Share

外の匂いを入れる日

Penulis: 吟色
last update Terakhir Diperbarui: 2025-11-07 19:39:45

温室の湯気が低くゆれて、葉に小さな水が残っている。

アメリアが火を見て、匙を一度だけ回した。

「深呼吸して、少し飲んで。横になるのは……起きてからにしよう」

「うん」

私は帳の余白を指でそろえ、端に小さく印を足す。

ソウマが袖を三回つまむ。

「ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ」

「聞こえてるよ」

湯気の匂いは甘くて、胸の奥がふっとやわらぐ。

門を叩く音が、木の方へ抜けた。

アメリアが目で私を見る。

私は頷いて、息をひとつだけ整えた。

外の匂いが、扉の隙間から入ってくる。

扉が開いて、粉のついた腕が見えた。

リサナが三角布を押さえて、息を吐く。

「ごめんね、朝から。橋の手前で荷車が詰まってて、粉が運べないの」

「けがはないか?」

背後からカイムの声。低くて短い。

「ないよ。でも、人が集まってて……子どもが寒そうだった」

カイムはすぐ外を見る。

「門の前、間を空けろ。子どもを先に通せ」

庭の従者が走る。

「わかりました」

リネアが歩み寄り、リサナの手から小さな紙片を受け取る。

「朝の焼く数、どうするか迷ってるのね」

「うん。減らしたら、お昼が足りなくなるかもって」

「迷ってるなら、こっちで火を増やそう」

背後から、ライゼルの声。

静かで、届く。

「焼くのは止めない。温室の粥を一つ増やせ。足りない分は俺が出す」

リサナの肩が少し落ちた。

「……助かります」

通りがかった従者が当たり前のように頭を下げる。

「閣下、門は少し開けておきますね」

ライゼルは短く頷く。

「寒い人を先に入れろ」

リネアが私の方へ紙片を返した。

「ミコト、門の前に掲示を出そう。配り方はここで決めよう」

喉が少し乾く。

「……私が、書くの?」

「任せてもいい?」

リネアの目は静かで、急がせない。

私は炭筆を握る。

指先が細かく震える。

「門のところまでなら……行ける」

ソウマが青い糸を差し出した。

「ほら、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ」

「うん。門前で、見える高さに結ぶね」

一枚目の札に、丸を二つ。

「子どもを優先」

余白を残して、息を入れる。

カイムが掲示の位置を下げてくれる。

「この高さなら、子どもにも見えるね」

「ありがとう」

門の外は濡れている。

靴の音が浅くなる。

ここで火を一つ足せば、あちらの冷えが戻る。

そんな感じがした。

「鍋をもう一つ」

アメリアが火加減を落とし、塩を指先で控える。

「蜂蜜水も増やすね。熱すぎないようにする」

「並ぶのは、青い糸の印の人から」

リネアが声を落として合図する。

列の手前で、小さな粉袋が傾いた。

抱えていた男の手が滑って、口が少し開く。

白い粉が、雨水に溶けて広がる。

息が止まる気配が列に走った。

「下げるな!」

カイムが一歩で届いて、袋の底を支える。

声は低いまま、目だけで合図する。

「後ろの人、半歩下がって。間を空けろ」

男は顔を伏せる。

「すみません、手が滑って……」

リネアが近づき、濡れた紐を指で引き直す。

「結びが緩むのは仕方ないわ。今は落とさないようにして」

列の端で、子どもが咳をした。

薄い上着の肩が小さく震える。

私は札を握ったまま、喉の奥がつまる。

呼吸を一度だけ吸い直す。

胸の中で、昨日の“直せる音”が、少し背中を押す。

「ここに並んでください!」

自分の声が思ったより出た。

「子どもを優先で……お願いします!」

言い切った瞬間、足裏が熱くなった。

けれど、列がゆっくりと動いた。

カイムの目が、短く私を見た。

頷きでも叱責でもない、通す合図。

「蜂蜜水、小さい子からどうぞ」

アメリアが桶を少し持ち上げて、縁に布をかぶせる。

熱すぎない湯気が、白くほどける。

子どもが両手で受けて、指先を器の裏に当てた。

「熱くない?」

「……あったかい」

私は札に丸を足す。

