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第7話

작가: 小貝あい
「薫さんは、兄さんと結婚してから松崎家で十年以上暮らしてきました。兄さんがいなくなった以上、彼女を支える責任は、私たちにあります」

一拍置く。その視線が食卓をなぞるように巡り、一人ひとりの顔に静かに触れていく。そして言い切る。

「もう決めました」声の調子は落ち着いていたが、そこに揺らぎはなかった。「薫さんには国内に残ってもらいます。屋敷に住むか、外に出るかは本人の意思に任せます。恒生製薬でのポジションも今のままで。もしおばさまにまだご意見があるのなら――」

わずかに間を置く。

「今後の生活費は、すべて私が負担します」

綾音は、はるかの口元を拭いていた手を止めた。ほんの一瞬、動きが遅れる。

尚弥の言葉は明確だった。

薫をこの家に留めるためなら、祖母の権威に逆らうことも厭わない。そして最後の一言は――彼女を自分の庇護の下に置くという宣言に等しかった。

信子の顔色がみるみるうちに変わる。「尚弥、私に逆らおうとするなんて、あんた、もう家の当主になったつもりなの?」

「いえ、家のことは、これまで通りおばあさまにお任せします」尚弥は声を和らげた。だが、一歩も引かない。「ですが、薫さんの件は会社にも関わる問題です。申し訳ありませんが、従うことはできません」

沈黙が落ちた。信子は孫を睨みつけたまま動かない。その張り詰めた空気を破ったのは、千佳だった。

「お義母さん……」慎重に言葉を選ぶ。「怜也が亡くなったばかりでしょう。あの子だって、薫さんがこんな扱いを受けるのは望まないはずよ」

尚弥は何も言わない。ただ、グラスを強く握りしめ、残っていた赤ワインを一息に飲み干した。喉仏が大きく上下し、横顔の線が、灯りの下で鋭く浮かび上がる。

「パパ……やめて……」

小さな声が震えた。

はるかだった。

張り詰めた空気に耐えきれず、目に涙を浮かべている。椅子から降りると、そのまま尚弥にしがみついた。

「こわい……けんかしないで……」細い指が、彼のシャツをぎゅっと掴む。「もうおなかいっぱい……上であそびたい」

その声に、尚弥の表情がわずかに緩んだ。「……わかった」

娘を抱き上げる。そして席にいる全員へ、簡潔に告げた。「私はこれで」

それ以上は何も言わず、はるかを抱いて二階へ上がった。

けれど、ダイニングルームの空気は少しも軽くならなかった。しばらくすると、千佳の視線が、ゆっくりと綾音へ向く。

「綾音さん。尚弥の判断、あなたはどう思うの?」

その問いに、綾音の指先がわずかに強張る。箸を握る手に力が入り、関節が白く浮いた。胸の内では失望と驚き、様々な感情が波のように押し寄せてくる。

――今日の尚弥は、明らかに様子がおかしかった。あそこまであからさまに薫を守ろうとする姿は初めてだったのだ。

「あなたは尚弥の妻で、薫さんの義妹でもあるのよ」千佳の声が続く。「普段から仲がよかったんだし、あなたの意見を聞かせてくれない?」

視線が一斉に集まる。綾音は、ゆっくりと唇を引き結んだ。

「……本人の意思を尊重すべきだと思います。私から言えることは、それだけです」

その曖昧とも取れる答えに、誰も異を唱えなかった。綾音は元々そういう人間だと、皆が思い込んでいる。目立たず、余計なことは言わず、感情も表に出さない。誰かを不用意に敵に回すこともしない。

――だからこそ、その内側までは、誰も見ようとしない。

食事が終わり、綾音とはるかはそのまま屋敷に泊まることになった。はるかを風呂に入れ、髪を乾かし、ベッドに寝かせる。

しばらく遊んでいたが、やがてはるかは、布団の中で静かに眠りに落ちた。その寝顔を見つめながら、綾音はようやく息を吐く。

そのとき――廊下から足音が聞こえた。無意識に、体が強張る。

扉の向こうを意識したまま、耳を澄ます。足音は一度こちらの前で止まり、そして、そのまま書斎のほうへと遠ざかっていった。

綾音は視線を落とす。胸の奥に、言葉にならないものが広がっていく。この先が見えない。まるで霧の中に立たされているようだ。

薫を守るために、尚弥がここまで覚悟を決めていたことが意外だった。

一緒に長い時間を過ごしてきたはずの夫が――今はまるで、別人のように遠かった。

土曜の朝、小雨のあとに青空が広がり、空気に濡れた草木の匂いがほのかに漂っていた。

綾音は早くに目を覚まし、まだ夢の中にいるはるかを起こさないよう気をつけながら、実家へ帰る支度を始めた。

はるかが起きると、彼女の身支度を手伝う。淡いピンクと紫の小さなアヒル柄のパーカーにデニムのサロペットに着替えさせ、腰まで届く長い髪は低めのポニーテールにまとめると、いっそう愛らしさが際立った。

