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第4話

枝月ゆい
藤堂里奈(とうどう りな)がハイヒールを鳴らしながら店内へ入ってきた。体のラインを美しく際立たせる真っ赤なワンピースをまとい、その華やかな姿はひときわ目を引く。

艶やかで自信に満ちた彼女は、つり上がった目をゆっくりと巡らせ、最後に花音へ視線を止めた。

誰かがぎこちなく笑いながら言う。「里奈、帰国したなら一言くらい知らせてくれてもよかったのに」

その場の空気はどこか微妙だったが、皆は示し合わせたように席をずらし、明臣の隣に里奈のための席を空けた。

里奈はそれが当然と言わんばかりに、自然な仕草で腰を下ろす。

細く白い手をそっと明臣の肩に添え、笑みを浮かべた。「明臣、彼女ともうすぐゴールインなんでしょ?それなのに私には何も知らせてくれないなんて……私たち、友達じゃなかった?」

明臣の黒い瞳が一瞬だけ揺れたが、その感情はすぐに押し隠された。

彼は花音の方へ顔を向け、小声で紹介する。「里奈はこの前まで海外に留学していてさ。俺たちとは長い付き合いなんだ」

「はじめまして、藤堂里奈です。明臣とは幼なじみで、ずっと仲のいい友達なんですよ」

里奈はゆっくりと花音へ手を差し出し、「幼なじみ」という言葉をわざと強調した。

彼女は華やかで存在感のある美しさをまとっていて、真っすぐ向けられる視線には、どこか挑発めいた鋭さがあった。

花音は何かを察し、指輪の箱を置いて、礼儀正しくその手を握る。「はじめまして」

里奈は口元をゆるめた。「花音さん、こちらは初めてですよね? 私たち、このお店のお料理が大好きなんです。どれも美味しいので、ぜひ召し上がってくださいね」

その口ぶりは歓迎しているようでもあり、この場所は自分のものだと言わんばかりでもあった。

花音は箸を置き、淡く微笑む。「さっきエビをいただきましたけど、あまり私の好みではありませんでした」

明臣の瞳がわずかに揺れる。

花音がそんなふうに拒むのは、ほとんどなかった。

まして、この店の料理は京陵市でも指折りの評判だ。

花音はいつも自分の好みに合わせ、精進料理にも文句ひとつ言わず付き合ってくれた。

自分が取り分けてくれた料理なら、たとえ一番苦手なゴーヤでも、きちんと口に運び、「意外と美味しいね」と笑ってみせる。

そんな花音が、自分がむいてやったエビを「好みじゃない」と言うなんて……

だが、花音がまっすぐ里奈を見つめているのに気づくと、明臣はすぐ安心した。女同士の張り合いにすぎない、と思ったのだ。

「そうだ、明臣。この前送ってくれた白峰山のお茶、すごく美味しかったよ。私、一缶飲み切っちゃって、残り四缶は家の使用人たちにあげたの。まだあるなら、また何缶かもらえない?」

里奈は笑顔のまま、何気ない調子で明臣に話しかけた。

その言葉を聞いた瞬間、花音は膝の上でスカートをぎゅっと握りしめた。

白峰山のお茶……

あのお茶は以前、花音が朝霧市の茶畑で製茶を学び、明臣のために五缶だけ作って持ち帰ったものだった。

白峰山茶の製茶技術は、朝霧市の無形文化財にも指定されている。

その製茶技術を教えてもらうため、花音は一人で山へ入り、地元の人のつてを頼って製茶職人を訪ね、何日も頭を下げ続けた。高額な謝礼まで用意して、ようやく教えを請うことができたのだ。

しかも白峰山は標高が高く、深い谷が連なる険しい山で、道も悪く交通の便もよくない。

摘み取った茶葉を背負って山道を歩くたび、何度も斜面で足を滑らせて転び、全身が青あざだらけになった。

山の天気も変わりやすく、突然の豪雨に見舞われることも少なくない。そのたびに滑りやすい山道をたどって茶畑へ向かい、茶の木を守るためにビニールシートを張らなければならず、泥だらけになって帰るのも日常茶飯事だった。

そうして何種類ものお茶を持ち帰ったのに、一番心血を注いで作った白峰山のお茶だけは、明臣が飲んでいるところを一度も見たことがなかった。

家中を探しても見つからず、明臣に尋ねると、「会社に持っていった」と、彼は何気なく答えただけだった。

けれど今になって知った。

命がけで作った自分の想いを込めたお茶を、明臣はあっさり里奈へ渡し、それどころか家の使用人にまで配っていたのだ。

花音の顔色が変わったことに気づいた明臣は、何か言おうとした。

だが花音はもうその場に座っていられず、立ち上がると、淡々と言った。「ごめんね。少しお手洗いに行ってくる」

明臣は細い背中をじっと見送った。

扉が閉まるのを確認すると、静かに箸をテーブルへ置く。

その瞬間、個室はしんと静まり返った。

友人たちは一斉に息をのみ、小声で里奈を責め始める。

「里奈、ここで何やってるんだよ」

「このままじゃ花音に何か気づかれるぞ」

里奈は笑みを少し冷やしながら言った。「花音って恋愛のことしか頭にない女でしょ? この何年もの間、明臣に指一本触れてもらえなくても、自分に都合よく考えて、尻尾を振ってついて回ってたんだから。そんな女に怒る度胸なんてある?」