炭筆が湿気で少し重い。

それでも線は切れずにつながる。

青い糸が指に触れるたび、朝の結びが確かになる。

リサナが私の横に腰を少し落として、小さな包みを出した。

包み紙の角に、薄い赤の帯が押されている。

見慣れない印。

「この赤い帯、新しく押されるようになったの。最近多いんだ」

リサナはわざと明るく言って、目線だけで“後で”と合図する。

私は頷いて、帯の位置を目に置いた。

言葉にしなくても、残る。

「進め。止まるな」

カイムの声に、粉をこぼしかけた男が小さく頭を下げる。

列が再びゆっくり動き始める。

足音が泥を押して、厚みが減る。

「ミコト、札をもう一枚」

リネアの声。

「うん」

私は余白の多い板を選んで、炭筆を置く。

字の形を整えるより、息の長さで運ぶ。

丸、二つ。

目線の高さに掲げると、子どもの視線がそこに止まった。

「いい高さだ」

カイムが短く言う。

私はうなずいて、指を開く。

青い糸が、からりと鳴った。

門の外に濃い雲が残っている。

けれど、鍋の音が弱くならない。

ここで火を落とさない、と誰かが決めたから。

その決まりが、体の温度まで戻してくれる。

「丸が二つになったら、中に通して」

「俺は門の前に立つ」

ライゼルが短く言い、外套の襟を軽く整える。

「寒い人から入れろ。まず手を温めてやれ」

列がゆっくり動く。

リサナが小さな包みを私に押し付けた。

「焼きたては持って来られなかったけど……端っこ、少しだけ」

「ありがとう。半分、あとで食べよう」

「ううん。今はあなたが先に食べて」

笑って、リサナは粉のついた手で頬を拭う。

「龍公様、本当に助かります。これでお昼はなんとか回せます」

「また詰まったら、門を叩け」

ライゼルは目だけで頷く。

言葉は短いのに、場がほどける。

札は足りなくなって、私はもう一枚書く。

炭筆の跡が濃くなって、息が少し整う。

ソウマが袖をつまむ。

「ママ、大丈夫?」

「大丈夫。ここならできるよ」

声に小さな間を置く。

胸の奥がふっと軽くなる。

配り終えた人が湯気に手を伸ばす。

蜂蜜の匂いが、門の方へ薄く流れる。

カイムが視線で合図して、列の乱れを戻す。

「列、動かせ」

従者の足音は短く、まばらになっていく。

雨上がりの匂いが、土へ沈む。

「じゃあ、戻るね」

リサナが肩を回す。

「橋はお昼には動くと思う。それとね……」

少し近づいて、声を落とした。

「税の人が今週、また回ってるって噂。まだ確かじゃないけど」

リネアが目を細める。

「わかった、聞いておくね。ありがとう」

「ううん。焼きながら、様子見ておくよ」

リサナは片手を振り、粉をはらいながら門を出た。

「ミコト」

名前を呼ばれて、顔を上げる。

ライゼルが門の柱に軽く手を置いたまま、こちらを見る。

「足りないときは、ちゃんと呼べ」

息がひとつそろう。

「……うん。外はまだ少し怖いけど、ここなら手が回るから」

「それでいい」

短い声が、温度を落ち着かせる。

鍋が小さく鳴った。

温室の湯気が、さっきより静かに見えた。

私は最後の札を整え、青い糸を結び直す。

結び目の手触りは、朝より少しだけ固い。

門の外はぬかるんで、靴の裏に土が残る。

家の中では、粥の匂いがやわらかく広がっている。

息を吐く。

胸の奥で、音が落ち着いた。

Lanjutkan membaca buku ini secara gratis
Pindai kode untuk mengunduh Aplikasi

Bab terbaru

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   名前を呼ぶ距離