自分もまた、やわらかな杏色のワンピースにベージュのトレンチコートを羽織り、艶のある黒髪をうなじのあたりで低くまとめる。仕事のときのきりっとした雰囲気は影を潜め、代わりに優しい雰囲気が滲んでいた。

車に乗り込むと、はるかは小さなリュックを背負いながら嬉しそうに言った。「ママ、私もおじいちゃんにお誕生日プレゼント用意したよ」

「本当?おじいちゃんきっと喜ぶよ」

「うん!」

車は静かな住宅街の並木道を抜け、街の反対側にある綾音の実家、辻浦家が住む住宅地へと向かって走り出す。

窓を半分ほど下ろすと、朝のひんやりとした空気が車内に流れ込み、母娘の頭が心地よく冴えさせた。はるかは身を乗り出すようにして窓辺に顔を寄せ、流れていく街並みを飽きることなく見つめている。

やがて一時間ほどで、車は小さな建物の前に止まった。松崎家の重厚で張り詰めた空気とは対照的に、ここには静かで、落ち着いた雰囲気が漂っている。

綾音の父、辻浦健治(つじうら けんじ)は物理学の教授で、すでに定年退職しているものの、大学から請われて教壇に立ち続けており、母の仁美は複数の薬局を切り盛りする実務家肌の女性だ。

車に気づいた仁美はすぐ外へ出てきて、嬉しそうに孫を迎えに来た。

「おばあちゃん、おはよう!」

「おはよう、はるかちゃん!」

そう言って頭を撫でながら、はるかをそっと抱き上げる。だがすぐに車内を覗き込み、首をかしげた。

「尚弥さんは?」

「……今日は用事があって来られなくて」

綾音は少しだけ言いよどみながら答える。昨夜、尚弥がどこへ行ったのか分からず、一晩帰らなかったことを、口にする勇気はなかった。

「会社、そんなに忙しいのかしら」

仁美は小さく息をつきながら、娘の穏やかな表情をじっと見つめる。その性格を誰より知っている母には、何か事情があっても綾音が簡単に口にしないことがよく分かっていた。

「ええ、少しだけ」綾音は柔らかく微笑んでそう答える。

ちょうどそのとき、外から鳥かごを提げた健治が戻ってきて、門のところで足を止めた。「綾音、はるか。来てたのか」

「お父さん、お帰りなさい」

「おじいちゃん、また鳥ちゃんたちを連れて遊びに行ってたの?私も行きたい!」はるかは嬉しそうに駆け寄り、かごの中の二羽のインコを覗き込む。すると突然、インコたちが「おばさん、おばさん……」と、妙にはっきりとした声で真似を始めた。

その場の空気が一瞬止まり、次の瞬間、皆が思わず笑い出す。

「ちょっとあなた、その子たちに変な言葉教えないでちょうだい」

仁美が呆れたように睨むと、健治は悪びれもせず笑った。

「いやいや、教えたらすぐ覚えるんだよ。頭いいだろう?」

「ほんとにもう……」

呆れながらも笑ってしまう仁美の様子に、綾音の胸の奥に張りついていた重さが、少しだけほどけていく。

はるかはそのまま健治にまとわりつき、公園まで鳥の散歩に連れて行ってほしいとせがみ始めた。健治も孫の頼みを断れるはずもなく、すぐに連れ立って外へ出ていく。

綾音は母と一緒にキッチンへ入る。中では手伝いの女性が昼食の準備を進めており、仁美も手際よく支度を進めていたので、綾音も自然と袖をまくって加わった。

「お兄ちゃんたちはまだ来てないの?」

「いつも通りよ。どうせ食事の時間ぎりぎりに来るんだから」

仁美の言葉に、綾音はくすっと笑う。

鍋とフライパンの触れ合う音や、油が弾ける軽やかな音がキッチンに満ち、小さな家全体に生き生きとした気配が広がっていった。

十時を少し回ったころ、庭先から車のエンジンが止まる音が聞こえてくる。

「今度は誰かしら?」

仁美がそう言って顔を上げると、綾音も一緒に外へ出た。門のところに立っていたのは――尚弥だった。
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