LOGIN「──え……?ちょ、ちょっと奏斗……っ」 一瞬、何が起きたのか分からなかった。 だけど、奏斗に抱きしめられていると分かった瞬間、羞恥よりも先に早く離れなければ、と言う感情の方が大きくなり、私は奏斗に離してもらおうと暴れた。 だけど、私が逃げようとしている事を察知した奏斗は、私を抱きしめる腕に力を込めた。 「ちょ、奏──」 「良か、良かった……、香月……っ」 「──ぇ」 奏斗の声が、震えている。 それに、私を抱きしめる奏斗の腕も小刻みに震えているように感じて。 私は、奏斗の腕の中からそっと彼を見あげた。 すると。 奏斗は、目元を真っ赤に染めて、今にも泣き出してしまいそうな程、表情を歪めていた。 「か、奏斗……?どうしたの……、何か悲しい事があったの?」 奏斗のそんな姿を久しく見ていなかった私は狼狽えてしまう。 いつも、自信満々で、堂々とした奏斗。 だけど、子供の頃は気弱で、泣き虫な所があった。 子供の頃は、よく学校で揶揄われて泣かされていたのだ。 そんな奏斗を、私が庇って。 同級生と取っ組み合いの喧嘩をして。 私が引っかかれたりして、怪我をした時の小さい時の奏斗みたいに、奏斗は今にも泣き出しそうな顔をしている。 奏斗は、私の言葉に「信じられない」と言うような顔をしたあと、強い力で私の両頬を包んだ。 「何か、あっただって?それは俺の台詞だ……!香月と連絡が取れなくなって、どれだけ心配したかっ」 「えっ、あ」 「何度も何度も電話してるのに繋がらないしっ、電話以外にも、メッセージやメールを送ったんだぞ!?連絡の1つくらい、返してくれ……っ」 奏斗の悲痛な声が部屋に落ちる。 そして、もう一度奏斗から強く抱きしめられてしまった。 「ご、ごめん奏斗……スマホが壊れちゃって……」 「スマホが壊れた……?」 私の言葉に、奏斗は抱きしめる腕の力を弱めて私の顔を覗き込む。 暗いからだろうか。 奏斗の瞳が暗くて、どんな感情を抱いているのか、分からない。 私は必死に奏斗の腕の中で頷く。 「うん、そうなの。あの日……奏斗と約束をしてた日、急に雨に降られちゃって、体調を崩してたんだ。……入院してたから、スマホが壊れていたって気づかなくて……ごめん」 「──入院!?」 私が入院していた、と知るや否や、奏斗はぎょっとして声を荒ら
Kanatoに何があったのか──。 私は、テーブルの上に置いていたスマホを掴んだ。 だけど──。 「あ……っ、そうだ……奏斗の連絡先が分からないんだ……」 スマホが壊れてしまったから、奏斗に連絡を取る事なんてできない。 それに。 「連絡なんかしようとして……何考えてるの私。奏斗には彼女がいるんだから、いい迷惑になるわよ……」 ただの幼馴染が心配なんてしなくても、きっと奏斗の恋人のRikOがちゃんと奏斗を見てくれているだろう。 それに、もしかしたら──。 「奏斗……RikOの所にいるのかな……」 暫く家に帰っていないって言うのなら。 奏斗が寝泊まりしているのは。 彼女であるRikOの家なのかもしれない。 それを考えてしまった瞬間、私の視界はじわり、と滲む。 付き合っているなら、普通の事だ。 恋人同士ならきっと家を行き来するだろうし、泊まったりだって、するだろう。 奏斗が他の女の子の家に泊まる。 その想像をしてしまった私は、ずきずきと胸の痛みが増して来て。 「──もう、いいや。今日は早めに寝よう」 私はつけていたテレビを消して、夕食の片付けを始めた。 だから、その歌番組でインタビューを受けたnuageが。 話題沸騰中のKanatoが。 意味深な発言を生放送でした事は、私は知らなかった。 すぐにSNSでトレンドに上がったらしいけど、私は片付けを終えたらすぐに部屋に行き、横になってしまったからその騒ぎにも気付かなかった──。 こつこつ、と窓から小さな音がしている。 「─