    朝の台所は、湯気が少なかった。温室の葉の匂いが、まだ少しだけ残っている。火の音も、控えめだった。美琴はパンの表面を見て、指先を止めた。「……パン、焦げてない?」焦げてはいない。でも、美琴の声は確認みたいに揺れた。「うん。今日は、いい色」「焦げる日は焦げるし、焦げない日は焦げないよ」アメリアが、鍋のふちを木べらで軽く叩く。その音が、妙に落ち着いた。「……そっか」言ってから、美琴は息を吐いた。自分の肩の力が、少しだけ抜けるのが分かった。蒼真は椅子の上で、背筋を伸ばしている。手のひらがテーブルの端をなぞる。見えない線を確かめるみたいだった。「ママ、今日は、どこ?」「えっと……書きもの」「門の近く、かな」美琴が言うと、蒼真は小さく頷いた。それから椅子を、とん、と叩いた。「じゃあ、ぼく、ここ」「そこ?」「うん。見えるから」蒼真の目は、窓のほうを見ている。門へ続く道が、角度によって少しだけ見える場所。美琴は笑いそうになって、笑えなかった。「……見えなくても、呼んでいいからね」「うん」「でも、見えるほうが、いい」蒼真の声は軽いのに、言い切りは固い。美琴は頷いて、皿を寄せた。「はい。蒼真の分」「カリカリある?」「あるよ。ちゃんと」蒼真は満足そうに頬を緩めた。その瞬間だけ、台所の空気が柔らかくなる。そこへ足音がした。大きいのに、乱暴じゃない音。扉が開く前に、気配で分かった。「おはよう」低い声。短い。それだけで、台所の音が整う。美琴は、目を上げるのが遅れた。礼儀じゃなくて、心が追いつかなかった。「……おはようございます」「おはよう、でいいよ」アメリアが何でもない顔で言う。美琴は小さく笑って、すぐに飲み込んだ。蒼真が、椅子の上で少し背伸びをする。「おはよう」「おはよう。ソウマ」呼ばれて、蒼真は嬉しそうに鼻を鳴らした。それだけで、美琴の胸が少し熱くなる。ライゼルは食卓を見て、言葉を選ばずに置いた。「今日は、門前が混む」美琴はパンに目を落としたまま頷く。「……昨日の続き、ですよね」「そう」それ以上、言わない。言わなくても、門の空気は想像できた。それが分かるようになった自分が、怖かった。リネアが入ってきて、カップを二つ置いた。湯気の細い音。香りが、鼻の奥に触れる

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   外の匂いを入れる日

    温室の湯気が低くゆれて、葉に小さな水が残っている。アメリアが火を見て、匙を一度だけ回した。「深呼吸して、少し飲んで。横になるのは……起きてからにしよう」「うん」私は帳の余白を指でそろえ、端に小さく印を足す。ソウマが袖を三回つまむ。「ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ」「聞こえてるよ」湯気の匂いは甘くて、胸の奥がふっとやわらぐ。門を叩く音が、木の方へ抜けた。アメリアが目で私を見る。私は頷いて、息をひとつだけ整えた。外の匂いが、扉の隙間から入ってくる。扉が開いて、粉のついた腕が見えた。リサナが三角布を押さえて、息を吐く。「ごめんね、朝から。橋の手前で荷車が詰まってて、粉が運べないの」「けがはないか?」背後からカイムの声。低くて短い。「ないよ。でも、人が集まってて……子どもが寒そうだった」カイムはすぐ外を見る。「門の前、間を空けろ。子どもを先に通せ」 庭の従者が走る。「わかりました」リネアが歩み寄り、リサナの手から小さな紙片を受け取る。「朝の焼く数、どうするか迷ってるのね」「うん。減らしたら、お昼が足りなくなるかもって」「迷ってるなら、こっちで火を増やそう」 背後から、ライゼルの声。静かで、届く。「焼くのは止めない。温室の粥を一つ増やせ。足りない分は俺が出す」リサナの肩が少し落ちた。「……助かります」通りがかった従者が当たり前のように頭を下げる。「閣下、門は少し開けておきますね」ライゼルは短く頷く。「寒い人を先に入れろ」リネアが私の方へ紙片を返した。「ミコト、門の前に掲示を出そう。配り方はここで決めよう」 喉が少し乾く。「……私が、書くの?」「任せてもいい?」リネアの目は静かで、急がせない。私は炭筆を握る。指先が細かく震える。「門のところまでなら……行ける」ソウマが青い糸を差し出した。「ほら、ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅっ」「うん。門前で、見える高さに結ぶね」一枚目の札に、丸を二つ。「子どもを優先」余白を残して、息を入れる。カイムが掲示の位置を下げてくれる。「この高さなら、子どもにも見えるね」「ありがとう」門の外は濡れている。靴の音が浅くなる。ここで火を一つ足せば、あちらの冷えが戻る。そんな感じがした。「鍋をもう一つ」アメリアが火加減を落とし、塩を指先で控える。「蜂蜜水も