誰かがぼそりと口を挟む。「そういえばさっき、明臣がプロポーズしたあと、花音が何か言ってたよな?里奈に遮られて、その先は聞こえなかったけど」

「たしか……『私はあなたとは結婚し』ってところまで聞こえたような……」

「結婚しないってことか?まさか断るつもりだった?もう何か気づいてるのか?」

「いや、知らないはずだ」明臣は手首に巻いた黒い数珠を指先でゆっくりとなぞる。

先ほど花音が口にした「好みではありません」という言葉を思い出し、冷えた声で言った。

「奥庭には入れないし、俺に逆らうこともできない。せいぜい気を引きたいだけの駆け引きだ」

「ははは、駆け引きだって?個展が終われば、あの裸の絵は絶対ネット中に拡散される。そうなったら明臣以外、誰があんな女を嫁にもらうんだよ?」

「その通り。花音はあれだけ長い間、明臣に惚れ込んでるんだ。プロポーズを断るわけない。嬉しくて泣くくらいだろ」

「でも明臣、その頃には花音なんて尻軽女ってことになってるんだろ?なんでそれでも結婚するんだ?」

明臣は無意識に視線を向けた。

整った眉が、ほんのわずかに寄る。

それが「尻軽女」という言葉に反応したのか、それとも「結婚」という言葉だったのかは分からない。

しばらく沈黙が流れ、誰もが答えは返ってこないと思ったそのとき、明臣は淡々と口を開いた。

「詩織が目を覚ますまでは、涼真の妹に罪を償わせ続ける。結婚していたほうが、都合がいい」

「明臣、君ってやつは、本当に容赦ないな。毎日仏道の修行でもしてなきゃ、もっととんでもないことになってたんじゃないか?」

「ほんとだよ。ははは。詩織ちゃんが植物状態になってから明臣が修行に打ち込むようになったことを、花音は感謝したほうがいい。じゃなきゃ、もっとひどい目に遭ってたぞ」

個室には遠慮のない笑い声が響く。

その一言一言が、お手洗いへ向かいかけてまだ遠くまで行っていなかった花音の耳に、はっきりと届いていた。

あの秘密の部屋の光景を見たあの瞬間、すでに心は折れていた。

それでも、その個室から聞こえてくる一つひとつの言葉は、鋭い刃となって胸へ突き刺さる。

ふと、白蓮山で過ごした雨の日を思い出した。

雨に打たれながら斜面を駆け下り、岩の隙間に足を挟まれた野良猫を助けに行った明臣。その猫は、以前彼の手を引っかいたことさえある猫だった。

白い装いは、雨と泥にまみれ、すっかり汚れていた。

それでも、小さな猫を抱えて戻ってきた彼の姿は、花音の目には全身が光をまとっているように見えた。

そうか。

彼が仏に帰依したのは、詩織のために徳を積むためだったのだ。

彼の慈悲も、その寛大さも、一匹の猫や一匹の犬にさえ惜しみなく向けられる。

なのに、自分には、その優しさをほんの少しも分け与えてはくれなかった。

花音は洗面所の鏡の前に立ち、赤く腫れた目元を冷たい水で何度も何度も冷やした。

パーティーの後半、花音はずっとぼんやりとしていて、そのあと皆が何を話していたのかさえ覚えていなかった。

帰る頃にはもう夜も更けていた。外では突然、激しい雨が降り始める。

神谷家の屋敷は、北浜市の静かな山の中腹に建っていた。

車が急カーブに差しかかったその瞬間、正面からワゴン車が猛スピードで飛び出してきた。避ける暇もないまま、鋭いブレーキ音が響き渡り、二台は正面衝突した。

ドンッ!

エアバッグが開く寸前、花音の肋骨がセンターコンソールに激しく打ちつけられ、押し潰されるような激痛が全身を駆け抜けた。

「明……臣……」花音はかすれる息で、隣にいる彼を見つめた。

もう彼の愛情を期待しているわけじゃない。

ただ、生きたかった。

兄はすでに服役している。両親から、これ以上自分まで奪うわけにはいかないのだ。

明臣の額にも傷ができ、鮮やかな血が白い肌を伝って流れている。

それでも彼はまだ動けるようで、荒い息をつきながらドアを開け、車の脇から這い出していった。

眩しいヘッドライトの前へ歩いていく彼の白いシャツは、雨に照らされて光をまとっているように見えた。

けれど前髪に隠れた茶色い瞳だけは、夜の闇に沈み、何を思っているのか読み取れない。

マイバッハのフロントガラス越しに、二人の視線が重なった。

その瞬間、花音の胸がきゅっと締めつけられた。

――助けてくれるの……?

やがて明臣は、花音へ向かって一歩踏み出した。

だが、二、三歩も進まないうちに、ポケットのスマホがけたたましく鳴り響く。

激しい雨の中、彼はスマホを取り出し、スピーカーに切り替えた。

すると、澄江の興奮した声が響く。「明臣、先生が詩織の手が動いたって!意識が戻るかもしれないの。すぐ病院へ来て!」

電話を切ると、彼はフロントガラス越しに身をかがめ、低い声で言った。

「花音、どうしても先に行かなきゃならない用事がある。悠斗に連絡して、すぐ救助を向かわせるから……君は、必ず持ちこたえてくれ」

そう言い残すと、彼は振り返り、ワゴン車の運転手を力ずくで車外へ引きずり下ろした。そして、そのボロボロになったワゴン車に乗り込み、そのまま走り去っていった。

遠ざかっていくテールランプを見つめながら、花音は、自分の心臓も一緒にえぐり取られたような気がした。

胸の中にはぽっかりと穴が開き、それなのに、どこか肩の荷が下りたような気持ちでもあった。

――これが、三年間愛し続けた人。

詩織がほんの少し指を動かしただけで、彼にとっては、自分なんかの命よりも大切なんだ。

明臣。あなたがどれほど私を憎んでいたとしても……

この瞬間から、私はもう何一つ、あなたに負い目なんてない。

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