夜。 私は、課題に集中していたけど、ふと顔を上げてリビングの時計を見上げる。 お母さんとお父さんは残業になってしまったらしく、今家にいるのは私だけ。 しーんと静まり返ったリビングで、時計の針が動く音がとても良く聞こえた。 「もうすぐ歌番組が始まる時間だ……」 夕食は、適当に冷蔵庫の中身を使っていいって言ってた。 お母さんとお父さんは残業だから夜ご飯を済ませてくるかもしれない。 だけど、もし食べて来なかったら軽く食べられるように残せておけるものがいい。 私はキッチンに向かい、冷蔵庫の中身を確認する。 お味噌汁があるし、野菜もあるし、魚もある。 「お魚は……今日使っちゃわないと駄目かな。お肉は……、よし、持ちそう」 今日はお魚を焼いて、サラダを作ろう、と考える。 お味噌汁もあるし、和食にしたらちょうど良い。 夜ご飯を作りつつ、テレビをつけておく。 キッチンの中を忙しなく動き回り、食事を作っているとあっという間に時間が経って。 そうしている内に、Kanatoが出演する歌番組が始まった。 「あっ、もう始まっちゃった!?ヤバいヤバい……っ!」 急いでご飯を盛り付けて、リビングに運ぶ。 飲み物をグラスに注ぎ、席に着いて「いただきます」をしてから食事を始めた。 テレビでは、司会のアナウンサーとアイドルを引退した芸能人が楽しそうに話している。 後方にちらっとKanatoが所属しているグループ、nuageのメンバーが映って、どきっと心臓が跳ねた。 【それでは、今日の番組スタートを飾ってくれるのは、今話題沸騰中のnuage!歌っていただきましょう──】 司会が、nuageの名前を口にする。 するとカメラがnuageの皆を映して、そしてKanatoが画面に大きく映る。 話題沸騰中、と言うワードにKanatoが苦笑いを浮かべたのが分かった。 けれど、それよりも私が気になったのは──。 「Kanato……痩せすぎじゃない……?」 箸をテーブルに置き、私はついつい椅子から立ち上がって前のめりになってしまう。 今、可愛い恋人と付き合っている事を公にして、幸せなんじゃないの……? メイクで上手く隠しているけど、目の下の隈が酷い。 体だって、衣装で分かりにくいけど絶対以前より痩せてしまっている──。 「何で……?ご飯ちゃんと食べてない
スマホを新しく購入し直した私は、新しいスマホを手に、自室で操作に慣れるために奮闘していた。 以前まで使っていた機種とは違い、新しいメーカーの物にしたから、操作性が全然違う。 お母さんとお父さんの連絡先は今朝の内に聞いているから、とりあえず電話番号を登録して、メッセージアプリも追加しておいた。 これで、両親への連絡は大丈夫。 だけど、友人や──奏斗の連絡先は全部分からなくなってしまっている。 以前まで使っていたスマホは、完全に壊れてしまっていて、データの復旧も難しかった。 バックアップもタカをくくっていたせいで取ってなくて、本当に失敗した、と後悔した。 「美緒や遠藤くんの連絡先は、週明けに大学に行けばどうにかなるけど……問題は、奏斗だよねぇ……。でも、すぐに必要って訳じゃないから、いいか……」 私は、スマホが壊れてからと、入院していた間、SNSにログイン出来ていなかったから、いそいそとログインをした。 たった数日間。 されど、数日。 数日見ていなかっただけで、トレンドは目まぐるしく移り変わっている。 でも、その中でもKanatoの熱愛報道の件は未だにトレンドに上がり続けていた。 見たくなくても、自然と視界に入ってきてしまった、その文章──。 それに、私は釘付けになった。 【そう言えば、付き合ってるあの2人、今日の生歌番組で共演だよね……】 【やだなぁ、イチャイチャしてるの見せつけられるのかなぁ】 【Kanato担下りるわ……もう推せない……】 などなど……。 Kanatoのファンが沢山そんな文章を書いているのが画面上に映る。 「そっか……今日の歌番組で、共演するんだ……しかもライブかぁ……」 この時期になると毎