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   雨の修繕

    天井のどこかで、ぽた、と音がした。 アメリアが無言で桶を置いて、布巾をしぼる。湿気の匂いがすこし濃い。 ソウマが指で三回、私の袖をつまんだ。 「ねぇ、水、落ちてる」 「うん。……すぐ直すね」 息を合わせるように答える。 扉口にライゼルが立って、短く言った。 「高い所は俺がやる。下は頼んだ」 「ここ、だいぶ漏れてるわね」 アメリアが天井の角を見上げる。 「布押さえて。ソウマ、足元見てて」 私が言うと、ソウマはうなずいて位置を変えた。 「脚立持ってくる」 ライゼルが脚立を引き寄せる。金具が静かに鳴った。 温室へ移る。 ガラスの継ぎ目から細い筋が落ちて、机の端にしみを作っていた。 テーブルをすこし動かして、養生布をかける。 ライゼルが脚立を立て、上から指で示す。私は紐の端を受けて、結び目を作る。 「もう一回、しっかり結んで」 「うん……ここで止めるね」 ソウマが手を伸ばした。 「僕、ここ持つ」 「いくよ。タイミング合わせて——せーの」 アメリアの声で、布のしわが伸びる。 ルゥは膝のそばで丸くなって、静かに見ていた。 私は小さな釘をひとつ、軽く打つ。 紐の角度が変わって、滴の落ちる位置がずれる。 自分でもほっとして、息がゆるむ。 「いまの音……すこし、軽い」 自分でもほっとして、息がゆるむ。 昔は——この音が、怖かった。 ひとりで暮らしていた頃、夜の屋根から落ちる雨の音は、 いつまでも止まらなくて。 桶を置いても、水は別の場所から落ちてきて、 “直らない音”が部屋の中に居座っていた。 あのとき、泣いても誰も気づかなくて、 誰かを呼ぶ声も、すぐ雨に消えた。 けれど今は違う。 音を聞く人がいて、息を合わせてくれる手がある。 結び目を引く力の向こうに、確かに“ここで生きる音”がある。 もう、雨の音は怖くない。 直せる音になった。 「雨の日の納品、順番が乱れてます」 帳を抱えたリネアが駆けてきた。肩に細い水滴が残っている。 私は机の端を拭いて、炭筆で臨時の小さな欄を作る。 「ここに“雨待ち”って書くね」 木札に小さな穴を開けて、青い糸を通す。青は遠くでも見える。 「渡すときは丸と青い糸をつけて、受け取ったら糸を外して、もう一個丸をつける」 リネアの目がやわらいだ。 「見やすいね。遠くか

