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第2話

Author: ひまわり
翌朝早く、奏也はきちんと身支度を整え、リビングで私を待っていた。

「安奈、この前秘書が言ってたんだけど、俺のタキシード、もう仕上がったらしい。一緒に見に行かない?」

その言葉を聞いても、私の心の中には何の波も立たない。私はただ、ゆっくりとまぶたを持ち上げ、長い沈黙のあとで淡々と答える。

「いいよ」

私の返事を聞くなり、奏也はすぐに立ち上がり、私の腕を取ってそのまま車へと歩き出した。

「ずっと言ってたじゃん。俺のタキシード姿を見たいって。それに今日がデザイナーの汐見市での最後の日なんだ。もしサイズが合わなかったら、今ならまだ直せる。

安奈、あと一週間もしないで、俺はお前と結婚するんだぞ。やっとここまで来たな、俺たち」

彼はひとりでそう言っては、ときどき感慨深そうに息をこぼす。

私はただ窓の外を静かに見つめ、笑顔すら作れなかった。

だって、奏也が本当に一生を共にしたいと願っている相手は、最初から私じゃない。美弥だ。

道の途中で、一つの電話がかかってきた。奏也は気だるげにスピーカーをオンにし、「なんだ?」と短く返す。

受話口から、焦った秘書の声が響く。

「神谷社長、すぐに会社へお戻りください。早見様がトラブルに巻き込まれました」

奏也の顔色が一変し、ハンドルを乱暴に切って車線を変えると、アクセルを踏み込み、猛スピードで会社へ突っ走っていく。

私は遠心力で体ごとに前に投げ出され、シートベルトに引き戻されて、背中をシートに強く打ちつけた。

それでも奏也は顔をこわばらせたまま前を見据え、私には一瞥もくれなかった。

本来なら三十分はかかる道のりを、奏也は十分もかからずに走りきった。

彼は車を止めると同時にエンジンを切り、勢いよく降りて、そのまま会社のビルへ向かって歩き出す。

エレベーターに乗り込んで、ようやくこちらを振り返った彼は、私の顔色の悪さに気づいた。

「安奈、あの……会社で急ぎの用があるんだ。悪いけど、俺のオフィスで待っててくれる?」

私は青ざめた顔のままで首を横に振った。何か言うより先に、エレベーターの扉が開いた。

奏也は無言で、大股で会議室へと向かっていった。

扉を押し開けると、美弥が怒りに震え、拳をぎゅっと握りしめたまま、一人で複数人の役員たちと対峙しているのが目に入る。

そのうちの一人が、彼女の企画書を机に叩きつけるようにして吐き捨てる。

「はっ、海外帰りのエリート様ね?何年もいてひとつの実績も出せやしない。神谷社長に取り入って地位を得ただけの飾り女が、偉そうに俺たちに命令できる立場だと思ってるのか?」

ほかの役員たちの間に、嘲るような笑いが広がる。

「もういい!」

奏也が思わず怒鳴り声を上げ、場の空気を断ち切った。

彼はすぐに美弥のもとへ駆け寄り、彼女を自分の背後にかばうように立ち、役員たちを鋭くにらみつけた。

「美弥は俺が採用したんだ。文句があるなら俺に言え。新人ひとりを寄ってたかって責め立てて、恥ずかしくないのか!」

そして、声の調子を落として彼は続ける。

「それに、実績がないって?今うちが出願中のあの特許、あれは全部、美弥が責任者として進めてる案件だ」

その言葉に、会議室の空気が一瞬にしてざわめいた。役員たちは顔を見合わせ、小声で囁き合う。誰もが、美弥がそんな成果を上げていたとは思ってもみなかったのだ。

私の胸はきゅっと掴まれるように締めつけられた。

一方で、美弥自身もまた驚いた表情で、目を潤ませながら奏也を見上げる。

「奏也、あなた……」

奏也は彼女に安心させるようなまなざしを向けた。

「大丈夫だ。俺がいる限り、誰にもお前を見下させたりしない」

私は信じられない思いで扉の前に立ち、目を見開いた。

その特許は、私が何日も徹夜して仕上げた極秘案件だ。どうして、それがこんなにもあっさりと美弥の実績になってしまったの?

けれど、私が声を上げるより先に、奏也が素早くこちらへ歩み寄り、私の腕をつかんで会議室の外へと引き出した。

「安奈、悪い。でも、さっきのは見ただろ。ああでも言わないと、彼女は会社で立場が持たないんだ」

私はかすれた声で口を開く。

「本当に、あれでいいと思ってるの?」

「これは一時しのぎだ。これから先、ちゃんと埋め合わせるから」

私は痛みを飲み込み、淡々と答える。

「いらない」

いらない。だって、もう私と彼にこれから先なんてないのだから。
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