「ノートのお礼もしたかったし、もし良ければ昼食ご馳走させて?」 「えっ!?そんな、悪いよ……。ノートだって、押し付けちゃったようなものだし……」 「ううん。凄く助かったから!次の講義が終わったら……えっとどうしよう」 そうだ。 スマホが壊れてて、連絡が取れないんだった。 私が言葉に迷っていると、遠藤くんが提案してくれる。 「それなら、俺が香月ちゃんの講義室に迎えに行くよ。待っててもらってもいい?」 「本当?スマホが壊れてるから、凄く助かる!じゃあ、終わったら待ってるね」 「うん。じゃあ、また後で香月ちゃん」 私と遠藤くんは、お互い手を振って別れる。 それから、私と遠藤くんはそれぞれ講義を受けて、私は講義が終わった後、迎えに来てくれた遠藤くんと合流して一緒に大学を出た。 遠藤くんを連れてやって来たのは、チェーン店のファミレス。 ドリンクバーもあるし、ご飯も種類が多いし、お値段も手頃。 ここだったら、男の人にご馳走するとなっても私でも払い切れる金額に収まる。 「遠藤くん、遠慮しないで好きなの沢山頼んでね!」 「ははは、ありがとう香月ちゃん」 タブレットを遠藤くんに渡し、私は紙のメニュー表を開いて何にしようか、と悩む。 スパゲティも良いし、ご飯物も食べたい気がする。 昨夜は、うどんだけだったし今朝も胃に優しいご飯にしていたから、ちょっぴり物足りなかったのだ。 だけど、急に沢山食べたら胃がびっくりしてしまうかもしれない。 私は無難にハーフサイズのサラダと、スパゲティを頼んだ。 遠藤くんはポテトとからあげ、そして和食の定食を頼んでいた。 「香月ちゃんはドリンクバー付ける?」 「うん。遠藤くんは?」 「俺も付ける。一緒に頼んでおくね」 「ありがとう!」 遠藤くんとは、大学の講義の内容や、私が参加する事の出来なかったグループワークの話をした。 そして、来年からの就活に対しての不安や悩みを色々と話す。 話している内に注文した料理が来て、2人でそれを食べた。 私はサラダとスパゲティだけなのに、量も多い定食と、からあげとポテトを頼んでいた遠藤くんは私よりも早くご飯を食べ終わってしまっていて。 私が焦って早く食べようとしても、遠藤くんは「ゆっくりでいいよ」と優しく笑ってくれる。 食事も食べ終わったし、沢山お話もした。 時
社長室を出て、廊下を歩く。 俺は自分に与えられた一時的な部屋に向かっていた。 すると、背後からまた駆け寄ってくる足音が聞こえる。 「Kanato、Kanato待って!」 RikOの声が聞こえてきて、俺は振り返る。 腕を広げて、抱き着いて来ようとしたRikOを横に避けて躱す。 すると、不服そうに頬を膨らませたRikOが世間では可愛らしいと評される顔で見あげて来た。 「ちょっと、Kanato。ここでも恋人のように振る舞ってくれないと駄目じゃない」 「……必要ないだろ?社長室に続くこの廊下には、今俺とRikOしか居ないんだから、振りをする必要は無い。外ではちゃんと振りをするから、人がいない場所でくらいは勘弁してくれよ……」 「んー……分かった。RikOはKanatoを困らせたいわけじゃないし……。でも、外部の人の目がある時はちゃんとお芝居してよね?」 「分かってる……もういいか?」 「うん!引き止めちゃってごめんねKanato」 RikOが手を振るのに、軽く頷いてから俺は再び部屋に向かって歩き出す。 事務所が俺とRikOの付き合いを認めた以上、スタッフやそこに所属しているタレント、アイドルの前でも恋人ごっこをしなくちゃならない。 最初はこんなにストレスを感じるとは思わなかった。 香月の姿を見にも行けない、声も聞けない。 家にも帰れない。 これじゃあ、ストーカーがRikOを諦める前に俺の方がどうにかなってしまいそうだ。 早くこの件を片付けて、さっさと家に帰れるように交渉しよう。 ◇ 去って行く奏斗の背中を、RikOはじぃーっと見つめていた。 口元はにんまりと笑みを描いていて、それに比例して目も半月形に変わる。