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   市場の朝

    夜明け前、台所の窓のほうで小さな鈴が鳴った。 荷車が遠くをゆっくり通る音が、まだ薄い。 布巾を絞る音と、湯気の匂い。 昨日、リネアに頼まれた。 「市場の帳簿、手伝ってくれませんか。最近、渡し間違いが多くて……」 ——この町の市場では、朝に品物を受け取る人の数が多すぎて、 誰に渡したのか、どの店がまだなのかがすぐ分からなくなるらしい。 手書きの帳簿はあるが、忙しさで印をつける余裕もない。 今日は、その整理を任された“記録係”の初日だった。 「どこか行くの?」 ソウマが袖をつまむ。 「うん。……市場。パン屋さんたちの記録を手伝うの」 「ちゃんと手、離さないでね」 「ゆっくりね。ふーってして」 アメリアが椀をそっと差し出す。 扉のところで、ライゼルが短く言う。 「準備ができたら出発する。帳簿も忘れるな」 靴。上着。帳簿と炭筆。小さな布袋。ソウマの手。 数えるたび、胸が落ち着く。 門を出ると、土の匂いが濃くなる。 草の先が濡れて、靴の底が少し吸いこまれる。 「今日は道がぬかるんでる。気をつけて」 カイムが前を見たまま言う。 「うん……ソウマ、手つないで」 手をにぎり直す。 「離れるなよ」 ライゼルの声は短くて、よく届く。 路地に入ると、人いきれが増えた。 見張りの男が合図だけで流れを整える。 パン屋の軒の前は、白い粉の匂い。 湯気が低く流れて、扉の内側で人の影が行き来する。 「いらっしゃい。……子どもの顔色、いいね」 粉のついた手で、リサナが笑った。 「おはようございます。今日、帳簿整理の手伝いに来ました。 順番の印をつけるだけですけど、許可をいただけますか?」 「もちろん。朝は混むから、助かるわ」 台の上に帳簿を開く。 欄はびっしり埋まっているのに、印が抜けている行が多い。 「これ、受け取った人に丸をつけていけば分かりやすいかもしれません。 受け取る前に一つ、渡したあとにもう一つ、二重丸にするんです」 「なるほどね……目で見てすぐに分かる」 リサナが感心したようにうなずいた。 客が次々と押し寄せる。 リサナが包みを渡すたび、私は帳簿の欄に小さな丸をつけていく。 「次の方、こちら。——はい、二つ目の印、完了です」 呼び声が重ならなくなり、包みの紙が擦れる音だけが続いた。……ところで、つ

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   小さな席

    朝の台所は、湯気とパンの匂いであたたかかった。 温室の窓がしっとり光って、テーブルの端に椅子がひとつ、空いている。 「熱いから、ふーしてね」 アメリアがお椀を置く。 「ふー……あつい……でも、おいしい」 ソウマが息を吐いて、顔をほころばせた。 「おはようございます。ここ、座りますか?」 リネアが椅子を引いてくれる。 「……はい。ありがとう」 座る前にちいさく会釈する。 「冷めないうちに、食べよう」 ライゼルが短く言って、鍋のふたをすこし持ち上げた。湯気がまた立つ。 器を手前に寄せてくれる。熱がすこしやわらいだ。 スプーンの音がそろって、朝が動きだした。 小客間。邸の静かな予備室。低い机に紙束と紐、木札が置いてある。リネアが薄い帳面を開いて見せた。 「昨日までの納品記録です。日付がずれてて……もう少し見やすくしたいんです」 「並べ替え……えっと、日付→品名→数量。渡すときは、ここに小さく丸をつけて」 欄の端を、とん、と指で示し、紙に小さなまるをひとつ描く。 「受け取ったら、もう一つ丸を。ひと目でわかります」 「丸印、いいですね。誰が見てもわかりやすいのが一番です」 「じゃあ、私でもちゃんとわかるようにしておきますね」 ふっと二人とも笑った。 紙を束ねる前に、順番を指でなぞる。ページの端をちょんと折って、目印をつける。 「これ、ママのお仕事?」 ソウマとルゥが覗き込む。ルゥの鼻先が紙に近づく。 「そう。ここで並べるだけだよ」 ルゥが紙をかじろうとして、 「こら、紙は食べません」 自分でもおかしくなって、肩の力が抜けた。 「ルゥ、こっちだよ。果物あるよ」 アメリアが皿を鳴らす。ルゥがすぐ移動して、ちいさく「るぅ」。 指先の紙の粉が、すこしだけ白い。並べるだけ。けれど、ここで役に立てる気がした。 胸の奥が、少し明るくなる。 中庭に出ると、空気がやわらかい。洗濯紐が風で揺れて、陽が低いベンチの背に落ちている。 「井戸、今日は深いから気をつけて」 見回りのついでに、カイムが足を止めた。 「はい」 「ママ、三回だよ」 ソウマが手を出す。 「うん。ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ」 「いい合図だな」 カイムの目がすこし和んだ。 「……そうでしょ」 私もつられて笑う。家のルールがすこしずつ身体に入っていく。 玄関

