカフェです」

スマートフォンに映っていたのは、白い壁と大きな窓を持つ店だった。

「景色が綺麗で、料理も美味しいらしいです」

「興味はありません」

「私があります」

結衣は楽しそうに笑った。

玲は断る理由もなく、「時間があれば」と答えた。

画面が閉じる直前。

玲の目が、店先の黒板へ一瞬だけ止まった。

海。

灯台。

白い雲。

小さな写真で、細部までは分からない。

その時は、特に意味のあるものだとは思わなかった。

***

視察の日。

車は昼過ぎに港町へ入った。

窓の外に、明るい海が広がる。

エレナも海を描いた。

けれど、彼女の海はもっと冷たく、人を拒むような色をしていた。

この町の海には、人の生活があった。

やがて、古い倉庫街が見えてくる。

錆びた鉄扉。

煉瓦の壁。

その間に設置された看板には、国際アートフェスティバル開催まで三か月と記されていた。

このどこかへ。

最後の一枚が運び込まれた可能性がある。

そして、ジャンもこの場所を調べている。

「先に主催者との会議へ向かいますか」

加瀬が振り返る。

予定より早く着いていた。

結衣がすぐに口を挟んだ。

「カフェ、先に行きません?」

玲は時計を確認した。

調査を急ぐ必要はない。

「構いません」

車は倉庫街を抜け、海岸沿いの細い道へ入った。

小さな湾を回ると、白い建物が見えてくる。

大きな窓。

海へ面したテラス。

入口の横には、写真で見た黒板が立っていた。

車から降りた玲は、何気なく絵へ目を向ける。

青。

白。

わずかな緑。

海辺の光を描いた、消えるチョークアート。

玲は、ほんの数秒だけ足を止めた。

「何かありましたか」

加瀬に聞かれ、玲は黒板から目を離した。

「いいえ」

この町へ来た目的は。

最後の一枚。

八年間探し続けた、エレナの最後の作品。

それ以外に、玲の心を動かすものなど残っていない。

そう思いながら。

結衣に続いて、海沿いのカフェへ足を踏み入れた。

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