  • 君と、君の子を愛せるのなら──龍公の誓い──   邸のあかり

    木の切れ間を抜けたところで、石の門が現れた。灯りがひとつ、風にゆれている。 男は歩幅を合わせたまま、門の前で片手を上げた。 「開けてくれ」 内側で足音。横板が外れる音。重い扉がすこしずつ開く。 「了解しました。……怪我はありませんか?」 低い声の男が現れた。鎧の肩に夜気が触れて、きい、と鳴る。 「大丈夫です。私は平気です」 思わず先に答えた。抱き寄せた腕の中で、蒼真の指が動く。 彼が、横目で蒼真を見た。 「子どもには、温かいものを」 門番の男が、視線だけ柔らいだ。 「すぐ用意します」 敷石に足を下ろす。 土の柔らかさが離れて、靴の底に冷たさが戻る。灯りが近づいて、息がひとつ深くなった。 玄関の扉が開き、黒いエプロンドレスの女性が膝をついた。目線が、こちらと同じ高さまで降りてくる。 「ようこそ。まずお湯です。毛布もすぐ。 話は、そのあとで」 「ありがとうございます……」 「うん、あったかい」 蒼真が毛布に頬をすり寄せる。彼女はほっと息をこぼした。 「かわいい声ね」 濡れた靴をそっと外してくれる。床は乾いて、木の香りがする。 「お名前を教えてもらえますか?」 「ミコトです。……この子はソウマです」 「ミコト様、ソウマくん。私はリネア。ここでは、休んでいい場所を先に作ります」 背後で、鎧の人が小声で言う。 「閣下、お湯の準備は?」 「ライゼル様」 リネアが呼んだ。男は、こちらを見ずに毛布をかけ直すだけだった。 廊下の先、小さな部屋に通される。壁に掛けられた灯りがやわらかい。木の机、低い寝椅子、暖かい空気。息がほどける。 「冷えてるね。まずは一口ゆっくり飲んで」 ハーブの盆を抱えた女性が入ってきた。カーキ色の作業着、三つ編みをぐるっと巻いている。湯気の向こうで笑う目。 「アメリアです。はい、一口どうぞ」 湯のみが手に押し当てられる。指先が、じんとする。 「……甘い」 蒼真がひと口。喉がごくりと動いた。 「うん、体がしっかりしてる」 「すみません、いろいろご迷惑を……」 「謝るのはあとでいいから。落ち着いて、休んで」 言い切らず、やさしく押し出す声。背筋の力が、ひとつ抜けた。 部屋の隅に立つ彼――ライゼルは、邪魔をしない。必要そうなものだけ先に置いていく。 乾いたタオル。もう一つの湯のカップ。毛

Bab Lainnya
Jelajahi dan baca novel bagus secara gratis
Akses gratis ke berbagai novel bagus di aplikasi GoodNovel. Unduh buku yang kamu suka dan baca di mana saja & kapan saja.
Baca buku gratis di Aplikasi
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status